第四章
第108話 小日向さんは楽しそう
我が桜清高校の文化祭は、十月の頭に開催される。
その月の中旬には中間試験があり、十一月には修学旅行。十二月にはクリスマスとイベント盛りだくさんである。
試験をイベントと称したら、どこかのうさぎさんに猛抗議を受けそうではあるが、こちらで気にかけておかないとこの天使は「試験があるなんて知らなかった」などと言いそうな気がするから、致し方なく。
「まぁ小日向は中間試験よりさきに、夏休みの宿題を気にしなきゃいけないんだけど」
「…………(ぷい)」
俺に反発するように小日向が顔を背けると、景一と冴島がそれを見て苦笑する。
「本当に小日向は勉強嫌いだなぁ……まぁ桜清に来ている時点で頭は悪くないんだろうけど」
「それ自分で言っちゃうの景一くん? 自画自賛的な?」
「俺は努力家タイプだからいいんだよ」
現在は八月の十五日。俺たちはいつものようにマンションに集まって宿題の追い込みをしていた。
景一や冴島、そして俺の三人は各自で宿題を進めているのだが、小日向は俺といる時にしか進めていないようなので一番進捗状況はよろしくない。
家でやらないのか? と聞いてみたら「智樹としたい」と返答が来た。小日向を好きな俺としては、そんなことを言われてしまえば強く言えないわけでして。
「しかし智樹の言う通り、秋から冬にかけてはイベントだらけだよな。俺たちの誕生日も固まっているみたいだし」
「私だけ仲間外れだけどね~」
景一の言葉を聞いて、冴島が拗ねたような声音で言う。こいつは四月って言っていたから、たしかに俺たちの誕生日とは少し離れているな。
ちなみに景一は十一月生まれで、俺と小日向は十二月生まれ。
このメンバーの中では俺の誕生日が最後にやってくるので、俺だけ年下になる時期があるというのは中々に面白い。特に小日向が俺よりお姉さんになる期間があるという事実が違和感があって良い。
「来年は俺たちで盛大に祝ってやるから期待しとけ。――あ、もしかして俺と小日向はお邪魔だったりするかな?」
隣に座る小日向に目を向けて「二人きりにさせたほうがいいかな」などと、ニヤニヤしながら冴島たちに聞こえやすいような声で言うと、
「……杉野くんって結構そういうこと言うよね。実はいじめっ子?」
「もともとこういう奴だぞ智樹は」
そんなことを言われてしまった。よくお分かりで。
景一の言う通り、俺は人をからかうのが嫌いじゃないからな。これで性格が悪いと言われるのならば甘んじて受け入れよう。
「じゃあ私にも遠慮が無くなってきたってこと? 仲良し度アップかな?」
「そういうことだ。――おっと、あまり智樹と親密にしていると噛みつかれるぞ野乃」
景一がニヤついた笑みで小日向を見ていたので俺も目を向けてみると、小日向がふんすーと強めの息を吐きながら目を細くして冴島を見ていた。猛獣化している。
彼氏持ちの友人を警戒する必要もないだろうに……まぁふざけているのだろうけど。
冴島はおどけた雰囲気で「ひゃー怖い」などと言っているので、立場的に猛獣使いである俺が小日向を宥めにかかることにした。
「現実逃避してないで宿題進めような」
……うん、ミスった。ちょっと『宥める』とは言えないかもしれない。
小日向は勉強を催促する俺にむすっとした表情を向けると、シャーペンを持つ俺の右手を手に取ってから、トウモロコシでも齧るかのように噛みついてきた。カプリと。
「…………美味しい?」
その問いかけはどうなんだ――と疑問に思いながらも小日向に聞いてみると、彼女は俺の腕をハムハムと甘噛みしながら、コクリと頷いた。
美味しいらしい。
せいぜい汗でしょっぱいぐらいだろうに。
それから彼女はしばらく俺の腕を味わったのち、今度は噛むのではなく吸い付いてきた。
「ん? 痛くはないよ」
小日向がチラッと俺のことを見てきたので、小日向が気にかけているであろうことに対して返答。彼女は満足そうに頷いた。
これは跡が残るタイプの奴だな――まぁ前回と違って首じゃないから別にいいけどさ。というか小日向、寝ぼけてなくてもこういうことするのか。
「「…………」」
景一と冴島から向けられる無言の視線がとても痛い。
俺は針のむしろに座っているかのような気分だというのに、小日向の表情はいつの間にか険しいモノではなくて、ウキウキ顔になっていた。お前は楽しそうでいいですね。
やがてちゅぽんと小日向が俺の腕から口を外すと、そこには見事に赤い印が残されていた。小日向は「おぉ~」とでも言いたげに口を丸く開けて、その赤くなった部位を指先でつついている。
「なんだかこの二人にからかわれたと思うと納得いかないんだけど」
「智樹たちはもう『からかう』を通り越して『呆れる』の領域にいるからなぁ……」
ジト目でこちらを見てくる二人の空気に押しつぶされ、俺は耐え切れず「からかってすみませんでした」と頭を下げるのだった。
ちなみに、小日向はなぜか自慢げに胸を張っていた。
お前は本当、楽しそうですね。
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