第96話 別荘へ



 七月三十日。


 俺がバイトから終わって帰宅すると、リビングで親父がテレビを見ながらくつろいでいた。今日の夕方ごろにはこちらに来ると言っていたから、しばらくひとりでのんびり過ごしていたのだろう。ビールを持った手を掲げて「おかえり智樹」と声を掛けてくる。まるで長年この場所で過ごしていたかのような馴染みっぷりだ。


「ただいま親父。というかどちらかというと、こっちがおかえりって言う側じゃないか?」


「一理ある――まぁそれはいいとして、元気そうで安心したよ」


 俺は朗らかに笑う親父に「そりゃどうも」と返答しながら、テーブルの側面に腰を下ろす。バイトの疲れを押し出すように、ゆっくりと息を吐いた。


「結局車で帰ってきたの? それとも新幹線?」


「新幹線。車はレンタカー借りればいいだろ」


 なるほど。たしか前に聞いた話だと、親父の勤務先から車でこちらに来るまで半日ぐらいかかるって言っていたもんなぁ。さすがに疲れるよな。


「了解。料金は俺が出すから」


「いらんいらん、気にするなって。智樹は普段から小遣いをもらってないんだから、これぐらい親に出させてくれ。お前がバイトで稼いだ金は向こうで使う遊び道具とかに使うといい。スイカもいっぱい買うって聞いたぞ?」


「……よく知ってんな」


 まぁどうせ景一だろうけど。

 こんなどうでもいい情報は別にいくら筒抜けになっても構わないのだが、小日向との関係は内密にしてもらいたいところだ。


 ことあるごとに抱き着いてきたり、普段からべったり状態で過ごしている事がバレてしまったら、さすがに恥ずかしい。友人に見られるのと親に見られるのでは羞恥のレベルが段違いだ。


 この二泊三日で、その光景を見られる可能性はかなり高いのだけど。



 翌日。


 旅行前日のこの日――まず俺と親父で車を借りに行ってから、景一と赤桐さんの二人と合流し、四人で買い物に出かけた。まぁ旅行前の顔合わせみたいなものである。

 男だけの方が気楽に話せることもあるだろうし、水着や着替えも買う予定だったので、女性陣と男性陣で別れた形だ。男女合わせた人数は七人だし、一緒に買い物するにはやや大所帯だからな。


 小日向は不満そうにしていたが、俺が「明日から三日間ずっと一緒だろ」、「移動は同じ車になるようにするから」などと説得し、何とか別行動をとることに成功。別に小日向から距離を取りたかったわけじゃないけど、俺への依存度が高まりすぎるのも問題があるだろうし、久しぶりに会った時の小日向はとても可愛――コホン。


 そんな感じで、俺たちは二手に分かれて、旅行に必要な物を各自揃えていった。


 冴島と景一、そして静香さんと赤桐さんがちょこちょこ電話で連絡をしていたから、買ったものが被っているということもないはずだ。そして車も静香さんの車と親父が借りたレンタカーがあるから、荷物の量を気にする必要もない。


 ちなみに俺と小日向は、二組のカップルが真面目に旅行の相談を電話でしているなか、お互いの顔写真を送り合ったりしていた。

 うさぎさんに頼まれたんだから、しかたないだろ。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 で、いよいよやってきた旅行当日。


 朝の九時に小日向家の前に集合した俺たちは、商品を検品するかのようにしっかりと荷物の確認を済ませたのち、二手に分かれた。その振り分けは、親父が運転する車には俺と小日向、静香さんが運転する車には赤桐さんと景一カップル――という具合である。まぁなんとなくそうなるだろうなぁと思っていた。


 赤桐家の別荘はここからだいたい車で三時間の距離にあるようなので、ちょうどお昼時にあちらに着く予定だ。長い時間を車で過ごすことになるけど、小日向と一緒なら時間を持て余すということもないだろう。親父は暇かもしれないが。


「じゃあ親父、まかせっきりで悪いけど運転よろしく。休む時は俺があっちの車にいる誰かに連絡するから」


 車の後部座席に乗ってから俺がそう言うと、小日向もコクコクと頷く。親父はその頷きをバックミラーでしっかり視認していたようで、苦笑しながら「了解」と答えた。


 ちなみ助手席は空席である。

 小日向が俺の隣に座りたかったようなので、必然的にこの配置になったのだ。まぁ考えるまでもなくこうなることはわかっていたけど。


 今日なんて顔を合わせるなり胸に頭突きしてきたし、俺としばらく会っていなかった反動なのか、彼女は人前にも関わらずすぐさま俺にでこちゅーを要求してきた。けれど、さすがに親父の前だし断らせてもらった。


 シートベルトをしっかりと装着した小日向は、車が動き出したところでふすふすと鼻を鳴らしながらこちらを見上げる。表情は明るい。


「楽しみだな」


「…………(コクコク!)」


 元気よく頷く小日向の頭を撫でていると、親父がボソッと「マジか」と声を漏らす。


「俺、まさかこれから三時間そんな光景を見続けることになるのか?」


「ミラーじゃなくて前を見て運転しろやバカ親父」


「後方確認って意外と大切なんだぞ、智樹。お前も運転するようになったらわかる」


「ふざけてんのか真面目な話をしてんのかハッキリしてくれ……」


「というわけで明日香ちゃん。俺のことは気にせず思う存分いちゃいちゃしてくれ。あ、でもシートベルトは外さないでくれよ」


「するかバカ! そんなことする予定はないから!」


 喋らない小日向の代わりに俺が声を荒げて反論すると、親父は愉快そうに「はっはっは」と笑っていた。先が思いやられるな。


 そして小日向よ――お前も「え? しないの?」みたいな顔でキョトンとしないでくれ。いくら親父が前を向いているとはいえ、二人きりじゃないんだから。


 ……というか、そもそも恋人じゃないのにいちゃいちゃすること自体おかしなことなんだけども。その事実に、はたして小日向は気付いているのだろうか。


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