第95話  智樹成分補給中



 高校に入学して二回目の夏休みに突入したわけだが、稼ぎ時ということは去年と変わらない。日数を減らしてはいるものの、授業がある月の二倍以上は収入が見込める期間である。


 景一はもちろん、春奏学園の薫や優とも遊ぶ予定だし、今年はクラスの女子――といっても九割以上小日向なのだが――と過ごす日も多い。おそらくだが、この夏休み期間中に俺が一日フリーな日というのは存在しないのではないかと思う。


 充実した夏休みだ――俺はそう思うのだけど、いつも傍にいたうさぎさんは大層ご不満な様子である。


「…………」


 夏休み三日目の夜。

 現在、俺と小日向はマンションのエレベーター内にいるのだが、小日向が正面から抱き着いたまま離れない。小さな身体を使って、俺を離さないように必死にしがみついている感じだ。


 小日向がこうなってしまった原因はわかっている――わかっているから俺も彼女を突き放したりはしないのだけど……家の外だからちょっと恥ずかしい。


「杉野成分補給中的な感じ?」


「…………(コクコク)」


 学校に通う必要が無くなったことで、俺は昨日と一昨日、小日向に会っていない。


 授業がある時は月曜から金曜は学校で会うし、週末にバイトが入っていても土曜の夜から日曜の朝はお泊まりだった。つまり毎日顔を合わせていたわけだ。しかし、夏休みに入ったらそうもいかない。俺たちは高校生なのだし、毎日お泊まりというわけにはいかないからな。


 そんなわけで、夏休み期間の取り決めとして、俺が翌日にバイトが休みの時のみお泊まり可ということにしたのだけど、当然俺がバイトに連続して入れば、小日向と一日会わない日がでてくる。


 で、そのしわ寄せが今の状況を引き起こしているわけだ。


「思う存分補給してくれ。ついでに宿題を頑張る意欲もな」


 そろそろ俺の住む階に到着しそうだったので、小日向にそう声を掛ける。すると彼女は予想通り、俺から目を逸らしつつ手を離してスススと距離を取った。まぁそれでも俺の小指を握ってはいるのだけど。


 さて、この勉強嫌いの天使様にどうやってペンを握らせたものか。

 宿題以上に、難題だ。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 


 俺はバイトから帰宅してすでに風呂と夕食を終えており、小日向も同じ状態でやってきている。


 部屋に入ってからまず、小日向にパジャマへと着替えてもらった。これでいつでも寝られる状況なわけだが、このまま寝るわけにはいかない。夏休み序盤から宿題に手を付けておかないと、後半に痛い目を見るのは目に見えているからな。


「……まだ成分補給終わらない?」


「…………(コクコク)」


 勉強道具をテーブルの上に出すところまではなんとかこぎつけたのだが、小日向はあぐらをかいている俺の正面で、がっちりと俺をホールドしている。コアラさん状態だ。


 小日向が手を離したら後ろに転んでしまいそうなので、俺も彼女の背に手を回しているのだけど、傍から見たら普通に抱き合っているだけなんだよなぁ……。まぁ俺も口には出さないけど、小日向に会えなくて寂しく思っていたのは事実だ。ついでに成分補給させてもらうとしよう。


 で、十分ほど会話しながらその体勢でいたのだけど、小日向は一向に机に向かう気配がない。ずっと俺の胸に顔を押し付けてふすふすしている。こいつもしかして……このまま寝るまで時間を潰そうだなんて考えてないだろうな?


「言っておくが、最低プリント二枚終わらせるまでは寝ないぞ」


 そう言うと、彼女はピクリと身体を震わせる。そして恐る恐ると言った雰囲気でこちらを見上げた。うるうる状態の上目遣いにノックアウトされそうだったけど、甘やかしてばかりではいられないのだ。心を鬼にせねば。


「ダメです」


 小日向の「宿題しなきゃダメ?」という声が聞こえた気がしたので、俺はハッキリと答える。すると彼女は拗ねたように唇を尖らせたのち、その顔のまま俺の首元に顔を近づけて――そのまま首に唇を押し付けてきた。


「――だ、だ、ダメです」


 危ない……一瞬にして心が折れそうだった。


 でこちゅーは割と回数をこなしていたけど、彼女からのキスは初めてなのだ。不意打ちすぎるぞこのうさぎさん。


 俺の顔が赤くなっているのに気づいたのだろう――小日向はイタズラが成功したようなニヤニヤとした表情を浮かべると、今度は俺の頬に口づけをした。


「お・ま・え・なぁ……言っておくが、小日向も十分顔真っ赤だからな。人のこと笑えないぞ?」


「…………(ぶんぶん)」


「いや赤いから」


「…………(ぶんぶん)」


 認めたくないらしい。鏡を目の前に持ってきてやりたいところだが、小日向を乗せている状態なので身動きが取れない。


 俺にできる抵抗と言えば、盛大なため息を吐くことぐらいだ。


「……わかったわかった、俺の負けだ。だけど、プリント一枚は絶対やるからな」


 両手を床について、俺は身体を逸らしながらそう口にする。敗北宣言だ。

 それにしてもこの天使強すぎないか? 甘やかし不可避なんだけど?


 勝者のうさぎ天使は、勝ち誇ったような表情でこちらを見ながらふすーと強く息を吐く。俺は悔しくて思わず彼女の白いおでこをペシっと叩いた。するとお返しとばかりに頬にキスをされてしまう。カウンターが強力すぎるんだが?


 やれやれ……この天使には一生勝てる気がしないな。

 

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