第91話 二つのお願い

~~作者前書き~~


KCC諸君。

この話の破壊力はかなりのものだ。

おそらく、これまでのモノとは一線を画すものとなるだろう。

覚悟してのぞむように。


~~~~~~~~~




 その日、小日向は俺に自由を与えることはなく、洗濯、掃除、料理などなど――あらゆる家事をひとりでこなしていった。

 小日向が必死に息を吹きかけて冷ましたおじやを口に放り込まれたり、彼女が俺のパンツを手に取ってフリーズしていたり、ところどころに事件はあったけどなんとか無事に一日を終えることができた。


 ちょっとやりすぎな気もするけど、感謝していることには違いない。


「小日向はきっといいお嫁さんになるだろうな」


 夜の十時過ぎ――部屋の明かりは豆電球だけにした状態で、俺と小日向はベッドに横になっていた。


 ついさきほど熱を測ってみると、熱は早くも六度台に戻ってきていた。おそらく明日の朝起きたら身体のだるさもある程度回復していることだろう。


 明日もバイトは休みになっているが、休みをもらっておきながら遊びに出るのも躊躇われるし、大人しく家で体調の改善に務めようと思う。まぁ、ゲームぐらいは許してほしい。


 俺の「いいお嫁さん」発言を聞いた小日向はというと、布団の中にひょいっと潜ってもぞもぞしたかと思うと、嬉しそうな笑顔を携えて戻ってきた。そして俺の右腕と身体の間に頭を突っ込んできて、そのまま俺の腕を枕にして上を向く。それからふすー。


「どうぞどうぞ。俺の腕で良ければ好きに使ってください」


「…………(コクコク)」


 暗がりの中、こちらを向いて頷いた小日向は、さらに顔を回転させて俺の鎖骨あたりに鼻をくっつける。小日向の温かな吐息がシャツを通過して俺の身体を刺激した。匂いでも嗅いでいるのだろうか。ほんと、小動物っぽいよなぁ、小日向って。


「…………ふむ」


 そんな可愛さが限界突破している小日向を眺めながら、考える。


 ここまで献身的にお世話してもらったのだから、何か俺からもお返したがしたい。

というか小日向が喜んでくれるのであれば、別にお返しでなくてもしてあげたいのだけど、それはただの甘やかしになってしまう。いや、小日向を甘やかすのもいいんだけど、やりすぎは本人のためにならないからな。


「看病してくれて助かったよ――ってなわけで、なにかお願いがあったら聞くぞ。何か欲しい物があるなら買うし、行きたいところがあるなら連れていく」


 俺はお礼とともに、彼女の要求を聞き出そうと試みる。


 小日向は期限の定められていない、最強の『智樹、何でもするって言った』という手札を所持しているけど、今回はあくまで看病のお礼だ。言葉の最初にお礼を言ったから、勘違いすることもないだろう。


 ほほう、といった様子で目を輝かせる小日向に少々の恐ろしさを感じつつ返答を待っていると、彼女は枕元に置いてあったスマホをポチポチ。入力後、こちらに見せてくる。


『ギュってして』


 ハードルたけぇなおい。


「…………それは抱きしめる、ハグってことだよな……?」


「…………(コクコク!)」


 そうらしい。さすがに「首をギュってして」なんて猟奇的なことを頼むとは思っていないし、ハグ以外に選択肢もないと思うのだけど、念のため確認。だって女の子を抱きしめて「違う!」とか言われたら泣けるだろ?


「じゃあ、失礼します……」


 そう言いながら俺は身体を小日向がいるほうへ向けて、彼女の頭を右腕に乗せたまま、左手を腰に回して抱き寄せる。いままでも何度か小日向に抱き着かれて背中に手を回すことはあったけど、俺からは初めてだ。かなり緊張する。


 お互いの身体は押し付けられるようにくっついており、おかげで自分の心臓の音も、小日向の鼓動もはっきりとわかる。俺と同じくらい小日向の脈も速くて、やっぱりこの天使も緊張しているんだなぁと可笑しくなった。


「くく――あぁ悪い悪い。バカにしてるわけじゃなくて、小日向も心臓バクバクだなぁと」


 不満そうな顔を向けられたのでそう説明すると、小日向は俺の胸に耳を当てる。それから俺の心臓が脈打つ速さを理解して、ニヤニヤと笑みを作った。新しい種類の笑顔だな。


「そりゃこんな状況で動揺しないほうがおかしいだろ」


 今度は俺が不満顔をするターンである。まぁ不満に思っているのではなく、照れ隠しなんだけども。


 そんな子供っぽい反応を見せる俺に気を遣ったのか、小日向は自分の胸をぺちぺちと叩いた。どうやらこっちも聞いてみろ――ということなんだろうけど。


「いやそれはちょっと問題があるというか……」


 男の胸と女の胸では、価値というか質量というか凹凸というか――まぁ違いはあるわけでして。


 顔を引きつらせながら「女の子はやめたほうがいいぞ」と言うと、彼女は「それがどうした!」とでも言うように強くふすーと息を吐き、俺の頭を両手で抱え込んで自らの胸に押し付けた。いや、正面から押し付けても聞こえませんて。鼻で振動を感知しろとでも言うのか。


「き、聞くから! ちゃんと心臓の音聞きますからちょっと手を緩めてくれ!」


 むぎゅーっと柔らかな小日向の胸に押し付けられた状態では、聴覚に意識を集中するだなんて土台無理な話である。柔らかさを堪能するための触覚しか機能していない。


 緊張しつつ、顔を横に向けてから小日向の左胸あたりにゆっくりと耳をくっつける。


「は、速いな! うん速い速い!」


 俺は小日向の胸から即座に顔を離して、やや早口で感想を述べた。

 まぁ実のところ、何も聞こえなかったのだけど。耳の良し悪しの問題じゃなくて、状況的な問題で。


 しかし小日向はその真実に気付いた様子もなく、満足げな表情を浮かべており、再び俺の身体に抱き着いてきた。そして俺も彼女の背に手を回して、深呼吸をしながら脈が落ち着くのを待つことに。熱がぶりかえさないことを祈るばかりだ。



 それからしばらくして、


「ん? もう一個お願いしたい?」


『…………(コクコク)』


「もちろんいいぞ。正直、俺なんかのハグと小日向の看病じゃ釣り合わないと思っていたからな」


 お金も時間も消費していないし、正直言ってお礼といいつつ俺へのご褒美になってしまっている。貰うばっかりの状況だった。


 たとえ彼女が「遊園地に行きたいから全部お金出して」と言ってきたとしても、今の俺ならば一瞬の躊躇いもなく了承する自信がある。


 さぁ、なんでも好きな要求をするがいい! この杉野智樹が、天使小日向の望みをなんでも叶えてやろうじゃないか!


 などと心の中で意気込んでみたのだけど――いかんせん相手が悪かった。



『おやすみのちゅー』



 彼女はいつだって、俺の予想を超えてくるのだから。



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