第90話 からだふきふき



 よいしょ、よいしょ。


 そんな可愛らしいかけ声が聞こえてきそうな雰囲気で、現在小日向に背中を拭かれているわけだが、これが非常に心地いい。


 もちろん恥ずかしさや申し訳なさも感じているのだけど、汗のせいで気持ち悪かったし、氷水を絞ったばかりのタオルは火照った身体を冷やしてくれる。


 自分の身体を動かさずに心地よさを感じるこの感覚は、マッサージを受けている時に近いかもしれないなぁ。


「ありがとな小日向。あとは自分でやるよ」


 一通り拭き終わったようなので、胡坐をかいた姿勢のまま後ろを振り返る。


 背中以外の場所は自分で問題なく拭けるし、無理に彼女にやってもらう必要はないだろう。いや、そもそもやろうと思えば背中も自分で拭けるのだが、無言の圧力に負けてしまった。いつも無言なんだけどね。


 だけどこの先はそうも言っていられない。さすがに前は恥ずかしすぎる。


「…………(ぶんぶん)」


 小日向からタオルを受け取ろうとしたのだけど、彼女はそれを拒否。俺の右腕をとってから、真剣な表情で拭き始めた。まぁ、腕はセーフ……かな?


「無理するなよ。疲れたらちゃんと言ってくれ」


「…………(コクコク)」


 このうさぎ天使様は疲れても言いそうにないよなぁ。俺が察知するしかないか。


 そんなことを頭で考えながら、俺は人形になったつもりで小日向にされるがままの状態に。指の隙間まで丁寧に拭かれるものだから、なんだか整備されているような気分になった。


 そんなこんなで俺の両腕を拭き終えた彼女は、俺の背後に回ってから、今度は耳の後ろや首回りを拭き始める。もはや彼女の気のすむまで待ってみようか。と思ったのだけど――、


「いや、そこは自分で拭けるから」


 思わず口を挟んでしまった。だってこの天使(小悪魔かもしれない)、俺の背後から抱き着くような姿勢で身体の前面を拭き始めてしまったんだぞ? さすがに無反応は貫けない。


 しかし彼女は俺の抗議をスルーして、キュッキュと俺の身体を磨き続ける。しかも肩に顎を乗せて、俺の頬に顔をくっつけた状態でフキフキしているのだ。胸が当たるとかそんなレベルではなく、もう全部密着している。


 平常心? 小日向の無警戒さにも慣れた?

 ――はっ! 小日向を甘く見るなってんだ。今なんて、俺が間違って横を向いてしまえば唇同士がくっつくような距離だぞ? まったく、毎日がクライマックスだぜ。

 ……ちょっと熱でハイになってしまっているかもしれない。


 好きな子にこんなことをされてしまえば嬉しさを通り越してそのまま三途の川を渡り終えてしまいそうなのだけど、そこは持ち前の自制心で持ちこたえる。


 ここ最近の小日向から予想するに、キスして押し倒したとしてもふすふす言うだけな気もするけど、万が一があってはいけないのだ。


 まぁ、表情が豊かになったあとのことは知らないが。


「はい。終わったな? 終わったよな? じゃあ後は自分でやる」


 上半身をあますことなく同じクラスの好きな女子に綺麗にされてしまった俺は、小日向が使っていたタオルを掴む。これ以上はやらせないぞ――という意思を込めたのだが、普段の小日向からは想像もつかないような強さで引っ張られてしまい、無情にも俺の手からタオルが去っていく。


「…………(ぶんぶん)」


 ダメ。と言っているような首振りだった。はい、すみません。


 小日向が我儘を言っているのなら俺も強く言えたのだけど、彼女の行動は俺を想ってくれているからこそなんだよな。こんなに世話をやいてくれるのなら、このままずっと風邪でもいい――と一瞬思ったけど、さすがに色々と耐えられそうにない。そしてそんなことを言ったら小日向に怒られてしまいそうだ。


「……好きにしてくれ」


 ――結果、俺は下半身も足の付け根ぎりぎりまで小日向に綺麗にされてしまった。

 やりきった感満載の小日向を見ると、苦情を言う気力も奪われてしまう。もはや何度言ったかもわからないが、「こういうこと、好きな男以外にしたらダメだぞ。勘違いされるからな」と念のため指摘。コクコクと頷く小日向に、身体を拭いてくれたお礼も言った。


「ありがとな。助かったよ」


「…………(コクコク)」


 ほんのり笑顔で、小日向は頷く。そしてそのまま、彼女は俺の正面から抱き着いてきた。首に手を回して、頭突きでもなんでもないただのハグ。彼女が俺を父として見ているのか異性として見ているのかはハッキリしないが、好感度はもう振り切っているような気がする。


 まぁそれはともかく……せっかく拭いたのに、また汗をかいてしまいそうだな。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 このままだと世話焼きモードの小日向に着替えまでさせられそうな気がしたので、彼女が風呂桶に入った水を交換する隙に、部屋から脱出。脱衣所にて高速で着替えを済ませてから、何事もなかったようにベッドに横になった。


 戻ってきた小日向は、着替えを終えた俺を見てキョトンとした表情になる。次いで可愛らしく首を傾げた。


「ぱぱっと着替えは済ませたよ」


 俺がそう言うと、彼女は「そうなのかー」といった様子で、ポンと手の平に拳を落とす。一挙一動がいちいち可愛い。


「今日はどうする?」


 本日は土曜日。普段なら俺は昼からバイトに行くために、その時点で小日向とはお別れをすることになるのだが、熱が出たせいで今日も明日も休みになった。


 まだ治りきってはいないが、家でゲームをしたり映画を見るぐらいならば問題ない。さすがに外に出てスポーツとかは遠慮したいけど。


 彼女は今日、何時に帰るのだろうか。いつも通り、昼頃かな?

 そんなことを考えながら返答を待っていると、彼女はスマホをポチポチ。そしてズイッと液晶を俺の目の前に持ってくる。


『智樹が治るまで泊まる』


「…………マジ?」


『ママにもお姉ちゃんにも言った』


 マジらしい。しかも家族公認らしい。


 これはまずい……本気でウイルスを倒しにかからないと、理性を保てなくなる可能性が出てきたぞ。




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