第89話 ――んぅっ



 現在俺の体内ではウイルスや白血球たちの熱いバトルが繰り広げているらしく、小日向が来る前よりもさらに身体はだるくなり、はっきりと頭痛も感じるようになってきた。


 だがしかし、現在ベッドで寝そべっているすぐ真横には小日向の顔がある。彼女はベッドのすぐそばに座り、腕と顎をベッドに乗せるような形で俺の顔をジッと見ていた。熱は逆に上がってしまいそうだが、正直に言おう――熱とか身体のだるさとかどうでも良くなるぐらいに幸せです。


「小日向も寝ていいんだぞ? 布団敷くか?」


 頭に乗せた冷えたタオルを落とさないよう、顔を横に倒して、小日向にそんな提案をしてみる。しかし彼女は顔を横に振って「いらない」という意思表示をした。


「さすがに今日はこの布団に一緒に入るのはきつくない?」


 エアコンが稼働しているとはいえ、すぐ隣に39度近い人間がいれば寝苦しいだろう。


 ぼうっとする頭で「小日向、どこで寝るつもりだろう」と考えていると、彼女はスマホの画面をきちんと俺の顔の向きに合わせて提示。そこには『このまま寝る』と書かれていた。


「その姿勢で?」


「…………(コクコク)」


「寝づらいだろ」


『学校の机は良く寝れる』


「……ほう。朝登校したときも休み時間も寝ていない小日向が、いったいいつ寝てるんだろうなぁ……まさか授業中に寝ているなんてことはないと思うけどなぁ」


 まぁ、彼女が時々授業中に意識をシャットダウンして机に伏せていることは知っている。景一が報告してくれるからな。


 俺の言葉を聞いた小日向は、身体と視線を不自然に動かし、あからさまに挙動不審な状態になった。そして――なぜか俺の頭を撫で始めた。怒られないようにご機嫌取りしているのかもしれない。可愛い。


 しばらく俺の髪を梳いたりしていた彼女は、俺の額に乗せたタオルを取っ払い、水と氷が入った風呂桶にそれを突っ込む。おそらくかなり冷たいと思うのだが、彼女は特に不満そうにすることもなくジャバジャバとタオルを洗って、ぎゅっと絞って水気を落とす。


 おうおう、ちっちゃい手で頑張ってくれているなぁ……力が入りすぎて頭に血がのぼっているじゃないか。


 彼女が頑張った成果なのであれば、例えびちょびちょのタオルを頭に乗せられたとしても文句なんて言わない。喜んで受け入れよう。


 そんなことを考えながら、必死にタオルを絞っている小日向の姿を見ていると――、


「――――んぅっ」


 一瞬にして頭が真っ白になった。


 なんだ? なんだいまの高い声は? どこから聞こえてきた? 


 声のような気がしたけど、この場には低い声の俺、そして喋らない小日向しかいないのだから、そんな音声が聞こえてくるはずがない。


 聞こえてくるはずがないのだけど、冷静に思い返してみると、その心を浄化してしまうような透き通った声――まるで風鈴を思わせるような音色は、たしかに小日向がいる方向から聞こえてきた気がするのだ。


 その事実に気付いた俺は、無意識に布団を跳ねのけて身体を起こす。じゃっかんふらついてしまったけど、そんなもの気にしている場合ではない。


「い、今のって小日向の声だよな!? も、もう一回だけお願いします!」


 敬語でお願いしてみたけど、小日向はタオルを絞っていた時よりもさらに頬を赤くして、勢いよく顔を横に振る。小刻みで高速タイプの首振りだ。


 これは否定か……はたまた拒否か……。まぁ静香さんによると、小日向が喋らないのは恥ずかしいからっていう理由らしいし、俺がお願いしたところでもう一度聞くのは難しいのかもしれない。とても残念だ。


 小日向は顔を伏せた状態で、俺の両肩をぐいぐいと押してベッドに倒すと、冷えたタオルを頭に乗せてくる。乗せたあとに、その場所をペチリと叩かれた。照れ隠しなのだろうけど、彼女はもっと自分の一挙一動が可愛いことを理解したほうがいいと思う。


 会長とかKCC会員の人がおでこを叩かれてみろ。たぶん即死だぞ。


「あぁ、なんだか小日向の声を聞けたら熱が下がりそうな気がするなぁ」


 もう一度ペチンとタオルを乗せた額を叩かれた。そしてふすーという鼻息も聞こえてくる。「まったくもう!」という声が聞こえてきそうな感じの息だった。


 はい。わがまま言ってすみませんでした。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「……いつの間に寝たんだろ」


 翌朝、目を覚ますとひんやりとしたタオルが頭に乗っていることに気付く。ベッドの隣に小日向の姿はなく、なんとなく寂しい気分になってしまった。


 傍に置いてあった体温計を手に取って、脇に挟む。


 頭痛は多少残っているけど、たぶん熱はもうほとんど引いた感じだなぁ。

 喉が渇いているし、寝ている間にかなり汗をかいたようだ。ジャージと下着がしめっていて気持ち悪い。


 起きたらまず着替えよう――そう思っていると、体温計がピピピという音を立てる。確認してみると、体温は七度六分。念のためもう一度測ってみたが、同じような体温だった。


 どうやら一晩でウイルスとのバトルは落ち着いてきたらしい。


 それから、枕元にいつの間にか準備されていたペットボトルの飲料を飲む。そうしていると、風呂桶を抱えた小日向がテコテコと部屋に入ってきた。


 昨日、彼女は俺が寝るまでの間はずっと外着だったのだけど、いつの間にかうさぎのパジャマに着替えていた。もしかすると寝ている俺のすぐ横で着替えていたかもしれないと考えると――いや、やめよう。また熱が上がる。


「おはよ。飲み物もタオルも、ありがとな」


「…………(コクコク)」


 風呂桶を床に置いた彼女はなんでもないことのように頷くと、スマホをポチポチ。


『智樹、いっぱい汗かいてた』


「みたいだな。気持ち悪いから早く着替えたいよ」


 そして服はもちろんだが、布団も汗を吸ってじめじめしている感じだ。今日は天気も悪くないし、布団も干してシーツも洗うとしよう。無理をしなければ、熱がぶりかえすこともないはずだ。


 カーテンを開けて空を見ながらそんなことを思っていると、トントンと肩を叩かれた。


 どうやら彼女はまた何かスマホに入力したらしく、俺に画面を見せつけてくる。


『脱いで、身体拭く』


 ……ふむ、熱がまた上がりそうな気配がするぞ?



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