第88話 智樹、発熱
金曜日の放課後。
景一、冴島、小日向の三人が俺の住むマンションに遊びに来て、いつものように七時過ぎまでゲームをして過ごした。
四人で昼休みに話し合った、夏休みの過ごし方についてはまだ明確に決まっていなかったので、俺たちはダラダラとゲームをしながらもどこに行こうかと話していた。まぁそれでも結局これといった成果は得られなかったのだけども。
閑話休題。
小日向を家まできちんと送り届けたのち、俺はコンビニに寄り道することもなく真っ直ぐ帰宅。リビングの収納棚から体温計を取りだして、電源を入れてから脇に挟んだ。
「熱、出てないといいけど」
特に咳やくしゃみが出ているわけではないのだが、今日ゲームをしている最中から、なんとなく身体が重くてだるい感じがしていた。顔も熱かったのだけど、小日向のスキンシップが原因なのだとばかり思っていたが……はたして結果はいかに。
「……七度九分、か」
俺の平常の体温からすると、微熱ってところだ。
ここのところ勉強とバイトで休み無しだったからか、いつの間にか身体が疲れて免疫が低下してしまっていたのかもしれない。思い当たる原因なんてそれぐらいしかないもんなぁ。
「このまま収まってくれたらいいけど」
万が一このまま熱が上がってしまったら、明日と明後日のバイトに支障が出てしまう。軽い熱ぐらいなら働くことはできるけど、店長に移したらヤバいからなぁ……。
「電話しとくか」
何はともかく、出勤可能にしろ不可能にしろ、ひとまず現状を報告しておくことにした。
スマホの連絡帳から『店長』を選択。コールして五秒ほどで『おう、どうした?』と、いつも通りのフランクな声がスピーカーから聞こえてきた。
「夜分にすみません。いま少しお時間いいですか?」
『いいぞ~。お客さんには料理もう出したからな』
あぁ……そういえば普通に仕事中だよな。そんな当たり前のことに気付けないとは、やはり脳がいつもより回っていないかもしれない。
「そうでしたか。実はちょっと熱が出てしまっていてですね……現段階では微熱ぐらいなんですけど、これから熱が上がるか下がるかちょっとわからないんですよね。明日ってだれか代わりに入れたりします? 誰もいないなら出勤しますが」
申し訳なく思いながらそう話すと、電話口からは盛大なため息が返ってきた。
『――アホ。バイトの学生がそこまで気を遣わんでよろしい。金に困ってるっていうなら一考の余地はあるが、そうじゃないなら休め休め。というかいきなり重たい口調で電話してくるから焦ったぞ、辞めるとか言い出すかと思った』
「ははは……夏休み前にそんなこと言いませんよ」
俺が勤めている喫茶店『憩い』の店長は、暇なときに関節技をキメてくるとはいえ、やはり優しいのだ。常連さんとも仲が良いし、料理も上手い。尊敬に値する人物である。
『これからも無理せずに相談しろよ。――で、杉野は一人暮らしだろ? 必要なら栄養ある物でも買って行ってやろうか? なんなら付きっきりで看病してやってもいいぞ』
「店長は仕事があるでしょうに。まぁどうしてもやばかったら友人にお願いするんで、大丈夫です」
事情を話せば、景一、薫、優の誰か一人は飲み物ぐらい買ってきてくれると思う。
だけど今ぐらいの感じなら、コンビニに歩いて行くぐらい問題ないだろう。
最後に、店長から『あまりイチャイチャして風邪を移すなよ』と言われてしまった。別に小日向を呼ぶなんて一言も言ってないんだがな。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜、マスクを装着した小日向が来た。
「急すぎるだろ……そして風邪が移ったらどうすんだ……」
明日の土曜――彼女は我が家にお泊まりする予定だったので、風呂から上がったあとに「熱があるから明日は無理かも」ということをチャットで伝えると。返信よりも先に自らが登場した。静香さんが送迎してくれたからいいものの、女の子が外出するような時間ではない。もう夜の十時を過ぎている。
リュックを背負い、白いビニール袋を携えた小日向をぼうっと見ていると、彼女は玄関で靴を脱ぐなり俺の手を引いてぐいぐいと寝室へと引っ張っていく。
いつもより小日向の力を強く感じるのは、俺の身体が弱っているせいなのか、それとも彼女がそれだけ強い意志を持って行動しているからなのか。わからん。
彼女は強引に俺をベッドの上に座らせると、やや険しい顔つきで俺の額に手を当てて、そして自らのおでこにも手を当てる。しばらくそうしていたが、たぶんよくわからなかったのだろう――可愛らしく首を傾げていた。はい天使。
そして次に彼女がとった行動は、
「……そこまでしなくても」
おでこ同士をくっつけるという、禁断の行為。
身内なら特に問題はないのかもしれないけど、付き合ってもないクラスメイトの男女がすることではないと思う。顔がめちゃくちゃ近い。別の理由で熱が出てしまいそうだ。
「熱ならさっき測ったばかりだよ。八度だった」
正確に言えば八度七分だが。
土日のバイトが無くなったことで心が安心したのか知らないが、俺の体温はぐんと上昇してしまった。店長に早い段階で連絡しておいてよかったと思う。さすがに夜中に電話は迷惑だろうからなぁ。
俺の言葉を聞いた小日向は、腕組みをしてふすーと息を吐く。
おそらくだけど、表情から察するに怒っているような気がするなぁ。遊んでいる時に言わなかったからだろうか。
「怒ってる?」
「…………(コクコク)」
やっぱり怒っているらしい。
腕組みをほどいた彼女はスマホを操作して、俺に画面を見せてくる。そこには『私、頼りない?』という疑問文が書かれていた。
「そんなことないよ」
そもそも、小日向に関しては頼りになるとかならないとかをあまり気にしたことがない気がする。一緒にいてくれるだけで心地がいいのだから。
『じゃあ頼って』
「小日向に風邪を移したくないんだよ……」
別に景一たちなら問題ないと思っているわけじゃないが、なんとなくあいつらは身体が強くて、小日向はか弱いイメージがある。そのせいで、彼女を頼るという選択肢は浮かばなかった。
自分でも情けなく思えるほどぼそぼそとした声で言うと、小日向は呆れたようにふすー。それから俺の頭の頂上に手を置いて、ゆっくりと左右に手を動かした。
小日向からの頭ナデナデ、か。
恥ずかしいような嬉しいような……微妙なラインである。
どちらにせよ、その小さく優しい手を払いのけるような真似は、弱っている俺には到底できそうもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます