第81話 夢or現実



 スク水状態の小日向と風呂に入って、残すイベントは就寝のみ。


 一応明日は休みだし夜更かしオーケーな状態ではあるが、十二時になるよりも前に小日向は夢の世界へと旅立っていった。


 彼女はスース―という可愛らしい寝息をたてながら、俺の胸に顔を寄せている。若干寝づらくはあるけれど、小日向が可愛いというプラス要素のおかげで全然気にならない。寝ずにこのまま朝まで眺めてもいいぐらいだ。


「静香さんに連絡しておくか」


 俺は忘れないように、小日向家へと報告をしておくことに。


 もちろんスク水のことではなく、彼女の笑顔のことだ。一度だけならば俺の勘違いという線も捨てきれなかったけど、二度目ともなるとさすがに連絡すべきだろう。

 小日向の表情のことを一番気にかけているのは、彼女の家族なのだから。


『明日香さんが最近笑顔を見せるようになりました』という内容のチャットを送信すると、既読がついて数秒もしないうちに着信が掛かってきた。


 応答ボタンを押して、スマホを耳にあてるなり『それほんと!?』という嬉しさと驚きが入りまじったような声が聞こえてくる。


 俺は胸元で寝息をたてている天使を起こさないよう、ボリュームを抑えた声で返答した。


「こんばんは静香さん。まだ二度ほどしか見ていませんが、確かに笑ってくれましたよ」


『そっかそっかーっ! やっぱり智樹くんの影響は凄いねぇ。私たちも色々頑張ってたからちょっと悔しいけど……そっかぁ……明日香が笑ったかぁ』


 静香さんの口調は、後半になるにつれて感慨にふけるように穏やかになっていった。


「……俺がきっかけになったとしても、それは静香さんや唯香さん――他の方々がいままで小日向を支えてきてくれたからこそですよ」


『ふふっ、気を遣ってくれてありがと』


「別に気を遣ったわけではなく、本当のことで――」


『まぁそれはいいや。ちなみに明日香はどんな時に笑ったの? 渾身の一発ギャグでも披露した?』


「してねぇ――してませんよ! えっと……言葉にするのはなかなか難しいシチュエーションですが、誤魔化し笑い? みたいな感じですかね」


 さすがにお風呂で小日向の頬をムニムニしたことは言えないので、最初の笑顔の時のことを話す。静香さんは『ふんふん』と相槌を打っているだけなので、俺は言葉を続けた。


「俺が『警戒心のない小日向には説教が必要だな』みたいなことを言ったら、笑っていましたよ。めちゃくちゃ可愛かったです」


 思わず俺の感想まで付け加えてしまった。だって可愛かったし。


 言ってしまった後になって「余計なことを口走ってしまった」と焦ったけれど、静香さんはその部分について特に言及することはなかった。


『あははっ! だけど明日香は割と距離感はちゃんとしてると思うよ? だって智樹くん以外にくっついたりしてないでしょ?』


「まぁ、それはそうですけど……」


 というかそんな光景を見たら嫉妬で気が狂ってしまいそうだ。

 想像しただけで嫌な気持ちになってしまう。これが恋の病というやつか。


『だから智樹くんが特別なんだよ。明日香は甘えん坊さんだから、スキンシップが激しそうだなぁ~。今も実は抱き着かれてたりして?』


「な、ないですないです! そんなことないです! 明日香さんは普通に寝てます!」


 超図星。背中に手を回されてギュッとされております。時折顔を胸にスリスリしております。本当に寝てんのかこの天使。


「ふーん? でもダブルベッドだよね? 寝起きだとそういうこともあるんじゃない?」


「…………はい」


「うひゃー! 青春だぁーっ! 妹が青春しておるーっ!」


「うるせぇ! ――じゃなくて、静かにしましょうね。夜ですし」


 思わず同級生の姉に向かって諭すような口調で話してしまった。照れて慌ててしまったのだからしかたない。


 その後、約一時間に渡り俺は静香さんに延々とからかわれ続ける羽目に。


 通話が終わると、俺は気疲れしてすぐに寝てしまった。明日は学校もバイトも休みなので、アラームもセットせずに。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 よくわからない夢をみた。


 非現実的な事象がごく平凡感じられる意識の中、俺は下半身がタコと化した小日向と一緒に海にやってきていた。


 小日向は八つの足をうにょうにょと器用に動かして浜辺を歩いており、隣を歩く俺はもちろん、周囲の人間たちもそれを不思議に思う者はいない。


 海の家で友人の薫と優がナンパを仕掛けてきたので、それを小日向が口から墨を吐き出して撃退。

 そしてそれを周囲の人から拍手で称えられて、タコ型のトロフィーを貰い、小日向が俺の右の頬にキスをしてめでたしめでたし――という本当によくわからない夢だった。



「…………そうか、夢か」


 意識が現実に戻ってきたところで、俺は思わずそう呟く。

 なぜあのでたらめでよくわからない状況を不自然に思わなかったのか。しっかりしろ夢の中の俺。


 しかし、小日向のキスの感触だけはやたらリアルだったなぁ……。


 いやもちろん実際にキスされた経験はないのだけど、湿り気というか温かさというか――実際もそんな感触なのではないかと思えるレベルだった。永久に脳に刻んでおきたい。


 そんなことを考えつつ、眼を擦りながら顔を右に向けてみると、そこにはパッチリと目を開いた状態の小日向が、顔を赤くしてこちらを見ていた。やや挙動不審にも見える。


 どうやら珍しく小日向の方が先に目覚めていたらしい。


 昨日は静香さんと長電話しちゃったからなぁ……しかしなぜ小日向はそわそわしていて顔を赤くしているのか。

 俺の寝顔が珍しかったのかなぁ……いびきとかいてなかったらいいけど。


「おはよ」


 俺が三文字で短く朝の挨拶を済ませると、小日向はゼロ文字で対応する。自らの顔を隠すように、布団に潜って俺の横っ腹に頭突きをしていた。


「おうおう、寝起きなんだから手加減してくれよ? …………ん?」


 なんか頬がスース―するな。


 布団が動いて空気が触れたということもあるだろうけど、一部だけがやけに涼しすぎる。


 違和感を確かめるために俺は布団から手を出して右の頬に触れてみる。


 夢の中で小日向にキスされた部分だけ、少し濡れているような気がした。



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