第75話 願わくばこの先ずっと
「なんで頷いてんだよ」
覆いかぶさった体勢のまま、俺はぺチと小日向のおでこを叩く。
すると彼女は俺に叩かれた場所を手で擦りながら、いたずらがバレた子供のように視線を逸らして口笛を吹く素振りを見せた。スースーとしか鳴っていないが。
小日向の警戒心のなさに思わずため息を吐いてから、俺は彼女の横へと移動し、その場であぐらをかく。
たぶん今の俺の脈拍を測ったら、全力疾走後のレベルで速いだろうな。俺に非があるから自業自得なのだけど。
そんな俺の心臓の状況など知りもしないであろう小日向は、ぽけーっとした表情で俺のことを見上げている。いったいこの脳みその中ではどんな思考が行われているのだろうか。
「あ、そういえばご飯はどうする? 朱音さんに貰ったやつを半分こするか? 小日向も手伝ってくれたし、食べる権利はあるぞ」
別の話題に切り替えようと頭を働かせたところ、小日向の食事のことを考えていなかったことに気付いた。コンビニに買いに行ってもいいが、できれば家を出ずに済ませたい。
小日向は寝そべったままスマホを操作して、「智樹、足りる?」と問いかけてくる。やはり、見間違いではなく彼女は俺のことを下の名前で呼ぶことにしたらしい。景一たちの影響だろうか?
「今日もらったのはおかずが多めだったし、冷凍のご飯を温めたら二人分ぐらいにはなると思う」
「…………(コクコク)」
名前で呼ばれたことに関しては敢えてツッコまず、自然に会話を進めていく。内心は嬉しすぎて空高く飛びあがってしまいそうだった。
まぁ、彼女が下の名前で呼んだとしても、俺にその度胸はないし、そうするつもりはない。
俺は必要がある時以外――(叔母の朱音さんなど)――で、幼少期からずっと女性を下の名前で呼んだことはない。だから、俺にとって『女性を名前呼びする』というものは凄く特別なものなのだ。他の人を否定するつもりはないけど、俺は恋人になった人にだけそう呼びたいと思っている。
だから、俺が小日向を『明日香』と呼ぶ日がくるとしたら、それはきっと彼女と相思相愛になった時だけだろう。
もし小日向が「名前で呼んでほしい」なんて言ってきたら、断れるかどうかは怪しいところだけども。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夕食、そしてお風呂を済ませてから、俺たちはのんびりとバラエティ番組を見ていた。
小日向はいつも身に着けていたもこもこのウサギさんスタイルから、夏仕様へと変更している。生地が薄手になり、パンツの裾と上着の袖が短くなったぐらいでウサギさんであることには変わりはないのだけど。まぁ当然のように可愛い。
以前のパジャマと比べて露出している肌面積が増えてしまったため、いよいよこの姿で外に出すだけにはいかなくなってしまった。パパ、心配ですから。
「あー……そういやそろそろプールの授業もあるのか」
テレビの画面には、水着を身に着けた男女がその辺で拾った海藻を投げつけ合っている様子が映し出されている。
独り言のように呟いた俺の言葉に反応し、小日向もテレビに目を向けたままコクコクと頷く。なお、小日向は俺の胡坐をかいている俺の足の間にすっぽりお尻をおさめていた。この場所が落ち着くらしい。
「小日向は泳げる?」
そう問いかけてみると、彼女は前を向いたまま右手を自身の顔の左側からにょきっと出現させ、これまたにょきっと親指を立てる。可愛い以外のなにものでもない。
「やっぱり泳げるか。――前から思っていたけど、小日向って運動センスがすごいよなぁ。ボーリングも上手かったし、エメパに行った時もなんでもできたしさ」
一応俺も問題なく泳げるが、これまでの小日向のことを考えると、彼女の方が早く泳げるのではないかと思ってしまう。力では勝っているけど、身体の使い方の上手さで差が出てしまいそうだ。
しかし小日向の水着姿か……。なんだかとんでもなくスクール水着が似合いそうだよな。褒め言葉としては微妙すぎるところだから、口には出さないけど。
水辺で子供のように楽しんでいる小日向の姿を思い浮かべていると、彼女はスマホを操作して「でも勉強は嫌い」と書いて見せてきた。少し慌てたような表情と、この言葉から察するに、どうやら俺を元気づけようとしてくれたらしい。
俺としては単純に「小日向は凄い」と思っていただけなのだが、彼女は俺が劣等感を覚えていると思ったようだ。優しい子だなぁ。
そして小日向はさらにスマホを弄って、
『だからずっと智樹に教えてもらう』
前を向いたまま、そんな言葉の書かれた画面を見せつけてくる。
そしてすぐさま、小日向は頭を後ろに倒して俺の胸にスリスリ。思いっきり首を倒してから、俺と目を合わせてふすふす。そしてまた後頭部をスリスリ。
そんな可愛いことされたら「自分で頑張れ」なんて言えないだろうが。無論、断るつもりは元からこれっぽっちもないのだけど。
……はたして彼女の言う『ずっと』は、どれぐらい先まで続くのだろうか。
俺としては、永遠に続いて欲しいところなんだけどなぁ。
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