第74話 智樹は智樹
「じゃあ二人とも、また学校でな」
「杉野くんはバイト頑張ってね! 明日香は迷惑かけたらダメだよーっ!」
景一と冴島の二人は、午後七時すぎにそんなセリフと共に帰宅。俺と小日向はそれをマンションの前まで出てきてから見送った。帰り際に手を繋いだりしないだろうかとしばらく見守っていたけど、まだ景一にその度胸はないらしく、仲良く並んで歩いているだけだった。ふっ――俺と小日向を見習ってくれ。
なんで小日向は帰らないのかって?
そんなもんお泊まりするからだよ!!
「ちゃんと静香さんにお礼を言っておくんだぞ」
エレベーターに乗った所で、右手で俺の小指をニギニギしている小日向に言う。彼女の左手は、着替えが入った紙袋で塞がっていた。急に「今日泊まる」と言い始めた小日向のために、急きょ静香さんが着替えを持ってきてくれたのである。
泊まる場所を提供することに関して俺は何も不満はないのだけど、こんな風にイレギュラーなお泊まりだと小日向の家族も大変だろう。彼女の着替えを我が家に常備しておくことも検討したほうがいいだろうか。
さすがに女子の服や下着を洗濯することはできないけど、着替えを置いておくぐらいならば問題ない。その中身を覗いたりする度胸は俺にはないからな。誰にも見られていない状況で、手の届く場所に小日向の下着があるとわかっていると、悶々としそうではあるが。
俺の言葉に対し、コクコクと頷いて意思を示した小日向は、楽しそうにゆらゆらと左右に揺れ始める。もう毎週のように泊まっているが、それでもやはりお泊まりは楽しみらしい。
もし楽しそうにしている理由が、景一たちがいなくなって二人きりになれたからとか――だったら俺のテンションは爆上がりなんだけどなぁ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
マンションに帰宅し、リビングに腰を落ち着けたところで、隣に座っている小日向がズイッと俺にスマホの画面を見せつけてきた。
『初めて男の人に怒られた』
…………あぁ、第一印象の話ね。
「別に怒ったわけじゃないんだけどなぁ。というか、俺たちが最初に会ったのは学食前の自販機でだろ」
俺がそう言うと、小日向はまたスマホをポチポチ。
『助けてくれる人、いっぱい』
「なるほど。つまりあの時点では小日向的にあまり印象に残っていなかったと」
「…………(コクコク)」
困っている小日向を見れば、十人中九人は助けに行きそうだからなぁ。俺もその中の一人だったってわけか。だけど、小日向に面と向かって説教するような奴はいなかったと――それが俺と他の奴の違いって感じか。冴島は日ごろから色々と言ってくれていそうだけど。
そして小日向は追加で、『パパみたいだった』という文面を俺に見せてくる。
それはたしか以前小日向からチャットで言われたことがあったな。
つまり、彼女の俺に対する第一印象は『パパみたい』ということか。嬉しいのか嬉しくないのか……とても微妙なラインである。小日向が好きな俺としては、異性として見て欲しいからな。
「俺はお前のパパじゃないけど、好きなだけ甘えたらいいさ。比べられたら負けちゃうだろうけど、代理ぐらいにはなれるから」
たぶん小日向は俺が彼女の事情を知っていることに気付いている。だから俺は苦笑しながらそんな言葉を漏らした。
そりゃ彼女の父親に勝てるとは思わない。まだガキなのだし、包容力も経済力もなにもかも劣ってしまっているだろう。小日向を大切に想う気持ちだけは、簡単に負けを認めたくはないが。
俺の言葉を受け取った小日向は、しばしの間ジッと俺の胸のあたりを凝視する。そして膝を少し強めにペチリと叩かれた。それから彼女はポチポチとスマホを弄り、バッと勢いよく俺に画面を見せてくる。
『智樹は智樹』
そこには、そんな言葉が書かれていた。そして更に言葉を追加して、
『比べてない』
と、再度俺に画面を見せてくる。なんだか少し怒っているような雰囲気だ。
おそらく俺が『代理』なんて言葉を使ってしまったからだろう。少し、自虐が過ぎただろうか。
「悪かったって。小日向が俺を俺として見てくれているなら、嬉しいよ」
そう言いながら、慰めるように彼女の頭に手を乗せる。そしてポンポンと軽く叩いた。
彼女は「本当にわかってるの?」と言った様子で唇を尖らせ、不満げな表情でこちらを見る。しかし俺の手を振り払おうとはせず、ただされるがままになっていた。可愛い。
――ん? …………んん? …………待てよ?
「すまん小日向、さっきの画面もう一回見せてくれない?」
俺の記憶違いかもしれないが、小日向が書いた俺の名前――『杉野』じゃなくて『智樹』じゃなかったか? 彼女が声に出していなかったから違和感なく読めてしまったが、よくよく思い出してみるとたしかに『智樹』と書いていた気がする。
つい反射的に、彼女の足を挟んだ向こう側に置いてあるスマホに手を伸ばそうとすると、彼女はすいっと俺から遠ざけるようにスマホを移動させる。耳は真っ赤で、いつの間にか俺から顔を逸らしていた。
そもそも人のスマホを勝手に触るのはNGであることは理解しているのだが、その時の俺はハッキリ言ってめちゃくちゃ動揺していた。そりゃ小日向に下の名前で呼ばれたりしたら当然そうなる。KCCの連中ならまず立っていられないはずだ。
それから俺はまるで生者に群がる亡者のごとく、よろよろと徐々に遠ざかるスマホに手を伸ばそうとして、
「……あ」
バランスを崩した。
小日向もろともパタリと地面に倒れ込み、現状、俺は彼女の顔の両脇に地面に手をついているような状況である。小日向はぱちぱちと瞬きしながら下から俺を見上げていて、赤くなっている顔にさらに赤を足していく。
いったいどこまだ赤くなるんだろうか――って冷静に観察している場合じゃねぇから! そして小日向もなにをコクコクと頷いてるんだバカ!
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