第72話 小日向さんの策略
高校二年生になってからというもの、俺の生活は激変した。
その変化の要因は間違いなく小日向なのだが、きっかけは俺が彼女に声を掛けたことだろう。
あの時はまさか500円玉を代わりに拾ってあげただけで、ここまで深く関わることになるとは思ってもみなかった。ただ単純に、喋らないと噂の彼女になら、女性が苦手である俺にも話すことができるだろうという考えの元、行動しただけである。
それも俺が学食の掃除をしていればの話だし、叔母が学食で働いていたからだろうし、俺が一人暮らしで節約していたからだ。人生、本当に何がきっかけになるかわからないものだ。
体育祭が終わり、イベントもひと段落――かと思いきや、すぐに期末試験がやってくる。
以前までは試験に対して『イベント』などという楽しそうなイメージの言葉を使うことはなかったのだが、ほぼ間違いなく小日向と勉強をすることになるだろうから、正直楽しみになってしまっている。まぁ俺は小日向と違い、もともと勉強が嫌いではないが。
「カップルがやるイチャイチャに相合傘というものがあるけど、智樹はやったことある?」
金曜日の放課後。
終礼前に景一がどんよりとした窓の外を見ながらそんなことを聞いてきた。もちろん周囲には聞こえないように小声である。
「そもそも小日向と一緒にいるときに雨に降られたことないからなぁ……」
六月の初めに制服の衣替えも行われ、現在の桜清学園の生徒は全員夏服へと切り替わっている。
男子は薄い水色のカッターシャツに、グレーのチェックのズボン。女子はズボンがスカートになって、胸元にリボンがついているぐらいで男女ともに似たような雰囲気である。
「というかそもそも俺たちそもそもカップルじゃねぇし。お前らはどうなの? っていっても、まだ付き合ってから二週間ぐらいだけどさ」
「まだ手も繋げてない」
「うわ、似合わな。プレイボーイ感ぷんぷんしてるくせに」
「おいおい、俺だって人生初めての彼女なんだぜ? 正直手をつなぐとか緊張しすぎて手汗がヤバそうで怖い。好きな相手ならなおさらだ」
「似合わねぇ……」
このイケメン、学校では普通に女子と会話しているようだけど、案外こういうことは苦手らしい。彼女がいたことがないのは知っていたけど、まさか恋人ができるとこんな風になってしまうとは……ウケる。
「相合傘っていってもさ、降水確率が低いときならまだわかるが、今日みたいに午後から100%になってたら、そうそう傘を忘れることはないだろ」
「それはどうかな? 小日向だぞ?」
「…………妙に説得力あるからやめろ。だけどまぁ、静香さんとか唯香さんがいるから問題ないだろ」
ため息を吐いてからちらりと前方の小日向に目を向けてみる。
彼女は周りの席の女子と何かを話しているようで、なにやら興奮した様子でふんふんと頷いていた。
何を話しているんだろうなぁと眺めていると、女子二人と小日向が同時にこちらを見る。女子は「やばっ」と声を漏らしてすぐに俺から目を逸らし、小日向はなぜか身体を左右に揺らしていた。なんなんだ。
「何か女子が小日向に入れ知恵していたんじゃね? ほら、智樹たちってもはや桜清学園公認カップルだし」
「だからカップルじゃないっての」
もはや教室で話すときに小日向の名前を隠すこともしなくなった。そんなことしなくても、『あいつ』とか『あの子』とか言った時点で周囲は小日向のことだと気付いてしまうから。
しかし小日向、女子と何を話していたんだろうな?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
金曜日ということはつまり、学食の掃除デイである。夕食費が節約できる日だ。
景一はモデルの仕事はないらしく、冴島も暇らしいので教室で待機。掃除が終わり次第俺の家でゲームをすることになっている。
「小日向も冴島たちと一緒に教室で待っていて良かったんだぞ? 人が増えても30分掃除するってことには変わりないんだから」
右手にほうき、左手にちりとりを装備した小日向は、俺の言葉に対しぶんぶんと顔を横に振る。夏服姿も大層可愛い小日向さんである。抱きしめたい。
「小日向ちゃんは実家だしねぇ。勝手に夕食用意しても迷惑かもだし」
カウンターの向こう側から、朱音さんが苦笑しながら言うと、それに対しても小日向は首を横に振る。別に食事はご所望ではないようだ。
となると、俺と一緒にいたい、もしくは俺一人がせっせと働いているのが忍びないと思っているかのどちらかだろう。どちらにしても嬉しいが。
「疲れたら遠慮せずに休んでいいからな」
「…………(コクコク)」
やる気満々と言った様子で頷く小日向。勢い余って何かを壊してしまわないか心配だ。
なるべく割れ物の近くに行かないように誘導しながら掃除をするとしようかな……。
30分間、せっせと床をほうきで掃く小日向の姿を視界に収めながら掃除をして、俺は無事に夕食の確保に成功。彼女がちりとりを使うときなど、たまにしゃがんだり前かがみになったりするので、俺はスカートの中を見ないようにするので大変だった。
不可抗力でちらっと見た感じ、上手に隠してはいるのだけど、なんだか背徳感があってまじまじと目を向けることは俺にはできなかった。万が一小日向のパンツなんて見てしまったら、俺はきっと罪悪感に押しつぶされる上、鼻血が噴き出してしまうことだろう。
景一たちの待つ教室に二人で向かいながら、俺は小日向に声を掛けた。
「そういえば小日向は傘持ってきた? 雨、結構すごいけど」
俺がそう問いかけると、彼女はなぜか明後日の方向を向いたり、地面に目を向けたり、天井に目を向けたりと視線を至る所に彷徨わせる。明らかに挙動不審だ。
「もしかして、傘忘れた感じ?」
別に怒っているわけじゃないぞ~と言う雰囲気を心がけて再度聞いてみると、彼女は俺から目を逸らしたまま、首をぎこちなく縦に振る。
なんだか、妙な反応だな。
いつもの彼女ならば「傘持ってきた?」と問いかけた時点で、普通に首を横に振りそうなものだけど。
首を傾げながら、らしくない小日向を見て疑問符を浮かべていると、彼女はピトリと俺にくっ付いて、何やら傘を開くようなジェスチャーをする。
「……俺の傘に入れてほしいってこと?」
彼女の動きをそのまま言葉にしてみると、彼女は猛烈な勢いで首を縦に振る。顔は赤く、目はギラギラとしているように見えた。肉食獣を彷彿とさせる目だ。
まさかとは思うが小日向さん……実は傘を持ってきているのに、相合傘をするためだけに傘を忘れたことにした――なんてことはないですよね?
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