第三章 小日向さんはアピールする

第71話 家族愛or異性愛



 一般的な状況から生まれた想いではないために、俺は小日向への恋心を自覚するのに少々手間取った。


 というか、いまでも父が娘に向けるであろう家族愛と、男女間の異性愛の区別は難しいのだけれど、強いて言えば「一緒に居たい」だとか、「くっつかれるとドキドキする」などと思っていることに気付いたからだろうか。


 そりゃあんな可愛い子に抱き着かれたりしたらたまらないだろ。KCCの連中だったら間違いなく即死である。少なくとも輸血は必須。


 まぁこの問題は俺がただたんに女性と接する機会がなさすぎたのと、女性を好きになった経験が無かったために生じてしまったものであり、現状俺が抱えている問題とはあまり関係のない話。


 で、その現状の問題というのが、小日向のことを好きだけど、告白してはいけないというこのよくわからない状況のことだ。

 現在進行形で小日向は俺の胸に抱き着いてスース―と寝息をたてているわけだが、これはさしたる問題ではない。ダブルベッドのスペースが勿体ない気もするが、問題ないったら問題ないのだ。可愛いから。


「実際、小日向は俺のことどう思ってるんだろうな」


 頭を撫でながら、俺はぼんやりと呟いた。

 まだ日曜日の朝八時前。バイトは昼からだし、まだしばらくのんびりすることができる。つまりなでなでができる。


 付き合ってもいないのに、なぜこんな状況になっているのだろうかと第三者は思うかもしれないが、経緯を知っている俺でも「どうしてこうなった」と思うことがたまにある。


 小日向は父親を失ったと同時に、表情を失ってしまった。

 そしてその表情は、俺とともに時間を過ごすことで、徐々に元に戻りつつあるらしい。


 そのことに気付いた小日向家はなんとかして俺と小日向をセットにしようとするし、小日向は俺のことを父親みたいに思っているために警戒心がほとんどない。


 だがしかし、もし俺が小日向に告白して、それを彼女が拒否したらどうなるだろうか。

 おそらく、俺と小日向のこの関係は崩れてしまう。

 そして、小日向の表情の改善はできなくなってしまうわけだ。それは俺たち――いや、両家にとって一番避けなければいけない状態だろう。俺も小日向のおかげで、女性への苦手意識が薄れていっているわけだし。


 つまり俺が小日向に告白するのを、彼女の表情が戻るその時まで待てばいい。たったそれだけ。


 ……たったそれだけなんだけど。


「生殺しにもほどがあるだろ……」


 俺のお腹あたりには女性特有の膨らみの感触が伝わってきているし、胸あたりには小日向の吐息がジャージを貫通して俺の肌に刺激を与えている。


 並んで立てば顎を乗せられるぐらいに小さくて、学校にファンクラブができるぐらいに可愛くて――頭を摺り寄せてくるぐらいに、手を繋いでくるぐらいに、抱き着いてくるぐらいに、一日会わなければ寂しくなって泊まりにくるぐらいに俺に懐いている小日向明日香。


 そんな彼女との日々を、俺が耐えればいいだけなのだ。


 ――これ、やっぱり修行かな?



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「…………」


「おはよ」


 仰向けに寝転がっている俺の身体に覆いかぶさった状態でコアラと化していた小日向がパチリと目を開け、俺に目を向ける。

 俺はずっと彼女の頭を撫でたり背中を擦ったりしていたから、小日向が目を覚ました瞬間に声を掛けた。彼女は顎を俺の胸に乗せて、コクコクと頷く。目が半開きで可愛い。


「まだ八時半を過ぎたところだから、ゆっくりできるぞ。俺がバイトに行くのは十一時半ぐらいだから」


 俺がそう言うと、小日向は壁掛け時計に目を向けて、再びこちらを見る。寝起きでありながらばっちりと時計の位置を把握しているし、俺の家にもだいぶ慣れてきたみたいだ。


 なんだかもうイチャイチャを通り越しているような状況だが、寝起きのときの小日向はわりとこんなもんである。不思議に思ってはいけない。


 ただ、ほんのりと顔を赤くしていることから、多少の恥じらいは感じてくれていることが予想できる。平常心を装っている俺としては、嬉しい一幕だ。だって俺だけ照れていたらなんだか負けた気分だし。勝負しているわけじゃないんだけどさ。


「俺はそんなこと言える立場じゃないけどさ、あまり軽々しく男に抱き着いたりしたらダメだからな? 小日向が本気で好きだと思う奴だけにしとけよ」


 本音を言えば、俺だけにしてほしい。

 だけど、彼氏でもない俺にはその言葉を口にする権利はない。あと、そのめちゃくちゃ可愛い寝間着姿もできれば俺の前だけにして欲しい。絶対に小日向を好きになるやつが出てきてしまう。


 ――はっ! もしやこれが噂の『独占欲』というやつか……面倒な感情だな。


 俺の言葉を受け取った小日向は、ふすふすと鼻息を鳴らしながら首を縦に振る。了承してくれたようで一安心――なんだけど、なぜ俺の身体をよじ登っているんだ?


 俺は仰向けに寝転がり、手をベッドに投げ出したままウサギさんの動きを見守っていた。すると小日向は、俺の顔のすぐ横に自身の顔を持ってきて、ギュッと抱き着いてくる。小日向の全身が俺の身体に密着しているが、やはり一番気になるのは頬と頬がくっついていること。というか押し付けてきている感じだ。


「…………そういうことするから」


 俺がどんどん好きになってしまうんだぞ――という後半の言葉は胸の奥に秘めた。


「抱き着くのは本気で好きな奴だけにしとけ」と言った矢先に、これである。鼻血が出そう。


 ……彼女のこの『好き』は、はたして『家族愛』なのか『異性愛』なのか。


 もしかしたらちょっと前までの俺と一緒で、小日向自身もよくわかっていないのかもしれないな。





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