第69話 まずは認めるところから




「じゃあ次は夏休みに帰ってくるからな。勉強をやれとは言わないから、体調管理、部屋の戸締り、しっかりするんだぞ」


 翌日の朝、俺が登校するタイミングで親父もマンションを出て、家の前で別れの挨拶をする。駅と学校は反対方向だからな。


「わかってるよ。親父も酒ばっか飲むんじゃねぇぞ」


「夜に一杯だけだから問題ない。じゃ、明日の夜七時にベッドが届くようにしておいたから、その時間には家にいろよ。組み立てる必要があるけど、寝るまでには終わるだろ」


 と、親父は何気ない平坦な口調でそんなとんでもないことを口にする。

 ベッドってまさか――ダブルベッド!?


「マジで頼んだの!? ってか今使ってるベッドもあるんだけど!?」


「それは持ってきた業者が引き取ってくれることになってる。あのサイズなら玄関から運び出せるだろうから、持って行ってもらえ」


 え、えぇ……。なにその行動力。もっと別のところに発揮したほうがいいのでは?


「ちなみに唯香さんにも連絡済みだ。明日香ちゃんには内緒にしておくらしいから、びっくりさせてやれよ」


「いつの間に連絡先を……まぁそりゃ、あいつははしゃぎそうだけども」


 そう言いながら、部屋に設置されたダブルベッドを見た小日向を想像してみる。俺の脳内の小日向はテテテとベッドに向かって走り、布団に向かってダイブしていた。はい可愛い。


 そんなことを考えていると、親父は「じゃあまたな。連絡は今まで通りするんだぞ」と言葉を残し、駅方面へと歩いていった。俺はその背を見送りながら、ため息をひとつ。


「恋人ってなんなんだろ」


 俺と小日向の関係は、傍から見れば恋人そのものではないのだろうかと思う。


 しかし実際には、お互いに好意を持っているのかわからず、『他の異性のところには行きません』という約束もしていない、ただの友人関係。


 だから小日向が他の異性を好きになって、恋人になろうとも俺は何も口出しすることができない。もちろん、それは小日向にとっても同じこと。彼女は俺の色恋に介入することはできないわけだ。


「いや……しかし待てよ」


 もしも小日向に彼氏ができて、俺と過ごす時間が無くなってしまったとしよう。

 その彼氏が、小日向の表情を改善させるような人物で無かった場合、まずくないだろうか? 小日向の治療が、ストップしてしまうのではないだろうか?


 俺も意識して何かしているわけじゃないから、『治療』という言葉を使うのもおかしな話かもしれないが。


「……彼氏ってことは、小日向が好きになるような人物なわけで」


 きっと小日向の心を動かしてくれる人物だと思う。だから心配ないと思いたいのだが……もしも小日向が恋人を顔だけで選ぶようならば話は別である。そんなことはないと思うけど。


「あまりにも変な奴だったら、さすがに俺も黙ってられんだろうな……小日向が不幸になるところを、指をくわえて見ていられるほど俺は冷めた人間じゃないし」


 冴島もきっと反対するだろう。猪的なところはあるが、友人を大切にする良い奴であることはたしかだ。結果として小日向の意向に逆らうことになり、嫌われる可能性が出てきてしまうが。


 小日向に嫌われたら――か。


「嫌だなぁ」


 学校へ向かうための一歩を踏み出しながら、俺はしみじみと呟く。抱き着かれたり手を繋がれたりしたあとに嫌われたら、落差で俺の心が崩壊してしまうかもしれん。『パパ嫌い』と言われた父親はきっとその都度ハートブレイクしているに違いない。


 学校へ向かいながら色々考えて、頭がパンクしかけて、結局俺は考えるのを止めた。


 なんだか悪いほうばかりに考えてしまった気がする。実際のところ、小日向が誰かと付き合うようなそぶりを見せたことは無いのだから、心配はないと思う。


 からかわれるのを覚悟で、一度景一に相談してみようかな。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「んー、なんとなく察してはいるけど、たぶん智樹はあの子のことを考えて一歩踏み出せていないんだろ? それ、終わりはあるの?」


 朝のHR前、小日向もまだ登校していない時間に俺は景一に相談を持ち掛けた。

 景一は小日向の表情がない原因を知らないから、俺は内容をぼかして説明していた。


「まぁそんなところ。いずれ終わるとは思ってる。どれぐらいかかるかはわからないけど」


「じゃあそれが終わったら告白すれば問題ないと思うよ俺は。今の智樹の状況は、『あの子をキープしてる』って見られる可能性もあるけど、他の女子にフラフラせずに後から告白するって決めているなら、いいんじゃないかな」


「……なるほどな」


 たしかに、小日向を自分の傍に置いておきながら、告白する気も付き合う気もないのであれば、それは俺に都合が良すぎるというものだ。


「智樹の場合は、優しすぎるがゆえに難しく考えすぎだとは思うけどなぁ」


「それ、褒めてんの? それともバカにしてる?」


「両方」


 きっぱりと言い切ってしまう景一。反論する気も起きないほどピシャリと言われてしまった。


「そして相手のことを考える前に、自分の気持ちをしっかりと把握したら? どうせまだ『あの子が好きかわからない』みたいな感じなんだろ? どこからどう見ても智樹はあの子に好意を持っているんだから、まずはそれを認めるところからだな」


 痛いところをグサグサと突いてきやがる。


 小日向に好意を持ってはいけないとずっと考えてきたし、認めてはいけないと思っていた。だけど、もう無視できないほどに小日向を好きな気持ちが膨れ上がってきてしまっている。これは保護欲なのだと、誤魔化せないレベルにまで。



 たぶん、というかもう確実に、俺は小日向のことが好きなのだ。娘としてではなく、一人の女の子として。



 だから俺は小日向に嫌われたくないし、離れたくもないし、彼女に表情を取り戻してほしいと願うのだ。認めたからといって、俺の行動は今まで通りなのだけど。


「そういうお前はどうなんだよ。俺から見れば冴島と随分仲が良いように見えるけど?」


 あまりにも一方的に景一に攻撃されてしまったので、俺は反撃を試みた。だが、


「あぁ、付き合うことになった。今日の昼休みに二人で報告するつもりだったんだけどな」


 失敗。というかカウンターをくらってしまった。

 はっはっはと笑う景一を見て、俺は思わず顔を引きつらせてしまう。「おめでとう」の言葉をなんとか絞り出せた俺を誰か褒めて欲しい。


 景一と冴島が付き合うということは、これからますます俺と小日向が二人で過ごす時間が増えてしまうというわけで……すなわち俺が小日向を想う気持ちが膨れ上がっていく可能性がでてくる。


 小日向家は押せ押せな感じだし、親父はダブルベッドを購入しちゃうし。


 俺の状況、悪化する一方なのでは?



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