第62話 ちゅぱちゅぱ


 朝が来た。

 こうやって小日向と一緒に朝を迎えるのはいったい何回目だろうか。


 まちがいなく、俺は恋人のいない高校生が送っていないような幸せを享受しているわけだが、俺ぐらい我慢を強いられている高校生もまた少ないだろうと思う。


 まぁその我慢も、相手が起きていなければあまり関係のない話で、


「……やわらか」


 つい魔がさしてしまい、俺はまだ夢の中にいる小日向の頬をぷにぷにと人差し指でつついていた。寝起きだからあまり理性が仕事をしなくても仕方がないよな、と寝起きにしてははっきりとした思考で言い訳しつつ、ムニムニと感触を楽しむ。


 小日向の頬からはマシュマロとか、大福とか、そんな甘く柔らかい食べ物が連想される。俺が初めて「食べてしまいたいぐらい可愛い」という言葉の意味を理解した瞬間だった。ちょっと意味が違うかもしれないけど。


 今度はちっちゃい鼻をムニムニと押してみる。へにゃへにゃと動いて可愛い。

 あ、ちょっと瞼が動いた。起きるか――? いや、まだ起きそうにないな。


「本人はもちろん、景一たちに見られたら色々言われそうだな……あと小日向一家とか」


 枕に肘をついた体勢で、空いた左手で小日向にそんなことをしていると、まさかの反撃がやってきた。


「――いぃっ!?」


 小日向が俺の行動に対して怒って手を出したわけではない。

 まだ彼女は夢の中である。そして彼女の手は俺が目覚めてからずっとジャージを握りっぱなしで、全く動いていない。動いたのは、彼女の口だった。


 小日向は鼻をムニムニとしていた俺の指を、まるで棒キャンディを差し出された幼子のごとく、ぱくりとくわえたのだ。お湯に指を突っ込んだ時のように、熱とも言っていい温もりが俺の指の第二関節まで襲いかかってくる。


 それから小日向は口の中にある物質の味をたしかめるように、舌を俺の指の周囲に這わせ始めた。

 窓の外から聞こえるのは小鳥のチュンチュンという鳴き声。そしてこの部屋から聞こえるのは小日向のちゅぱちゅぱという、とてもエ――


「はいアウトぉおおおおおっ!」


 早朝から俺はそんなことを叫びながら、小日向の口から慌てて自分の指を引き抜いた。

 ちゅぽんという可愛らしい音を立てて引き抜かれたエクスカリバー(人差し指)は、カーテンの隙間から差し込む朝日によって神々しく照らされていた。というかテカテカとしていた。


「神様すみません……私が悪うございました。もうしません……」


 きっとこれは小日向に悪戯した罰なんだ、すみませんでした神様…………ん? これはそもそも罰なのか? いやいやいやいやご褒美だなんて思ったらダメだろうに! 色々とまずいから! 


「えぇ……この指どうすればいいんだよ……」


 顔を引きつらせて、自らの濡れた指を眺めていると、小日向の目がぱちりと開く。彼女は何度か目をこすると、再び瞼を閉ざしてぎゅっと俺の身体に抱き着いてきた。


「……ぐっ……ま、まぁこの程度ならば」


 これまでもなんどか抱き着かれたし、少しぐらいは耐性ができて――、


「だ、ダメだ小日向、それ以上は――っ」


 ――いると思ったのだけど、俺の胸の位置にあった小日向の頭がもぞもぞ上昇を初めてしまったところで、呆気なく敗退。なんだか人妻が誘惑されているのを断っているみたいなセリフが出てきてしまった。


 やがて、小日向は俺の肩に顎を乗せるような位置にまで上がってきて、自らの頬を俺の頬にピトリとくっつける。俺の頬が熱くなっているせいか、小日向の肌はひんやりとしているように感じた。


「へ、へ、うへへ……」


 ついに俺の頭はおかしくなって、何も考えることができず、口から吐き出されるのは気持ちの悪い笑い声。だけどこの状況になってもまだ耐えている俺は、褒められてもいいんじゃないかと思うんだ。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 

「おはよう小日向。コンビニでサンドイッチ買ってきたけど、あとで一緒に食べるか?」

 俺は小日向から逃げるようにコンビニへと移動し、朝食を購入。

 そうやって冷静さを取り戻してからマンションに帰ってくると、すでに小日向は目覚めており、ベッドの上で可愛らしく女の子座りをしていた。彼女は俺の姿を確認すると、よろよろとベッドから降りてきて腰に抱き着いてくる。


 最近、抱き着き頻度多くないですかね小日向さんや……俺はあなたの彼氏ではないんですが。


 しばらく腰に抱き着いて頭をぐりぐりした小日向は、俺の顔を見上げてコクコクと頷く。たぶんだけど「おはよう」って言いたいのではないかと思う。


 抱き着くまでされているのだから、俺のほうから少しぐらい手を出しても文句は言われないだろう――そう思った俺は小日向の頭に手を置いた。そして優しく髪を梳くように、頭頂部から後頭部へと手を移動させる。


 こちとら朝っぱらから指を舐められているんだ。これしきのことで恥ずかしさはない。

 ――嘘です。やっぱり少し顔が熱いです。


「周りに見られたら『いちゃついてる』だなんて言われちゃうから、二人だけの時にしような」


 俺がそう言うと、小日向はほんのり頬を赤く染めて首を縦に振る。


 小日向が俺に抱き着いてくるのは、いちゃついているというわけではないので、そんな風に思われたらきっと迷惑だろう。小日向は俺のことを父親的存在だと思っているだろうから、良い思いはしないはずだ。


 まぁ俺の場合、単純に恥ずかしいからなのだけども。



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