第61話 ※注 付き合ってません
時刻は夜の八時過ぎ。
夕食を終えてから、すでに俺は風呂を済ませてジャージに着替えていた。テレビの画面では芸人が面白おかしくクイズの珍回答をしているようだが、あいにく俺の聴覚はそちらの音声を拾っておらず、後方から聞こえてくる生活音を必死に聞き取ろうといている。
無論、意識的なものではない。
しかし気にしないようにすればするほど、水の滴り落ちる音とか、カタカタと何かを動かす音が気になってしまうのだ。思春期の男子ゆえ、許してほしい。
現在、小日向は俺が普段使用している風呂に入っている。
徒歩十歩圏内に一糸まとわぬ小日向がいるんだぞ? 冷静でいられるわけないだろ。もしこの場に生徒会――KCCの連中がいたならば、たぶん今頃はマンションの前に救急車が赤いランプを点灯させて停車しているに違いない。
バタバタと倒れていく会長や副会長の姿がありありと思い浮かぶ。俺でさえ、うっかりと鼻血を吹き出してしまいそうなのだから、あの変態どもは言わずもがな。
やがて、風呂からあがったウサギさんスタイルの小日向が、自前のタオルを頭に乗せて部屋へと帰ってきた。俺が渡したバスタオルできちんと水気はふき取っていたようで、頭上にあるタオルはまだカラカラに見える。
小日向の手にはドライヤーが握られており、どうやら脱衣所のコンセントから抜き取って持ってきたらしい。リビングで乾かしたかったのだろうか。
「おかえり。何か不便はなかったか?」
胡坐をかいたまま後ろを振り返って問いかけると、小日向は首を横に振る。それからテコテコと俺のもとに歩いてきて、無言ですっぽりと俺の足の中に収まった。
小日向の全身からは、俺が普段使っているシャンプーやボディソープの香りが漂ってきており、なんだかとても安心する。――というか、なんの躊躇いもなく当たり前のように俺の前に座ったな、小日向。今のはかなり危険だったぞ。鼻血的に。
「髪、乾かさないのか?」
動揺を悟られないようにしつつ問いかけると、小日向はぐいっと顎を上げて、俺の顔を見ようと首を後ろに曲げる。さすがにそれだけじゃ俺の顔まで見えないだろうから、俺も上から小日向を覗き込むようにした。顔がとても近い。
「あぁ……俺に乾かして欲しいと――これも『なんでもする』ってやつ?」
「…………(コクコク)」
とんだ甘えん坊さんだ。可愛すぎてしかたがない。
そういえば静香さんが前に、小日向のことを『めちゃくちゃ甘えん坊だった』って言っていたよな。つまりこれは、小日向が以前のように戻っているということであり、いい傾向と言っていい……のか?
「……下手くそだったら遠慮なく言ってくれ。人の頭とか拭いたことないからわからん」
「…………(コクコク)」
あまりにも無警戒な小日向に、ため息が漏れそうになる。
このままぎゅっと抱きしめても、無防備にこんな行動に出てしまう小日向は文句を言えないんじゃないだろうか? そんなことを考えながら、俺は小さな頭に手を乗せて、ごしごしと小日向の頭を拭き始めた。
テレビを見ながら小日向の頭をタオルで拭いて、ドライヤーでぶおーっと髪を乾かしたわけだけれど、一番の問題はこれからである。
「もう一度確認するが、本当にいいんだな……?」
「…………(コクコク)」
二人で仲良く並んで歯磨きをしてから、俺の自室へと移動。現在の俺たちは二人並んでベッドに腰かけている状態だ。
押入れを開けて布団一式を取りだすことは実に容易いのだが、そちらは不要とのこと。
赤面していること――そしていつもより速い頷きの速度から、小日向は現在楽しさと恥ずかしさが両立しているのだと思う。
小日向がなぜ表情を失ってしまったのか――もしそのことを俺が知らなかったのなら、当然のように『俺のこと好きなんじゃない?』なんて勘違いしてしまっていただろう。だが、俺は知っている。
彼女はきっと父親に甘えるように、俺に甘えているのだと思う。
一緒に寝たいというのも、たぶんそれが根本にあるのだろう。
だが俺は妹もいなければ娘もいないわけだし、恋人がいたこともない。
小日向と違って、俺は彼女のことを家族のように思うことはとても難しいのだ。しかし、そうしなければならない。他の誰でもない、小日向のために。
小日向が完全に復活した時は、腹いせに『ずっと我慢してたんだぞ』とか言って抱きしめてやろうかな。突き飛ばされたらたぶん俺は泣く。頭突きなら歓迎するけれども。
それから俺たちはオレンジ色の豆電球だけをつけた状態で布団に入ったのだが、時刻はまだ十時をすぎたところで、俺としては寝るには少し早い時間だ。しかし小日向はちょうどいい時間のようで、瞼から少しずつ力が失われてきている。
「……狭くない?」
「…………(ふるふる)」
小日向が首を横に振ったのを確認して、俺は「そっか」と短く返答。視線を再び天井へ向ける。
小日向はベッドの壁側にいて、俺は部屋の中央側。
シングルベッドなので二人で寝るには心もとない大きさだが、もしベッドから転がり落ちるとしたら俺のほうだし、問題ない。
枕は俺が普段使っているものを小日向が使用しており、俺は景一たちが使うものを使用。
小日向は顔を横に向けた状態で、じっと天井に目を向けている俺の顔を見ていた。視界に入っているから、それがわかってしまう。
「どうした?」
あまりにもじっと見られていたので、俺も顔を横に倒して小日向に目を向けた。すると彼女は眠そうに目をこすってから、するすると布団に潜り込み、俺のお腹あたりに抱き着いてくる。しかも結構力強く、自らの顔を押し付けるように。
……寝惚けている時ならまだしも……小日向まだ普通に起きてるよな?
嬉しいけど……嬉しいけどもっ! 俺たちはカップルじゃないんだぞ! わかってんのかこの天使!
とはいえ、俺はそれを拒否できるような性格でもないので、
「ま、まぁ、『なんでもする』って言ったし」
小日向に聞こえるように、そして自分に言い聞かせるように、俺はそんなことを呟くのだった。
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