第58話 これからが本番



 桜清高校の定期考査は、五日間に分けて行われる。


 月曜日から金曜日まで全て試験があり、勉強に不真面目な生徒からすれば毎日が午前中で終わる学校みたいな期間だ。


 ちなみに去年の俺は夕方から景一、薫、優たちと家でゲームばかりして遊んでいた。普段から暇なときに勉強していたし、試験対策に勉強をする必要性をあまり感じなかったからだ。


 そんなわけで、俺はいままで試験で疲れるだなんてことはあまりなかったのだが……、


「……やっと終わった」


 金曜日、試験五日目に行われた最終科目の答案用紙が回収されると、俺は思わず机に突っ伏してそんな言葉を漏らした。自分の口から魂が空に昇っていく幻覚が見える。


 試験勉強に疲れたわけでもなければ、小日向に勉強を教えることが苦だったわけではない。ほぼ毎日のように小日向の早朝から抱き着かれたり、服がはだけて下着がちらりと見えてしまっている同級生の姿を見ないで済むということだ。

 ちなみに今朝は小日向が俺の頭に正面からコアラしていた。


 心の奥底のほうでは「ひゃっほう!」なんてテンションの自分もいるけど、欲情NGな相手であるがゆえに、中々きつめの拷問を受けている気分である。


 しかし俺の精神を削った成果として、小日向の勉強対策もやりきったし、試験の結果も悪くないはずだ。本人も試験が終わるたびにふすふすしながら俺の席にやってきていたし、手ごたえがあったのだと思う。


 とまあ、これで試験が終わったのだから俺の耐久レースもここで終わりかと思っていたのだが、実は最後の試練が俺には残されている。


「むしろこれからが本番じゃない?」


 俺の「やっと終わった」発言を聞いた景一が、ニヤニヤしながら俺に小声で話しかけてくる。うるせぇ、んなことわかってんだよ。


 なにしろ今日はこれから、小日向が俺の住むマンションに泊まりにくるのだ。


 静香さんは彼氏のとこに泊まりにいくらしいし、唯香さんは会社に泊まり込みで仕事をするらしい。昨夜に二人がチラチラと俺を見ながら「明日香ひとりだと心配だ」みたいな言葉をだらだらと垂れ流し始めたので、俺から提案せざるを得ない状況だった。


「この一週間なにも起きなかったし、泊まる場所が変わるだけで何も変わらない。明日はどうせ昼からバイトだし、それまで小日向を預かるだけだ」


 俺は自分に言い聞かせるようにしながら、景一に返答する。


「まぁ普通に考えてさ、泊まるだけで異常だよな。付き合っているわけでもないのに」


「そんなこと百も承知だっての」


 俺と小日向の関係がいびつなことぐらい、当事者である俺だって理解しているさ。

 だけど、俺も小日向も他の人とは少しだけ違う事情があるのだから、いびつなのはむしろ自然とも言えるんじゃないだろうか。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 中間試験が終わったため、景一と冴島は本格的に体育祭の実行委員の仕事に取り組む必要があるらしく、残念ながら俺の家にはやってこない。長時間小日向と二人きりだ。


 しかし俺にもここ何日かの修業のおかげで、いくらか耐性を獲得しているのでそこまで苦しくはない。寝起きのあの愛らしい小日向を間近で見る日々が続いたのだ、起きている小日向と一緒にいることぐらい、耐えるのは容易い。


「……もうどうにでもなれだ」


 学校が終わり、クラスメイトや景一と冴島に別れの挨拶をしてから、俺と小日向は帰路に着いていた。向かう先は小日向家で、お泊まりグッズを取りに行っているところである。


 いつの間にか俺と小日向の関係性はもはや学校中の全員が知っているのではないかというほどに広まっており、向けられる視線の数も落ち着いてきていた。


 だけどですね、制服姿で帰宅しながら俺の小指をニギニギするのはどうかと思うのですよ小日向さん!


 つい先程も、校門を出る際にクラスの女子と遭遇したのだが、俺の小指を握る小日向を見て「相変わらずラブラブだねぇ」なんて言葉を吐かれてしまった。否定したけど、「わかってるわかってる」と勝手に理解されてしまった。口数が少ないのは助かるが、頼むから話を聞いてくれ。


 そして小日向も小日向だ。


 俺の家に泊まるのが楽しみなのか知らないが、学校を出てからずっと隣でリズムをとるようにふんすふんすふんすと息を吐いている。チラッと俺を見上げては小指ニギニギ。

 俺でさえ「え? これで付き合ってないの?」と思ってしまったぐらいだ。標準的なカップルを知らないから、判断は難しいのだけども。


 で、このニギニギ小日向。


 クラスの女子に「ラブラブだねぇ」と言われた時でさえ、彼女は顔を赤くしたものの手を離すことはなかった。もしかしたら彼女も恥ずかしさに慣れてきてしまっているのかもしれない。これはあまりよろしくない傾向である。


 これではバカップルまっしぐらだぞ? そもそもカップルじゃないのだけど。


 まぁ俺と彼女の関係は『男女』と表すのではなく『父娘』が正しいのだけど……なんだか最近、そう思っているのは実は俺だけなんじゃないかなんて思い始めてしまっている。

 実は小日向も俺と男女の関係になることを望んでいるのではないか――そんな願望に近いことを俺は妄想し始めているのだ。本当に、よろしくない。



 やがて小日向家に到着し、俺は客間で彼女が準備を終えるのを待つことに。


 トタトタと廊下をいつもより早いペースで歩いている音が聞こえてきて、なんとなく小日向が「早く俺の家に行きたい」と思っているように感じた。

 単純に待たせているのが申し訳ないだけかもしれないけど――道中のウキウキ具合から察するに、前者の可能性が高いと俺は思っている。


「ま、別に何も変なことは起きないか。これまで大丈夫だったんだから」


 誰もいない畳の間で、小日向の足音を聞きながら俺は呟いた。



 しかし俺は、小日向の家にお泊まりするというイベントが割り込んだせいで大事なことを忘れていた――彼女がウキウキしている原因を、「泊まりが楽しみ」だけだと思い込んでしまっていたのだ。


『ちゃんと勉強できたら頭突きでもなんでも気のすむまでしていいから』


 そんな言葉を小日向にかけていたということを……忘れてしまっていたのだ。



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