第55話 起床、そしてコアラ



「……そっか、そういや小日向の家に泊まったんだっけ。いつの間に寝たんだろ」


 翌朝、目が覚めた俺はいつもと違う光景を前に一瞬混乱しかけてしまった――が、壁に立てかけられているテーブルを見て「そういえば小日向の家だったな」とすぐに正解を導き出すことに成功。


 それにしても……マジで一睡もできないんじゃないかと思っていたが、案外眠れるもんだ。たぶん俺も勉強で多少脳が疲れていたんだろう。すぐ隣で可愛い同級生がすぴーすぴーと寝息をたてている状況でも、無事に眠りにつくことができたらしい。


 小日向はまだ寝ているんだろうか?


 俺より先に寝ていたから、もう目覚めていてもおかしくはない――と思ったけれど、窓があるほうへと目を向けてみると、外はまだ薄暗かった。カーテンの隙間から覗く空を見た感じ、少なくとも朝の七時にはなっていないはずだ。


 そんなことを思いながら、俺はおよそ六十センチの距離にいるであろう小日向へと目を向けようとして――右手の違和感に気付く。


 きっと起きた瞬間からその状況だったから、この不思議な感触に違和感を覚えなかったのだろう。ウサギさんが俺の右手に抱き着いていた。


「……ウサギかと思ったら仕草は猫だし、今はコアラだな」


 この可愛い新種の生き物はウサネコアラと名付けよう。はっはっは――ってそんなふざけていい状況じゃねぇから!


 俺は朝っぱらから心の中でセルフノリツッコみをきめたあと、きっちりとホールドされている右手を動かそうとして……断念した。なにしろ腕を動かすということはすなわち小日向に触れるということで……しかもその部位は小日向のお腹やら胸やらの前面である。お巡りさんを呼ばなければいけない案件だ。


 というか、すでにその部位は俺の腕に現在進行形で当たっているのだけど、これは俺からの行動ではないからセーフ。……たぶんセーフ。セーフということにしてください。


「……本当、なんでこんなに可愛いかな、小日向は」


 彼女は慌てている俺の気持ちなど知る由もなく、二の腕に顔を押し付けてすぴすぴと寝息をたてている。あまりじろじろと寝顔を見るのはよろしくないのかもしれないが、まぁこれぐらいは役得ということで許してほしい。


 俺はしばらく「睫毛長いなぁ」とか、「口も鼻もちっちゃいなぁ」などと思いながら小日向を観察していた。だけど、ずっとこうしているわけにはいかないわけで。


 この状況を静香さんや唯香さんに見られたらやはりまずいからなぁ。

 二人きりの気分だけど、ここは小日向の実家であり他に家族がいるのだし。

 そしてなによりも、俺のことを異性と認識していないであろう小日向に迷惑がかかりそうだ。


「ほれ、起きろ小日向。朝だぞ」


 休日なのだからもう少し寝させてあげたいところだが、二度寝するならするで俺の腕を解放してからにするべきだ。俺の精神的にも世間的にも。


 声を掛けても小日向は反応を示さなかったので、俺は空いている左手で小日向の肩を軽く叩く。すると、小日向は顔をうずめるように俺の右手にぎゅっと抱き着いてきた。おーまいがー。


「お、起きるんだ小日向! 色々とまずいから!」


 俺の煩悩はもう溢れそうですよ! 表面張力でなんとかコップにしがみついている水みたいな感じなんですよ!?


 ペシペシと叩いていたところをバシバシに変更し、俺は小日向の起床を促す。

 その行動が功を奏したのか、ようやく小日向は顔をこちらに向け、俺の腕を解放してくれた。それから小日向はうっすらと目を開けてこちらを見ると――


「――いぃいいいいっ」


 まだ寝惚けているのか、小日向はなんの躊躇もなく俺の身体に抱き着いてきてしまった。背中にしっかりと手を回して、感触から察するに服を掴んでいる模様。コアラの本領発揮である。


 そしていつものように頭のてっぺんをぐりぐりとする頭突きではなく、まるで匂いを確かめるように彼女は俺の胸に顔を押し付けていた。小日向の温かい吐息が俺の触覚を刺激している。


「――い、あ、あ」


 もうだめ、これ以上はイケナイ。ワタシハニゲル。


 言葉にならない声を発しながらも、俺は体格の差、筋力の差に頼って小日向の束縛を解除。どこに触れたかだなんて気にする余裕もなく、ただ俺は肉食獣から逃げる弱者のように布団を抜け出して、部屋の隅まで這っていったのだった。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 朝の八時。


「智樹くんは本当に……真面目というかなんというか……」


 襖をそろそろと開けて客間に侵入してきた静香さんは、部屋の隅っこで体操座りをしている俺に気付くと、憐れむような目で見てからそう言った。おい、下腹部に視線を送るな。


「ほっといてください。というか今の入り方、起こすというよりも覗きに来たって感じでしたよ」


「まぁ覗くついでに起こしに来たって感じ?」


 やはりそっちが本命か。隠すつもりがまったくないのがなんとなく静香さんっぽい。


 呆れてため息を吐いていると、静香さんの横からひょっこりエプロンを身に着けた母親の唯香さんも顔を出してきた。朝から変わらずニッコニコである。


「うふふ、智樹くんは紳士ねぇ――あなたみたいな人が明日香の側にいてくれて、私は安心だわ。朝ご飯できているから、準備ができたら二人でリビングにいらっしゃい」


「……何から何まですみません、ありがとうございます」


「いいのいいの。智樹くんは明日香のことで色々と考えてくれているみたいだけど、あなた自身もまだ成人していない子供なのよ? もっと大人に甘えなさい」


 そう言って、唯香さんは笑顔のまま自分の胸をどんと叩く。

 唯香さんは小日向と同じく背は小さいのだが、なぜかその時だけは……隣に立つ静香さんよりも大きく見えた気がした。

 

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