第52話 修行かな?



 静香さんと小日向母――唯香さんによる囲い込みにより、俺は抵抗することもできず小日向家に滞在することになったわけだけど、もちろんそんなことを想定しているはずもなく、俺は泊まる準備を何もしていなかった。


 部屋着はないし、代えの下着もなければ歯ブラシもない。


 しかし幸い俺の家は小日向家からとても近い位置にあるので、荷物を取りに帰るのもさして手間ではない。


 唯香さんには『うちでお風呂も入ったら?』なんて言われたけれど、これに関しては断固拒否させてもらった。さすがに女性三人が使用している湯船を使う度胸は持ち合わせていないのだ。

 女性慣れしていない俺にはハードルが高すぎるんだよ。高跳び棒が必要なレベルだ。



 小日向家から一時退却した俺は、風呂に入って支度したのち、再び戦場へと舞い戻ってきた。本来の目的である勉強道具は小日向家においたままだったし、泊まりに必要な物は全て持ってきている。準備は万全だ。


 それから俺は小日向一家と一緒に夕食をとることになったわけだけど、やはり静香さんと同様、唯香さんは俺が良く喋る女性を苦手としていることを知っていた。どうやらすでに静香さんから聞いていたらしい。


 気を遣ってくれている彼女たちのおかげで、俺は鳥肌が立ったり、吐き気がしたりすることは無かった。無かったのだが……「明日香のどういうところが好き?」だとか「智樹くんのどこが気に入ったの?」だとか。


 彼女たちは面白いオモチャを見つけたかのように、俺たちに向かって答えづらい質問をばんばん投げかけてくるのだ。気分が悪くなることはなかったが、精神的には非常に疲れてしまった。

 ちなみに小日向はというと、顔を真っ赤にして俯いてしまっていた。



 で、夕食が終わると俺は客間に移動して布団の支度をすることに。食器洗いを申し出てみたが、それは唯香さんに遠慮されたので大人しく引き下がった。


 シーツや枕カバーなどを装着し終えてから、それを畳んで隅に追いやり、再び机を部屋の中央へ。形だけ勉強道具を広げて見たけれど、全くと言っていいほど集中できなかった。


「小日向……どんなパジャマを着てるんだろ」


 現在小日向は入浴中である。


 つまり、クラスメイトの女子が同じ屋根の下で現在素っ裸なのだ。この状況のなか平常心でいられるほど俺は男としての本能を忘れていない。本来ならばリラックスできるはずの部屋着を身に着けているものの、残念ながらその効果はまったく得られず、俺はもんもんとした状態で日本史の教科書をぼうっと眺めるのだった。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 やがて、風呂上がりの白ウサギが客間へとやってくる。

 いや、もちろん本物じゃなくてウサギの着ぐるみを身に着けた小日向なんだけども。フードについたウサギの耳はへなりと横に垂れ下がっていて、小日向が動くたびにぴょこぴょこ上下に跳ねている。


「……お、おう。可愛らしい部屋着だな」


 予想していた普通の部屋着と違ったので一瞬動揺したけれども、口から思わず出てきた「可愛い」という言葉に偽りはない。


 俺の褒め言葉が嬉しかったのか、小日向は腰に手を当ててふすふすと鼻息を漏らす。そして「見て見て」とでも言うように、両手を横に広げてくるくるとその場で回りはじめた。ちゃんとおしりには小さなポンポンの尻尾もついているようだが……あれは寝づらくないのだろうか。


 なんてことを考えながら、テーブルの前に座った状態で小日向の全身をくまなく眺めていると、やがて彼女はこちらにテコテコと歩いて来て俺の隣に正座する。


 それからぐりぐりと、俺の胸にいつもの頭突きをした。


 風呂上がりですこし温かく、そしていつもより濃い小日向の香りが俺の嗅覚を刺激している。脳内が健全でないピンク色で満たされてしまいそうだ。

 しかし最近小日向の甘えかたがより顕著になってきていないだろうか……。気のせいじゃないよな?


「す、ストップだ小日向。ほら、せっかく髪を綺麗に乾かしているんだから、ボサボサになっちゃうぞ? それと頭ぐりぐりは勉強が終わってからな?」


 俺はぐっと小日向の肩を押して、彼女との接触を解除する。

 問題を先送りにしただけにすぎないが、こうして俺はなんとか危機を回避することに成功。このままウサギさんスタイルの小日向にぐりぐりされていたら、うっかり抱きしめてしまいかねない。それはアウトだ。


 身体を離されてしまった小日向だが、彼女は不満そうな顔を浮かべることもなく「そうだった!」と頭の上にビックリマークが出ているような感じで姿勢を正す。


 そして慌てた様子で部屋の隅に置いてあった自分のバッグから勉強道具を取りだすと、俺の隣ですぐさまノートを広げて勉強を開始する――かと思いきや、チラチラと俺の顔を見始めた。


「? どうした?」


「…………(ふるふる)」


 謎の行動について問いかけてみたが、小日向は「なんでもない」といった様子で首を横に振る。

 遠心力によってウサギの耳が俺の頬にペチペチ当たっていることには……たぶん気付いていないんだろうなぁ。まぁいいけどさ。


 さて勉強に集中――と言いたい所だけど、この可愛い着ぐるみを来た風呂上がりの小日向が横にいる状態でいったい俺にどうしろと?


 これはなにかの修行かな?


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