第26話 ねこねこパニックの悲劇
小日向と二人きりで過ごす初めての夜。
もちろん高校生らしく、夜九時までという健全な時間帯で解散する予定ではあるが、保護者のいないこの環境を果たして健全と言っていいのかは判断に苦しむところである。
しかも、隣でこたつに入っている小日向との距離はわずか五センチ。
それはほんの少し身体を動かせば触れ合ってしまうような距離であり、彼女のことを意識するなというのは、ステーキを前に置かれた犬に涎を垂らすなと言っているようなものである。
つまりは「不可能」だということだ。
ひとしきりレーシングのゲームで遊んでから、他のソフトに変更するためにこたつから立ち上がろうとすると、小日向がビクッと身体を跳ねさせた。俺は人知れずショックを受ける。
「そんなに警戒しなくても、何もしないって――側面に移動しようか?」
心の中で涙を流しながらそう言うと、小日向は俺のジャージを軽くつまんでから首を横に振る。表情は相変わらずの「無」なんだけれども、首振りの速度から彼女の必死さが伝わってくる。
「じゃあ場所はこのままで。――にしても、九時まであと二時間か……。ゲームもいいが、いっそのこと映画でも見るか?」
ゲーム機本体の電源を落としてから、俺は小日向にそう問いかけてみた。
小日向と二人で遊ぶとなると、ゲームの選択肢はわりと少ない。
彼女もゲームはそこそこできるけれど、純粋な対戦ゲームだと俺が毎回勝ってしまう。さきほどまでやっていたレースのゲームは、途中で取得するアイテムなどでそこそこ差は縮まるけれど、だいたいは俺が勝ってしまう。
景一や冴島がいたのなら、順位の変動もあっただろうけど二人だとそれも難しい。
相手が男子ならボコボコにしてもあまり気にならなかったけど、気を遣いながらゲームしていると俺も少々疲れてしまうからなぁ。
ゲーム中、小日向に手加減はしていたけれど、俺はそこまで器用ではないのであからさまな場面も多々あったはずだ。機嫌を損ねていないことを祈るばかりである。
「了解。じゃあいくつかそっちに持ってくるから、好きなのを選んでくれ」
小日向が頷いたことを確認して、俺は引き出しの中から映画のパッケージを適当に取りだしていく。ちなみにこれらのほとんどは、景一を含む小学校からの友人たちが持ってきたもので、有名どころからB級映画まで、種類の幅は広い。
100本以上ある中からランダムに10本ほど抜き出して、パッケージを見せながら小日向に「見たいのあるか?」と問いかけた。
すると彼女は、ひとつひとつじーっと表紙の絵とタイトルを観察し始める。
小日向は頷いたり、首を傾げたりしながら10本全てのパッケージに目を通していく。やがて、彼女はゆっくりとひとつのDVDを指さした。
「えーっと……『ねこねこパニック』? ん? ……なんだこりゃ? 俺も見たことないな」
彼女が指差した先にあったパッケージには、おびただしい数のアニメ調の猫が描かれている。どういう映画なのかさっぱり予想がつかないが、少なくとも有名作品ではないことはたしかだろう。聞いたことないし。
「じゃあこれを見てみるか」
俺がそう言うと、小日向は期待を込めた目を俺に向けて、コクコクと頷いた。
しかしなんだろうなこの映画は……誰かが俺の家に持ってきていて、そのまま見る機会が無くほこりを被っていたんだろうけど。まぁ、俺も見たことないから小日向と一緒に新鮮な気持ちで楽しめるし、結果オーライか?
俺はそんなことを考えながら、DVDをセットする。
そして飲み物を用意してからトイレを済ませたら準備完了だ。
この「ねこねこパニック」。
俺はタイトルや絵の雰囲気からして、日常系のほんわかしたものだと予想している。あらすじを確認したら展開がわかってしまいそうだから見ていないが、たぶんそんな感じだろう。B級映画っぽいし、つまらない可能性はあるけどそれもまた一興だ。
俺は小日向の隣に移動してこたつに入り、わくわくしながら再生ボタンを押した。
開幕、猫の交尾シーンだった。
いやいやいやいや! どんな映画だよっ! しかもうっすらとモザイクが掛かってるし、なぜか猫の鳴き声なのに扇情的に聞こえるし! 誰がこんな危険物を持ってきやがった!?
隣の小日向を横目で見てみると、彼女は恥ずかしそうに頬を染めて顔を俯かせている。しかし内容は気になるのか、チラチラと上目遣いで画面に目を向けているようだった。トイレはさきほど済ませたばかりだし、身体をモジモジと動かしているのはきっと落ち着かないからだろう。
俺も小日向も、「見るの止めよう」とは言い出すことができず、映画は進行していく。
内容は、猫の集団による縄張り争いという名の戦争だった。
この猫たちは機関銃やロケットランチャーなどを平気で街中で使っていて、周囲の人間に怒鳴られながら戦争を続けている。なお、銃弾や爆薬は木の実や花粉なので、死者がでるような戦争ではなかった。
主人公の猫――マウス=デストロイヤーのセリフ、『これが最後のまたたびか……味わい深ぇな』には不覚にもグッときたが、総評でいうと「なんじゃこりゃ」である。ちなみにマウス君は別に死んでない。
俺はなんとか最後まで見ることができたが、となりの小日向はこたつの天板におでこをくっつけて、すやすやと寝息をたてていた。あの内容だ、無理もない。
「長いようで意外と短かったな……まだ八時半か」
スタッフロールまでしっかりと見てから、俺はリモコンでテレビの電源を落とす。
部屋の中が静かになったため、小日向の息遣いがよりはっきり聞こえるようになってきた。
「おでこが真っ赤になりそうだな」
隣で寝ているクラスメイトに目を向けながら、苦笑する。
こたつとの間に枕かタオルを挟み込んでやりたいところだが、あいにく寝ている女子に軽々しく触れる度胸を俺は持ち合わせていない。これは女子が苦手であるということとは全く別物である。
俺は身体の後ろに手を付いて天井を見上げた。
さてあと三十分、どうするかなぁ。というか、静香さんから連絡は来てないだろうか? 映画や小日向に気を取られてスマホを確認していなかったから、もしかしたら気付かないうちにチャットが来ているんじゃないか?
そう思い、ポケットにあるスマホを取りだそうとしたところで、
「い、いぃいいいいいっ」
俺は思わず、変な叫び声を上げてしまった。小日向が何の前触れもなく、俺の太ももにコテリと倒れ込んできたのである。
そしてそのままもぞもぞと身体を動かしたかと思うと、良い位置を見つけたのか、小日向は気持ちの良さそうな寝息をたて始めた。
小日向はスース―という規則正しい息遣いで、俺の太ももに温かな空気を送り込んでくる。色々とヤバい。
「こ、小日向さんや? こ、こここれはさすがにまずいと思うのですが!?」
焦って声を掛けるが、彼女は熟睡しているのか起きる気配はまったくない。
さらに言うと俺の目線からは特に問題はないのだが、反対側から見たら彼女のスカートの中が丸見えになっている状態だ。警戒心どこいった!?
これは彼女の身体に触れてでも起こしたほうがいいのか? それとも声を掛けて起こす?
いやだがしかし、小日向にとっても男の膝の上で寝てしまったという結果は、無かったことにしたい事実の可能性がある。つまり、この状況を俺が知ってしまってはいけないのだ。
「そうか! 俺も寝ればいいのか!」
良くわからない結論に辿り着いたな、とは自分でも思ったけれど、これで俺よりも先に小日向が起きれば何も問題はないはずだ。そして彼女が心の奥底にこの事実を封印してしまえば、この膝枕は無かったことになる。つまり、平和だ!
スマホのアラームが10分後に最大音量で鳴るようにセットして、小日向の耳元に設置する。俺はそのまま後ろにゴロンと倒れて横になった。小日向にも横になったときの振動が伝わったはずだが、起きる気配はなし。
「寝よう、本気で寝よう。演技だと見破られる可能性もあるし」
太ももに小日向の温もりと重量を感じながら、ゆっくりと瞼を下ろしていると、俺のスマホが振動した。グワッと目を開いて、急いでスマホを手に取る。
「静香さんか! まだ九時前だがもう帰宅して大丈夫なのか!? というかその場合どうすればいいんだ!? 今すぐ爆音でアラームを流して寝たふりをするしかないか!?」
そんなことを小声で呟きながら、スマホのチャット画面を高速で確認する。相手は予想通りの静香さんだった。
しかし、その内容は俺が予想していたものとは真逆のもので、
『ごめん智樹くん! やっぱり10時でよろしくっ!』
小日向滞在、延長のお知らせだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます