第8話 ありがと




 それから二日間。

 木曜日と金曜日は、小日向も冴島も俺に接触してくることはなかった。


 景一に何かしたのかと問いただしてみたが、こいつは「ふっふっふ」と気味の悪い笑みを浮かべるだけで何も答えない。イケメンだから様になっているのがまた腹立たしい。


 まぁ、あの日「俺に任せろ」みたいなことを言っていたから、裏で何かしてくれたのはたしかだろう。小学校では俺がこいつを庇う立場だったが、中学校からはずっとこいつに助けられている。


 今度学食でも奢ってやるか――そんなことを考えながら、バイト先の喫茶店――『いこい』でテーブルを磨いていると、来店を知らせるベルが鳴った。


「いらっしゃいま――」


 ――せ、までは言うことができなかった。一瞬思考が停止して、何が起こっているのか理解できなかった。

 見たことある女子が二人に、見覚えのありすぎる男子が一人いる。


「……何を考えてんだ景一」


「まぁまぁいいじゃないか、空いてる席座って良い?」


「――ったく、ちゃんと説明してもらうからな……お好きなお席にどうぞ」


 やれやれと肩を竦めながら、それでも俺はマニュアル通りに景一たちを手で席へと誘導する。


 景一は薄い色合いのジーンズに、真っ白のTシャツ。シンプルすぎる格好だが、こいつの顔面偏差値は異様に高いので、十分にオシャレに見えてしまう。


 で、女子二人のうち、うるさい方。


 冴島はゆったりしたベージュのワイドパンツに、白のインナー、その上に淡いグリーンのオーバーサイズシャツを身に着けている。春らしい色合いで、チェックのポシェットがワンポイントになっているような感じだ。


 で、もう一人の静かな方。


 相変わらずの小さい身なりで、装飾ボタンの付いたダークブラウンのロングスカートに、どこかほわほわとした印象を受ける、アイボリーの長袖シャツ。なんとなく、ティラミスみたいな印象を受ける服装だ。小日向に良く似合っている。


 初めて見る二人の私服姿を視界に入れながら、カウンターでガラスコップに氷と水をそそぐ。トレーに乗せて持って行こうと表に出ると、俺は目に写った光景に顔を引きつらせた。


「……マジで何を企んでやがる」


 なぜか、三人で入ってきたのにも関わらず、小日向だけぽつんと一人で席に座っていたのだ。ちなみに、景一と冴島は四人席に二人で座っている。


 幸い、今は午後の四時過ぎで客は特に少ない時間だ。人が多い時間だったら座席確保のために一緒に座らせていたところだが、この静かな店内を見るとそうも言えない。


 というか、働き出して一年、未だに俺はこの店が満席になるのを見たことがないのだけど。

 間違いなくこの店の収支は赤字だ。


「できれば学校の奴にバイト先知られたくなかったんだがな」


 俺はまず景一と冴島がいるテーブルへと向かい、お冷の入ったグラスを二つ置きながらお小言を呟く。すると景一は、


「店長さーん! こいつ私語してまーす!」


 そんな風にふざけたことを口にした。


「ぶっとばすぞ景一!」


「あっはっは! まぁあの店長さんは別に私語しても怒らないだろ。むしろあの人が率先して騒いでるし」


「否定はしない――とりあえず景一はいつも通りスピリ〇スのス〇リタス割りでいいか?」


「それただの原液だろ!? というか俺未成年なんだが!? この店は未成年に何飲ませようとしてんだよ!」


「人聞きの悪い……俺はお客様のニーズを満たそうとしただけなのに……」


「な、なんだよ急にしおらしくなって。俺ってそんなにお酒強そう? 将来が楽しみだぜ」


「いえ、お客様にはアルコール消毒が必要かと」


「俺雑菌扱い!? 客の扱い酷すぎない!?」


 景一が驚愕の表情を浮かべるのを見て満足した俺は、ポカーンとした様子でやりとりを眺めていた冴島に視線を向ける。すると彼女は俺が見ていたことに気付き、申し訳なさそうに頭を下げた。そして、お仕事中にごめんね、と呟く。


「……冴島のことは苦手だが、貴重な客だからな。来るなとは言わん、そんなことしたら俺が店長にしばかれる」


「あはは……それは大変だ」


「本当だぞ。あの人仕事中だろうと客が目の前にいようと関節技決めてくるからな。しかも『漫画で見たから試したい』とかいうよくわからん理由で」


「それは本当に大変だ」


 俺が顔を歪めながらそう言うと、冴島は神妙な面持ちで言葉を紡ぐ。わかってくれたようで嬉しい。なお、他人事のように景一は笑っている。


「しかも店長はまだ30にもなってない女の人だからな。思春期の智樹は色々ときついだろ、身体の接触的に」


「言っとくが、痛みでそれどころじゃないからな?」


 色々と厄介な部分はあるが、あの店長は俺が複数の女子と話すのが苦手だということを知って、そういう客が来たときは必ず変わってくれる。現在は厨房にいるが、たぶん知り合いだと気付いて声を掛けてこないのだろう。


 働きやすいか働きにくいかで言えば、迷いなく俺は前者であると答える。からかわれそうなので本人には言わないが。


 注文決まったら呼んでくれ、と二人に声を掛け、俺はもう一人のクラスメイトの元へと向かった。彼女は写真付きのメニュー表を両手に持って眺め、なにやらジッとある一点を見つめている様子。


「よ、小日向。あいつらに付き合わされて、お前も大変だな」


 お冷を置き、俺がそう声を掛けると彼女は顔を横に振った。


『付き合わされた』ということに対しての否定か、『大変』ということにたいしての否定か……まぁ後者だろうな。こいつは俺のバイト先に行きたいとか言いそうにないし。


「頼みたいモノ、決まったか?」


 彼女と一緒の視線が共有できるよう、小日向に並ぶような位置に移動し、腰をかがめる。すると彼女は勢いよくメニューを指さした。これしかねぇ! という強い意志がそこには宿っている――ような気もする。


「……それは止めておいた方がいいぞ。少なくとも体育会系が五人はいないとキツイ。それと残したら店長が怒るから」


 彼女が指示した先にあったメニューは、その名も『ウルトラハイパーデラックススペシャルメガトンパフェ』。小学生が名付けたようなふざけたネーミングで、金額も税込み5000円とふざけた価格だ。ちなみに命名は店長。


「パフェがいいんなら、大人しくこっちの季節のパフェにしとけよ。今の時期はストロベリーだな」


 じゃあそれにするぜ! といった様子で、小日向は俺が提案したパフェに指をスライドする。


「了解、飲み物はどうする?」


 そんな感じで小日向とやり取りをして、結局彼女はホットのカフェオレを注文。

 オーダーを紙にメモしてからポケットにしまうと、彼女はポチポチとスマホを弄り始めた。なんだか物寂しい、本当に一人で喫茶店に来ているみたいだ。


 なぜこんな風に一人で席に座ることになったのか聞きたいところだが、それは小日向より景一たちに聞いたほうが早いだろう。そして、それを聞くとなると話が長くなりそうな気がする。


 仕事はしっかりこなさないとな――と思い、景一たちにメニューの催促をしに行こうと足を動かそうとすると、くいっと、制服の裾が何かに引っかかった。


 何か引っかかるようなものがあったかな――と疑問に思いながらその部位を見てみると、小日向が指で俺の制服をつまんでいる。


「ん? 注文変えるか?」


 そう問いかけると、彼女は首を横にぶんぶんと振る。

 そしてズイッと自分のスマホを俺の目の前に突き出した。液晶画面は俺の方を向いており、自然とそこに目がいく。


『自販機 ありがと』


 メモ帳らしき画面に、そんな単語が記載されていた。


 口数が少なすぎる小日向は、どうやらデジタルの中でも似たようなものらしい。

 しかしその短い二つの単語が、俺にはとても彼女らしく思えた。


「どういたしまして」


 そう言うと、彼女は相変わらずの無表情でコクコクと頷く。

 彼女の頬がほんのり赤く染まっているように見えるのは、空調のせいだろうか。




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