第6話 アメあげる
小学校5、6年の頃――俺がいたクラスでは男女がよく衝突していた。
始まりはとても些細なことだったと思う。落とした消しゴムを蹴とばしてしまったとかそんな感じだ。ちっぽけで、しょうもないことだ。
あのクラスに問題があったとすれば、女子のバランスがとれていなかったことだろう。
物静かな生徒や、明るい生徒。マイペースな生徒や、協調性のある生徒。偏りはあったとしても、それらの特徴をもった人間というのは少なからずいるはずだ。
だが、俺のいたクラスの女子はそうではなかった。
全員が正義の名の元に動き、全員が率先して発言する。
当時、男子の意見を代弁する――いわゆるリーダーのような位置にいた俺は、女子の集中砲火の対象となっていた。
友達の誤解を解こうとしても、彼女たちはこちらの話を聞くこともなく、ただただ言葉の刃で切り付けてくる。相手が落ち着いたところで俺が話そうとしても、彼女たちは言葉を遮ってまた正義を叫んだ。
俺が複数人の女子を前にして嫌悪の感情を抱いてしまうのは、そんな過去が原因となっている。
トイレの前で何食わぬ顔で待っていた景一と合流し、二人で俺の住むマンションへと向かった。会話はまったくといっていいほどなかったが、気持ちを落ち着けるのにはその無言が俺にはありがたかった。
学校を出て約10分後――家に辿り着くころには、俺の気持ちもいくらか落ち着いていた。
「どうせどっかで見てたんだろ」
俺が通学バッグを学習机の上に置いてベッドに腰かけると、彼は慣れた様子でカーペットの上にあぐらをかいた。
「まぁな。だって気になるし――あ、一応智樹がトイレ行っている間に、冴島たちの誤解は解いておいたから」
「冴島……? あの女子の名前か?」
「そうそう、冴島野乃。襟のバッチを見たらE組だった」
「どうでもいい情報だ。もうあいつとは金輪際関わりたくない。小学校の同級生より凶悪じゃなかったか? あいつの勢い」
「はははっ、たしかに。根っこから悪い人じゃないってのがまた、似てるよな」
「本当にな、タチが悪いよ」
景一の言葉に、俺はため息混じりで答える。
そう、あいつの叫んでいた内容は、全て友人である小日向を思っての言葉だった。ボタンの掛け違いによって、ひどい結果を生み出してしまったわけだけれど。
「俺としてはちょっと残念だけどな。小日向は喋らないから、女子の中では一番話しやすかったし。だけど冴島っていうボディガードがいるなら無理だ。あいつはもう視界に入れただけで鳥肌が立つかもしれん」
女子が苦手なのはたしかだけど、普通の高校生みたいに恋愛したいのもまた事実。自分でもどうしたらいいのかよくわからない。
もういっそのこと、青春したければ引きこもりの女子とかをターゲットにするべきなのだろうか……? ネット恋愛みたいな。
「え? なに? 智樹って小日向のこと好きなの?」
景一は目をキラキラとさせて、おもちゃを見つけた子供のように俺を見てくる。
「好き――とはちょっと違うかな。たしかに小日向は顔も整ってるし、ちょこちょこしてて可愛いと思うけど、なんかピーナッツとかあげたくなる感じだ。見ているだけで癒される。だから彼女にしたいとは別に思わないな」
「それペットじゃん」
「なるほど――言い得て妙だ。だがその発言は小日向に失礼だぞ」
俺の言った言葉も失礼なのだけど。
「それもそうか。ごめんな小日向」
景一はそう言うと、ベランダに向かって頭を下げた。そっちの方向にはたして小日向がいるのかどうかわからないけど、俺も景一に習って頭を下げた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌日、いつも通り景一と学校に行って席に着くと、クラスメイトの男子が寄ってきた。
「おっす杉野、唐草。昨日中庭で、またあることないこと叫ばれたらしいな」
「おはよう高田。もう聞きつけたのか……相変わらず耳が早いことで。しかしなんで確証のないことを自信満々に叫べるのか俺には理解できねぇ」
「本当になー。って言っても、俺も最初は疑ってた側だから人のこと言えないけど」
てへ、と可愛くもない仕草でおどけてみせる高田。
こいつとは去年一緒のクラスで、すでに全てを誤解だと理解してくれている人物の一人である。
そもそも、地元の人間が集まる中学校と比べて、高校じゃ俺の噂なんてほとんどないようなものなのだが、たまたま耳に入ってしまったのだろう。冴島が知っていたことに関しても、運が悪いとしか思えない。
「ま、変な噂してるやつがいたら止めとくわ」
「はは、助かるよ。でも気が向いたらでいいからな」
「あいあい~」
そう言うと高田は、駄弁っている別の男子グループに混じって話し始めた。随分と社交性の高い人種である。
「小日向のことはどうすんの? 同じクラスだけど」
景一がふと思いついたように、小声で声を掛けてきた。
「別に、どうもしない。小日向が自分から関わってくるとは思えないし、俺から声を掛けなければ鬼も文句言わないだろ」
鬼とはもちろん冴島のこと。
俺がもし本気で小日向に恋をしていたならば話は違ってくるが、別にそういうわけでもない。小日向を避けることで冴島が寄ってこないのであれば、遠慮なくそうさせてもらう。
そんな風に話をしていると、ちょうど話題にしていた小日向がテコテコと教室に入ってきた。男子も女子も小日向に声を掛け、頷くのをみて満足そうに微笑んでいる。イエス小日向ノータッチの精神だな。
「…………ん?」
その様子を横目に見ていたのだが、小日向は自分の座席を通り越して俺のほうまで歩いてきた。席を間違えたのかとも思ったが、彼女は俺の机の前で立ち止まり、じっと俺の目を見ている。座っている俺からすれば小日向を見上げるというレアなシチュエーションだ。
何が言いたいのかわからないから、とりあえず俺から声を掛けた。
「……あのなぁ、お前と関わると冴島がうるさいんだ。もしも罪悪感なんてものを抱えているなら、俺はもう別に気にしてないから」
昨日景一が誤解は解いたと言っていたから、おそらくそのことについての謝罪かなにかだろう。冴島にいたっては泣いていたらしいし。
俺の言葉を聞いて、小日向は小さく頷いた。
「そもそもお前は何も悪いことはしていない……けど、もしこれからも冴島と仲良くやるつもりなら、あいつの暴走癖は治させたほうがいいぞ。言葉で止めることができなくても、あいつの口を塞ぐくらいできるだろ?」
小日向はまた、コクリと頷く。あまりに変わらない表情に、本当にわかっているのだろうかと不安になるが……反応を示していないわけではないから、ひとまず良しとしておこうか。
「ま、お前は何も悪くないとは言ったが、少しぐらい自分の意見を言ってもよかったかもな。お前が噂を信じて、俺を遠ざけたいと思っていたなら話は別だけど……あの言い方からして、あれは冴島の独断なんだろ?」
小日向は、躊躇いがちに頷く。
なんだか説教みたいになってしまったな……そんなつもりじゃなかったんだけど。
声は小さめだから周囲には聞こえていないと思うが、小日向が俺の席に向かったことで視線を集めてしまっているのも事実。
俺はポリポリと頭を人差し指で掻いてから、会話を締めるべく言葉を紡ぐ。
「まぁそんなわけで、昨日冴島が言っていたように、俺たちは関わらないようにしよう。クラスの行事とかでどうしても必要な場合は別だが、それがお互いにとって、一番平和的だからな。俺はよくしゃべる女子ってのが、どうも苦手なんだ」
自虐混じりにそう言うと、小日向は首を縦にも横にも振らなかった。その代わりに、なにやら自分の通学バッグの中をごそごそと漁っている。
何をしているんだろうか――と眺めていると、彼女は手をグーの形にして前に突き出した。そしてその手はすぐにパッと開かれて、彼女の手から何かが零れ落ちる。
「……アメ?」
カラン、と俺の机に落とされたのは、ピンク色の包装が施された、ミルク味のアメだった。
小日向を見ると、彼女はコクコクと首を縦に振る。アメ? と聞かれたらそりゃ頷くか。
「俺にくれるのか?」
コクコク。
「お詫びの印みたいな?」
コクコク。
「気にしなくてもいいんだが」
ブンブン。
「じゃあまぁ、貰っておくよ」
そして小日向は再度頷くと、ミッションは達成したといった様子で自分の席に帰って行った。小さな背中から、なんとなくやり切った感がにじみ出ている気がする。完全に俺の予想なんだけども。
「ありゃ人気になるわけだ」
身体の奥底に眠っていた保護欲が一気に活性化された気がする。
「冴島が守りたくなるって理由も納得だな」
俺の発言に、景一はそんな言葉を返してきた。
全くもって、同感だ。
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