(本編とは関係ない)小話
小話①「ひっつきむし」
沙梨菜はひっつき魔である。
それはもう、主に被害者となる沢也がオクラか納豆…いや、それ以上にしつこい粘り気を持つなにかだと、顔をしかめて言い放つくらいには。
とにかく四六時中付きまとわれ、突き放そうが罵声を浴びせようがお構いなしに突進してくるので、日に一回は沢也が発狂して砲撃するのが日常茶飯時であった。
しかし時には防衛が成功し、沙梨菜を部屋から閉め出した沢也が、亀かカタツムリの如く立て込もってしまうこともある。
そんな時、沙梨菜は扉の前で散々泣き言を叫んだ挙げ句、いち早く蒼の元へ向かう。
そうしてやるのはやはりというかなんというか、とにかくべったり張り付くことなのだ。つまるところ、沙梨菜がターゲットとするのは沢也だけではない。
蒼は泣き言を零しながら腕にすがり付く沙梨菜に淡い笑みを向け、文句もなく話を聞く。恐らく内心「またか」と思われているのだろうと察しながらも、沙梨菜は気にせず続けた。
彼女は蒼の笑顔を見ているだけで癒されたし、それ以上に安心感を与えてくれる心地好さが好きなのだ。お兄ちゃんがいたら、きっとこんな感じだと。沙梨菜は常々思うのだった。
しかしあんまり長いこと蒼にひっついていると、優しい香りと紅茶の香り、そして程好い温かさに誘われて、いつの間にか眠ってしまうことも知っているので、そうなる前…適度なところで切り上げて、次の犠牲者の元へ向かう。
彼女が蒼の次に選ぶのは、高確率で義希であった。
なぜかと聞かれても特別理由はないが、敢えて言うなら、その後の楽しみが増えるから。
とにもかくにもどこかでのんびりしている義希を探し、問答無用で巻き付きにかかる。彼は嫌がるどころか喜んで答える。それは恐らく、相手が沙梨菜でなくても同じだろう。
沙梨菜は特に義希相手の場合、背中から突進するのが好きなようで、大抵は驚く彼のリアクションを楽しむためにそっと近づいていく。
90%の確率で成功するドッキリは、今回もうまくいったようだ。お互いに頬をつねりあったり髪をいじくりまわしたりと、猫と犬のように一頻りじゃれあって、沙梨菜は義希に別れを告げる。
義希は過去に、沙梨菜を妹のようだと言ったことがあったが、沙梨菜的には義希が弟感覚らしい。それを知っているからか、それとも動物的観点で眺めているからなのか。沢也は勿論、有理子や蒼も二人のじゃれ合いにケチをつけたことはない。
さて、蒼と義希に慰めてもらった沙梨菜は、また別のターゲットを探しているようだ。これはもう恒例行事のようになっていて、二人分の匂いを擦り付けられた相手がうろたえる様子を楽しむためのものである。
自室で見つけた有理子に擦り寄った沙梨菜は、彼女の複雑そうな顔を見上げてはにまにまと微笑んだ。仕返しに抱き締められて、フローラルの香りに癒される。ついでに自分にはないものに少し嫉妬したりとか。
その先は見かけた人物から手当たり次第に当たっていく。今回は、同じく部屋で雑誌を広げていたくれあが第二のスタート地点となった。
くれあは飛び付くや否や、これでもかと撫で回してくれるらしく、今回も例外ではなかった様子。それを証拠に、部屋の片隅に有理子の和やか過ぎる笑顔が溢れている。
沙梨菜はやはり、自分にはないものに嫉妬しながら部屋を出て、リビングに舞い戻る。
珍しいことに、いつもは探しても捜しても見つからない倫祐が、カウンターで煙草を吹かしていた。ソファでは相変わらず、蒼が紅茶を啜っている。
沙梨菜はまず、空いた椅子の上で毛繕いするハルカをぎゅっとして、軽く猫じゃらしで遊んだあと。さりげなく黒い背中の後ろに回り、逃げられないように捕獲。つま先立ちで巻き付いた首の向こう、表情は愚か微動だにしない彼の様子に、沙梨菜は密かにガッカリするのであった。
倫祐の反応は毎回変化することがなく、嫌なのか別に構わないと思っているのかも分からない。それでも沙梨菜が諦めないのは、今しがたリビングに戻ってきた海羽の反応を窺うためだったりもする。
彼女は沙梨菜の行動に文句や非難を浴びせることはなかったが、どことなくそわそわした仕草から、羨ましがっていそうなことが手に取るように分かった。
沙梨菜はすかさず洗い物をはじめた海羽の背中に(彼女が驚いて皿をひっくり返さないようにそっと)ひっついて、横から慌てた顔を盗み見る。
海羽は唯一、沙梨菜と大差ない背丈で、どちらかといえば妹のような存在なのかもしれないと時々思う沙梨菜であったが、そう言い切れないのは、海羽が家事全般を取り仕切るお母さん的存在でもあるからかもしれない。
「ふいー、これでこんぷりーとだね♪」
満足気にコップを掴み、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出す沙梨菜ではあるが。
お気付きだろうか?
一人忘れられていることに。
「こぉうらああ!お前、沙梨菜あああ!なぜおれ様には泣き付いてこない?!」
意気揚々とリビングに飛び込んできたかと思えば、早速異議申し立てを展開する小太郎を振り向いて。
「小太郎はいーの」
沙梨菜は素っ気なくソファに向かった。
「なんでだよっ!」
「だって、小太郎はくれあのだし?」
「はんっ!くれあがそんくらいでやきもち妬くとでも思ってんのか?」
「じゃあ、小太郎だからヤダ」
「ふざけんなし!おれ様だからこそ抱き付いてこいっつーの!さあ、受け止めてやるぜその哀しみ?」
「もー。めんどくさいなぁ、小太郎はぁ。そーんなに沙梨菜にぎゅっとして欲しい?」
早くも勝ち誇った表情で問い詰める沙梨菜。小太郎は不意に口を尖らせ、そっぽを向いて不機嫌そうに言った。
「べ、別にそんなんじゃねーし!」
「まぁたまたぁ。じゃ、遠慮なく…」
「ばっ…!なんなんだよっ!さっきまではあんなに嫌がってた癖に!」
「へへーん。嫌々やってあげてるんだから感謝してよね☆」
「だ、誰が感謝なんかするかってーの!もう絶対アレだ、泣き付いてきてもくっつかせてやんねーんだからな!」
「はいはい」
負け犬の遠吠えの如く捨て台詞を吐き出して、足早に去っていく小太郎の背中を見送りながら。沙梨菜は密かに思うのだ。
仲の悪い幼馴染みがいたら、あんな感じなんだろうな…と。
満足そうに、微笑みながら。
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