外伝

外伝①「Perfume of…」

お題「蒼x有理子」


※注:時系列的には本編#96~#98の間くらい。

ネタバレが嫌いな方はご注意ください。








 ある日の夕刻。

 わたし達はいつものように夜に備えて進行を中断し、暫しの休憩を取る。

 いつもと変わらず、広い場所に家を設置して、夕食までの間、各々の時を過ごしていた。

 わたしはなんとなしにエントランスに足を向ける。夕陽が沈む過程、光で紅く染まった白い柵、テーブル、椅子。そして…

「蒼くんの…かな」

 置き忘れた、白いマフラー。





 オレンジと赤の中間の空は徐々に青みを帯びて、やがて夜空に姿を変える。綺麗な光の中に落ちる白は、空の色を忠実に反射していた。

 わたしはやっぱりなんとなく、マフラーに手をかける。ため息に合わせて、白い息が流れていった。この暖かそうな空に反して、外の空気は凍える程寒い。鼻を抜ける冷気に耐えきれなくて、思わず柔らかく暖かそうなマフラーで口元を覆った。

 ふわっと、香ったのは。

「あ、有理子発見っ!」

 マフラーに奪われた思考を無理矢理現実へ引き戻され、慌てたわたしは彼の攻撃を避けられなかった。

「ちょ…なにするのよ!」

 がばっと。両腕を広げた義希は、なんの臆面もなく抱きついてくる。もがくわたしを宥めつつ、安心したように力を抜いた。

 最近の義希はいつもこんな感じ。あの日、蒼くんが離れてしまう前までは、こんなことはなかったのだけど…

「なぁ有理子」

「なによ?」

「今、なに考えてる?」

「…別に」

「当ててやろうか?」

 肩に乗る義希の横顔が怪しく微笑んだ。。そう思った私は反射的に横目で睨みをきかせる。しかし抵抗も彼には無効。それを証拠に、義希は笑顔で口を開いた。

「今日の夕飯は焼肉がいい」

「…それはあんたが考えてることでしょ?」

「あ、ばれた?」

 わはは、と誤魔化すように笑う義希に呆れ顔を返し、わたしは小さくため息を漏らす。

 この単純で馬鹿な男に空気が読める訳がないのに…少しでも焦ったわたしが馬鹿だった。

「じゃあなに考えてんだ?ぼんやりしちゃって」

「だから…別に。強いて言えば、今日の晩酌で何飲もうかなってくらい」

「また酒のこと?少しはオレのコトとか考えようぜ」

「なによ?義希がどうやったら馬鹿を抜け出せるか…とか?」

「あーひでぇ……そういうこというかなぁ」

 項垂れる義希はそれでもわたしを離してはくれない。プラスしてなんとか誤魔化してはみたものの、オカシナコトを言われたせいで妙に背中がくすぐったかった。

 義希は人より体温が高い。密着している前面は室内にいるようだ。だからこそ、背中に回った腕の温度がやけに気になってしまうのだろう。

 例えるのなら、ストーブ…いや、湯タンポ?そういえばいつだったか沙梨菜が、「義希ってお日様の匂いがするね♪」とか言ってたっけ。

 抵抗することも忘れてそんなことを思い出していると、玄関の向こうから沙梨菜の声が聞こえてくる。どうやらトランプ相手に義希を探しているようだ。

 義希はこれでもか。と、わたしに体温を奪わせておいて、まだ肩に顔を擦り寄せている。自分より体温の低いわたしになにを期待しているのか…人一倍寒がりなくせに、本当。理解に苦しむ。

「沙梨菜が呼んでるでしょ?行ってあげなさいよ」

「はーい」

 無理矢理ひっぺがすと、猫のような顔から気の抜けた返事が返ってきた。扉に消え行く義希の背中にため息を浴びせると、手に持ったままのマフラーが目に入る。

 話題として一切触れられることはなかったが、義希もこのマフラーの持ち主に心当たりはあった筈だ。

「あいつ…」

 小さく声が漏れる。

 気付いていて、気付かないふりをしていた?それとも本当に気付いていなかった?でも、待って。必要以上に擦り寄って来たのはもしかして…

 頭の中を様々な憶測が駆け巡る。

 一人固まるわたしは、空が夜に染まっていくのにも気付かず、そこに立ち尽くしていた。


 考え始めたらキリがない。それはいつものことで、だからこそなるべく考えないようにしていたこと。

 だけどもう、しちゃだめなんだ。

 それがどんなに、胸を締め付けるモノだとしても……二人を解放してあげられるのは、わたしだけなんだから。


 ぐるぐると回る想い。俯いた先ではマフラーに青が反射していた。ハッとして空を見ると、赤かった筈のそれがすっかり闇に支配されている。

 慌てたわたしはマフラーをポケットルビーに収め、誰にも見つからないよう自室に引き返した。

 そっと扉を開ける。部屋には誰もいない。安心して、ため息を漏らす。

 そして再びマフラーを手に取った。


 義希の匂いはよく知っている。

 側にいなくても思い出せる程。

 だけど、蒼くんの匂いは…知らなかった。


 だって、そうでしょう?

 あの人は、わたしを抱き締めたりなんかしないもの。そういう性格じゃないから…そんなこと、簡単に…


 そう考えた瞬間、ハッとした。


 出来るのではないだろうか?わたしに遠慮してしないだけで…簡単に、できるんじゃない…?

 でもやっぱりそれは、動物まがいな義希のノリとは違って…


 想像しただけで頭が煮えた。相手が義希でも同じこと。真剣にそうなってしまえば、ハッキリ言ってひとたまりもない。

 他人の恋愛を見るのは慣れている。だから沙梨菜と沢也がどれだけイチャついていようとも平然としていられるんだ。不貞腐れる沢也をからかう余裕すらあるんだから…間違いないだろう。

 でも…そう。

 わたしは、自分の恋愛に慣れていない。

 あの時、蒼くんにされたことだって…未だ頭にこびりついて離れないのだ。しかしあれ以来、蒼くんには触れていない。

 だからこのマフラーの匂いは、わたしにとって新鮮なもの。

 お祭りのあの日、蒼くんが着ていた浴衣からは防虫剤の香りがした。それはもちろん、わたしの着ていたものからも。

 蒼くんが去ってしまったあの日、預かったストールは…わたしが強く抱き締めたせいで、わたしの匂いが移ってしまっていた。


 控え目に抱き締めたマフラーからは、石鹸のような…安らかな香りがして。

 それはそう。思わず瞼が重くなるような…

「有理子…ゴハン、出来たんだけど…」

 突然開いた扉から海羽が顔を覗かせる。

 後ろ手にマフラーを隠し、にっこり笑ったわたしを見て。海羽は不思議そうに小首を傾げた。





 その夜、わたしは上の空のまま、エントランスでお酒を飲んでいた。

 付き合わせた沢也はわたしが黙りなのを見ても、これぞ好機と言わんばかりに読書を楽しんでいる。まぁ、わたし自身…あまり人に気を使ってる余裕がないから、有り難いといえば有り難い。


 そういえば……


 沢也を目の前にわたしは思う。

 いつだったか、酔っ払ってこいつに抱きついたことがあったな、と。しかも、その時のことは不思議とよく覚えている。

 沢也は人より体温が低いのか、触った瞬間ひんやりした。もっとも、酔っ払ったわたしの体温が高かっただけかもしれないけど。それから、沢也の匂いは凄く不思議。不快感はないけれど、落ち着く匂いじゃなかったかな……多分、消毒液とか、なにかの薬品とか…整髪料?そんなものが混じった匂い。

「なに見てんだよ…」

「…なに読んでるのかな?と思って」

 視線を寄越さないままの問いに、適当な答えを返す。沢也は含みを持った笑みを返してきた。

 こいつは読みすぎるほど空気を読む男。即座に分が悪いと判断したわたしは、適当に目を反らして黙り込む。


 義希にしろ、沢也にしろ…匂いどころか体温までよく覚えてるんだ。

 なんとも複雑な心境…

 だからといって、蒼くんに抱きつくなんて荒業…

 だからといって、抱き締めて欲しいとお願いするだなんて…

「出来るわけないじゃない」

 自身へのツッコミが声に出た。

 なぜか。理由は簡単。目の前に倒れる空のワインボトルは既に3本。それを一人で開けたのだから…

「飲みすぎた?」

「当たり前だろ…なにをそんなに荒れてやがる」

「荒れてなんかないわよ。ただ…考え事してただけ」

「そのマフラーの持ち主について、か?」

 沢也はわたしの手元を指差して怪しく微笑んだ。恐る恐る下を向く。

 え…わたし、いつの間にこれを…?

「それで隠してたつもりなんだろうから、酔っ払いってーのは怖いもんだよな?」

 悪戯っ子の笑みで告げた沢也は、わたしの苦しい表情にふっと息を漏らす。その視線は流れるようにわたしの背後に移った。

「あ、お楽しみ中でしたか?」

 沢也が見据える先で、扉が開くと同時に聞こえてきた声。慌てるわたしを見て、沢也が笑いを圧し殺す。

「なんだか本当に楽しそうですね?」

「それはそうと、珍しいな。お前がこんな時間まで起きてるなんて」

 沢也は自分の手元を覗き込む蒼くんに、いつもの微妙な笑顔で問いかけた。蒼くんは肩を竦め、キョロキョロと辺りを見回す。

「探し物か」

「ええ。明日の支度をしていたら、見当たらない事に気付きまして。でもどこに置き忘れたのか覚えてなくて…」

 そう言って、彼は再び肩を竦めた。同時に沢也の意地悪な視線が流れてくる。

「あ…蒼くん!これ…」

 わたしは慌てて立ち上がり、彼にマフラーを渡そうと足を動かした。

「あ、有理子さん…持っていて下さったんですか?ありがとうございます」

 ふんわりと、微笑んだ彼が手を伸ばす。



 …え?



 わたしがマフラーを持った手を伸ばした瞬間、身体が傾く。なにかに足を引っ掻けた…って!

「っ…沢也…!」

「悪い。足が滑った。」

 満面の笑みを見据えるわたしは、おかしな体勢のまま。すっぽりと、蒼くんの腕の中に収まっていた。

 こんな状態になっても、悔しいことに焦るのはいつもわたしばかり。彼は全く慌てる様子もなく、ただいつものように微笑んで。

「大丈夫ですか?」

 そう問いかけた。

 確かに聞こえた声に反応することすら忘れて…わたしは、うとうとと、夢の中へと落ちていく。



 なぜいきなり?

 それはきっと…お酒のせいもあったかもしれない。

 でもそれ以上に、蒼くんの程好い体温と…あまりにも安心する匂いに催眠効果がありすぎるせいだと思う。



「沢也くん。悪戯が過ぎますよ」

「言っとくが、俺は足をかける以外になにもしてねぇぞ?」

「とても信じられませんね。睡眠薬でも入れたんじゃないですか?」

「お前…俺をなんだと思ってんだよ」

「さぁ…なんでしょうね?」

「知るか。いつもより様子がおかしいそいつが、勝手に飲みすぎて、勝手に寝ちまっただけだ」

「仕方ないですね。信じて差し上げます。その代わり、彼女を運ぶの手伝って下さいね?」


 二人の会話はそこで途切れた。まぁ、わたしが深い眠りに落ちてしまっただけで、もしかしたら続きがあったのかもしれないけど。

 きっと二人はわたしを部屋まで運んでくれたのだろう。だからこそ、わたしは今ココ、自室のベッドで目覚めたんだ。

 恥ずかしさと気不味さと…なんとも言えぬ気分になって。とにもかくにも、わたしは沢也に文句をぶちまけたわけだけど。

「いつもの仕返しをしただけだ」

 と、軽く流された挙げ句。

「あんまり飲みすぎては駄目ですよ?」

 と、蒼くんに子供扱いされる始末。


 考えすぎたわたしが悪いのだろうか?

 いや…考え方がおかしかった?

 違う。考える方向がおかしかったのかも。


 数々の反省と共に、悪戯沢也への復讐と…いつも冷静過ぎる蒼くんへのリベンジを誓うわたしだった。

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