040:人の形


 いままさにレストラ・フォーミュラがミスティへと手を伸ばす瞬間、俺はその間に飛び込んだ。

 粉塵が舞う。ブーツの底が摩擦による熱で足底を焼くようだった。だがそれ以上に、破裂しそうなほどに燃え盛る怒りが肺を満たしている。

 空想の竜であるならば、全てを灰燼に帰す焔を吐き出すほどに。


「お前、いま」

「【巨人墜ネフィリム】」

「何をしようとした!」


 【無明の刀身】の抜刀。翡翠の切っ先をレストラへと向ける。

 しかしレストラは冷ややかな視線を返すだけだ。


「ミスティのコアを抜こうとしたのか……!」

「それが【イェソド】の望みだ。お前にとやかく言われる筋合いはないな」

「そんなこと」

「いえ、事実です」


 片足を引きずり、ミスティがレストラのほうへ行こうとする。


「ミスティ、何を言って」

「私に残されたのは人間を理解するという使命だけ。ブレアの元では叶わない以上、これが最善の合理的選択なのです」

「……その身体を捨ててかよ」

「私にもう自由は要らないのです。ですから、っ!」


 レストラの元へ行こうとするミスティの腕を掴む。

 行かせない。絶対に行かせちゃいけない。


「離してください」

「離さない」

「けい、こく……。即時離さない場合は武力を……行使します」

「……」


 視界が翡翠の光で弾け、顔面が後方へ飛びそうになる。

 けど、転ばない。逆にミスティのほうが魔導弾の反動でよろけていた。


「っ……どうして」

「お前をブレアの元へ連れていく」

「っ、い、嫌です……! 行きたくありません! いまさら行ってどうしようというのですか!」

「話し合う。俺は、それが必要だと思うから」

「なにを」

「無駄なことだ」


 ミスティの後方から、レストラの冷厳な言葉が飛び掛かった。


「その人形は人間じゃない。話し合いの余地など存在しない。理解し合うことなどできやしない」

「それはお前が決めることじゃないだろ」

「いいや、決めるさ」


 こちらへ歩いてくるレストラに、後ろで待機してくれていたリンが臨戦態勢に入ろうとするけど、俺は首を振って制止する。

 これ以上、リンに迷惑はかけられない。リンがレストラを止めるとギルド間の問題に発展しかねないからだ。ここまで運んでくれたことだけでも感謝しないといけない。

 レストラはミスティの後ろで立ち止まると、懐から魔導書を取り出した。

 だけど、レストラに戦意は見えない。


「この紋章を知っているか?」

「……いや」


 それは魔術書表紙の中心に描かれた、三つの環が三角を形作るような紋章だった。

 奇妙なのは、その環を作る線が蛇のような生物だったこと。そして中心で尾を食んでいることだった。

 この紋章を見たことがない、はずだ。

 ただどうしてか既視感を覚える。どこかで見たことがあるのか?


「これはかつて存在した『学院都市ヨルム』の紋章だ」

「かつて?」

「すでに滅んだ。帝国の手によって」

「!」


 『マルクト帝国』。

 エッセ――シェフィの故国であり、いま現在もっとも強大な国で他国に侵略戦争を仕掛けている。

 ここクリファも帝国とは戦争状態で、いまの騒動も帝国の人間と目される“顔のない女”の仕業のはずだ。


「学徒の大半が死に、生き残った者も世界中に散った。俺が知っているやつは数人しかいないがな。【極氷フリジッド】――クーデリア・スウィフトもその一人だ」

「【極氷フリジッド】が」


 リンへ振り返ると拗ねたような表情で肩を竦めた。


「十年だ。俺は十年、帝国の手から学院を取り戻すためだけに生きてきた。地を這い泥を啜り、某国の奴隷となり、この身が辱められようともだ。生きて祖国、学院の地を踏むために」


 その目は強い情動が込められていた。

 どこかで見た覚えがある。そんな目だ。


「だが、誰も賛同はしなかった。称号まで得た上位学徒ですら、帝国を前に引き下がった。とんだ臆病者だ」

「あ? 相手にされてねぇだけだろゴミカス。ぶっ殺されてぇのか?」

「リン」

「チッ」

「お前はどう考える、リム・キュリオス。失われた故郷、もう生存者はいない。だがそれでも俺は、俺が生まれ育った地を取り戻す。それを愚かに思うか?」

「思わない」


 俺は即答する。思うものか。

 無謀だとしても、不可能だとしても、己が最もよくわかっていたとしても諦められない、退くことのできない、そういう衝動がある。それを俺はよく知っている。

 ああ、目が似ていると思ったのはそのせいか。

 鏡に映る自分を見ているようなんだ。レストラは。

 シェフィのことだけを考えて生きてきた五年間の俺を見ているようなんだ。

 だから、新市街で会ったとき戦いたくないと思ったのかもしれない。


「だが、【イェソド】は非合理だと切り捨てた。誰もいない地を取り戻すために戦うなど意味がないと。価値がないと。理解不能だと……!」


 レストラの声から怨嗟の念が噴き出る。だからここまでミスティのことを。


「……」


 ミスティは目を見開き、力なくうな垂れた。いまここにいるミスティにその記憶はないのだろう。


「やはりあなたの言う通り、私は人間と相容れられないのですね。私はすでに取り返しのつかない過ちを犯していた」

「そうだ。だからその手を払い、俺の下に来い。帝国から学院を取り戻す対価として、人間の観測を続けさせてやる」

「はい……。……? リム、離してください」


 だが、俺はミスティの手を離さなかった。

 ミスティの右腕の義肢をより強く握る。決して離さないために。


「ミスティ、お前は本当にそれでいいと思ってるのか」

「……はい」

「二度とブレアと会えなくなっても良いっていうのか」

「……はい」

「だったら……なんでそんな悲しそうな顔をするんだ」


 ――え? とミスティは自分の顔を触る。

 肉ではない金属の皮膚を。しかし情を得て変わるその表情を。


「いまここで人形になったら、お前は絶対に後悔する。お前が動いてブレアに会いに行かなきゃ、絶対に後悔する……!」


 俺もそうなりかけた。俺を拒絶したエッセを諦めようとしたときだ。

 あのとき諦めてエッセを追いかけなかったら、一生俺は後悔して残りの人生を過ごしていただろう。

 それはいま考えただけでも恐ろしい。


「後悔なんて、しません。ボディを捨てれば、私の記録は消えますから」

「記録……本当にブレアのことを忘れたいのか、お前は。そんな顔してるくせに」

「……私は、悲しい顔などして、いません。私の表情は変わりません」

「変わるよ。俺は、お前が笑うところを見た。だったら悲しい顔だってするだろ」

「状況の再現をしたくありません」

「しなくたって、ずっと頭の中がブレアのことでいっぱいなんだろ?」

「……」

「もう一度、ブレアに会いに行こう、ミスティ。会って――」

「嫌です!」


 ミスティは俺の腕を振り払った。先ほど以上に沈痛な、耐え切れないと言いたげな表情で。


「そうです。あなたの言う通り私の頭の中はブレアのことだけでいっぱいです。いっぱいなんです、私を叱責した、拒絶したブレアの顔だけで!」


 叫ぶ。子供が喚き散らすように。


「それが怖い! また拒絶されるのではないかと! ブレアに軽蔑の眼差しで見られるのではないかと、そう考えただけで何も考えられなくなる。何も記録できなくなる! 怖い! 怖いのです、私は!」


 ミスティは涙を流さない。けれど泣いていた。

 思考を埋め尽くす恐怖。それを消したいがためにミスティは人形になろうとしているのだ。


「だから、忘れたいのです……! このボディを捨てて!」


 ミスティの気持ちをわかる、とは言えない。

 きっとミスティにとってブレアは特別なのだろう。損得勘定抜きに、合理性を排し、ただミスティという存在のためだけに己を賭して助けようとしてくれていた人だから。

 でもだからこそ。


「だったら、なおさら会わないと。ミスティはブレアのことを怖いって記憶だけでさよならしたいのか?」

「……え」

「俺はいつか別れるとき、その人の笑顔を見て別れたいと思ってる」


 そのために生きている。


「やっぱり物言わぬ人形じゃないよ、お前は。立派な人だ。だから話そう。俺たちには言葉がある。気持ちを伝える手段がある。たった一度のすれ違いで、諦めないでくれよ」


 ミスティが放心した表情のまま、俺の握る右腕の義肢を見下ろす。

 ブレアが作った、ミスティのための義肢。あの過酷なダンジョン探索の中でも未だこうして動いている。


「言葉で伝えれば、誤解は解けるのでしょうか。赦しをもらえるのでしょうか」

「保障はできない。ごめん。でも、ブレアも苦しんでた。お前と一緒で」


 ミスティの肩が揺れた。


「……レストラ・フォーミュラ」


 ミスティは振り返り、レストラへと頭を下げる。


「ブレアの下へ行きます。言葉を尽くすために」

「とんだ変わりようだ」

「変わるだろ。変わらないって思い込んでるお前がおかしいんだ」

「なに?」


 俺はミスティを背に、レストラと相対する。


「話の通じない人形だと切り捨てたから、お前はミスティが人とは相容れないと思い込んだんだ。もっと話を重ねれば、きっとミスティは変わった。そのときの会話が過ちだったと思っているいまみたいに」

「……ご高説はいい。俺が必要なのはミスティのコアのみだ。ガワは要らない」

「渡すと思ってんのか」


 リンが武器を構えようとするけど、俺は制止した。


「わたしがやったほうが早いでしょ。一瞬で片付けてやるけど?」

「気持ちは嬉しいけど、ミスティをブレアのところへ送ってあげてくれ。ミスティを見つけるまでが約束だしな。そのあとは【極氷フリジッド】のとこに戻ってくれていい。俺がレストラを止める」

「…………送ったらすぐ戻るから、それまでやられないでね」


 話を聞いていたのか聞いてなかったのか。

 リンがいじけたように言って、ミスティを肩に担いで飛び去っていった。

 残されたのは俺とレストラのみ。どっちにしろ、こいつとは俺がやらないといけない。

 似た衝動を抱えた者同士。けど、俺は叶ってしまった。そこはもう決定的に違う。だから、ミスティのことを許容できているのかもしれない。

 それでもだ。


「きっとエッセとまだ再会できていなくても、俺はミスティを助けていた」


 そう信じたい。

 レストラが魔導書を開く。


「あの日のような助けが来ると思うなよ」

「あの日の俺と一緒にするなよ」


 俺は翡翠の剣を握る。

 この先へは行かせない。

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