039:三者の行方


「うぉわああああああああああああああああああああああああああ!?」


 俺の悲鳴が街に木霊する。全身に浴びせられる壁の如き風圧。

 浴びる眼下に広がる街並みを見ている余裕がまるでない。

 落ちやしないか。ただその不安だけが頭の中を支配していた。


「叫ばないでよ、リム。落っことしちゃうよ?」

「脅しにしか聞こえないんだってそれぇええええええ!」


 リンダ・トゥリセ、もといリンに肩に抱えられた俺は空を飛んでいた。

 リンがバチバチと鎧を帯電させながら、まるで見えない腕に引っ張られているかのように、何もない空を浮き進んでいるのである。

 地上からは黄色い発光体が夜空に線を引いているように見えたことだろう。

 どういう魔法か原理か、まるで想像もつかない。ただ、納得はできた。

 このクリファに置いて最大級のギルド、『ヘカトンケイル』の副隊長なのだ。

 そして数分少々空中散歩を満喫させられ、リンはやっと着地する。

 胃の内容物が全部上ってきそうほどの気持ち悪さ。食事を取ってなくて良かった。絶対吐いてたな、これ。


「だいじょーぶ?」

「へ、へーきだから……うぷ」

「背中擦ったげよっか?」

「気持ちだけ受け取っておくよ」


 初対面時のときと接し方が真逆すぎて困る。助かるんだけどさ。

 深呼吸を一回二回。気持ちを落ち着け顔を上げる。そこは、ブレアの工房だ。


「ミスティ?」


 もしかしたら戻ってきてはいないかと思い、こうして戻ってみたが。

 やはりいない。飛び出してきたから鍵もかかっていない。不用心だけど俺にはどうしようもできないので、放置するしかない。


「……置いておくか」


 そういえばリク・ミスリルをブレアに渡しておくのを忘れていた。

 あの様子じゃ難しいかもしれないけど、俺が持っていても仕方ない。明日にでも落ち着いたブレアが素材を見て、作ろうと考えなおすのを期待するしかないな。


「いたの?」

「いや」


 後ろ手に工房から出ると、肩にハルバードを担いだリンが待ってくれている。

 空すら移動できる尋常ならざる機動力のリンに、ミスティ探しを手伝ってもらうのはいいけど、正直当てがなさすぎる。

 行きそうなところって、どこだ。


「とりあえず上から探そうよ」

「ちょ、うぐぅっ」


 強制的に肩に担がれリンはジャンプする。

 鎧が帯電発光し、ぴたりと空中で止まった。リンだけじゃなく、周囲も黄色い光線が不規則に走っている。


「重くないのか?」


 俺だけじゃなく、リュックとか装備もあるのにリンは軽々と持ち上げて、いま空中で滞空している。そもそも体格で言えば二回り近く俺よりも小さいのだけど。

 ……まぁ【叡樹の形図ルーツリー】のステータスは逆に二回り以上負けているわけだけど。


「へーき。それより探しなよ。いつまでも浮いておけるわけじゃないし。ちょっとずつ移動するから」


 ずるずるとゆっくりではあるが下降に転じていた。着地して再びジャンプ。リンは少しずつ別の場所へ移動していく。

 さて、街のどこにミスティがいるのか。

 もう捕まった、あるいは誰かにやられた。というのは考えない。意味がない。

 すべきことは違和感の探索。この街のいつもと違う様子を見つける。


「……いつもと違うとこだらけなんだよなぁ」


 モンスターの出現で街は大混乱だ。いまでこそ多くのギルドが連携し、モンスターの封じ込めと一般市民の避難誘導を行えているが、その様子も普段とはかけ離れている。

 ここにミスティが紛れ込まれると発見は困難だ。服装はわかるけど、外套でも着られていたら正直お手上げである。


「……ん?」


 気づいたのは特に混乱の大きい新市街、ではなく旧市街のほうに目を向けたときだ。

 モンスターの被害こそ出てはいるが、新市街ほど混乱はないように思える。だが気になったのはそこじゃない。


「リン」

「なになに? どしたの?」

「いつもってこの時間にロープウェイ動いてたっけ?」

「わっかんない!」


 明るい調子で即答してくれた。うん、助かる。コミュニケーションが取りやすいという意味で。


「でも、リムがおかしいって思ったんならそうなんじゃない? クー姉にもこの前直感がどうとかって言ってたし」


 その後押しも本当に助かる。

 斜面に作られた旧市街と、工業区や新市街各地へ伸びる貨物運搬用のロープウェイ。それが稼働していた。

 工業区から旧市街へと繋がる箇所だ。

 そして、あのロープウェイは確か疑似アーティファクトで動いていたはずである。

 勘違いかもしれない。この緊急時だ。何らかの理由で使われている可能性はある。

 それでも、だ。


「じゃあ、ロープウェイのほうに向かってくれるか?」

「おっけー」


 ここは、リンと【極氷フリジッド】が言ってくれた直感というものを信じてみようと思う。



―◇―



 もはや街に溢れかえるのはモンスターではなかった。

 ブロックやら、何かの金属素材、作られた武器など、ダンジョンでも見ないような非生物が動いている。

 基本的に、それらを壊しても再び結合して動き出し、倒すことはできない。

 唯一石の破片を剥がすか破壊することで倒すことができるが、数が尋常ではなかった。

 死霊騙り。そのトークンたちの侵攻は留まることを知らなかった。


「こんなにも……私たちのときはここまで多くなかったよ」


 エッセは【極氷フリジッド】とともに新市街を駆けながら、そんな感想を漏らした。


「亜種個体か、何らかの強化(ブースト)が施されているか。ダンジョン産の物質しか操れないことが幸いしているな」

「そうなの?」

「でなければ街はすでに崩壊している」


 確かに、と背筋をピンッと伸びてしまう。

 石の破片を建物に貼り付けて崩せるなら、もうどうしようもない。


「何か反応はあったか?」

「ううん、まだ何も」


 ほとんど全速力で走ってはいるがそれらしい反応はない。

 時間ばかりが過ぎていく。いち早く死霊騙りを倒さねば、街への被害は拡大するばかりなのだ。

 その責任と重圧から、脚がもつれてしまいそうになるが触手で持ち直す。

 【極氷フリジッド】に抱えてもらい街を超高速で駆け巡る、という案もあったのだが、速すぎて感知から漏れてしまえば本末転倒である。地道に、しかし早急に感知場所を拡大していく必要があった。


「トークンの感知はできないんだな?」

「うん、なんだか見えなくなるんだよね。操られてるものは」

「死霊騙りはトークンから魔力を辿らせない能力が備わっている。故に厄介だ」

「もしも見えれば、トークンの発生源とか流れ方がわかるんだけどね」

「その流れも発生源がわからないよう、独特な移動をさせているようだ」


 トークンによって逆探知がされないことも理解して、その移動をさせているのだとすれば、操っている者は相当のやり手と見なさざるを得なかった。

 そしてさらに、人と街にどんな被害が出ようとも構わない非情さを持ち合わせているのである。


「……許せない」

「…………」

「許せないよ、こんなのっ」


 何よりその犯人が帝国の人間でほぼ間違いないというのが、エッセをより憤らせる。

 しかも母が発明した疑似アーティファクトを悪用してだ。

 罪悪感と悔しさで堪らなくなる。怪我人がすでに多数出ているのは承知の上だ。だが、どうか死者だけは出て欲しくないと、エッセは願う。

 その願いを叶えるためにひたすら感知を常にフル稼働させて走った。


「……!」


 反応した。

 進行方向左。新市街の北東部。住宅密集地だ。


「いたのか?」

「多分違う、けど!」


 触手も使い、身体を飛ばすように駆ける。

 反応した場所は路地裏。敵にとっての切り札である死霊騙りがいるとは思えない場所だ。

 実際その通りだった。

 いたのは頭部の紫紺の結晶角が異常発達したクォーツボアの亜種個体。後ろ足で地面を撫で擦りながら、いまにも飛び掛かろうとしていた。

 腰を抜かしている少年へと。

 それを認めた瞬間、エッセの身体は動いていた

 触手を前方の壁へ伸ばして掴み、後方へ全力で跳ぶ。

 ギチギチと軋む触手たち。弾性を持たせたうえで限界まで引き絞るのは、さすがに激痛だった。だが、それでもだ。


「うううぅ、ああああああああああああああっ!」


 直後、伸長した触手が急激に縮み、身体を前方へと地面と平行に発射した。

 いわゆるスリングショットである。

 一発の弾丸となったエッセは硬質化した触手を纏わせた脚で、クォーツボアの角を蹴り砕き、吹き飛ばす。

 結晶角は粉々に砕け散り、紫紺の霧を撒き散らせながらクォーツボアは地面をもんどりうって二度と起き上がることはなかった。


「はぁはぁはぁ、はぁあ……大丈夫?」


 少年に向き直り、エッセは手を伸ばそうとする。触手と一緒に。


「ひっ、わ、うわぁあああああああああっ!」


 そして少年はエッセの手を取ることはなく、後方にいた【極氷フリジッド】のほうへと走っていってしまった。

 走れる。つまりそれは怪我をしていなかったということ。

 エッセはそのことに安堵してほっと溜息を吐く。

 【極氷フリジッド】が近くにいた探索者に子供を預け、死霊騙りの捜索を再開する。

 しかし、新市街を一通り回ってみたが、死霊騙りを発見することはできなかった。


「出現数の多さから新市街に潜伏していると踏んでいたが、甘かった」

「移動している、っていうのは?」

「他の団員にバレるだろう。向こうはエッセの力を知らないのだろう?」

「そのはずだよ」


 そうなると次は旧市街にまで捜索範囲を広げなくてはならない。

 すでに捜索開始から一時間近く経っている。焦りは募るばかりだ。

 先ほどの少年みたいに、逃げ遅れた一般人が襲われるかもしれないのである。

 せめてダンジョン並に感知範囲が広ければとエッセは思う。あるいはリムがいれば。


「ダメダメ、リムはリムで頑張ってる。私もやるんだ。私がやるんだ」


 頬を触手で叩いて気合を入れ直す。さらに集中して少しでも感知範囲を広げるのだ。


「エッセ。少し待て」


 しかし旧市街に入る直前で【極氷フリジッド】が足を止めた。

 虚空から氷杖を構築し、石突で地面を叩く。


「ハァハァ、どうしたの?」

「考えを改めた。少し試してみたいことがある。傍に」

「う、うん」


 エッセが言われた通り【極氷フリジッド】の前に立つと、氷杖が青白く輝くと同時に石畳に同色の線が広がり、氷晶模様の陣が浮かび上がった。


「え、え」

「落ち着いて。息を整えて」


 【極氷フリジッド】が手を取ってくる。氷のように冷たい手。それが掌から伝播し全身へと広がっていく。


「さ、寒いっ、なな、なになにをしててるるのっ?」

「感覚を共有している」


 突如、極点のブリザードの中へと放り込まれたかのような寒さに襲われた。

 襲われたというのは比喩じゃない。実際に触手の先端が凍り始めている。身体は本能的に逃げようとしたが、しかし動かない。氷像になってしまったかのように動けなかった。


「【数魔術体系】。魔法とスキルの拡張を行うための技術を習得してもらう」

「す、すすすうまじゅつ?」

「本来は習得に年単位の鍛錬が必要になるが……。【氷鏡の写し身】の感覚共有で強制的に私の思考をトレースしてもらうことにした。かなり無茶をするが耐えて欲しい」

「さ、先に話して欲しかったよぉ……ふ、ふふぅー……」

「息を吸うんだ。冷気を取り込み、身体の中心より一体化しろ」

「そ、そ、そそそうは言われててももっ」

「私の呼吸に合わせて吸って吐け」


 【極氷フリジッド】が額を突き合わせてくる。呼吸が傍で聞こえた。

 いま感じている極寒のブリザードとはまるで違う、日に照らされ虹色に輝く雪景色を眺めているような穏やかな呼吸音だ。


「すぅー……はぁー」


 明確に変わった感覚があった。

 身体の中に取り込まれていく冷気が心地いい。澄んだ空気を吸って、内側から洗われていくような清々しさだ。


「そのまま私の感覚と同調させるんだ。呼吸を、血の巡りを、微かな風に触れる肌の感覚を、そして体内を巡り行く魔力を、ダンジョンへ通ずるパスの無限の構築を」

「パスを」

「感知のスキル、あるいは魔法。その発動に至るまでのパスの活性化、辿る道全てを記憶しろ。発動の逆算を以て、新たなパスを構築するんだ。数式を変え、同一の解を求めるように。無限に広がる迷路から、新たな道を拓くように」

「新たな道……っ」


 ブチッと嫌な音が触手から響く。脚に絡む触手から血が滴っていた。

 魔法の発動に失敗したときに起きる反動だった。

 【極氷フリジッド】の魔法による冷気で出血は直ちに止められる。しかし、次々に触手から血が噴き出た。


「落ち着け。一つずつ、一歩ずつ、辿るんだ。ゆっくりでいい。引き返してもいい。すでに知っている解へ、新たな道で辿り着くんだ。そうすれば、解は同じでも意味が変わる。新たなものとして発現する」

「っ! っ……!」


 痛い、痛い、痛い。全身が叫ぶ。触手たちが悲鳴を上げる。

 身体がねじ切れるような、血管の中を棘のついた結晶が流れるような、絶叫を上げたくなる激痛。頭の奥でブチブチと何かが千切れるような音がする。致命的に終わってしまうような、恐怖が全身を支配していく。


「ハァハァハァハァハァハァハァ」


 逃げ出したい。止めたい。死にたくない。楽になりたい。痛いのは嫌だ。

 自分に才などない。【数魔術体系】など習得できるわけがない。

 【極氷フリジッド】は涼しい顔をしている。こんな地獄を味わってもなお。彼女のように自分がなれるはずなどない。

 もう無理だ。諦め――。


「貴女は自分を誇っていい」

「……え?」

「たとえ助けた者から恐れられ疎まれようとも、その者の無事を心から安堵できた自分を。その清らかな心の在り方を、貴女は誇っていい」

「……」

「そして、どのような姿となろうとも皇女としての責務を果たそうとする貴女を、私は尊敬する」


 もしここで諦め、死霊騙りを見つけられなければどうなるか。

 被害はさらに拡大し、あの少年のように、逃げ遅れる人が出てくるかもしれない。

 自国の者が災禍を撒き散らし、悲しみを増やしてしまう。

 リムのように。


「そんなの……いや、だ……! 絶対に、止めるんだ……私が!」


 思考の全てを感知の発現に至るまでのパスに費やせ。

 全ての擬態を放棄し、感知するという一点のみに全神経を注げ。


『リィィィィ――』

「玉虫色の翼にこの声……血?」


 翼が裂けて血を撒き散らす。それでも思考はぶらさない。肉体の維持は二の次。いまは新たな感知の発現にのみ力を費やす。

 考えろ。そこに至るための道筋を。

 そもそも感知とは何か。

 ダンジョンに繋がる物を見る能力だ。物理的に見えるというわけではない。新たな視界が一つ開けるといったほうが正しい。俯瞰する目が備わり、自身を中心に見渡し輪郭を浮き彫りにする。

 ではその俯瞰する目とは誰の目なのか。

 一瞬の逡巡。解は出た。

 ――ダンジョン。

 ダンジョンが見ているのだ。己と繋がったものたちを。

 故に外だと感知範囲が狭まってしまう。自分の視界しか開いていないから。

 さらにもう一つ。

 感知対象に探索者や死霊騙りのトークンは含まれない。

 【極氷フリジッド】の言葉が正しいなら、死霊騙りのトークンはダンジョン産の物質。感知の対象のはずだ。探索者もダンジョンとパスは構築されている。繋がっているのだ。

 しかし感知の対象外。何か理由があるはずだった。


『リッ……!』

「頭から血が……限界か、もう」

『!』


 エッセは触手を【極氷フリジッド】の腕と杖に絡める。決して止めない決意に満ちた玉虫色の瞳を彼女へと向けた。


「わかった、信じて待とう」

『リ』


 エッセは考える。

 【極氷フリジッド】。彼女曰く、トークンは魔力を辿らせない能力があると言った。

 つまり繋がりが断たれていると見せかける何かがある。

 魔法、スキル、モンスターの特性。石の破片。模様。文字――。

 ――【叡樹の形図】。

 探索者のステータスを示すシスターにしか読めない文字。

 それらが一種の緩衝材となり、感知の目を欺いていたのではないか。

 故に【数魔術体系】で得るべき新たな感知は、視界ではなく視認性の拡張だ。

 リク・ミスリルと一緒で知らないものを感知できないように、【叡樹の形図ルーツリー】と石の破片を感知の枠に取り込む。

 できないはずがない。たとえどれだけ欺かれようとも――。


 ――ダンジョンにはが記録されているのだ。


 その全てを見る。

 記録全てを見る目を手に入れる。


「ッ!」


 頭の先から爪先、そして触手の先端に至るまで、全身を巡るパスに弾ける魔力が駆け巡り新生していく感覚をエッセは覚えた。

 広がる。理解とともに視界が開けていく。

 俯瞰する目。ここにはないはずの目が開けた。

 そして、小さな物が移動している。坂道を下っている。

 旧市街の北西方面からこそこそ隠れるように、散り散りに下る輪郭がはっきり見えた。


「リィ――見えた。あっち、あの方角にきっと、いる……」


 全身がふらつき、【極氷フリジッド】に抱きかかえられる。


「あ……ごめん、なさい、血が」

「気にしないでいい。よく耐えた。いや、よく物にした。もし私がまだに属していたなら、学徒へ推薦していたところだ」

「ほめ、ことば?」

「最上のな」


 最上位ギルドのしかも隊長に褒められたことに、エッセは胸が熱くなる。

 しかし身体は動かせず、抱えられたままだ。しかもそのまま背負われてしまった。


「済まないが一刻を争う。詳細な位置の特定を頼めるか?」

「うん、任せて」


 【ヘカトンケイル】の第二部隊隊長に背負われ運ばれる触手の少女。

 後にこの光景を目にした探索者が酒のネタにするのだが、あり得ないと一笑に付されたのは言うまでもないのだった。


―◇―


 貨物運搬用のロープウェイから降りたミスティは、すぐに路地裏へと潜り込む。

 新市街に比べ大きな騒動とはなっていないが、応援へと向かう者やモンスターの出現に備える者と、夜にも関わらず人の目はそこら中にある。

 ミスティは東へ路地裏を経由して進む。

 自分はいったい何をしているのかと問いかけながら。その回答を得られないまま。


「?」


 旧市街中央大通りのバランストリートを横切り、路地裏に入り込んですぐミスティは異変に気付いた。

 壁が抜け落ちている。

 建物の壁を構築する、石の建材の一部がぼこりと抜け落ちていたのだ。それも一か所だけではない。何か所と。

 そして異音。

 石畳に轍を残す車輪音のようなゴロゴロとした音が裏路地に反響していた。


「どこから……上!」


 咄嗟にミスティは前方に飛び込み、轟音を立てる落下物を躱す。

 そこには石の建材が互いに纏まり球体状へと形を変えた、人間大の物体があった。

 その見た目自体はミスティの記録にはなかったが、表面についている石の破片には見覚えがあった。


「ダンジョンで私たちを襲ったあのモンスターですか」


 なるほど、この街の騒動はあのモンスターが関係しているのかと合点がいく。

 ただ、奇妙な事にその岩の塊には、無数と言える数の石の破片がついている。


『――』


 物言わぬ岩の塊はごろりと転がる。すると路地裏の壁がベコッと剥がれ、その塊の一部となった。

 転がることで体積を増やしているのだと瞬時に理解する。さらには分裂までしてさらに壁を剥がし、巨体となりながらこちらへと転がって来た。


「残存魔力での戦闘行為は無謀と判断」


 ミスティは逃亡を選択し、転がる岩球体に背を向けて走る。

 裏路地を抜けて通りに出ると、悲鳴が出迎えた。


「モ、モンスターだぁー!」

「逃げろ!」

「戦えるやつは前に――なんだ分裂しやがったぞ!?」


 人間の存在を検知したためか、さらに球体は分裂し、多方向へと散り散りになる。しかしその中でもまだミスティを踏み潰すに足る大きさの球体が迫って来ていた。


「誰か追われてるぞっ!」

「くそっこっちで手いっぱいだ! 誰かいないのか!?」


 路地を抜けて旧市街を西から東にミスティは駆け抜けていく。

 ギシギシと悲鳴を上げる左脚。それでもまだ走れているのはブレアの技術の賜物だろうと、賞賛の声を内心であげてしまう。

 もう戻れないというのに。


『――!』

「はっ!?」


 一瞬の油断。思考が現状から剥がれた瞬間を狙ったのか、回転する岩球体から剥がれて放たれた岩の弾丸がミスティの左脚に直撃した。

 転がるようにしてミスティは路地裏の外から通りへ飛び出る。


「っ、破損。関節部損傷。パス断裂。回避行動不能」


 周囲に人影はない。踏み潰されることは免れない。迎撃も不可能。潰れて終わりだ。


「――何のために私は生まれたのですか」


 ふと漏れ出た疑問に答える者はいない。

 代わりに青白い魔力の光が形を補う剣が、ヒュンヒュンッと風を切り、幾本もミスティと岩球体の間に割って入るように地面へと突き刺さった。

 岩球体は斜めに突き刺さった剣に乗って転がり、空中へと投げ出される。


「『Act1:射出せよ』」

「!」


 空中の岩球体へ複数の剣がガンガンと甲高い音を立てて突き刺さる。


「『Act4:結束せよ』」


 黒い粉末の霧が青白い魔力を伴い鎖として形成され、岩球体に絡みつく。そして火花と閃光が球体の表層と剣を通して内部へと伝播した。

 操作していた石の破片が消し炭になり、岩球体はその形を保てずバラバラになって地面に落ちる。

 そしてこの魔法の主がミスティの前に立った。

 青白まだら模様の不規則に跳ねた癖毛の髪。モンスターすら射殺しかねない黒眼。

 気怠さと苛立ちに苛まれるような整った容姿に、ミスティへの侮蔑の情が滲み出ている。

 レストラ・フォーミュラ。以前のミスティの所有者であった。


「稼働していないはずのロープウェイが動いているからと来てみれば」

「…………」

「記憶は戻ったのか?」

「少しだけ。ですが、関係ありません。もう私は彼女の元にいられないのだから」

「だから言っただろう。お前が人間と相容れることはないと」


 一切の労わりを持たない言葉が降りかかる。

 だが、ミスティは甘んじて受け入れた。その言葉が全面的に正しいからだ。不合理なことをしていたのは自分に他ならない。


「それでロープウェイまで使い、モンスターに襲われまでしてどこに行くつもりだ?」

「……あなたに、会いに」

「……なに?」

「ブレアに拒絶された以上、私に記憶を取り戻す術も意味もありません。残されたのはを理解するという使命のみ。それを可能にする存在は、私の記録にはあなたしか残っていませんでした」

「理解して言っているんだな? その身体を捨てる、その意味を」


 折れてしまった左脚を見る。それはもう戻らない。


「……一つだけお願いが」

「なんだ」

「『万目睚眥』アルテイシア・ピューピアに、ブレアとの契約を無効にするよう働きかけてもらいたいのです」


 レストラが明らかに不愉快の色を示したが、熟考するように目を閉じる。


「いいだろう。それによって生じる多少のペナルティは俺が背負ってやる」

「感謝致します」

「チッ」


 レストラがミスティの前に膝立ちになる。


「コアを抜く。気が変わって逃げられては困る」

「……構いません。私は、【イェソド】は人と関わり過ぎました」


 レストラが手をミスティの胸元へ伸ばした。


「このボディの放棄を以て全ての記録を消去し、物言わぬ人形として、人間を観測します」


 そして胸元に手が触れそうになる。

 そのときだ。


「ミスティィィィィィィィィィィィィィィ!」


 稲妻が飛来する。

 ブレアからもらい、たったいま捨てた名を呼ぶ声とともに。

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