038:なりたいもの


 モンスターの最初の出現は日も眠りに落ちた頃。じいさんを病院に連れていったのとほぼ同時刻だそうだ。

 新市街の各所で同時多発的にモンスターが出現し、破壊活動を開始したとのである。

 当然街はパニックに陥った。探索者の街、世界最大のダンジョンを擁する街と言えど、非戦闘員の一般人は星の数ほどいる。誰もがモンスターに慣れているわけではない。

 何なら探索者の数と質から、世界で最も安全な場所とまで言われている。

 故に街でモンスターが暴れ回るなど、誰も想定していないのだ。

 パニックは瞬く間に新市街を駆け巡り、旧市街にも上っていった。それを追いかけるようにモンスターの被害報告が各地から届くようになったのである。


「捕捉済みだったモンスターは活動と同時に始末したのだが、あの厄介なモンスターは捕捉できていなかった」

「死霊騙り」


 モンスターの死体のみならず、非物質なら操ることのできる第四階層以降に稀に出現すると言われているレアモンスター。

 俺たちと戦った一体だけじゃなかったということだ。


「各ギルドに死霊騙りのトークンの対処法の通達、及び一般市民の避難は開始している。が、死霊騙りを倒さなければこの事態は収束しない」

「あるいは死霊騙りを操っているであろう“顔のない女”を見つけ出す、だね」


 【極氷フリジッド】は頷いた。

 悲鳴こそ聞こえなくはなったが、戦闘音は街にまだ響いている。

 病院前にはギルドの探索者が防衛につき、先ほどから怪我人が何人も運ばれていた。


「だが、エッセの力を考慮するなら死霊騙りを優先すべきだ」

「うん」


 ただそうなると。


「リム、ミスティは」

「それなんだよな」


 俺は頭を掻いて腹に溜まった不安ごと吐き出す。

 ミスティ個人を捜すためだけに、この街の惨状から目を逸らすなんてことはできない。

 けど秤にかけるのは違う。


「【極氷フリジッド】。あんたを信頼してエッセを預けてもいいか?」

「君は?」

「ミスティって名前のエッセに似た、けど敵じゃないやつを捜さないといけない」


 もはや隠している場合じゃない。すでにミスティの存在は把握済みだろうけど、ここで誤魔化すことは誠実さに欠ける。

 【極氷フリジッド】は目を閉じ、逡巡したかと思うと蒼白の瞳で肯定した。


「非常事態だ。我々の監視下という名目があればテイマーが傍にいなくとも罰せられることはないだろう。引き受けよう。ミスティの容姿は知っている。我々の隊に限るが、該当するモンスターに関しては殲滅ではなく捕獲に切り替えておく」

「助かる、本当に」


 【極氷フリジッド】が杖を振ると、氷柱が天高く伸びた

 いきなりなんだと思ったが、突如雷が氷柱に沿って落ちた。

 砕け散った氷柱の下に降り立ったのリンダ・トゥリセだ。


「なになにクー姉、どうしたの?」

「別命だ。もの――人探しをしてもらう」

「わたし、人探しよりもモンスター狩るほうが得意だよ?」

「お前はやり過ぎる。街を破壊しかねないだろう」

「はぁい。誰を捜すの?」

「以前、リム・キュリオスたちと行動を共にしていたときにいた人形の少女だ」


 そこでようやく俺たちの存在に気づいたらしい。リンダ・トゥリセは愕然とした様子を見せると、【極氷フリジッド】の後ろに隠れた。


「何をしている、全く」

「いや、だって……」


 どこかいたたまれない様子のリンダ・トゥリセ。気まずそうに目を合わせて来ない。

 しばし逡巡して、感電させられたことを思い出した。

 それが気まずいことに加え、【極氷フリジッド】にもバレたくないことであるらしい。


「あーっと、さっきはリク・ミスリル探し助かったよ、リンダ、じゃないリン」


 と呼びかけた瞬間だった。空気が凝結した。エッセを除く動いていた誰もが固まった。

 なんだこの空気。


「【巨人墜ネフィリム】の野郎、トゥリセ副隊長を愛称呼びしやがった!?」

「新人は隊長を真似てその呼び方して半殺しにされたんだぞ!?」

「というかそもそも部外者の癖に私たちの隊に混ざってるってどういうことなの?」


 なんか固まった人たちがコソコソ話をしているけど内容までは聞こえない。

 リンダもそうなのか気にした様子はなく、しかし「う、うん」とだけ答えた。


「て、照れ顔キター!? 隊長にしか見せないと言われている年相応の幼女照れ顔!」

「俺たちにはガンしか飛ばさないのに!? 照れ顔もらえるとか何したんだあいつ!?」

「何もしかして実は生き別れの兄妹だったとか? 実は部外者じゃない?」


 またコソコソ話がされていたけど、【極氷フリジッド】が杖で地面を突いたことでまた時は動き出した。


「リンをお前に同行させる。脚を使え」

「いいのか?」


 リンに聞くと、おずおずと【極氷フリジッド】の背から出てきた――と思った瞬間には眼前に迫ってきていて、壁際まで追い詰められた。

 あまりに速すぎて指を動かすことすらできなかった。

 俺をしゃがませ、リンが耳打ちしてくる。


「そ、それでさっきのことチャラにしてくれる?」

「さっきのこと?」

「し、痺れさせたこと……」

「元から怒っちゃいないけど。不可抗力だろ?」


 リンは目をぱちくりと瞬かせたかと思うと、口元がぐんにゃりと緩んだ。

 笑うのを抑えようとして、しかし抑えきれなてないといった感じだ。


「しょ、しょーがないなー。クー姉の命令だし、わたしがあんたの足になってあげる」

「ありがとう。エッセ!」

「うん!」


 エッセは頷く。ここからは別行動だ。それぞれの目的を果たすために。

 俺はミスティを見つけ出す。

 エッセは死霊騙りを見つけ出す。

 なんだか復帰してから色々と探してばかりだけど、それがなのだろう。

 俺たちは互いに背を向けた。



―◇―



 院内に侵入したモンスターを撃破したリムたちは外に行ってしまった。

 ブレアは俯いて、奥歯を噛み締めた。

 動けない。自分にも戦う力はある。何かしないといけないのに。

 目まぐるしい感情が胸の内で渦巻いて、肉体と乖離してしまっている。理性はこの状況を由としていない。目の前で起きたことも、ミスティのことも。

 けれど感情が足枷になるのだ。あんなことをしたミスティを許せないと。感情の赴くままに吐き出した言葉が泥なって絡みついて、叱責するように囁いて殻を作ってしまう。

 動けない。動きたくない。


「あの、もしかして、ブレアさんですか?」

「……?」


 顔を上げるとしゃがんで顔を覗き込む少女がいた。

 髪型は栗色の前下がりボブ。ふんわりと気の抜けたような、どこか垢抜けない顔立ちだが明るい栗色の瞳は意志の強さを放っている。

 山吹色のローブの弛みを正しながら、少女は頭を下げた。


「やっぱりそうですよね。あの、ご気分が優れないのですか?」


 誰かはすぐに思い出した。

 アスハ・フソゥ。直近で自分が手掛けた義足を購入してくれた探索者だ。


「いえ、大丈夫です。確かお仲間の人たちと一緒に来てくれた人ですよね。『この全財産で一番イイモノを頼むぜ!』っていきなりやってきて」

「お、お恥ずかしいです……先に紹介状をお渡しすべきでしたのに」


 残念ながら中堅どころの性能も買えない予算だったのだけど。

 しかしそこは腕の見せ所。高額化しやすい素材を見直し、人工皮膚をカットすることで性能は落とさずどうにか予算内に収めた。


「その後は義足に問題ないですか?」

「はい。この通り、もう自分の脚みたいに動きますよ」


 アスハが隣に座ってローブの中から鈍銀の義足を出し、伸ばしたり曲げたりを繰り返す。

 表面は細かな傷こそ着いてはいるが、光沢は新品とほとんど変わらない。毎日のように磨いているのだろうとブレアは思った。


「もう少し私の力が及べば、人工皮膚も用意してあげられたんですけど……」


 彼女のあの仲間たちが奇異の目で見ることはないだろうけど、アスハは女性だ。少しでも綺麗でありたいと思うはず。無骨な義足が足を引っ張ってしまわないか、気になっていた。

 しかし、アスハは慌てたように頭を左右に振る。


「いいえ! 私には十分すぎるくらいの義足ですよ。それに、これでも実は予算オーバーしてますよね?」

「そんなことはないですよ」


 と言いつつ実は予算オーバーしていた。

 けれど、彼女達がまだ駆け出しの探索者であったことと、仲間想いの尊さについ張り切ってしまったのだ。どっちの仲間とカップリングするのだろう、と邪な感情を抱いてもいたが。

 何より、祖父の影響だ。

 祖父が旧市街で店を開いているのは、ギルドの高価格帯の装備やオーダーメイドに頼れない駆け出しの探索者たちのためだ。

 あと少し剣が斬れれば、あと少し鎧が堅ければ。無茶しがちで、些細なミスで命を落としてしまう探索者を少しでも減らせるよう、なるべく安価で高性能な装備を売ろうとしているのである。

 そのための鍛錬をいまも常に続けているのだ。ギルドに属せば、すぐにでも名声を上げられる実力があるというのに。

 当の本人はそのことを一切認めないが、そこがカッコいいのだと幼い頃からブレアは思っていた。

 自分はそれをただ真似ているだけに過ぎない。


「それにブレアさん、私に似合うようにこれを綺麗にしてくれましたよね」

「え?」

「ほら、ここ。脛とふくらはぎのところとか。他の人のはもっと角ばった感じなんですけど、丸みがあって女性的で。初めて見たときとっても綺麗だなって思ったんです」

「それは……」

「着けて鏡を見たらびっくりしちゃって。私の脚と瓜二つで。色以外もう私の脚だ! って思っちゃいました」


 アスハが両手でブレアの手を包み込み、顔の前に持っていく。


「ありがとうございました。ブレアさんのおかげで、義足を付けるのが怖くなくなりました」

「怖く?」

「はい。ちゃんと動くのだろうか、とか。変な目で見られたりしないかとか。嫌な事ばかり考えちゃったりしたんですけど、私のために義足を買ってくれた皆や、これに込められたブレアさんの思いやりを思うと、怖がるのが失礼っていうか、バカバカしく思えちゃって」


 いまは堂々としているとアスハは話す。

 ローブであんまり外からは見えないのだけれど、とオチをつけて。


「思いやり……」


 ブレアは唇を引き絞る。

 自分にそんなものあるのだろうか。

 あれだけ啖呵切ってミスティを助けると宣っていたくせに、いざとなれば怖くなり切り捨ててしまったというのに。

 結局、自分は祖父への憧れからただ真似ていただけに過ぎないのだ。

 祖父に認めて欲しかったのだ。

 もうあなたと同じように立派にできるのだと。


「……ああ」


 いまさら自覚した。

 ミスティを助けようとしたのも、祖父に認めてもらうためだ。

 この難題を一人で解決したのだと、言い張るためだったのだ。

 そうでないなら、最初から祖父に助けを求めていたはずだ

 義肢製作もそれ以外の全ても何も、一人の力でできることなど限られているのだから。


「ブレアさん!?」


 驚いたアスハに、自分が泣いていることに気づく。

 拭っても拭っても止まらない。しゃくりあげるのを、声を漏らしてしまうのを、唇を強く噛んでどうにか抑えることしかできない。

 悔しい。苦しい。恥ずかしい。

 己の未熟さと無知さ加減に嫌気が差す。

 何よりそこまで自覚してもなお、動くことのできない自分に。


「ちょっとマウアーさん! あなたさっきまで気を失っていたんですよ!?」

「治った。儂なんかよりベッドを必要としてるやつはいるだろ」

「お、おじいちゃ、ん」

「すまんね、嬢ちゃん。儂らはもう帰るよ」

「あ、はい。では私もこれで。ブレアさん、よろしければ今度お茶しましょう」


 礼儀正しく頭を下げて去っていったアスハのことはもう頭にない。

 腕を組んで不動然として立つブラックのことだけだ。

 目が覚めたことは嬉しい。だが何を言えばいいのかわからない。祖父の言った通り面倒な事態になってしまったのだ。

 もうやってきたこと全てが間違いな気がして、何もしたくない。


「ほら帰るぞ、ブレア」

「だ、ダメだよ。おじいちゃん、意識失って倒れてたんだよ? それに外はモンスターが出てるみたいだし、やばいんだって」


 腕を取られブレアは半ば強引に引っ張られていく。病み上がりであるのにもまるで腕を払えない。


「ふん、こんなもんマンティコアの毒にやられたときに比べりゃあ大したことねぇ。それにさっさと工房に戻ってやることがあるだろうが」

「え……」

「あの人形の義肢、作るんだろ」

「……なんで」


 あれほど反対していたのに何故今頃になってそんなことを言うのか。

 病院の外へ。街中を出歩くのは危険だと【ヘカトンケイル】の団員が止めにかかるが、それを押しきってブラックは工業区のほうへ向かう。


「悪かった」


 前を向いたままブラックが呟くように、その小さく見える背中から聞こえた。


「お前はもう子供じゃなかった。あの嬢ちゃんを見りゃあわかる。ああ、儂は見ようとしていなかったんだな。お前を、お前が作り出した物を」


 振り返るブラックの目に余計なものは宿っていなかった。

 ただ、対等な相手を見据える強い目。ずっと切望していた職人の目だ。


「お前はもう立派な職人だ。一人前のな」

「っ、違う、違うよぉ……」


 だからこそ違うと言わねばならなかった。

 まだ己はその域に達してなどいない。尊敬する祖父と肩を並べるような存在ではない。

 この大きな背中を遠く見上げることしかできない。

 そう思うと感情が決壊した。あれだけ泣いたのに、まだ涙が零れてくる。


「あたしはずるいんだよ。おじいちゃんに認めらたくって、ミスティを利用したのっ。おじいちゃんに助けてもらうべきだったのにっ……!」

「自分で気づけたならお前はやっぱ立派だよ。自慢の孫娘だ」

「ッ! でも、でもぉ、またあんなことになったら、怖いのっ。あたしのせいでミスティがおじいちゃんや皆、他の知らない人たちを傷つけたらって考えたら」

「だったら責任持ってお前が止めてやれ」

「え」

「生み出すもんを、助けることを否定すんな。そいつは職人が一番やっちゃいけねぇことだ」


 ブラックが足を止め、真っすぐこちらを見つめてくる。

 厳しい職人の目であり、優しい祖父の目でもあった。


「止めてやれ、友達なんだろ」

「あ」

「お前は儂のように口下手でもねぇだろうが。んなとこまで真似しなくていいんだよ」


 ――お前はお前のなりたいようになれ。

 その言葉に引っ張られた気がした。横に並び立たせられた。

 世界が開けた気がした。


「口下手も真似すんなら、土産でも用意するしかねぇよな」

「……手伝ってくれるの?」

「最初で最後の共同作業だ。置いてかれんなよ?」


 祖父がにぃっと笑うのに応え、ブレアも涙を拭い虚勢混じりに強かに笑う。


「おじいちゃんこそ、義肢製作はあたしのほうが先輩なんだから置いてかれないでよね」


 迷いは晴れた。怖さはある。

 だが。だからこそ話そう。

 言葉を尽くそう。知ってもらおう。

 ミスティは人を理解したいと、自分を理解したいと言ってくれたのだから。

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