037:燃える新市街


「私たちがいない間にそんなことが」

「……ごめん、なさい……もうどうしたらいいか、わからない」


 膝に肘をついて顔を手で覆い隠すブレアに、いつもの快活な少女らしさは見る影もなかった。

 広い待合室を治癒士や看護師が忙しなく行き交っている。そんな周囲の空間から切り離されたかのように、重々しい空気が俺たち三人の間で流れてしまっていた。

 ブラックのじいさんが無事だったのだから、次はミスティを見つけ出さないといけないのだけど、まるで当てがない。

 ただこの状態のブレアに探すのを手伝ってもらうわけにもいかない。

 あのとき無理にでも一緒に帰っていれば。いや、後悔はあとだ。


「ブレア、ミスティの行きそうな場所知らない?」


 惑っているうちにエッセが聞いてくれた。こんなときの思い切りの良さは本当に助かる。


「……知らない」

「もしかしたらって場所でもいいの。捜すのは私たちがするから」

「捜してどうするの? あたし、もうできないよ。だって……怖い。ミスティのことが怖いの。どうして平気な顔して、あんなことできたの? おじいちゃんに、あんな」


 行動だけで見れば、反対するじいさんを黙らせるためにその力で無理矢理操ったと取れる。実際間違っちゃいないんだろう。

 ただ、その行動を選択するという結論に至った理由がわからない。


『そいつと俺たちはまるで違う。相容れることはない。いつか後悔するだけだ』


 レストラの言葉が頭の中で木霊する。

 確かにそうだ。俺たちとミスティは違う。内面が人間のエッセとだって違う。

 それでも、だ。

 ミスティが誰かを無為に傷つけるようなやつじゃないってのは、今日までで十分すぎるほどわかっているのだ。


「ミスティのことをどうするかは、ブレアが決めることだ。俺は口出ししない」

「リムっ」


 反論しようとするエッセに手を上げて静止して、俺は続ける。


「だけど、その選択肢を残せるように俺たちはミスティを捜しに行く。異論ないよな?」

「……好きにすれば。何をしたらいいのか、わかんないんだもん」

「ブレア……」


 ブレアの丸まった背をエッセがその手と触手で擦る。

 こんな状態のブレアを置いていくのは気が引けるが、ミスティを放ってはおけない。

  “顔のない女”に狙われているのだ。


「エッセ、とにかく街を周ろう。もしかしたらステルスを解いてるかもしれない」

「うん」


 エッセは後ろ髪を引かれる思いだったろうけど、一緒に立ち上がる。

 気づいたのはそんなときだ。担架に乗せられた怪我人が待合室の奥へと運ばれていったのだ。

 見知った顔だった。


「マブさん?」

「え、どうして! マブさん大怪我してたよ!?」


 怪我。事故? いや、馬車に引かれたとかそんな感じじゃない。

 俺にはひっかき傷が見えた。


「なんでマブさんが」

「待って待って、さっきからいっぱい人が運ばれてってるよ」


 担架で運ばれる人だけじゃない。そもそも待合室に訪れる人が増えていた。

 しかも怪我人ばかりだ。その対応のためか、治癒士や看護師たちが忙しなく動き回っており、よく通る声が響いていた。

 どうなっている。もう夜だぞ。いや、ここがダンジョン横の【アスクラピア】ならわかる。だけどここは新市街だ。こんな夜に怪我で大勢の人が運ばれてくることなんて。


「わぁあああああああああああっ!」

「きゃあああああああああああっ!」

『グエェェッ! グエッ、グエッ、グエッ!』


 響いた悲鳴とともに、奇怪な鳴き声が待合室を走った。騒がしかったこの場所が一瞬で静まり返る。誰もが、その声の主に視線を向けた。


「おいおいおいおい、ここ病院だぞ。地上だぞ?」


 地上、特に探索者ひしめくクリファではまず見るはずのない異形が、そこにいた。

 翼のない胴体と発達した脚部。穿孔力に特化した巨大なクチバシを有する頭部。

 ぐるんぐるんと頭部は回り、ぎょろりとした目が全方位を見渡す。あまりにもアンバランスな見た目で、嫌悪感しかもたらさない怪鳥。


「我ら以外の探索者はおらぬか! この物の怪、幾ら刺しても止まらぬっ!」


 怪鳥は胴体に深々と突き刺さっている剣にまるで意に介した様子がない。


「まさか、死霊騙り?」


 すでに戦闘していた二人の探索者が武器を手に取り、斬りつけ殴り飛ばすも怪鳥はものともしない。それどころか片脚を軸に、発達した脚部の鉤爪を器用に振り回しながら回転し、探索者たちを弾き飛ばしていく。

 そしてそのまま、待合室にいる逃げ遅れた怪我人のほうへ向かった。


「そ、そいつをゆかせるな……!」

「誰でもいい止めてくれっ!」

『グワッグワッグワァッー!』


 迫ってくる怪鳥の巨躯。それを【無明の刀身】で作った大盾で受け止める。

 が。


「ぐ、重っ……!」


 全然踏ん張れない。それどころか。


「うぐっ、盾にヒビが! エッセ!」

「ふっ!」


 足払いの触手の鞭。だが、僅かに身じろぎしただけで怪鳥は倒れなかった。

 あのエッセの触手を弾き返すほどの強靭な脚。まずい耐えきれない。


「!?」


 力が弱まった? いや、違うこの感じ!

 大盾から手に響く衝撃。亀裂すら遅れて盾から生えたクチバシが俺の頬を掠めた。

 ただの一撃でこの貫通力。顔面への直撃を躱せたのは、痛みで仰け反っていたおかげだ。


「リム!」

『グッグッ!』

「あぅ!」


 俺の盾を軸に回転して、エッセを蹴り飛ばした!?


『グワッー!』


 間髪入れず放たれるクチバシ乱打。脚によるスキップも交え、大盾は一瞬で根こそぎ削られてしまう。

 激しいダメージのフィードバックに視界が白く明滅する。俺の顔面を貫こうとするクチバシに、エッセが伸ばした触手を絡めて止めようとするが、振り回されて地面に叩きつけられた。


「エッセ!」

「だい、じょうぶっ! 離さないんだからっ!」

「ッ!」


 突き刺さったままだった剣の柄を取り、捩じりながら怪鳥を筋力ステータスの総動員で持ち上げ、そのまま待合室の壁に押し付け剣で縫い付ける。

 その傍にまだ人が残っていた。


「立て! 早く逃げろ!」

「ひっ、ひいっ!」

「頼むエッセ!」

「うん!」


 腰が抜けて動けない人をエッセが抱えて離れる。だが直後、触手の拘束を逃れた怪鳥の反撃のクチバシが飛来した。

 その一撃は間一髪ガントレットで防いだけど、片手じゃあこいつを抑えきれない。


「く、っそ……!」

「いまだ止めろ止めろっ!」


 元々戦っていた探索者たちも覆い被さるように怪鳥に剣を突き刺し、壁へと縫い付けてくれた。

 しかし、それでも一向に止まらず暴れまわる。


「誰かこいつの身体を見てくれ! どこかに妙な石の破片があるはずだ! それがこいつを動かしてる!」

「!? あるぞ! 右脚の付け根内側!」

「助かる」


 俺は怪鳥を縫い付ける役を二人の探索者に任せ、突き刺さった剣を軸に身体を中空へ逆さに立つ。


「〈ナーマヴェルジュ〉」


 盾すら貫通する一撃。熱は充分だ。

 ガントレットより創出するは燃え立つ赤き波状剣。

 全体重を赤熱する〈ナーマヴェルジュ〉に預け、怪鳥の胴体へと深々と突き刺した。


『グ、ガッ……』


 切っ先より伝わる、骨とは違う硬い感触。

 手ごたえありだ。

 身体がバラバラに崩れ落ちていく怪鳥とともに尻餅をつく。

 〈ナーマヴェルジュ〉の切っ先を見ると石の破片に突き刺さっていた。それもパキリと割れて崩れ落ちる。


「はぁ、はぁ、ふぅー……」


 怪鳥に復活の兆しはなく、代わりに待合室を歓声と拍手が響いた。

 万雷とは言わないまでも、迎えてくれる声は好意的でなんというかくすぐったい。


「な、なんなんだ、急に……?」

「見事な立ち回りであった故、当然であろう。だが驚きはせぬ。【巨人墜ネフィリム】であるならば」

「じゃあ、あの紫のモンスターは……。ぶはははっ、なるほどそうかお前たちが!」

「あ、ああ、ありがとう」


 大柄な男に両手を取られ無理矢理立ち上がらさせられる。

 豪放磊落な風体の大男はにぃと笑みを浮かべ、口調が独特な端正な顔立ちの男は目礼してきた。

 エッセは、向こうで助けた人に全力で頭を下げられていた。少し照れたように困っていて、こっちに気づくと嬉しそうに小走りで駆け寄ってくる。


「お、お礼言われちゃった。えへへ……あ! リム大丈夫?」

「大丈夫。けどなんでモンスターが」

「仔細はわからぬ。が、街のあちこちで騒動が起きているようだ」


 男たちに続いて病院の外に出ると、目を疑った。

 まず聞こえてきたのは悲鳴。それに混じる怒号と金属がかち合い、魔法が炸裂するような音。

 そして、街のあちこちで魔石灯ではない灯りが暗夜を焦がしていた。

 入れ違いで病院に殺到する怪我人たち。


「待て待て、だからここ地上だぞ、どうなってんだ」

 

 どこからともなくモンスターが発生するダンジョンじゃない。

 ここクリファが探索者の街と言えど、全員が全員そうであるわけじゃない。モンスターと戦えない者は子供や老人を除いても多くいる。

 新市街となれば、諸外国からの来訪者も多いはずだからなおさらだ。


「リム、これってもしかして」

「だ、誰か! 助けてくれ! モンスターが!」


 逃げる住民たちから続いて路地から飛び出してきたのは、エレメンタル種に似た、非生物のモンスターだった。

 だけど周囲を浮遊する魔石はないし、あれはどうみても街の建物の石ブロックだ。石ブロックが合わさって人間大の塊になっている。

 それに剣だけでなく、包丁やただの鉄の棒まで浮遊して、こちらに迫ってきていた。


「付喪神か、奇怪な。先のようにに、石の欠片を砕けば良いのだな?」

「問題ないけど」

「あの数は厄介だぜぇ」


 もしもさっきの怪鳥のような強さだと止め切れない。背後には病院。すでに怪我人も殺到している。

 まずは〈ナーマヴェルジュ〉で気勢を削いで、アンカーで止めるしか。


「む。なんだ、寒気が」


 男が呟いた瞬間だった。

 浮遊し迫って来ていたモンスターたちの動きが時を止めたようにその場で硬直。そのまま地面へと落ちたのだ。

 そしてモンスターたちの中心から、白い霜が広がり、その全身を侵食するように氷の花を咲かせ、周囲の地面ごと凍らせる。

 満開になった花が散り行くとともに、モンスターたちはダイヤモンドダストとなって夜空に掻き消えた。

 掻き消えた白塵の中から現れたのは白い氷の君。

 【極氷フリジッド】ことクーデリア・スウィフトだった。


「ヴラコス班は病院の警備。キャリコ班は周辺地域の哨戒。モンスターは発見次第殲滅しろ」

「了解」

「りょーかい」


 引き連れていた【ヘカトンケイル】の団員たちが分かれて散っていく。

 それを指示した【極氷フリジッド】はまっすぐこっちに来た。


「うぉおっ、マジモンの【極氷フリジッド】。倒せねぇモンスターどもを一瞬で」

「流石の圧であるな。……【巨人墜ネフィリム】」

「な、なに?」

「姫との合流を果たさねばならぬ故、礼はいずれまた。挨拶もその折に」

「姫? 礼?」

「ガハハ、じゃあな、リム・キュリオス! 男らしい良い戦いっぷりだったぜ!」


 それだけ言って名乗らず男たちは病院に戻っていった。

 残された俺とエッセは明らかに戦闘モードというか、尋常ならざる凍り付いた気を放つ【極氷フリジッド】に真正面から相対せざるを得なくなった。


「リム・キュリオス。先刻伝えた通り、エッセの力を借り受けたい」

「じゃあやっぱりこの状況」


 【極氷フリジッド】は頷き、冷徹に告げる。


「“顔のない女”が動き出した」



―◇―



 街中に伝播しつつある騒動を、ミスティは遠くから聞いた。

 旧市街南西。ステルスモードを維持しつつ人目を避けて身を隠しながら、ようやく旧市街まで来ることができた。

 だが人通りは増すばかりで、なかなか進めない。聞き耳を立てたところ街中でモンスターが出現したらしく、その討伐に多くの探索者が出張っているためだとわかった。

 それに加えて明らかに殺気立っている。見つかればただでは済まないのは確かだ。


「……いまさら隠れたところで。ボディの回復は望めないのです。いずれ朽ちるか、いま朽ちるかの違いでしか」


 思考がザラつき、ノイズが走った。

 義肢がギシギシと悲鳴を上げる。ブレアに作ってもらった義肢が。


「パスの情報の混線に過ぎません。ダンジョン落下時の損傷が原因でしょう」


 修復。修復。修復――修復不可。

 義肢に不調は見られない。ブレアが行ったのは応急修理のみのはずなのに。

 ならば何故。

 何故この腕は、脚はいま来た道を戻ろうとしているのか。


「ダメです。私はもうあそこには戻れないのです」


 絶対的な拒絶。自身の立つ場所が、崩落して空虚へと投げ出される感覚。幾らもがいても、手を伸ばそうともどこに届かず延々と落ちていく。

 己が何なのかわからなく、筆舌にし難い不安があった。


「何故、私は無条件で彼女に受け入れられていたのでしょうか」


 わからない。


「何故、それが永遠のものと錯覚してしまっていたのでしょうか」


 わからない。


「何故、私は拒絶されてしまったのでしょうか」


 わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。

 わからないことが致命的なのだということだけはわかる。


「くそっ、モンスターどもめ。こっち来たらぶっ殺してやるぜ」

「っ」


 路地裏の先で声がして、ミスティは慌てて陰に身を隠す。幸い見つからずホッとしたが、何故と再び反芻することになった。

 戻る場所のない自分に行く場所はない。己を必要とする者はいない。

 残されたのは人間を理解するという使命のみ。


「理解? 私が? ブレアのことを何一つわかっていないというのに?」


 ダメだ。もうダメだ。考えたくない。わかりたくない。

 叶うならもう一度、全て真っ新に。ボディ全てが軋むこの記憶を消し去りたい。


「消す……」


 ミスティは路地から顔を出して、夜空を見上げた。

 塔があった。

 斜面に作られた旧市街の中で荷物を運ぶために作られた貨物運搬用のロープウェイ。

 その中継駅ともなっている塔で、旧市街の他、工業区や新市街にも繋がっている。


「……」


 ミスティは歩き出す。

 この胸の不調を消し去るために。

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