035:銀スライムと稲光
リク・ミスリルの採掘ポイントがどこか。
第二階層の探索中にもずっと考えてはいた。
まず基本的にリク・ミスリルが採掘できるのは第四階層から。より深く潜るごとに採掘ポイントは増え、発見率も高くなるそうだ。
ただし鉱石素材の採掘ポイントは複数ある候補地からランダムで出現する。しかも稀少性の高い素材ほど、採掘ポイントと候補地の数が反比例……つまり、候補地の多さに対して出現数が少なくなるそうだ。
それは人間が入り込むことのできない場所も当然含まれる。
第一階層で言うなら上層下層の間。つまり落とし穴の中や天井部分などがそうだ。
そして、リク・ミスリルの厄介な点は液体であるということ。
鉱脈内部に埋まっていることもあれば、外的要因などで散ったり流されたりすることもある。
それを含めた考察をアシェラさんはしてくれていた。
『第一階層の川は不規則な流れを形成しており、迷路構造の変化によってその流れも変化する。ただし、そのいずれもが必ず一つの始点を持つ』
一つの始点。
考えてはいた。何故十年もの間、もっと言えばそれよりも長い間ずっと、第一階層でのリク・ミスリルの報告例がなかったのか。
第一階層はほとんど探索され尽くしている。第二階層に行くのに寄る必要のない隅のほうも、鉱石掘りのためなら行く者はいる。
そんな彼らでも行かない場所。
行く必要がないと、探索者の間で周知された場所。
「え、ここ探すの?」
眼前に広がるのは、広大な地底湖。
その中心に鎮座する、天井の大穴から溢れ落ちる膨大な水を浴びる巨大な建築群。
【水上都市】。
第一階層では二つしかない大部屋(ハウス)のうちの一つだ。もう一つはこの真下。ここと鏡移し構造となった【天蓋都市】である。
「ここってなんもないとこじゃないの? クー姉も行くだけ無駄だって言ってたし。暗いし狭いし素材もほとんどないしモンスターの不意打ちくらいやすいからって」
一時的にパーティに入ってくれているリンダ・トゥリセが、ハルバードを首の後ろに回して持って左右に揺れる。
探索を円滑にする名目で来てくれたけど想像以上だった。モンスターが出現した瞬間にはもう決着がついているから、歩みを一度も止めずに上層のここまで来れたのである。
頼もしいったらありゃしない。
「うん。だからこそここを探す。誰も探さなかったから見つからなかった、って考えるのが一番自然だと思ったから」
「灯台下暗し、ってやつだね」
「トーダイモトクラシー?」
落とし穴や構造上入れない場所も考えた。
だけど、そこだとそもそも見つけようがない。
「ってなわけでエッセ」
「うん。感知能力を広げるね」
俺の手をエッセが触手と一緒に握る。
集中。息を整える。意識を左手へ。己の魔力の循環をより濃く意識する。
第二階層ではエッセの能力を広げさせることができた。そのときはミスティもいた。
あのときは何を話したか。
そうだ。【フラクタルボーダー】とミスティは口にしていた。
ここは【フラクタルボーダー】だと。
その言葉が意味するところはわからない。
けれど繋がっている間の感覚は覚えている。
最初は苦しかった。息の出来ない場所に、泡沫が彩る深淵の底に放り込まれた気分だった。己という形が溶けだして消えていく、恐怖を抱く感覚だった。
景色だけならいまも変わらない。
だけど、ミスティは教えてくれた。
隣にはエッセがいると。
繋がっていると。
そう自覚した瞬間、エッセの玉虫色の瞳が目の前にあり、俺の意識は確固たる形を持った。
恐れは消えて、苦しみは安らぎへ、冴えわたる感覚が全身を満たした。
何もかもが拡張されていくような万能感。
そして泡沫の世界に、白い光が形を成しかけて――。
「視えた」
思考は現実へ戻る。
エッセが目を見開いて、【水上都市】の方角を見ていた。
「あったよ、リム! あった! あんなところにあったよ!」
指さす先は【水上都市】、ではなくその斜め下。地中。いや、もしかして。
「【天蓋都市】にあるのか?」
「うん! 二つは繋がってるから、行けるよ! 見つけられる!」
「……これ、わたし必要だった?」
一発目で見つけたことに、リンダはどこか不満げに口を尖がらせるのだった。
―◇―
「人間ランタン……」
「んー? 抱きついたげよっか?」
「ごめんなさい」
先導するリンダの鎧はパチパチと黄色い火花を散らせながら発光し、真っ暗闇な【水上都市】の中を明るく照らしていた。
「ふんっ。でもあんまり離れないでよ。モンスターの不意打ちから守れなくなるから」
「リンちゃん優しいね」
「あ? 何よ、スライム女。変だっての? ってかリンちゃんとか子ども扱いすんな」
リンダの滲み出る怒気に対して、エッセは笑顔で返す。
「変じゃないよ。でも、リムのために着いてきてくれたんでしょ? いまだって守るって言ってくれたし。だけど不思議だなぁって。どうして?」
「……」
リンダが俺を見てくる。睨みつける、とは違う。つぶさに観察するような、怖くはないけど少し居心地が悪い。変に緊張する。
「リム・キュリオスの故郷って、どこ?」
「故郷?」
「ユグか?」
「確かユグって北の大陸にある地方名だよね」
「なら違う。俺はクリファからだと南西にある小さな村の出だから」
「じゃあ昔家族がユグにいたとかは?」
リンダは何故か必死に見えた。知りたくてたまらない、あるいは答えに縋っているかのような。
「悪いけど、村はおろか家族だって死んでもういないんだ。知りようがないよ」
「…………家族、いないの?」
「うん」
「……」
帝国に殺されたから。でも、そこまで話す必要はないだろう。
エッセの前でしたい話題でもない。
「……ごめん、なさい」
「え?」
零れた声はひどく揺れていた。しゃくり上げる声音に俺はぎょっとした。
「な、なんで泣く!?」
「ひくっ、だ、だってぇ……わたし、酷いこと言ったからぁ」
「ひ、酷いことって。別に知らなかったんだし仕方ないだろ」
「ん、ぐすっ、ひっく。で、でも、家族いないの辛いの、わかるもん」
リンダは零れる涙を何度も何度も拭う。
そのときエッセに耳打ちされた。
「なでなでしてあげて」
「なんで」
「リムに触られると、リンちゃんなんだか落ち着いてたよ。この前」
そうだったか? と思いつつも泣いているリンダを放ってはおけない。
リンダを泣かしたなんて【
「お、俺は全然気にしてないから。もう受け入れてるし、昔に比べていまが辛いってわけでもない。リンダに言われて嫌な思いしたわけでもないから、そんなに気にするな」
恐る恐る左手で頭を撫でる。
全身パチパチと発光してて感電しないか心配だったが、幸い痺れることはなかった。
そして何度か撫でていると、リンダが見上げてくる。幾分か落ち着いた様子だったけれど、まだ目尻に涙を湛えていた。
「ほんと? 許して……くれる?」
そう尋ねてくるリンダは本当に等身大の少女のようで。
口が悪く、ゴーレムすら一瞬で倒してしまうような実力者にはまるで見えない。
どっちが本当のリンダ・トゥリセなのだろうかと思いつつ、しかしどっちでもいいかと結論付けた。
いま目の前にいるリンダ・トゥリセは泣いているのだから。
「ああ。怒ってないよ」
「良かったぁ」
綻んだ表情に、もういいだろうと思い頭から手を離そうとした。
が、リンダにがっしりと手を掴まれて指を絡められてしまう。
「ふふっ、ふふっ、リムの手、クー姉と同じっ」
「え、ちょ、リンダ・トゥリセ?」
「リンでいいよ」
「え、え、え?」
そのまま引っ張られて真っ暗闇の迷宮の奥へ突き進む。
「わぁ、すごい効果。リムのお手々って魔性の手?」
呑気に言うエッセだけど、このままだとリク・ミスリルとは関係ない方向に行きかねないからさっさと止めろ。
そうしてエッセの指示に従い【水上都市】を降っていったのだが。
「ダメ、あそこまで行けない」
【水上都市】の中は思っていた以上に厄介だった。
モンスターがいるとか暗闇だからとかじゃなく、単純に水没しているのである。
考えれば当然のこと。【水上都市】は頭から滝をかぶっているのである。その水でリク・ミスリルが流されたのだとしたら、水も都市内部に入り込んでいるということ。
絶え間なく流れ込む水は都市中心を起点に水没してしまっている。絶え間なく流れているのだから当然だ。
「潜って泳いだりは? 水中で夜目が効かない俺が言うのもなんだけど」
「難しいと思う。ここまで近づいてわかったんだけど、変なところに入り込んでるみたい。それに私が住んでたときと【水上都市】の構造変わっちゃってるから」
「……そうか。一度〈フラムヴェルジュ〉で破壊したから」
ダンジョンが【水上都市】を作り直す際に変化ができてしまったと。
エッセが行けていたはずの場所がいまでは行けなくなってしまっているのだ。
どうする。水上都市をもう一度破壊する……なんてこと〈フラムヴェルジュ〉もないのにできるわけないし。〈ナーマヴェルジュ〉の炎で削っていけるだろうか。
どうするか思案していると。
「良かった。わたしが着いてきた意味あったね」
握っていた俺の手を離し、リンダの手がパチパチと雷が弾ける。黄色から白、白から青白く、手が抱く雷は変化した。
「スライム女、さっきクー姉が渡したリク・ミスリル貸して」
「そろそろエッセって呼んで欲しいなぁ」
と言いつつもリク・ミスリルの入った小瓶を手渡す。
小瓶のコルクを親指で弾いて開け、雷を放つ掌にリク・ミスリルを垂らした。
「ん。りょーかい。ねぇ、スライム女」
「エッセ!」
「どっちでもいいじゃん」
「リンダ・トゥリセ。エッセって呼んでやってくれ」
「じゃあリムも私をリンって呼んで?」
リンダが真顔で見つめてくる。別に迷う必要なんてないんだけど、【
とは言え、呼ばないと話も進まないし、エッセをいつまでもスライム女呼びされるのは好ましくない。
「リン、頼むよ」
「はーい。エッセ、リク・ミスリルの位置ってこの真下? 正確な位置教えて」
「真下からやや右手のほうだよ。正確な位置は、えっと……この石の目の長さで30個分下。次に右手方向に7個分行って、一度上に5個分。それからもう一度右に6個分行って、最後に10個分下……かな」
「覚えた。じゃあ、取ってくる」
「取ってくる?」
言うが早いか、リンダ・トゥリセはリク・ミスリルを持つ手を水中に突っ込んだ。
「何やってんの!?」
「まぁ見ててよ、リム」
流れる水に稲妻が瞬き走った。泡立つ音のみがこの狭い【水上都市】の廊下に響く。
稲妻の発生は間断なく、まるでどこかに繋がるように、道標を作るように濃くなっていく。
「なにこれ」
「クー姉が言うにはじりょくがどーとか。わたしバカだから感覚でやってるけど。ミスっちゃうと毒ガス出るらしーから邪魔しないでね」
おいおい大丈夫なのか。
「ん、繋がった」
俺の心配も他所に
それを手繰り寄せるように、リンダは腕を勢いよく引く。
ドパッと水の中からまるで間欠泉の如く湧きあがったのは、雷を纏う銀色のスライムだった。
「ぼさっとしてないで瓶瓶、ほら早く」
打ち上げられた魚のように、銀色のスライムは平べったくなるものの、一定以上には広がらない。
リュックから何本か空き瓶を取り出し、床に置くと銀色のスライムから稲妻が昇り小瓶の中に道標を作る。そこに沿うようにスライムは分れ、瓶を満たしていった。
「これが、リク・ミスリル?」
「わーすごいすごいっ! とっても綺麗だよっ」
数にして瓶三本分。銀色の液体がなみなみと瓶を満たしていた。
「よし終わり。じゃー帰ろ。クー姉をいつまでも待たせてらんないもん」
「あ、リンダ・トゥリセ」
「リ・ンっ」
「あ、っとリン。これ」
リク・ミスリルをリンダ・トゥリセに差し出す。
「リンの分。おかげで取れたわけだし。ありがとう」
ブレアから聞いていた必要量は充分ある。ならこれはリンダに渡すべき正当な報酬だろう。
だけど、リンダは不満そうに頬を膨らませた。腕を組んでバチバチと鎧を鳴らせる。
「わたしが報酬欲しがるケチな女だって言いたいの?」
「え、いや……そういうわけじゃないけど」
「物なんていらない。見返りなんて欲しくない。そんな関係いや」
リンダは俺の手を取り自分の頭の上に乗せた。
「こうやって撫でて『良くやったな』って褒めてくれるだけでいいの。それがいいの」
「よ、よくやった、な?」
「もっと心込めて。ちゃんと撫でて」
「良くやった。リンのおかげで助かったよ、ありがとう」
「ん! へへ……」
本当に年頃の子供が見せるような、屈託のない笑顔をリンは浮かべる。
それがどうしても眩しくて、いや、物理的に眩しくて、ていうか痺れるるるるる。
「あ」
「リムー!?」
状態異常:感電から回復するとすでに地上だった。
リンは逃げるように去っていったらしい。
エッセ曰く照れ隠しだそうだ。
悪いけど、信じられなかった。
―◇―
「ほっほっほっほっと。ああもう私のバカ、鍵を忘れるとかマヌケのスカポンタン! 早くお店に戻らないとっ」
とうに日は暮れている。残している子たちだけでは店は回らない。
酒場宿の『妖精の寝床』を経営する女主人マブ・フェアリクスは短く息を吐きながら、新市街を走る。大人しく途中までは馬車を使うべきだったかと後悔しつつ、でも乗合馬車以外は高いしなぁとも考える。
とは言え、この路地を抜けて北へ向かえばもう旧市街。主要大通り以外は馬車が通れず、どちらにしろ歩くことは避けられないので、マブは諦めてひた走る。
昔は探索者だったこともあり、ステータスの恩恵で走ることに苦がないのが救いだ。
「……」
狭い路地の壁に背中を預けて仲良く談笑する男女、泥酔した男とそれを擦る連れの仲間たち、寂し気に紙巻煙草をふかす人たち。
新市街の景色の一部となっている人たちと擦れ違いながら、狭い路地を走る。
いずれ新市街にも店を持てたら、探索者以外の人たちに探索者たちの話をする、というのも面白いかもしれない。
旧市街にある『妖精の寝床』は客のほとんどが探索者なのだ。お話できるモンスターの存在にはきっと驚くことだろう。
言わずもがなエッセのことである。
「あとちょっとで旧市街。地獄の坂道、階段、急斜面ー」
新市街は旧市街以上に明るかった。奥まった路地でも、街の魔石灯の灯りが入り込んで足元が覚束なくなることもなかった。
だからマブが気づけたのは偶然ではなかった。
「ん? なに?」
新市街の景観に似つかわしくない……否、あってはならないものがあった。
路地の曲がり角。奥まった場所の行き止まり。通り抜けたときに視界でチラつき、足を止めた。
止めてしまった。
振り向く。すでにそれは闇より光のある場所は這い出ようとしていた。
牙。爪。捕食者を思わせる瞳孔が縦に割れた、獣の目。
「どう、して……?」
声を漏らしたとき、すでにそれはマブへと飛び掛かっていた。
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