034:シェフィールドとして、エッセとして


 エッセが自分の正体をさらけ出した。

 馬鹿正直に、と思う。無茶を通り越して無謀だ。

 【極氷フリジッド】がこの事実を白日の元に晒せば、エッセはもうクリファにいられなくなる。

 生きてここを出ることすら叶わないかもしれない。

 けれど言う。それがエッセだから。

 反応があったのは、【極氷フリジッド】ではなくリンダのほうだった。

 彼女の纏う空気が一変する。鎧がパチリと電気を弾かせ、不機嫌さを一切隠さずエッセを睨んだ。


「それは冗談じゃ済まされねぇ話だってわかって言ってんのか? ああっ? わたしに殺されたい自殺志願者ってことだよなぁ、スライム女」


 ドスの効いた言葉が空気を震わせる。

 迸る殺気が破裂するかに見えた瞬間、【極氷フリジッド】がリンダの頭に手を置いた。

 ぽしゅん……。

 殺気が一瞬で霞となって消えた。萎むようにリンダがへにゃりと全身の力を抜いて俯く。


「根拠を」


 リンダをただの一撫でで止めた【極氷フリジッド】が問いかけてくる。

 エッセはリンダの殺気を気にした様子もなく、頷いた。

 え、俺の過剰反応なのか?


「以前見せて頂いた首輪。そして、私たちを襲った男性が所有していた腕輪。あの二つを見て思い出しました。あれは、五年以上も前に帝国で開発を進められていた疑似アーティファクト〈ファミリンク〉です」

「〈ファミリンク〉、五年前……それを何故あなたが? 製作に携わっていたのか?」


 【極氷フリジッド】の問いにエッセは目を瞑り、一呼吸置く。

 思い出すように、あるいは覚悟を決めるように。


「……母が発明したものです」


 エッセのお母さんが?


「ですがこの開発は凍結されたはずでした」

「なんで?」

「帝国が兵器に転用することを恐れたから。本来はダンジョン等の危険地帯での作業をさせるのが目的のものでした。あるいは農作業の代理。あるいは護衛。あるいは人の足として」

「あなたの母上は聡明だ。兵器に転用するなというほうが無理がある」


 事実、いまモンスターを操ってしていることは人間に害を為すことばかりだ。

 でもエッセの話を聞くと、そうした活用ができるというのもわかる。


「だが何故いまこうして出回っている? それも帝国とは遠く離れたこの地で」

「お母様が亡くなったことでオブシディアン家は他家に財のほとんどを奪われました。恐らくその一つが〈ファミリンク〉なのだと思います」


 そこでエッセは声を詰まらせた。

 身体を小刻みに震わせ、何かを堪えるように触手たちと一緒に俯く。

 掛ける言葉が見つからない。エッセに伸ばしかけた手を空に遊ばせていると、触手が引き寄せて肩に乗せ、手を重ねられる。

 震えは次第に止まった。


「……すみません。もしクリファ外部から持ち込んだものでないならば、“顔のない女”は技術者レベル以上の高い地位の者でしょう。私のことを知っている可能性があります。さすがにこの姿がシェフィールドであると露呈しているとは考えにくいですが」


 “顔のない女”が帝国の人間。

 そんなことは一度も考えなかった。青天の霹靂だ。

 だけど納得してしまう。

 【開闢祭】でセフィラ様の命を狙う人間なんて、帝国の奴ら以外に思いつかない。


「だが、どうやって侵入した? 帝国領の人間がクリファに入り込むには、シスターによる【叡樹の形図】の審査を通過する必要がある」

「私のようにダンジョン未経験者である以外には思いつきません。ただそうなると」

「クリファ内での首輪の製作に疑問が残る、と」

「はい。大量の首輪を国内に入れられるとは思えません。何らかの抜け道があるとしか」


 俺はリンダと目が合う。完全に置いてけぼりにされた者同士通じるもの……なんてものはなく、そっぽ向かれてしまった。


「えっと、なんで【極氷フリジッド】はそんなにすんなりエッセの言うことを信じたんだ?」


 さすがにこれだけは聞いておきたかった。

 【極氷フリジッド】がその返答に述べた一言は俺のみならずエッセも驚かせる。


「ダフクリン・トランスポート」


 ダフクリン。

 シェフィの後見人だった者の命で、エッセとなる前の彼女をクリファへ連れていき、【変わり儀】を行ったシェフィを殺し、帝国に連れ帰ろうとした男。

 エッセがシェフィールドだとバレ、戦いとなった俺たちはダフクリンを倒した。そのあと階層主ダンジョンイーヴルラスターに襲われ、所在が不明だったのだけど。

 どうやら【ヘカトンケイル】が回収していたらしい。


「奴が帝国の人間である可能性があると見て、長らく調査していた。先日確保したあとはやけに協力的だったが、お前たちに関することは一切口にしなかった」


 俺たちを慮って、というわけではないだろう。まだエッセを諦めていないのか。


「だが、黙秘は得てして雄弁になる。あなたが皇女というのならば納得だ。皇族ならばその姿にも説得力がある。リム・キュリオスがテイマーとなったことと称号授与の不可解さもな。セフィラ様も認知しているのだろう?」

「はい。と言っても、【開闢祭】後にお話しようと約束したきりまだなのですが」

「そうだな。いまは難しいだろう。だが、何故話した。迫っておいてなんだが、これは例え嘘を吐き通してでも伏せるべき話だと思うが?」

「私は帝国から弾かれた身です。ですがそれでも皇女なのです。自国がもたらそうとしている害意を放置することはできません。何より、母が発明したものをこのような形で悪用するなんて……!」


 肩に置く俺の手を、エッセが強く握る。

 痛くはない。それでも手からエッセの義憤が痛いほど伝わって来た。


「……困る」

「え」

「嘘が見えない。本気なのか。全く以て無謀な賭けだ。私が君に刃を向ける可能性は考慮しないのか?」


 エッセは眉根を下げて少し悲しそうに笑う。触手が俺の腕にすがるように巻き付いた。


「私はきっと人を見る目がありません。何度も騙されましたから。でも、自分が信じたいと思った人はやっぱりそれでも信じたいんです。【極氷フリジッド】さんも。リムを助けてくれたときにかけてくれた言葉は、とても温かったですから」


 玉虫色の瞳は濡れた膜を張って、虹に煌めく。

 【極氷フリジッド】はしばし目を瞑り、何かを思案したような素振りを見せてから頷き、瞼を開く。


「私はあなたとどう接すればいい、マルクトの皇女」

「こほんっ。エッセとしてでお願い。リムの隣にいる間はそう決めてるんだ」

「器用なことだな。わかった」

「……誰にも話さないでいてくれるのか?」


 正直、こうもすんなり納得してくれるとは思わなかった。

 【極氷フリジッド】はとても理知的な人だと思ってはいる。けれど、厳粛な人であるとも思う。

 この瞬間から捕虜、あるいは罪人に変わってもおかしくないのだ。


「利益と損失を秤にかけたうえでの決定だ。私はセフィラ様を敵に回すつもりはない」

「……それって、探索者ギルドの【ヘカトンケイル】が“顔のない女”を探してるのと関係あるのか?」


 【極氷フリジッド】が目を見張る。


「鋭いな、君は」

「あ、っと忘れてくれ」


 前の【秘匿クエスト】のように藪蛇を突いたかと思ったが、【極氷フリジッド】は肩をすくめるだけだった。


「いい。教会にある希望を通すため、依頼を熟している。詳しくは言えないが、私の個人的な望みであり、【ヘカトンケイル】にも利することだと思ってくれて構わない」


 そう話す【極氷フリジッド】は、リンダのことを見る。普段の彼女からは思いもつかない、柔和に融けた表情で。

 だがそれも一瞬で凍り付いた。


「話を戻そう。“顔のない女”が帝国の人間であるという信憑性は君の話で一定数理解した。問題は潜伏場所だ。早急に捕らえる必要がある」

「早急に?」

「クリファに滞在中の諸外国の要人の中に聖女がいる。もし何かあれば外交問題に発展しかねない」

「聖女?」

「【セフィロト教会】の【十聖女】のことだね。ダリオ首長が話してたの覚えてるよ」

「誰それ」

「知ら、ないのか」

「さすがにリム、それは……」


 露骨に引かれているのだけど。あの【極氷フリジッド】が唖然としている。そしてリンダは勝ち誇った顔をしていた。どうやら知っているらしい。


「詳細はまた誰かに聞け。【セフィロト教会】は端的に言えば、【クリファ教会】の元となった組織だ。そこから派生して、セフィラ様を長に【クリファ教会】となった。教義のない【クリファ教会】と違って、【セフィロト教会】は明確に世界樹信仰を掲げている。組織の規模も桁違いで、世界中に支部が存在する。唯一、クリファと帝国を除いてな」


 割ときちんと説明してくれて助かる。

 師匠、どうして教えてくれなかったんだ。


「じゃあつまり帝国の敵? クリファの味方?」

「一概には言えない。信仰対象の周囲に陣取っているクリファを快く思っていない者もいるだろう。とは言え、帝国に対応できる人員を保持するクリファにそこまで強く出れないというのもある」


 想像以上にややこしい関係らしい。


「聖女というのは【セフィロト教会】の実質的な指導者で、こちらでいうセフィラ様みたいなものだ」

「じゃあ帝国からすれば、教会同士の関係性を悪化させるには絶好のタイミングってわけか」

「事を起こすならここ以外には考えにくい。だからこそ早急に捕らえる必要がある」

「……【極氷フリジッド】さん。提案が一つあるの」


 エッセが触手と一緒に手を上げる。


「首輪を使う以上、“顔のない女”はどこかにモンスターを隠していると思う」

「ああ。最近、ハンターギルドが捕獲したモンスターが消えるという事件も相次いでいる。それも関係しているだろう」

「マブさんの言ってたやつか」

「うん。だから私を使って欲しい」

「どういうことだ?」


 俺はエッセの能力の説明を簡単にする。

 帝国の皇女であることを話したのだ。稀少な能力とは言え、【極氷フリジッド】に話すのにそこまで抵抗感はなかった。


「ダンジョンに類するものを感知する【スキル】か。にわかに信じがたいがそれなら」

「うん。“顔のない女”を見つけるお手伝いは難しいけど、モンスターなら行けるって思って」

「クリファ全域がわかるのか?」

「ううん。ダンジョンの外は感知しづらいから結構狭くなると思う」

「だがそう問題にはならないだろう。すでに他ギルドの協力で隠匿されていたモンスターを何体か発見している。ヒュージスミロドンの件もあったからな」

「ああ……。けどその割に今朝の街は普通だったけど」

「“顔のない女”に計画が露呈していると思われないためだ。モンスターたちは同時に処分すると決めてある。エッセの力があれば、捜索の穴を埋められるだろう」


 主に旧市街と新市街を重点的に探す想定であるらしい。特に旧市街の空き家は可能性が高いそうだ。

 エッセがいなくてもゴリ押しの虱潰しでやるつもりだったのだから、さすが最上位ギルドは違う。パワープレイが過ぎる。


「今日すぐ行けるか?」

「それだけど、俺たちすぐにリク・ミスリルを見つけなくちゃいけないんだ。第一階層にあるかもしれないんだけど」


 街の安全とミスティの自由。

 本来なら秤にかけるべくもないのだろう。けれど俺たちにとってはミスティのことも一刻を争う大事なことだ。

 それにエッセ抜きで虱潰しに探すには第一階層は広すぎる。アシェラさんの情報である程度絞れそうだけどなんだけど。


「第一階層にリク・ミスリルがあるとは思えないが……ともかくリク・ミスリルを感知するのにエッセが必要ということか?」

「うーん、でもリク・ミスリル見たことないから感知しようがなくて」

「なら私が個人的に保有している分を渡そう。極少量になるが」

「え」


 そう言って、【極氷フリジッド】が空を握る。拳より霜が降り始めたと思った瞬間、蒼白の氷の杖が突如出現した。

 吐く息が白くなる。この存在だけでコロニー内の気温が急落した。

 全体が蒼白の宝石のような氷でできた杖。その先端には何十種類もの氷晶が重なり、浮遊し、光を捕らえ内部で乱反射させている。

 【極氷フリジッド】はその氷晶の一つの中心に指を突っ込み、引き抜いた。


「リン、空き瓶を」

「はーい」


 リンダが用意した小瓶の中に入れたのは、小指の爪先分程度の小さな銀色の塊。

 【極氷フリジッド】が杖を消し、瓶底を軽く振るとその塊は液体へと形を変える。

 コルク栓をしたそれを【極氷フリジッド】はエッセに渡す。


「少量だがリク・ミスリルだ。感知のための指針ならば十分だろう」

「あ、え、ホントに!? ありがとう! でもどうして杖に?」

「魔法の詠唱を省略するためだ。鉱石を触媒に魔力の氷晶を形成して、対応した魔法の発動を容易にしている」

「つまり杖を振るだけで魔法が出るってこと? すごい……魔法の詠唱を省略できるなんて。もうアーティファクトだよ。というか杖が何もないところから出てきたのもすごいし」

「そうだよ、クー姉はすごいんだからっ!」


 ドヤ顔するリンダ・トゥリセだけど、この少女はこの少女であのバカでかいゴーレムを一方的にボコボコにしたんだよな……。

 こうして面と向かって(表面上は)対等に話せているのが不思議なくらいだ。


「詠唱破棄は別に誰でもできる。失敗時のリスクが高くてやらないだけでな。魔法もスキルも厳密には個々人が覚えるものではなく、ダンジョンに記録されている場所と繋がっているというだけだ。詠唱はその道標に過ぎない」

「……じゃあ、全く覚えてなくても魔法とかスキルを使えるってこと?」

「理論上は。無から習得しようと思えば、途方もない修練を重ねる必要があるな。人の一生では足りないほどの長い時間が」


 まるでそれを成した人物を知っているかのような口ぶりだった。


「さて。いつからならできる?」


 エッセがこっちを向く。

 だけど、今回ばかりは皇女であるエッセが決めるべきだと思った。

 感知という力をどこにいつ使うか、皇女として決めなくちゃいけない。


「この帰り道で第一階層を見て回るよ。アシェラが用意してくれた予想位置もあるから、そこに行ってみたいんだ。そのあとなら今日すぐにでも」

「了解した。それで構わない」


 方針は決まった。

 これから第一階層でリク・ミスリル探し。

 地上に上がったらエッセと一緒に【ヘカトンケイル】と協力して、街中のモンスターを捜索する。あわよくば“顔のない女”を見つけられれば、といったところか。

 なんとかミスティのことを隠し通せて安堵する。

 俺たちが隠していることが、ミスティではなくエッセの正体ということに【極氷フリジッド】が思ってくれたおかげだ。

 これで【極氷フリジッド】に弱みが握られてしまったわけだけど、いまは彼女が悪用しないよう祈るだけだ。


「クー姉。わたし、リム・キュリオスを手伝ってもいい?」


 リンダ・トゥリセがそんなことを言いだしたのは、話もまとまった頃だった。


「いまからリク・ミスリル探しするでしょ? だったら、わたしが着いていったほうが良くない? 早く終われば早く手伝わせられるし。あなたも早く見つけられた方がいいんでしょ?」

「あ、うん、そりゃもちろん、だけど……」


 一番驚いていたのは俺でもエッセでもなく、【極氷フリジッド】だったと思う。

 リンダ・トゥリセを見る目が、どうしてか眩しいものを見るようだった。

 そして俺たちに向き直る。


「うちのリンがこう言ってるが、どうだ?」

「願ってもないっていうか、すごい助かるけど」

「けどって何。わたしがいたら邪魔?」

「他ギルドの協力だ。困惑するのはわかる。そちらに問題がないなら使ってもらって構わない。確かに力を借りたいのならば、こちらが先に手を貸すべきだったな」

「じゃー決まり。行くよほら立って!」


 背中を押されるようにして俺とエッセは氷壁の天幕から出た。

 最後に振り返ると、もう【極氷フリジッド】はこちらを見てはいなかった。

 ただ、唇が誰かと話すように小さく動いていた。





 リンダ・トゥリセがリムらの背を押し始めるのと同時、【極氷フリジッド】の耳元で声が聞こえた。


『話は終わったかしら?』


 どこか鼻につく、甘ったるい妙齢の女の声。

 鍛冶ギルド【アルゴサイト】のギルド長、【万目睚眥アルゴサイト】アルテイシア・ピューピアの声であった。

 ローブの首元に装着された、瞳を閉じたような形のブローチから聞こえてきた。


「タイミングがいいな。まだ地上に戻っていなかったのか」

『あら、視てはいないわ。女の勘よ』

「疑ってはいない」


 盗視、盗聴をさせないために結界魔法を使ったのだ。さっきの会話が外部に漏れることはない。

 【極氷フリジッド】は立ち上がり、ローブを払って整える。


『なんだか珍しく機嫌が良いじゃない。話の内容は?』

「微塵も疑っていないようだった」

『でしょうね。あの子たちお人好しそうだもの』

「そっちの監視は?」

『ええもちろん。でなくちゃ、こうして二人と引き離した意味がなくなるわ』


 【極氷フリジッド】は手に杖を顕現させた。


「奴は必ず動く。を瞑るなよ」

『誰にモノを言っているのかしら。を瞑れないのが私よ』


 不遜に顎をしゃくっているのが脳裏に過ぎるも、それが【極氷フリジッド】の感情を揺さぶることはない。

 杖の石突で氷床を叩く。亀裂は床を駆け抜け、壁、天井へと蜘蛛の網が全天を覆いつくす。


「彼には?」

『……好きにさせるわ。相応の節度くらいあるでしょ』


 石突を浮かし、杖が霞と消えた瞬間、氷壁の天幕は微細な氷結晶へと散った。

 それらが降り積もることも、溶けて濡らすこともない。

 ただ、一瞬のプリズムの如き光を放って空に消えるのみ。


「帰還する」


 ただ一言告げて、【極氷フリジッド】はローブを翻す。

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