033:顔のない女

 第一階層の小部屋ルームの一角。

 氷壁が天幕を張る密室。ランタンの光が氷壁に吸われ色づく、鉱床樹海の水晶地帯とも異なる幻想的な空間。

 氷に覆われながらも中は寒くない。座っている氷の椅子に至っては濡れることすらしなかった。

 けれど、俺の心は冷え切っていた。


「俺たちを餌にしたのか?」

「そう受け取ってもらって構わない」


 俺とエッセに相対して座る【極氷フリジッド】が冷厳に言い放った。


「助かったんだしいいじゃん」

「俺たちに気づいてなかったろ」


 後ろに控えるように立っているリンダ・トゥリセは居心地悪そうにそっぽ向く。

 助けられたのは確かに事実。

 【極氷フリジッド】が譲ってくれた外殻鉄のおかげで難局を乗り越えられたのも事実。

 でもそれを口にはできなかった。


 負傷しているミスティを帰すため、ブレアとは別れた。説明のために俺たちは残り、

 ここに案内された直後、【極氷フリジッド】が告げたのは、俺たちが襲撃される危険性を事前に知っていたということだった。

 すでにこの場にいないが、【アルゴサイト】と協力して俺たちを見張っていたらしい。

 死霊騙りと呼ばれる、死体やダンジョン物質を操るレアモンスターまで持ち出してくるのは想定外だったそうだけど。

 第四階層以降に稀にしか出現しないモンスターなのだから、あのバカげた規模の能力も頷けるというものだ。


「でもどうして教えてくれなかったの?」

「勘付かれる可能性を極力減らすためだ。知らないフリを君たちはできるか?」


 エッセはともかく俺は無理だな。


「以前話した首輪をバラまいている者――私たちは“顔のない女”と呼称している」

「”顔のない女”?」

「その存在を把握させながら、顔はおろかその姿形を見た者は誰もいないことからそう呼ぶようになった」


 確か、黒と赤の外套の女を追ったときも振り返った奴の顔が日中にも関わらず見えなかった。

 本当に顔がないのか?


「奴が接触したギルドから個人に至るまであらゆる情報を集めてきたが、一向に尻尾を掴ませなかった。【アルゴサイト】のにも引っかからなかったほどだ。だが、奴は君たちの前に姿を見せた」

「俺たちの?」

「昨日早朝、街中で暴れたヒュージスミロドンだ」

「!」


 そうか。人形とかのモンスターが再生する現象。あれはヒュージスミロドンと同じだ。


「その直前、君が外套を着た何者かを追っていたことはわかっている」


 つまり、【極氷フリジッド】の話す首輪をバラまいている“顔のない女”。

 昨日、リク・ミスリルを横取りし、ヒュージスミロドンをけしかけた外套の女。

 そして、ミスティの記憶にあったセフィラ様を狙う危険な女は同一人物ということか。


「経緯はどうあれ、奴が姿を見せた意図を知る必要があった。そして、君たちに何か事を起こすならダンジョンにはどこにもがない絶好の場所だ」


 だから釣り出すための餌にした、と。


「……なら “顔のない女”の目的はわかったのか?」

「いや。未だに現在の目的はわかっていない」

「現在?」

「ある時を境に目的が変転している、と私は考えている」


 【極氷フリジッド】が足を組み、膝の上で手を組む。


「首輪のばらまき自体は一月以上前から始まってはいた。それが何か事を起こすための布石ならば、適した状況はすでに過ぎてしまっている」

「……【開闢祭】」


 エッセの呟いた言葉に【極氷フリジッド】が頷いた。


「目的を変えた理由。君たちの前に姿を見せた理由。今日、他者を介してとは言えアクションを起こした理由。心当たりは?」


 ない。

 ――なんて言えない。

 わかりきっている。全部ミスティだ。ミスティが目的なんだ。

 だけど言えない。これはミスティだけの問題じゃないから。

 “顔のない女”は教会の長であるセフィラ様の暗殺を画策した明確な敵。

 ミスティとの関連性を話せば、【極氷フリジッド】の立場上、教会にも伝えざるを得なくなる。

 本来なら打ち明けるべきだ。ミスティが狙われているというのなら猶更。

 だけど、そうなると【アルゴサイト】との契約はご破算になる。あれは教会にバレないこと前提で交わしたものだから。

 つまり、ミスティの自由を勝ち取れなくなる。


「何もな」


 ピシリと氷壁に亀裂が入った。【極氷フリジッド】の目が鋭い。

 まさか嘘ついたらこのコロニーが崩れる、みたいな感じ?

 嘘が下手なのはアシェラさんの折り紙付きなんだけど。


「リム・キュリオス、悪いことは言わないから、しょーじきに話したほうがいーよ。クー姉怒ると怖いから」

「ガチトーンで脅すのやめてくれよ」


 心臓が裏返りそうだ。俺のせいで。下手に目立ち過ぎたせいで、ミスティのことが明るみに出てしまう。

 息が上手くできない。けど賭けに出るしかない。

 どうにかミスティの存在を教会には伏せてもらうしか、他に手は。

 顔を上げて【極氷フリジッド】を見ようとしたそのとき、エッセの触手に手を引かれた。


「エッセ?」


 まっすぐこっちを見据えるその玉虫色の瞳は、強く覚悟を火が灯っている。

 全てを投げ出す覚悟を抱いている。


「リム、迷惑をかけてもいい?」

「え」

「もしかしたら、もうここにはいられなくなるかもしれないけど」

「……ダメだ!」


 何を話すつもりなのか、察した。察してしまった。

 もうエッセの纏う空気がエッセのものじゃなくなっている。


「本当は事前に相談したかったんだけど、気づいたのさっきなんだ。ごめんなさい。ここで見過ごしたら、私、胸を張って生きられない」

「……どうしても、なのか」

「“顔のない女”を止めるのが、私の……シェフィ―ルドとしての責務だと思う」


 エッセは【極氷フリジッド】へ向き直る。


「ここからは私が。推測ではありますが、“顔のない女”の正体をお話します」

「なんか話し方と雰囲気、変わってない?」


 リンダの困惑と対照的に、【極氷フリジッド】は落ち着き払っていたが、その目は僅かばかりに鋭くエッセを見据えた。

 エッセは告げる。

 ともすれば、ここで首を刎ねられても文句は言えない一言を。


「私の本当の名はシェフィ―ルド・オブシディアン・マルクト。マルクト帝国、オブシディアン家の第一皇女です」


 反応を待たずにエッセは続けた。


「“顔のない女”の正体は間違いなく帝国の者でしょう」


 氷壁は僅かな亀裂も入らない。



―◇―



 ブレアは倦怠感を全身で表現しながら、半ばミスティにもたれかかるようにして夕暮れの道を歩く。

 工房まであと少しではあったけど、後ろ髪引かれる思いはいまも続いていた。


「あぁ、もうっ二人が心配~やっぱり残ったほうが良かったんじゃないかな~」

「私の正体を露呈させてしまうほうが、お二人のこれまでの献身を無駄にするものと思いますが?」

「そうだけどぉ。なんか危ないことしんどいこと全部押し付けてるみたいでさ」

「お二人は気にしていないと思いますが」


 もたれかかるのから逃れ、すたすたと歩くミスティ。

 少し驚きながら、ブレアはその後ろ姿を追いかける。


 実はブレアもきっと二人は恨んだりなどしていないと思っている。

 リムもエッセもドがつくほどのお人好しだ。これだけ無茶振りしたのに、全部を期待以上に応えてくれた。その過程で一度も見捨てようなんて言わなかった。むしろ諦めるなと言ってくれるほどだ。

 だからいまさら恨み節を述べるとは到底思えない。

 そうミスティも思っていることに、ブレアは驚いたのだ。


「えへへー」

「何故笑うのですか?」

「んー? うふふ」


 変わった。初めて会ったときからミスティは。

 人間を理解したいとミスティは言った。そんな彼女が二人の気持ちを想像して言葉にしてくれた。

 ブレアはそのことが無性に嬉しかった。


「あーあー、でももう少し【極氷フリジッド】さんのこと見たかったなぁ。気高い女帝みたいなあの近寄りがたさ、くぅー! カッコよかったぁ! リンダ・トゥリセもすごかったよね! あのゴーレムを一撃必殺!」

「私は恐れのほうが上回りましたが。もし狙われた場合、逃げ延びる手段が思いつきません」

「そこはリムくんたちの上手な説明に期待しようっ! 私たちは義肢製作に取り掛からないと」


 正直かなり疲れているし、ベッドにその身を預けたいところなのだが、悠長に休んではいられない。

 いつミスティの正体が露呈するかわからない以上、リク・ミスリルが手に入り次第完成させられる状態にしておく必要がある。

 リク・ミスリルはリムが担当シスターからもらった情報のみが頼りではあるが、そこは気にしない。

 自分ではこれ以上打てる手がない。なら、己ができることを全力で取り組むだけだ。


「……何者かが工房の前にいます」

「え?」


 だが、ブレアは思い知る。

 先延ばしにしたツケは最悪のタイミングでやってくるのだと。


「ブレア」

「おじい、ちゃん……」


 静かに怒る祖父の姿に、ブレアは生唾を呑み込むことしかできなかった。

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