028:不意打ちの「」
復元した記録は断片的なものがほとんどであった。
虫に食い散らかされたような記録は、ミスティに筆舌にし難い不快感を味わわせたが、見て見ぬふりなどできはしなかった。
その内容が、この現状に関連する暗示的なものであったからだ。
ミスティがいたのは、同じ【アルゴサイト】のギルド団員すらも入ることを許されていない、ギルド領外にあるレストラ・フォーミュラの工房だった。
そこでミスティはレストラの実験への協力とその要となっていた。
レストラの実験とはミスティの複製体ドールの作製。
ドールは親機と子機に分かれ、親機にミスティのコアを移植後、パス接続している子機たちに意識を分割転送する。
そうすることで、ミスティの意識が宿った複数の子機ドールを同時に活動させるというものだ。
原理は単純ではあるが、大掛かりな疑似アーティファクトとなっていた。
レストラにとっては戦力獲得のため。
ミスティは人への観測能力向上のため。
お互いの利害が一致したことから協力関係を結んでいた。
だが、完成にはまだ程遠かった。単純に技術が足りていなかった、設備が乏しかったというのはある。
しかしそれ以上に、ミスティのコアに適合する親機を完成させられなかった。
ミスティという存在は、未だ人間にとってオーバーテクノロジーだったのである。
だが、一人の女が現れた。
復元したミスティの記録にその女の名はない。年齢も。容姿すらも。
見かけたのは一度だけ。
裏地が赤い、黒の外套を頭から足先まですっぽりと覆った姿だった。
だが、その出会いのあとレストラのドールは瞬く間に完成に近づいた。
何らかの技術的供与があったのは明らかであった。
復元された記録はそこで飛ぶ。
次は音声の記録データのみが復元されていた。
『セフィラ襲撃の準備は完了。隷属器が世界樹のモンスターにも対応していることは確認済み。これで街は混沌とするでしょう。加えてあなたの協力があれば、あの厄介な【
データが飛ぶ。
『ああ、楽しみです。醜悪な獣に蹂躙され、血と臓物を撒き散らす彼のテンシの断末魔が。どんな声で啼くのでしょう。それを眺める民衆はどんな悲鳴を上げるのでしょう。祝いの場が阿鼻叫喚の地獄絵図と変わるその様。叶うならこの目で眺めたいですわ』
データが飛ぶ。
『ふふっ、【イェソド】。あなたはドラゴンへと至るパーツとなり得るのかしら』
データが飛ぶ。
記録を復元したミスティは生まれて初めて戦慄した。
恐怖という感情を知った。
他者に対する無邪気な悪意。そこに自身も含まれていることを自覚させられた。
それ以上の復元された記録はない。しかしその先の顛末は誰もが知るところ。推測ならば幾らでも可能であった。
逃げること――行く当てなどない。
【ケセド】――狙われているセフィラを助ける。
故に【開闢祭】のあの場に来た。
隷属器が何かはわからないが、ドールは疑似アーティファクトである。レストラも疑似アーティファクトの作製をする技師だ。
アーティファクトに属するものであれば自分なら対応できる、そう当時の自分は判断したのだとミスティは推測する。
そして出会った。全くの偶然であった。
だが、最高の巡り合わせだった。
「【マルクト】ですね。力をお借りします」
同族に魔力を提供してもらうも、コントロールが不可能になるほどの過剰な魔力が流入し、能力が暴走する結果となった。
広範にアーティファクトの機能を停止させる魔力波の放出。反動によってミスティ自身の機能も低下し、回復のためダンジョンへ戻ったのである。
そこでレストラとの戦い。記録がその時点でほとんどが失われていたため、理由もわからず戦うことになった。
そして、敗れたのち、ブレアと出会ったのである。
―◇―
話を一通り聞いて、話し終えたミスティよりも俺は深くため息をつく。
突拍子もないというか、まさかと言いたくなる連続だった。
新市街でリク・ミスリル購入のときに擦れ違い、逃げた外套女。
あいつがレストラと繋がっていたことだ。
何よりセフィラ様の暗殺を企てていたとか、ミスティがそれを止めようとしていたとか。
情報の奔流に頭がクラクラする。少なくともこの状況で聞きたい話ではなかった。
「えっと再確認。【ケセド】ってのはセフィラ様のことでいいんだよな? なんだっけ、ソータイ?」
「総体名です。私の場合は【イェソド】」
「ならなんでセフィラ様に助けを求めなかったんだ? 同じテンシだろ?」
「【ケセド】――セフィラが信用に値するか未知数でした」
「ローブで姿隠してるからか?」
「否定。関係ありません。セフィラが人間と強く相互干渉しているからです」
何が問題かわからず小首を傾げると、ミスティはパッパッとアンテナを小刻みに明滅させて、俺を鋭く見据える。
「我々は観測者でなくてはなりません。人間に深く影響を受けているセフィラがどのような対応を取るかは未知数であり、接触を避けるのが賢明だと当時の私は判断したと思われます。同様にあなたがたも」
そこに強い意志があるように思えた。でもいまいち納得はできない。我々って?
「色々聞きたいことが山積みなんだけど、なんでお前が謝らないといけなくなるんだ?」
「単純な話です。このモンスターによる襲撃がレストラ・フォーミュラ、ひいては外套の女によるものだからです」
「え」
「隷属器。恐らくそれはモンスターを操る疑似アーティファクトなのでしょう。先日あなたが【
「首輪……だからレストラがセフィラ様暗殺を企てていた可能性があるって」
「はい」
「んん、いや待て待て。まだそうと決まったわけじゃないし、この状況だってレストラとかその外套女の差し金とは限らないだろ」
「新市街で首を落としても死ななかったモンスター。お気づきになりませんか?」
外套女を追いかけようとして突如、それを妨害するように襲い掛かって来たあのモンスター。あれは、すでに死んでいた。
ある意味で、モンスターではなかった……?
「計画実行直前にレストラの下から逃亡し、明確な意思を持って妨害した私の口は必ず封じたいはずです」
キナ臭い話になってきた。
ただ、幾つか突っ込んでおきたい点はある。
俺が口を開きかけたところ、ミスティは居住まいを正し、俺に向き直ると頭を深く下げた。
そのあまりの唐突さに、俺は尋ねようとしたことが頭から吹っ飛ぶ。
「申し訳ありません。私がこの事態を招き、あなたの命を危険に晒してしまいました。全ては私が原因です」
「おい、やめろ。顔上げろって、っ……」
無表情なはずのミスティ。けれど、僅かばかりに眉根が下がることで無表情は崩れ、アンテナは弱々しくゆっくり明滅している。
とてもアンバランスだった。
「これが後悔、というのですね。私は後悔してしまっている。あなたたちを、ブレアを巻き込んでしまったことに。やはり私はあのとき生命活動を停止すべきでした」
「…………はっ」
肩身が狭そうに弱々しくなるミスティ。だからこそおかしくて、俺はつい噴き出してしまった。
ここが外なら、この状況なら腹を抱えて笑いたいくらいには。
ミスティが困惑した表情を見せる。実際ほとんど表情は変わってないけど、うん、なんとなくわかる。
「何故笑うのですか」
「そりゃ笑うだろ。だって自分の命に全く関心がなかったお前が、俺らを危険に晒して責任がーとか言ってるんだぞ?」
「それは……」
「だから安心した。お前を助ける甲斐があるってもんだ。いまなら、ブレアもエッセも関係ない。俺が助けたいと思ったから助けるってはっきり言い切れる」
「理解、不能。何故そのような結論に至ったのか、私にはわかりません」
「さぁな。でもそれがわかれば、人間を知る、ってことになるんじゃないか?」
ミスティが大きく目を見開いた。晴れ晴れとした表情……かどうかはさすがにわからない。眉根は上がったけど相も変わらず無表情だ。
「観測者でなければならないって言ったけど、見てるだけで人間を理解するなんて無理だろ」
俺だってわからないことだらけだ。
「きっと関わっていかないと相手がどんな人間なのかわからないって」
「ですが干渉が過ぎれば、影響を与えてしまいます。より純度の高い人間の理解を」
「無理無理。諦めろ」
俺がばっさり切ると、ミスティは目を瞬かせた。
「お前を助けたいって思った時点で、俺もエッセもブレアもお前に影響受けまくりだ。お前が死んだら悲しむし、レストラに殺されでもしたら怒り狂うだろうな」
「……」
「で? 影響受けまくりの俺らは観察対象外ってか?」
間髪入れずミスティは首を横に振った。
「いま私は、とてもとてもとても……あなたのことを理解したいと思ってしまっています」
「そりゃ光栄だ」
「お手をお借りしても? 余剰魔力を少しでもボディの維持に回したいので」
「ん」
ミスティが俺の右手を取り、グローブを外す。そういえば、〈
そう、思っていたら掴まれた手がある場所へ誘われた。
すっとある布の隙間に差し込まされたのだ。
手の甲に触れ心地のいい布の感触が。
掌にはふにゅりと柔らかくも硬い金属の感触が広がった。
指が沈む。液体金属だからか? でも硬いものにも触れた。温かい。
「あ、な、あお、ぱ」
「なるほど。エッセの言う通り、あなたの恥ずかしがる顔は好ましい。これが愉快、楽しいという感情なのですね」
速攻引き抜こうとする、が。
「あ、ん」
「変な声出すなよっ」
「コアは敏感なのです。ダメですよ引き抜いては。大切に扱ってください。私が私でなくなってしまいますから、ね?」
耳を舐るように囁くミスティの声で背筋がゾクゾクする。
「う、ぁ、お、お前がエッセに影響受けまくってんじゃねーか」
「そう、ですか? ふふ、影響を受けるというのも悪いものではありませんね」
「!」
それは全くの不意打ちだった。
予想していなかった。想像も。考えたことすらなかった。
これほど容易く、自然に、ミスティから零れるものだと思わなかったから。
だから見惚れてしまった。
「お前、笑えるんだな」
仄かに緩む口元は、まだ満開には至り切らない蕾。けれど確かに咲いていた。
柔和に象られたその微笑みは、金属の少女であることを思わせない、彼女が自称するテンシのように優しく、穏やかなものだった。
ミスティは気づいていなかったようで、自分の顔を入念に触り回す。とてもシュールな光景だ。
その隙にミスティの胸から手を引き抜く。大丈夫、ミスティの金属べっとりついている、なんてことはない。
「笑えていますか?」
「いや全然。もういつも通りのお前だよ」
「む。笑顔はコミュニケーションに最適とありました。今後は積極的な接触も含めると決めた以上、笑顔をマスターできれば、人間の理解を円滑に進められる良質な武器になると思ったのですが」
「良質な武器て」
「もう一度先ほどの状況を再現しましょう。一からやり直して」
「お前、案外この状況でも余裕だよな」
それとあまり笑顔は向けないで欲しい。破壊力抜群だから。
「『ふふ、影響を受けるというのも悪いものではありませんね』……」
「いや、顔。いつもより酷いというか、怖い」
「提案」
唐突にミスティが小さく囁いた。
いきなりで違和感を覚えたがすぐに気が付く。
ミスティは俺の肩越しに後ろを見つめていたのだ。
彼女のアンテナはまるで警告を発するかの如く赤く、速く、明滅を繰り返していた。
振り返る。視線の先は階段の陰の外。
いた。
「速やかな退避を提案します」
俺たちは見つかった。
地形すら把握できていない、この奈落の底で。
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