027:交錯の底
「リムッ! リムッ! ミスティー!」
エッセは、眼下の闇に消えたリムとミスティに向けて叫ぶも、崩落した空虚な穴に呑まれて返事は聞こえない。
夜目の利く目を、触手共々フルスペックで活用するも、崩落が階下のさらなる崩壊を招いたようで、瓦礫と崩落穴以外のものは見えない。それ以上はエッセの目でも見えないほど遠かった。
そして二人に自分のような自由落下を軽減できる術はない。
「――」
ギザギザの歯がカチカチと鳴る。
死んだ? リムが死んだ?
思考の一端にも入れたくない想像がじりじりと脳内を占めていく。
怖い。怖い。怖い。彼がいなくなってしまうなんて。嫌だ。信じられない。信じたくない。あと少し触手を伸ばせられれば、二人を無理にでも掴んでしまえば、いっそ一緒に落ちて。
「エッセちゃんっ!」
「ッ! カハッ、かひゅ、かひゅ……」
ブレアが無理矢理眼下から視線を自分のほうへ向けさせる。彼女は触手をエッセから引き剥がしていた。
そこでエッセは気づく。
触手(本能)が自身に最悪な想像をさせまいと、腕や首を強く締め付けていたことに。
「はぁはぁはぁ、ブレ、ア……リムが、ミスティが」
「わかってる。落ち着いて」
「落ち着くなんて! 二人が落ちたんだよ!」
「ダンジョンじゃ冷静さを失った者から死ぬよ。落ちた二人とも冷静だった」
「……」
「嫌な想像しちゃうのはわかるけど、いま一番冷静にならなきゃいけないのはエッセちゃんじゃないかな。二人を助けられるかはエッセちゃんにかかってるんだから」
ハッとなる。そういえば、落下直前ミスティも自分の力ならば合流が可能だろうと言っていた。
ブレアは眦を下げて少し悲しそうにしながら微笑む。
「ごめんね、頼りなくて。エッセちゃんに頼るしか、いまあたしにできることないんだ」
膝の上で拳を強く握るブレアに気づかされる。自分と同じようにすぐにでもブレアは、二人を捜しに行きたい。なんならこの穴に飛び込みたいだろう。
けどそれをしないのは、何が最も全員の生存率が高いかを知っているから。
先を見据えているから。
息を吸う。深く、深く、吸って、吐く。触手たちもそうする。
嫌な考えは拭いきれない。それでも、そんな結末に至らないために最優先ですべきことはわかる。
「……降りよう。感知の届く範囲までいけばミスティが見つかる。リムもそこにいる」
「うん」
「ごめんなさい、ブレア。私」
「いーのいーの。それだけリムくんが大切ってことでしょ。その気持ちは超大事だって」
「うん、大切」
「ひゅー、言い切っちゃうー。じゃ、早速捜そう。まずは下への階段見つけなきゃ」
―◇―
「っぁ、なんだ、水……?」
希薄化する意識を引き戻したのは、冷たい水の感触だった。
俺は瓦礫の上に仰向けに倒れる形で、足が水に浸かってしまっていた。
流水の音が反響して、外ではないことは靄がかった頭でも把握できる。
そうだ。俺たちは落ちて。かなりの時間自由落下した。
普通なら絶命を免れない高さだったが、【無明の刀身】を壁に突き刺すことによるブレーキと、ミスティが発射した最大出力の魔導砲による反動で、落下速度をかなり軽減できた。
誤算だったのはそれでまた床をぶち抜いてしまったこと。
さらなる崩落に巻き込まれ、そのとき瓦礫の一部が頭に当たったのを最後に意識がなくなった。
「……そうだ、ミスティ!?」
「こちらです」
声の方向にミスティはいた。石の通路に半ば倒れるような形でいた。
身体が重いが無理して立つ。どうやらここは水路らしい。膝下の高さだけど、気絶していたら溺れていただろう。瓦礫が先に落ちていたのが幸いした形だ。
岸となる通路に上がり、一向に立とうとしないミスティの姿を見て、愕然とした。
「ミスティ、脚が」
ミスティの左義足が損傷してしまっていた。それだけじゃなく、身体もところどころが傷ついている。金属の身体だからか、血ではなく皮膚下の銀色が見えているという状態だ。
「まさか気絶した俺を庇って?」
「……申し訳ありません。足手纏いにならないと言った傍でしたのに」
「言うなよ。お前のおかげで俺は五体満足でいられてる」
どうやら落下時の衝撃で膝関節部分が故障してしまったらしい。
自力での移動が非常に困難。この場に待機してモンスターとの遭遇を最低限に留めるか、早急に合流していち早く帰還するかの択となった。
「移動しましょう」
「だな」
俺たちは後者を選択した。
もしこの場所でマッドパペットの洪水が来れば逃げ場がない。待つにしても上階とアクセスできる傍のほうがいいと判断したためだ。
そのため俺がミスティを抱きかかえることになってしまったのだが。
「おも」
「何か?」
「何でもないです」
全身金属のヒト型人形である。重くないはずがない。
とは言え、鉄の塊を背負っているほどでもないのだけど。この華奢な身体とのギャップが激しいのは否めない。
ダンジョンで得たステータスが無ければかなり難儀したことだろう。
「女性に体重を揶揄する発言をした場合、何をされても文句は言えないそうですよ」
「どこ情報だよ」
「ブレアの蔵書に。ちなみにこの状態は俗にお姫様抱っこと呼ばれる全女性羨望の体勢だそうです。エッセがされたいと言っていましたので自慢しましょう」
「お前、いい性格してるよな。あとこうやって抱えてるのはリュックを背負ってるからだ」
ブレアの蔵書で性格がひん曲がってしまってはいないだろうか。
そんなこんなで通路を抜けてしばらく歩いた。接敵は当然あった。が、俺がミスティを抱きかかえているということは常に魔力がミスティに注がれているということである。
「私のコアに不明な高揚感があります。何故でしょう」
「魔導弾撃ち放題で楽しくなってんじゃねぇか」
「私はそのような野蛮な思考を持ち合わせては――むっ」
「おい外すな――って!」
抜けてきたスケルトンを間一髪躱しつつ、ミスティの義肢でないほうの脚で蹴らせる。
すっ転んだスケルトンに追い打ちの魔導弾をミスティが放ち、粉々に砕けた。
「硬度で勝っているとは言え、私の脚を引っ掛け棒にしないでください」
「外したのはそっちだからイーブン」
「おかしいですね。この私が外すなんて」
その後も多少のモンスターの群れは、再生できるスケルトン含め一方的に蹂躙できた。
「……なにか? 多少の命中精度の粗さは数でカバーできているはずですが」
「いや別に」
第二階層で生まれた、とミスティ本人は言っていたけれど、どう考えても第二階層基準の強さじゃないよな。
それでも数の暴力に訴えられればひとたまりもないから、交戦と隠密を繰り返す形にはなる。
そして一番の問題は。
「やっぱりここ、第二階層の最下層だ。水路がある時点でもしかしてって思ったけど」
「あの落下で一番下まで落ちてしまった、というわけですか。よく無事でしたね」
「全くだ」
この水路は魂魄回帰街の外から入り込んでいるものだ。
地図に階層の北西に滝と河があった。
多分、第一階層から流れ込んだ水だろう。それが滝となり河となって魂魄回帰街の地下にまで流れ落ちているのである。
「っ、まただ」
俺は前方にモンスターを見かけ、道を変える。
ここは地上の魂魄回帰街とは全く違う様相を呈している。
イメージするなら地下牢の迷路。
鉱脈をくり抜き作られた石床の世界が延々と続いていた。
道は無数に分れ、小さな階段で何度も道が上り下りしている。通路の頭上を横切る道が何か所もあり、例えばそこから上階への階段が見えるが、まずそこへ行くための道が傍に見当たらない。
「はっ、はっ、はっ。どうなってんだ、昇っても昇っても上に行けない」
来た道に戻っている、というわけじゃない。ただ、上へ行く階段を上ってもいつの間にか降りてきている。
そうしている間にも接敵は続く。あの無尽に復活するモンスターと遭遇していないのが幸いだが、今後もその保証はない。
まるでアリジゴクに囚われたかのようだ。ずるずると深みに落ちていっている気がする。
「一度止まってください」
「はぁはぁ……ミスティ?」
「…………」
言われたように止まったけど、ミスティは一言も発さず周囲を見渡す。
ちょうど幾つかの階段にアクセスできる場所。周囲からの視線も通りやすい。バレやすい位置だ。
「ここだと」
「いえ問題ありません。この先右の階段へ」
「降りるけど」
「認識しづらいですがこの一帯の地面は水平ではありません。僅かな傾斜があります」
「つまり?」
「上ったつもりが降りている、ということです」
なんて珍妙な。
「壁や天井の構造のみならず、根が発する魔力により巧妙に錯覚させられています。目を修復できていなければ私も気づけなかったでしょう」
「そんな罠が」
「つまり先ほど私が外してしまったのもそれが原因です。私に非はありません。むしろこの短時間で気づけたことを賞賛するべきではありませんか?」
「はいはいすごいすごい」
「あなたは人形ですか?」
うるせえ。
しかし厄介な場所だ。
魂魄回帰街地下の地図には厳密な階分けがなされていない、そう聞いたことがある。
ミスティのさっきの言葉が答えなのだろう。
地下一階を歩いていたら次の瞬間には二階に降りている、というのが起こりえる場所なのだ。階分けするのが馬鹿馬鹿しい。
降りならショートカットできる場所は幾つもあるが、戻るとなるとこの罠が待ち構えている。やはりダンジョンは油断ならない。
行きはよいよい、帰りはなんとやらだ。
そして俺たちは行きをすっ飛ばして帰りから始めているわけである。
「……リム」
「わかってる」
いる。つい先ほどから奇妙な動きをするモンスターたち。
明らかに普通のモンスターたちと違い、何かを探している様子だった。
進みづらくて仕方ない。
「はぁはぁはぁ」
「一度休憩しましょう。あちらへ。どの箇所からも死角となっています」
「わかった」
階段の下、陰となった場所に俺たちは潜り込む。確かにここならば覗かれなければ見つからない。
疲れた身体を労わるように、俺もミスティも壁に背中を預けた。硬いけど、ないよりマシだ。息がつける。
水筒から一口水を含み、喉を潤す。ミスティは……首を振られた。さすがに要らないか。
「やっぱりあの人形たちと同じだよな」
「現状を推察するに間違いないでしょう。私たちは上階への移動を封じられています」
言いながら、ミスティは自分のリュックからさっきの人形の頭部を取り出した。
警戒するまでもなく人形は完全に沈黙しており、動く気配はない。
ミスティはそれを弄り、頭部を裂くように割ると、カランと何かが落ちた。
指先サイズの小さな石の欠片だった。
「欠損していますが模様が描かれています。恐らくは魔力のパスを繋げるためのもの」
「どういうことだ」
「推測にはなりますが、あの人形たちは別に幽霊などが乗り移ったわけではない、ということです。他の別のモンスターによって支配……いえ、操作されていたのでしょう」
「つまり……あの人形たちは厳密にはモンスターじゃないってことか?」
「はい。とは言え、無制限ではないようですが。いまも繋がっていたら、こうして隠れていられなかったはずです」
なかなか危ない橋を渡っていたんだな、俺たち。
ミスティは俺のことをじっと見据えてくる。星の浮かぶ翠玉の瞳。薄暗いこの場所でも煌びやかで、旅人の指針を示す一等星を思わせた。
けど、すぐにミスティは顔を伏せる。表情は変わらない。しかしアンテナの翡翠光は弱々しく明滅した。
「あなたに、いえ、皆に謝罪しなければなりません」
「落ちたのはお前のせいじゃないって」
「そうではなく。この現状そのものにです」
ミスティは自身の胸に手を当てた。義手を、義足をそれぞれ見て、最後に俺を見る。
「一部ではありますが記録が修復されました」
「! ブレアに会う前のか」
「はい。期せずして落下時の衝撃が契機となったようです」
そして、ミスティは予想だにしないことを俺に告げた。
「レストラ・フォーミュラは【ケセド】。あなたたちがセフィラと呼ぶテンシの暗殺を企てていた可能性があります」
―◇―
某所地下。ただ一人しかいない工房。
「…………」
そこでレストラ・フォーミュラはただ黙々と作業を続けていた。
複数の鉄を溶かし、型に流し、細分化したパーツを幾つも組み合わせ、造られた基板。そこへスキルによる刻印を幾重にも施し、パス同士の接続点、起点を作っていく。
根気のいる作業だった。集中が途切れば全てがやり直し。事実、何枚ものパス基板の残骸が部屋の隅の木箱で山積みとなっている。
疑似アーティファクトとは誰もが作れる代物ではない。魔石灯や使い捨てではない複雑な構造のものは、作製に専用のスキルを必要とする。
例えば、リンダ・トゥリセの金雷のハルバード。
あの疑似アーティファクトは、電荷量の多い鉱石をスキルによって封じて加工。その他ダンジョンと繋がっている素材を複数用いて、使用者の魔力に呼応して自由な出力で雷を放つことができるよう、極めて繊細な調整がされている。
しかも魔力の一部を用いるため、木っ端な疑似アーティファクトと違い耐久性も保証されているといった、極めて優秀な疑似アーティファクトだ。
高性能なものほど複数のスキルを必要とする。
ダンジョン素材の特性を強化、あるいは封印するスキル。
他の素材との相乗効果を円滑にするスキル。
特定の特殊素材の加工を可能とするスキル、などなど。
その種類は多岐に渡り、何が疑似アーティファクトの作製に必要となるかは、使用者の発想次第であった。
「…………」
そしてレストラが用いていたスキルは、ダンジョン素材にパスを形成するものだった。
起点。あるいは中継点として。
使用者のパスと繋げるための経路を形成・拡張するスキル。
義肢装具士になるためには必須のスキルだ。
ただ、レストラのものは他とは少し異なっていた。
通常、義肢などに形成されたパスは使用者のパスと直接接続して初めて機能する。
だが、このスキルで形成されたパスに、身体的接続は必要としない。
例えば、ダンジョンと人間が直接は繋がっていないように。
遠隔でのパスの経路を構築することが可能となっている。
そして、対象が【叡樹の形図】を持たないモノなら、シスターのみが行えるパス接続の秘術【祝福】すらも必要がない。
そんなスキルだった。
「…………」
元は義肢装具士が持つスキルと同一であった。ダンジョンで獲得したとあるモンスターの素材のパスを【祝福】で移植してもらい、得たスキルだ。
入手方法は他の誰とも変わらない。
だが、レストラは魔法、あるいはスキルを拡張する術を知っていた。
魔法とスキルの習得とは、使用者に刻まれるものではない。
あくまでその根本はダンジョンにある。ダンジョンと繋がることで、その魔法やスキルと繋がり、発動が可能となるのだ。
例えば魔法。その発動に詠唱が必要とされるが、厳密にはそうではない。
詠唱とは、ダンジョンという無限の迷路に存在する魔法への道を辿るための手段であり、使用者の脳を魔法発動状態に移行するための精神統一に過ぎないのだ。
その精神統一が一瞬でできるならば、無詠唱での魔法発動も可能である。
「…………」
そして、魔法へ至るための道を変えられるならば、異なる魔法の発動も可能となる。
当然、普通は不可能である。不発、あるいは魔力の暴発による使用者へのダメージとして返ってくる。詠唱失敗による反動がそれだ。
だが、レストラはそれを可能とする技術を会得していた。
物心つく以前より、魔法に触れ、その技術を学び鍛え、スキルも別のものへ昇華させる術を身に着けていた。
「…………ふぅ」
レストラは息をつき、基板を特殊な溶液の中に沈める。泡を立たせる基板から削りカスのようなものが浮かび上がってきた。
あとはしばらく待てば、スキルの効果が定着し、パス基板として機能するだろう。
「これで子機は十機。あとは【イェソド】だけだ」
レストラは振り返る。
壁を背に椅子に座って並ぶ十体の人影。
灰色の鉄の人形。女性、というにはやや先鋭化した姿ではあったが、ミスティをより簡素化した人形にも見えた。
そして人形たちの中心、壁に設置してある卵型ベッドのようなポッド。そこには一体の人形が眠っていた。他の人形たちと姿形に差異はほとんどない。
ただ唯一、胸部に丸い空洞がぽっかりと空いていることを除いて。
物言わぬ人形の眠るポッド、その頂点にある鉱石が青白く明滅する。
まるでここに収まる者の存在を待ちわびるかのように。
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