026:声と焔と


「くそっ!」


 全速力で奇怪な屋敷の中を俺たちは駆ける。背後に迫るのは数十体以上ものマッドパペットの群れだ。

 もう背後の通路をマッドパペットたちが埋め尽くし、お互いを押しのけ乗り合う人形の洪水となっている。

 奴らの手や足は鋭利な刃物のような形状となっており、もし呑み込まれればズタボロの肉塊と成り果てるだろう。


「いつもあんなに現れるのか!?」

「んなわけないじゃん! あんなのにいっつも追われてたら探索どころじゃないって!」

「それよりも私の感知が効かないことのほうがおかしいよ! わっ!?」

「【無明の刀身】!」


 前方からエッセに飛び掛かって来たマッドパペットを斬り落とす。マッドパペットの残骸は洪水に呑み込まれて消えた。


「足はそれほど速くありませんが、いずれ追い付かれるかと」

「なんで!?」

「この中で最初に限界を迎えるのが私だからです」


 さも当然のように言うの止めて欲しいんだけどなっ!?

 どうする。俺が迎撃に残って先に行ってもらうか? 【無明の刀身】で壁を作って波を掻き分けて、拡散したマッドパペットたちを撃破。言うは易し……とすら思えない無謀だ。

 けど撒くことができない以上、それしか選択肢は。


「ミスティ! あそこ! この先の壁にある出っ張り! あれ壊して! いますぐ!」

「了解しました」


 走りながらミスティが左腕の銃口を、壁にある出っ張りへと魔導弾を放つ。

 光条放つ翡翠の弾が吸い込まれるようにその出っ張りを砕くと、揺れ響く轟音とともに天井が崩れ落ちてきた。


「ダッシュ! 立ち止まらないっ!」

「わわわわわっ!」


 崩落する天井の雨の中を一気に駆け抜けた。ガンガンと頭を保護するガントレットに衝撃が何度も響く。

 何とか全員崩落に巻き込まれることなく、抜けることはできた。

 だが。


「戻れなくなったな。マッドパペットは生き埋めになったけど」

「あれに追われるよりマシマシ! あー、建築家の友達いて良かったー! ここ、造り滅茶苦茶だから場所によってはすごい崩れやすいって言ってたんだよね」


 なるほど。あの出っ張りは天井部を支える箇所だったのか。確かに天井のアーチ状の梁のようなものと繋がっていたように見える。

 と安堵しかかったタイミングで、マッドパペットが一体飛び掛かって来た。咄嗟に左手のガントレットで裏拳の要領で弾く。


「ナイス反応!」


 壁に激突したマッドパペットは手足胴体とバラバラに砕け散る。脆いのだけは救いだ。


「抜けた奴もいたのか」

「ごめん、リム。また感知できなかった……」

「お前のせいかもわからないうちに謝るなって」


 うん、と頷くエッセだけど表情は芳しくない。感知には自信があったから、それが通用しない相手が現れて気を落としているのだろう。

 どう言うべきか逡巡して、口を開こうとしたとき、目の端でブレアがぎょっとするのが見えた。


「ちょ、リムくん気を付けて!」

「え……はっ!?」


 砕け散ったはずのマッドパペット。

 確実に仕留めたはずの人形モンスターが、身を捩り、ずるずると身体を引きずり動き始めたのだ。

 バラバラになった手足は胴体へと吸い込まれるようにはまり、砕けた場所はひび割れを残しながらも謎の吸着力で崩れ落ちない。


「!」


 飛び掛かろうとしてきたマッドパペットを、ミスティの魔導弾がより細かく撃ち砕く。

 だが、砕かれた部位は亀裂を残しながらもマッドパペットの形となり、歪な足取りで迫ってくる。

 背筋が凍る。覚えのない恐怖が足元を這い回る。

 モンスターは倒せる。どれだけ強くとも、あくまで生物だ。

 だけどこいつは。


「あ、ああ、ぁぅ……」

「っ!」


 エッセはもう限界だった。恐怖に心を折られかかっている。

 さらに止めを刺すように崩落した天井の瓦礫の隙間から、人形の手や足、頭、胴体などが這いずって抜け出て来た。

 第二階層の探索経験があるブレアに現状について説明を求めても、お手上げといった風に頭を左右に振るだけ。

 つまり全く未知の現象。

 俺もアシェラさんからこんな話は聞いたことがない。いや……アシェラさんなら知っていたかもしれない。俺が聞こうと、知ろうとしなかっただけで。

 だけど腐っている暇なんてない。いまならまだ逃げ切れるだけの猶予はある。


「うっそでしょ……」

「どうした!?」

「……こっち行き止まり」

「はぁ!?」


 窓のない歪な通路。その先の幾つかのドアをブレアが覗いて告げた知らせがそれだった。


「で、でも広めの小部屋になってるから、抜け道ないか探してみる!」

「任せた! エッセも探してきてくれ!」

「……」

「エッセ!」

「で、でも、私なんかじゃ、感知もダメで。こ、この前だって街中で現れたモンスターを感知できなくて」


 俺はエッセの頬を両手で抑え、無理矢理俺と目線を合わせさせる。

 玉虫色の色鮮やかなはずの瞳は、恐怖と失意にその色彩が損なわれてしまっていた。


「どっちが怖い?」

「え?」

「訳の分からないあいつらと、俺があいつらに殺されること。どっちが怖い?」

「!」


 エッセが泣きそうな表情になる。けど俺は続ける。


「俺はエッセが殺されることのほうが怖い。だから考えるのをやめない。動くのをやめない。生きるために」

「……私は、私も。でも」

「俺はいつだってお前に助けられてた――最初の最初っからな」

「……あ」


 そう。エッセがエッセとなるその前から、俺はずっと彼女に助けられ続けてきた。

 悲鳴を上げたい境遇を押し殺してなお、誰かのためにと、俺のためにとあり続けた目の前の少女を知っている。

 五年もの間ダンジョンの中で、異形となり孤独となってもなお生きることを諦めなかった少女を知っている。

 だから、助けたい。力になりたい。

 いつか。いつの日か、全ての重荷を下ろした彼女の笑顔が見たいから。


「すみません、一体撃ち漏らしました」


 防衛してくれていたミスティをすり抜け、マッドパペットが俺たちに飛び掛かってくる。

 反撃は――できなかった。頬を包む手に触手が絡まって離してくれなかったから。

 その代わりとでも言うように、空中で触手がマッドパペットの胴体に掴むと、反撃される前に壁へと乱雑に投げつける。

 クォーツボアを投げ飛ばせる強靭な触手だ。当然粉々である。


「ありがとう、リム」


 エッセは、俺の手に触手と自身の手を添えて、憑き物が落ちたような微笑みをくれた。


「なんだか卑屈になってたみたい。でも、うん。私には俯いてる時間なんてなかったや」

「エッセ……。……任せていいか?」

「うん、任せて。私は死んでなんていられないもん」


 エッセが俺の手から離れると、身体中から触手を伸ばした。


「目ならいっぱいあるからね。抜け道、絶対見つけてみせるからっ」


 そう言って、ブレアのいる通路の角に走っていった。

 さて、あとは。


「ミスティ、待たせた」


 もうすでにかなりの数のマッドパペットが這い出て来ている。

 これをエッセたちが抜け道を見つけるまで抑えないといけない。


「これ以上の敵個体増加を許せば、処理能力の上限を越えるでしょう」

「わかってる。けど一つ試したいことがある」


 それをミスティに話すと、怪訝な表情を浮かべた。

 当然だ。でも説明している暇はない。


「信じてくれ」

「……信じましょう。現状、あなたは私の期待に応え続けています」


 ミスティは左腕の砲座を構えた。

 俺のオーダーは最大出力。マッドパペットを粉々にする破壊の一撃。

 翡翠に煌めく砲口。瞬く魔導弾が放たれる。

 ――俺のガントレット、〈焔纏ほむらまとい〉に。



 ―◇―



「これ着けたまま【無明の刀身インタンジブル】が使えるとは思わなかったな」

「第三階層に出てくるプールチャンバーっつー獣の革だ。輝星水晶スターライト並みに魔力を通す代物だからもしかしてって思ってな」


 使い慣れた手に馴染むブロードソード型の翡翠剣を解除すると、解けた翡翠の粒子が黒革のグローブに吸い込まれるように消えた。


 ダンジョンに行く前の【隻影】にて。

 じいさんにガントレット〈焔纏ほむらまとい〉の仕様を聞いていた。


 〈焔纏ほむらまとい〉の着け心地は上々。ぴったりとフィットし、窮屈さも感じない。

 もちろんただのグローブほど軽くはないが、剣よりは圧倒的に軽い。

 なにより腕を振っても風の抵抗を感じないのが良かった。

 ほとんど重さのない翡翠剣を振るうのに支障はないだろう。

 唯一の懸念点はおろしたてなだけあって、革の硬さがあることだろうか。

 ただそこ以外に欠点を見いだせない。


「おい、腕を上げてみろ」

「ん……こうか?」

「ふっ!」


 瞬間、背筋が凍った。自分が頭から股にかけて真っ二つに斬られた姿を幻視した。

 殺気すら伴う気迫とともに、一切の反応さえさせず、じいさんが俺に剣を振り下ろしたのだ。

 甲高い快音。幻視した鮮血は舞わず、代わりに振り下ろされた剣の切っ先が壁に突き刺さった。


「な、なな」

「い、いきなり何するのおじいさん! びっくりしちゃったよ!?」


 抗議できずにいる俺に変わって、エッセが頬を膨らませて触手をぶんぶん振るう。


「実演したほうが早ぇだろ。まぁそんな感じでそこらの剣じゃあ傷一つつかねぇくらいには頑丈だ。あぁ、逸らすときは腕に当たらねぇよう気をつけろよ」


 で、だ。とじいさんは続けた。


「甲を見てみな。それがそいつの謎にして本質だ」

「!」

「わっ、真っ赤になってるっ!」


 さっきまで漆黒だった鋼鉄の装甲が、いまでは鮮やかな赤い輝きを放っていた。

 しかも明らかに熱を放っている。


「ラスターの外殻鉄。その深部。あれは熱を蓄える」

「熱を」

「お前、さっきの儂の剣で腕が痺れたか?」

「……そういえば」


 衝撃らしい衝撃をほとんど感じなかった。

 ガントレットの性能が優秀というのはもちろんだが、それを差し置いてもおかしい。


「一通り試してみたが、そいつは衝撃や威力を伴う魔法の影響を受けると、熱に変換して溜め込む性質がある。許容限度はあるだろうが、試せちゃいねぇ。頑丈さに関してはさすがにオリハルコンやアダマンタイトほどじゃあねぇだろうよ」


 だけどつまり、試した限りではほとんどの攻撃を無力化できる、ということか?


「おおおお」


 地鳴りのような声が自分から漏れるとは思わなかった。それくらい感動している。

 全部お金に変えなくて、良かったっ!


「わぁー、リムがすっごく嬉しそう」

「ったく、呪われた装備かもしれねぇってこと忘れてんのかよ。一丁前のガキの面しやがって」


 何を言われようとも気にならない。

 だって、俺の体質のせいで疑似アーティファクトとかそういう特殊能力のある装備とは無縁だったんだぞ。嬉しいに決まってるだろ。


「んで最後に一つ」

「まだあるのか!?」

「ったりめぇだろ。溜め込んだら次にすることといやぁ……――」



 ―◇―



「これは」


 爛々と鮮やかな赤に染まる〈焔纏ほむらまとい〉。

 拳を握り、〈焔纏ほむらまとい〉の装甲の先端をマッドパペットたちへ向ける。

 右手を左手首に沿えて、グローブと装甲部の接続部となっているブレスレットの取っ手に親指を掛けた。

 これから起きることは単純明快だ。

 溜め込んだ熱を、俺の魔力で着火し、放出する。

 それが〈焔纏ほむらまとい〉の疑似アーティファクトとしての性能。

 じいさん曰く、熱さえ出しきってしまえばただの装備品に成り果てるから、魔力を注ぎ込んでも壊れることはないとのこと。

 一発で使い果たすから連射もできない。

 試射もしていないぶっつけ本番の一発勝負だ。


「ふぅうう……」


 剣も鎚も魔力の弾も効かない、木と金属のボディを持つ奴らにどこまで効くか。

 撃ってからのお楽しみだ。


「信じるぞ、じいさん!」


 俺は取っ手を捻り、ブレスレットを回転。俺と〈焔纏ほむらまとい〉とが繋がる。魔力の経路が構築される。

 俺の体質で流れていく魔力。肌を焼くと思うほど急速に熱を帯びた〈焔纏ほむらまとい〉が赤い閃光を瞬かせた。


 俺の意識が、落ちた。


「――――――――」


 ダンジョンへと沈むとき見る泡沫の世界。

 しかし、そこにあるのはただ一つ、赤くくゆる火とも泡ともつかない、不確定の熱。

 真紅の閃光の明滅は以前よりも遥かに強く、鮮やかで、俺の来訪を待ちわびたかのように、この空間を焼き尽くすほどの鮮烈な熱を放つ。

 俺は逃げるのではなく、その閃光に手を伸ばした。

 直感だった。でも確信していた。

 これは形を欲している。

 名を欲している。

 命が吹き込まれるのを待っている。

 柄を握る。


『あぁ、繋がった。いいとも、存分に振るい貪れ。それが我の糧となる』


 声がした。初めてラスターの外殻鉄に触ったときと同じ声。

 誰だ、と問う前に俺は浮上した。


「……これは」


 覚醒した世界に変化は何もなく。

 ただ爛然とした赤を放つ剣が、俺の手の内より世界に己を誇示していた。

 ――波状剣。

 かつてダフクリンの所有していた魔法剣のアーティファクト――〈フラムヴェルジュ〉。

 これはそれと酷似していた。刀身は波打ち、赫赫と燃え立っている。

 だが、熱くない。

 柄を握る手を焼かず、〈フラムヴェルジュ〉のように暴発することもない。

 そして決定的な違いは、その刀身に翡翠色の樹状模様が不規則に刻まれていたこと。

 それを俺が読めたこと。文字として認識できたことだ。


「敵個体増加。奥の部屋への退避を推奨」

「いや、ここでいい」


 俺はその剣を両手で握る。全身のパスは魔力が巡り廻る輪となっている。

 そこにこの剣も組み込まれていた。循環していた。

 何故これが暴発しなかったのか。理由がそれだ。

 この剣はいま、俺の身体の一部となっている。理解した。

 これは【無明の刀身】だ。

 【無明の刀身】が、〈焔纏ほむらまとい〉の外殻鉄に焼き付いた剣を顕現させたのだ。

 俺は刀身を地面と水平へと構える。剣閃は赤い残滓を薄暗闇に残し、俺の顔の横で、翡翠に樹状模様が浮かび上がる。

 そこに刻まれた銘は――。


「〈ナーマヴェルジュ〉!」


 切っ先を群れ動く人形へ向け、左足を踏み込むと同時に剣の名を呼び、突きを放った。

 焔光が赤く世界を塗りつぶす。

 逆巻く狂い火の如き旋風の焔が、通路一帯を人形ごと一匹残らず呑み込んだ。

 立ち昇る轟炎。砂塵撒き散らす衝撃。

 崩落した瓦礫に炎が舞い弾け、風圧が顔を、全身を撫でるも不思議と熱を感じない。

 重なる業火の内で、マッドパペットたちはもがくように踊り狂い、倒れていく。


「ふぅうう、ッッッッぁああ!」


 それでも数は多い。確実にここで燃やしきる。跡形もなく、一切の欠片すら残さず、エッセを、皆を傷つけさせないために、こいつらを絶対に。

 燃やす――! 消し去る――!


「警告。あなたの保有魔力が急激に低下しています。それ以上の行使は健康状態並びに、侵食に対する抵抗力に悪影響をもたらすと推測。速やかな停止を推奨」

「まだだ! まだ動いてる! あいつらはっ!」

「極度の興奮状態にあると見られます。強制終了が必要と判断。失礼します」


 ミスティが横から俺の腕を掴み、〈ナーマヴェルジュ〉を離させようとした。

 そのときだ。

 刃から放たれる炎より弾けた小さな火の粉が、ミスティの右腕の義肢に触れる。

 俺はその瞬間、瞬きをしなかった。確実に。だから見えた。

 火が、義肢を喰らい膨らむのを。


「ッ!」

「ミスティ!」


 咄嗟にミスティを突き飛ばし、俺は〈ナーマヴェルジュ〉を手から放棄する。

 同時に膨らんだ炎は掻き消え、正面の灼熱の炎たちも鎮火していく。

 赤熱した粒子に解けた炎の剣は、俺の左手に吸い込まれるように戻り、一度ガントレットを赤く染めたかと思うと、黒く沈黙した。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 俺は、何をしたんだ? いま、いったい何を……。


「あ、う、ミ、ミスティ……ごめん、ごめん俺は」

「ご安心を。融けたのは義肢であり、私のボディは一切のダメージを負っていません。また義肢も外装のみで済みましたので、可動に支障はございません」

「けど……!」

「息を深く吐いて、吸いなさい。座って」


 言われた通りに俺は溜まった息を吐いて、その場にへたりこんだ。

 深呼吸するとともに頭に冷静さが戻ってくる。


「……」


 言い訳するつもりはない。けど、何かがおかしかった。

 止まらなかった。声は聞こえていたのに。


『使い手の命を奪う許されざる武具のことだ』


 じいさんの言葉が思い出される。

 騙された……いや認識が甘かったのだろう。

 奪うのは使い手の命だけじゃなかったのだ。

 それを導いたさっきの声。頭の中に深く食い込むような、響く声。

 誰かは知らない。だけど関係ない。


「次、話しかけてきたら……」

「現状、自省に割く時間はないかと」

「え、うわぁ……」


 マッドパペットたち、まだ生きてる。

 炎に巻かれ、腕や足がない他、身体中の大部分が欠損したりしているが、どうにか俺たちに迫ろうと身体を引きずっていた。

 ただ、さっきのような再生はしないみたいだ。あの炎は一応有効であったらしい。


「……」

「ミスティ何を」

「稼働しているものの中で確実に抵抗できないものを回収します。詳しく調べれば、これの原理が判明するかもしれません。この世に幽霊などいないのですから」

「お、おう」


 妙に迫力のあるミスティは、顎と歯を喪失したマッドパペットの頭部を布で包みリュックの中に押し込む。確かに抵抗もほとんどなく、確実に攻撃手段を失っているようだった。


「リム! 見つけた見つけた道をぉおおおおおおっ!? 人形いっぱい倒してる!?」

「話はあとだ。いまのうちに逃げよう」


 エッセに案内されたのは、小部屋の奥の天井の穴。そこはドアがぶら下がっていて、穴からブレアが顔を覗かせてこちらを見下ろしてた。


「ばっちし! こっちも道続いてるよ!」

「よく見つけたな。そのドア、天井の色と同化してるっぽいけど」

「エッセちゃんの目のおかげ! あたし全然気づけなかったし」


 エッセは照れ臭そうにはにかんでいる。


「じゃあ上から引き上げるね」


 エッセが触手を伸ばしながらジャンプし、器用にドアに引っ掛けてすっすっと天井に登っていった。さすが第一階層で天井移動していたことはある。

 まるで猿のよう……とはさすがに口にしないでおこう。


「じゃあ、ミスティから。リムくん、下から持ち上げてあげ……あれ、ミスティどうしたのその腕」


 ブレアがミスティの欠けた義肢に気づく。俺が説明しようとして、しかしミスティが手を上げて制止した。


「私のミスです。リムに落ち度はありません」

「はい、俺の落ち度です」

「リムくんの落ち度なんだね、わかった」

「……? 落ち度はないと言ったはずですが」


 困惑しているミスティは置いておいて、説明はしておかないと。

 そう思ったときだった。

 視界が揺らいだ。疲労? いや違う。ミスティも無表情で周囲を見渡している。

 何だ? 足元が揺れている?


「リム! 外の通路が崩れてってる!」

「っ!」


 エッセが触手を伸ばすが、崩落の速度が速い。俺の立っている場も上下に波打った。

 人形たちが何かした? それとも〈ナーマヴェルジュ〉の炎の余波か。

 どちらにしてもこの感じ、間違いなくこの部屋の足場まで崩落する。


「リム!」

「ミスティ登れ!」


 ミスティ一人だけなら、まだ間に合う。エッセの触手で引き上げてもらえば。

 しかし、ミスティは俺の腕から離れるのではなく抱き締めた。


「ツーマンセルのほうが全員の生存率が高いと判断」

「ミスティ!?」

「後程合流を、エッセの力ならば可能でしょう」


 地面が崩れた。景色がずっと垂直に落ちる。


「リムぅううううううううううううううううう!」


 エッセの悲痛な叫びは崩落の音に呑まれて、それ以上俺に届くことはなかった。

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