023:ただいまとこれから


 『隻影』を訪ねると、じいさんが腕組みをして待ち構えていた。

 巌を思わせる顔立ちは目元が落ち窪んでいて、より際立っている。明らかに不機嫌だ。

 まさかブレアのことがバレたのか……?


「……」

「おじいさん寝不足?」

「そこの坊主のせいでな。それと」


 じいさんは後ろのカウンターに置かれていた黒い物体を持って見せた。


「それは」

「ガントレット、だよね?」


 黒鉄装甲のガントレットグローブ。

 指先から上腕部の半分ほどまでが、黒曜石を思わせる漆黒の装甲で覆われていた。

 装甲部は滑らかな曲線を描き、鉄でありながら水晶のような透明感がある奇妙な光沢があった。


「左手のしか見当たらないけど」

「間に合わんかった」


 突然の依頼だったからな。致し方なし。

 とは言え、じいさんがそれだけ時間をかけた代物だ。相応の性能はあるのだろう。

 問題は着け心地と、【無明の刀身インタンジブル】にどう影響するか。


「じゃあ早速つけて」

「……」

「じいさん?」


 伸ばした俺の手からひょいとガントレットを離すじいさん。表情は終始変わらず不機嫌なままだ。


「どうしたの、おじいさん?」

「儂はいま、こいつをお前に渡すか迷ってる」

「はっ?」


 え?


「ちょ、ちょいちょい待て待て待て。それで完成してんだろ?」

「失敗しちゃったとか?」

「いや、防具としちゃ充分なもんに仕上がっとる。儂の右腕に賭けてな」

「右腕ないじゃ」

「リムそれは言わないほうが」


 つい。


「右手のほうがまだだから渡せないとかか?」

「いや…………お前この前、何か聞こえたかどうとかって儂に聞いたよな?」


 たっぷり間を置いて紡いだ言葉はそんな問いかけだった。

 俺は訝しみながらも頷く。

 初めて触ったときに一瞬だけ『おっ』という声を聞いた。だからじいさんも、と思ったのだ。エッセ以上にべたべた触ってたし。


「じゃあもしかしてじいさんも?」

「いや、知らん」

「どっちだよ」

「だが、問題はあった」


 冗談抜きの神妙な表情でじいさんはガントレットを見下ろす。


「こいつ、儂に武器を打たせようとしよった」

「……この前の鉄の声がどうとかって奴?」

「そんな生温いもんじゃあねぇ。声を聞いたとしても主導権は鍛冶師にある。鍛冶が己が腕を振るい、武具に仕上げるもんだ」


 だが、とじいさんは身震いさせながら言った。


「こいつは、儂を使って己が望む姿に成ろうとしよった」

「……いまいちピンと来ないんだけど」

「儂も上手く言えん。だが、為されるがままだったら、儂は魔剣や妖刀の類を打っておったろうよ」

「アーティファクトを?」

「違う。使い手の命を奪う許されざる武具のことだ」


 視線は刃のように鋭く、俺の喉元に突き立てられている。一瞬呼吸を忘れるほどだ。


「鉄が鍛冶師に歯向かうなんぞ百年早いからな。儂はねじ伏せてやったが」

「じいさん、我が強いもんな」

「あ?」


 いつものじいさんも大概抜き身みたいなもんだ。


「で、結局それは俺に使わせてくれるの?」

「だから迷っとる。儂はこいつの意思をねじ伏せた。だがそれで魔剣の類になっておらん保証はない。別の形で使用者に牙を剥く可能性は拭いきれん」

「つまり、使う場合は自己責任?」

「欠陥品を押し付けといて自己責任にするほど儂は性根が腐ってねぇよ」


 その言葉にじいさんの鍛冶師としての誇りが垣間見えた気がした。


「だから聞く。使うか、使わないか。防具としての性能は申し分ない仕上がりにした。疑似アーティファクトに近い仕様にもなっとる。儂の見立てではお前でも使えるだろう」

「!」

「ふんっ、一丁前のガキの面しやがって。使いたくて仕方ねぇって感じか?」

「そ、そんな顔しねぇよ」

「リム、口元にやけてるよ」


 エッセがにんまりと笑っている。触手も心なしかからかっているように揺れていた。


「リムの新しい一面見れた」

「ち、違うし、別に俺は」

「怖くねぇのか? 自己責任にさせるつもりはねぇ……が、ダンジョンで使って起きたことの責任を儂は取れねぇ。こいつは本来ならもっと段階を踏んで仕上げるべき代物だ」

「いい。ぶっ飛んでるほうが張り合い甲斐がある。普通のやつじゃあ何も変われない。じいさんが作った魔剣、妖刀ってんなら望むところだ」

「……無茶はすんなよ」

「今更かよ……でもまぁ、生きて帰るのはもう絶対条件になってる」


 いま隣にいる少女がいる限り、その条件は破られない。

 そうでなきゃ、アシェラさんに顔向けできない。

 じいさんはたっぷり十数秒唸り、そして猪のような深い息を吐いた。


「わぁーた、こっち来て座れ。着けてやる。仕様の説明もしなきゃならん」

「ありがとう、じいさん」

「ふんっ」

「おじいさん照れてる可愛い」

「うるせぇ!」


 俺とエッセは顔を見合わせて笑う。

 じいさんが責任を負わせないためにもこのあとの探索は必ず成功させないと。




 そしてガントレットの装着と仕様の説明を受けて、俺たちは『隻影』を後にした。

 いまはダンジョンのある『ガーデン』行きの馬車の発着場へ歩いているところだ。


「リムカッコいい~! とぉーっても似合ってるよ!」


 エッセが触手と一緒になって俺の左手を持ち上げる。

 黒鉄のガントレット。それに俺の手がすっぽりとハマっていた。

 着け心地は上等だ。剣を握るのにまるで支障があるとは感じられない。


「やめろよ街の往来で。どうせあれだろ、馬子にも衣裳ってやつだろ」

「ううん! 物語に出てくる王子様にぐぐっと近づいたって感じ!」

「うぐ」


 羞恥心を刺激するその言葉を俺にクリティカルだからやめて欲しい。

 なんであんな恥ずかしいことを臆面なく言ってのけられたんだ、あのときの俺は。


「リムは黒似合うよね。でもやっぱりおじいさんが言うような危ないガントレットには見えないね。えっと確か名前は」

「〈焔纏ほむらまとい〉。全然炎っぽくないけどな。まっ、性能のお披露目はダンジョンでってことで」

「ふふ、うん。試したくて仕方ないんだね」

「お、俺は別に」

「さぁさぁ張り切って行こうっ!」

「おいエッセ。だから俺は別に」


 左手を触手と一緒になって引っ張るエッセに、俺の反論は届かない。

 その間、〈焔纏ほむらまとい〉が声を発することは一度もなかった。



―◇―



 『ガーデン』に入ってすぐ、俺は彼女がいることに気づけた。

 長らく会っていなかった、まだ言葉を交わせていない人。


「リム、くん……」

「アシェラさん」


 背を丸め、人の波に耐えるように立ち尽くす彼女もこちらに気づく。

 癖っ気の長い深緑の髪はいつも以上に跳ねて、前髪に隠れた翡翠の瞳の下にいつもより濃いクマができてしまっている。

 憔悴しきった虚ろな目が俺の視線と交わると、怯えるように地に落ちた。

 感動の再会、なんてなるはずがない。

 アンバーさんの言ったことが重く圧し掛かる。

 死にたがりで居続けたことがどれだけアシェラさんを傷つけて来たか。

 胸が重くなる。アシェラさんが遠い。足が根を張ったように動かない。


「っ」

「うん」


 エッセが俺の背を触手で押した。足はすんなりと前に進んでアシェラさんの前に立つ。

 波に立ち尽くす岩が二つになった。

 言わないと。言おう。言え。たとえ拒絶されても。


「こ、ここ、これ……調べて、って頼まれてた、もの……」


 押し付けるように渡してきたのは折り畳まれた紙。一枚、いや二枚ある。


「す、推測も混じっ、てるから……。確認できたのも相当、前。だから、確定情報じゃ、ない、でもある、と思う。求めてるもの、きっと、あるから、エッセさん、なら見つけられる、から。安心して」

「ありがとう、アシェラさん。俺」

「頑張って、ね」


 踵を返そうとしたアシェラさんの手を俺は掴んでいた。

 怯えたように肩を跳ねさせて、振り向いた彼女の瞳は濡れていて。

 詰まりそうになる喉をどうにか震わせて、その言葉を絞り出す。


「ただいま」

「……ぁ」


 涙が弾けて、見開かれた瞳が真っすぐ俺に向いてくれた。

 手を離しても、アシェラさんは動かない。


「『いってらっしゃい』って送り出してもらってから長くなったけど、ただいま。階層主ダンジョンイーヴルと戦うことになったり、最近は採掘なんかしたり、レースで一位獲ったりとか、ちょっと変な奴に絡まれたりして面倒なことになったりもしたけど」

「……」

「でも、帰ってきたから。これからも帰ってくるから。……ごめん、いままで心配かけて」


 それ以上の言葉が見つからなかった。

 アシェラさんが俺の右手を取った。両手で包んだ拳を額に持って行くと、祈るように頭を傾ける。 

 手袋越しでも温かいと感じたのは彼女の手がそうだからだろうか。

 祈りを終えて、顔を上げた彼女の前髪の隙間から、笑みを象った瞳が俺を見つめている。


「おかえりなさい、リムくん」

「アシェラさん」

「ありが、とう。こんな私を担当にしたいって、言って、くれて」

「……嘘じゃないから」

「うん、リムくんは嘘、下手、だから」


 俺、嘘下手なのか。


「今日も、探索、するの?」

「うん。第二階層に潜る」

「っ……必要な、こと、なの?」

「そうすることで助けられる人がいるんだ。アシェラさんが調べてくれたこれを無駄にしないためにも成功させないといけない」

「そ、それが、役に立つなんて……保障、ないよ」

「立つよ。俺はそう信じる」

「…………」


 アシェラさんは俺の左手を撫でながら眺めて、後ろのエッセに視線を向けた。


「リムくん、守って、上げて、ね」

「もちろんだよ。でも、アシェラにも手伝って欲しいの」


 口元を綻ばせたアシェラさんは、けれど泣きそうな表情で俺とエッセを交互に見やり、そして手を離した。

 一歩、二歩と下がる。人の波にぶつかりそうになって、怪訝な視線を向けられて、でも今日のアシェラさんは俺たちにしか気が回っていなかった。


「ごめん、ね……決心つけられない私で、優柔不断で、ごめん、ね」


 踵を返したアシェラさんを今度は止めることができず、その小さな背中が『ガーデン』の奥に消えていくのを見ていることしかできなかった。

 エッセの触手に引かれ、ロビーを離れて壁際に行く。


「まだ悩んでくれてるってことなのかな」

「そうだといいけど。また、アシェラさんを悩ませることになるんだな」

「……安心させよう」

「え」

「とっても強くなって! 立派な探索者になって! 安心させよ、アシェラを!」


 極めて単純明快な提案だった。

 エッセは触手を俺の左腕に巻き付けて持ち上げる。そのままぶんぶんと振った。


「私なんかじゃ全然役に立たないけど、頑張るからっ」

「……お前が役に立たなかったことなんてないだろ。でも……うん、そうだな」


 余計なことも、着飾った言葉も必要ない。

 行動と結果でアシェラさんを安心させないと意味がない。

 まずは。


「パス・スレッドの回収、それからリク・ミスリル探し。アシェラさんの頑張りを絶対に無駄にはしない」

「うん!」



―◇―



「ブレアー! ミスティー!」


 エッセが手と一緒に触手をぶんぶんと振って、到着する小部屋ルームへと呼びかける。

 第一階層を、エッセの感知能力でモンスターを回避しながら最速最短で向かった形だ。

 うねる岩壁の陰に二人の顔がひょこりと覗く。


「待たせて悪い」

「ううん、あたしたちもさっきついたとこ。正直もっと遅くなると思ってたくらいだし」


 ブレアは腰に手を当てて、緋色混じりのセミショートの黒髪を揺らしながら朗らかに笑う。

 探索用の装備とあって、いつものラフな格好じゃない。

 長袖襟シャツにオーバーオールと、厚手のロンググローブ。胸当てに腰にはベルトを二重に巻いてポーチを取り付けていた。

 その上から鈍銀のプロテクターを胸や腕、膝などに装着している形だった。

 背にはすでに物が詰まった小さなバッグを背負っている。

 ミスティは以前ダンジョンレースのときに着ていた踊り子風の格好。背に小さなリュックを背負っていた。


「でもホント、よくここにいたってわかったね」

「外よりもダンジョンのほうが感知しやすいから。ブレアはわかんなかったけど、ミスティのことはよく視えたよ」

「いまの私はステルスモードをオフにしていますので。オンであれば例えあなたの感知能力でも引っかかりません」

「そんなことないよっ、いーっぱい集中したら感知できるもんっ」

「不可能です。事実、初めて会ったとき私はあなたの感知から逃げおおせています」

「あ、あれは外だったし」

「ちょとちょっとー張り合わなくていいってば」

「お前もだ、エッセ」


 ミスティの自尊心の高さに引きずられてるぞ。


「そうだ、ブレア。うちの担当シスターに調べてもらってたリク・ミスリルの情報もらってきた」

「マジ!?」


 内容はここに来る前に一度確認済だ。

 一応、ブレアにも内容を見てもらう。


「え!? 第一階層で採掘歴あるの? リク・ミスリルが!?」

「らしい。鉱床樹海って言われてるし、ワンチャンないかって思ってたけどまさか本当にあったとな。ただ結構前だし、場所も不明。発見者は何年も前に探索中に死んじまってるらしい」

「……まゆつば?」

「曰く、意図的に隠したんじゃないかって」

「あ、こっち。うっわっ文字びっっちりじゃん……」


 一枚目はアシェラさんが書庫で見つけた第一階層の探索報告書の写し。

 二枚目には、その情報を元にアシェラさんの推論が事細かに書かれている。


「リク・ミスリルの情報が伏せられた理由は二通り。報告者が資源独占のため伏せた。もう一つは教会が奪い合いにならないよう情報統制した。へー、なるほどね」


 前者は割と納得がいく。

 リク・ミスリルは稀少素材だ。公にするより独占したくなる気持ちはわかる。

 情報提供による教会からの報酬も狙ったものの、情報量不足で徒労に終わったのだろう、となっているが。

 後者はどうだろうか。強いギルドが独占するのを恐れたとか。争いになりかねないと。


「えーっとうわっ、でもこの情報って十年近く前じゃん。この間ずっと、一度も他の探索者に見つからずに済んだとかってある?」

「だからか知らないけど、この情報は五年前に開架から閉架の書庫に移されたとか。探索者は閲覧できなくなってたらしい」

「ふむふむ」

「だから、探索者が普段行かないような場所を探す必要があるんだと」


 例えば、第二階層に行くの絶対寄らないような端の端とか。落とし穴の途中。変化する地形の中でも表に出ない袋小路構造の場所などなど。


「あぁ、目が滑るー……一か所辺りにどれだけ考察伸びてるの? リムくんの担当シスターすごいね……」

「まぁな」


 ブレアの一言に、思わず誇らしくなる。

 とは言え、明確にここだという場所が判明しているわけではない。手当たり次第めぼしい場所を探す必要がある。

 アシェラさんが情報を絞らず羅列したのも、エッセの感知能力を加味してのことだろう。リク・ミスリルがわからずとも、地形構造の把握は可能だ。


「ま、今日の最優先はパス・スレッドにしよう。余裕があったら帰りにここで探す感じで」

「異議なーし! 二人ともそれでオッケー?」

「うん! これから第二階層だね。ミスティはついてこれる? 脚大丈夫?」

「からかっているのですか? 問題はすでにクリアしています。何の支障もありません」

「んー。その問題クリアに協力した私から言わせてもらうと、ダンジョンだと勝手が違うよ? 触手でサポートしよっか?」

「必要ありません。無秩序な触手のサポートを受けては安全に歩行できませんので」

「むむっ、その無秩序な触手にお世話になったでしょっ」


 と言い合いしながらダンジョンを歩き始める。

 鉱床の第一階層は終わり、階層間の道を担うのは樹木の壁だ。

 ダンジョン中を走る根の内側とでも言うべきだろうか。青白い光に満たされ、不規則な段差のある坂道となって地の底へ緩やかに続いている。

 そんな道の先を歩く二人の背中を見ていると、ブレアがこっそり話しかけてきた。


「なんか、二人とも歩く練習してから仲良くなったんじゃない?」

「……あれでか?」


 確かに一緒に歩行練習する前より距離感は近づいているにも見えるけど。


「訓練で触手をコキ使ったくせに、って不満が大半に見えるんだけど」


 俺も使われたからエッセの気持ちは少しわかる。

 だって、ミスティが納得行くまで何百回だろうと同じ動作を繰り返すんだもん。

 動かないってのは動くのより辛いのだと初めて知った。


「あれがいいんだって。気の置けない仲って感じでぇ、すっごい尊くないっ? 触手っ娘と人形っ娘の仲睦まじい光景……ちゃんと網膜に焼き付けておかないとっ」


 変な奴度合いで言ったら、エッセとミスティを抜いてぶっちぎりなんだよなぁ、ブレア。

 サリアまで連れて来てたらどうなっていたことやら。

 まとまりないけど、初挑戦の第二階層、本当に大丈夫だろうか。

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