020:探索準備開始


「ってなわけでさ。二日後の早朝、ダンジョンにこの四人で行きたいと思うんだけど」


 頭にタオルを巻いたブレアが、出かける準備をしながら唐突に言い出す。

 【極氷フリジッド】たちと別れたその足でブレアの家に行くと、ブレアが工房を忙しなく動いていた。

 最初に訪ねたときは理路整然としていた工房だが、いまは義肢やら道具やら資材やらで取っ散らかって迷宮状態だ。

 積み上がった腕や脚の残骸を崩したりしないのは、彼女が迷路の主だからだろう。


「確か、パス・スレッドだっけか?」


 工房の隅で俺もエッセも、忙しなく動き回るブレアを眺める形だった。


「そー。第二階層にいるオートマタから取りたいんだよね。ミスティが言うにはどれでも適合するわけじゃないみたいだし、単純に量の問題もあるし」

「一週間しかないんだもんね。間に合いそうなの?」

「間に合わす! そのためにも今日明日の二日間で全力準備! 二人もそのつもりで準備して欲しいんだ」

「わかった。ブレアはいまからどこに行くんだ?」


 ブレアはにんまりと笑うと肩にかけたショルダーバッグから、昨日手に入れた【輝星水晶スターライト】を覗かせる。


「ミスティの瞳作り~。リムくんたちが頑張ったのを形にしてくるよっ」

「ここでやらないの?」

「あーね。あたしそっちは専門外だから、きちんとした職人さんに依頼してくんの。二日で間に合わせたいからちょっちお金かかっちゃうかもだけど、だいじょーぶっ。ミスティと会う前はほとんど休みなしで仕事ばっかしてたから」


 さすがにリク・ミスリル買うお金はないけど、とブレアは快活に笑う。


「まるでリムみたい」

「呆れた目で俺を見んな」

「ミスティは?」

「私ならここです」


 と家に続く扉を開けて、今日はどこかの給仕服らしき紺色のエプロンドレス姿のミスティがやってきた。


「きゃわいいいいっミスティ可愛ーいっ!」

「抱き付かないでください。不快です」

「ひどいっ」

「なんで給仕服?」

「あたしの!」

「ずっと義肢装具士のイメージあったけど、どっかで働いてたのか」

「あー、えーっと、あれあれ。義肢使う人にも色んな職業の人いるでしょ? 動きを阻害しない義肢を作るために必要な資料なのっ」


 なんでしどろもどろになるんだ。


「……」

「エッセ? どうかしたか?」

「う、ううんなんでもないよっ」

「あ、もしかして着たいとか? 良いよ良いよ別のあるしあとで」

「ううん。私は見てるほうが好きだから」


 どこか遠くを見るような目で、エッセはミスティの着る給仕服を眺める。

 衣装への羨望、とかではなさそうだけど。


「そう? じゃあ、二人はこのあとどうする? どっか行く?」

「準備期間ってことなら、幾つか行っておきたい場所はあるな」

「それってエッセちゃん必要?」

「……必要か必要でないかで言えば別に」

「ひどっ! 私リムにとって必要不可欠な存在だっていう自負があるんだけどっ」


 ぷんぷんと怒って抗議してくるエッセ。さすがに触手は振り回さなかったけど、ギザ歯の触手で甘噛みしてきた。


「あはは。じゃあ、借りちゃってもいい?」

「俺のいないとこで外は出歩かせられないけど」

「もちもち。いま装着してもらってる仮義肢の話だけど、三つのレベルに分けられる適合は今朝調整してクリアしたんだよね」


 ブレア曰く、義肢は作って完成ではない。適合というものが必要となる。

 一つ目は身体に合っているかどうか。

 言うまでもなく、例えば脚の長さが左右異なってまともに歩けるはずがない。

 二つ目は身体能力に合っているかどうか。

 老若男女、使う者によって義肢の性能には必要不必要がある。

 三つ目は生活様式に合っているかどうか。

 ダンジョン探索を生業とする者に、街を歩くためだけの義肢では耐久性が心許ない。

 これらをクリアし、使用者として初めて完成品と言える道具となるそうだ。


「通常の歩行はばっちりだけど、ダンジョン探索となるとそうは行かないから。エッセちゃんの触手ならちょっとした障害物作れそうだし、ってミスティが」

「はい。相手に不足はないかと。パス・スレッド獲得のために必要であると判断します」


 なるほど。ミスティもダンジョンに行かざるを得ない以上、最低限動ける必要がある。その訓練の相手をエッセにさせるというわけか。

 昨日まではどこか他人事のような態度だったのに、今日はミスティ自身が義肢を完成させようと動いている。

 悪くない、そう思えた。

 エッセも笑顔で頷いている。問題ないらしい。


「わかった。じゃあじゃんじゃん働かせてくれ」

「私がいなくても寂しがらないでね?」

「? なんで寂しがる必要があるんだ?」


 小首を傾げたら、頬を膨らませて真っ赤になったエッセに触手で叩かれた。

 ブレアの出かける準備中に、一通り【極氷フリジッド】と今朝会った内容を話す。リク・ミスリルの購入資金を得たことと、モンスターを操る疑似アーティファクトについてだ。

 当然といえば当然か、後者のことは二人とも知らなかったけど。

 そして、ブレアが出かける準備を終えたところで、突然頭を下げてきた。


「改めてリムくん、エッセちゃん。こんなあたしに協力してくれてありがとう。昨日なんかダンジョンレースで一位取っちゃうし、エッセちゃんはアルテイシア様に全然物怖じしないで要求通しちゃうし、しかもしかもリク・ミスリルの調達資金まで…………私、全然役に立ってなくない?」

「自虐してる場合か。こっからだろ、ブレアの仕事」

「そうだよ! 糸もまだだし!」

「ぅぅ、二人とも……んっ」


 ブレアは頭を下げる。たっぷり十秒ほど。

 頭を上げると、決意の滲み出る強い眼で俺たちを見据えてきた。


「やるよ。義肢、必ず完成させてみせるから」

「当たり前だ。途中で諦めるとかなしだからな」

「乗り掛かった舟だもん。最後まで一緒だよ」

「頑張ってください、ブレア」

「「「……」」」


 なんでお前がそっち側なんだよ、というツッコミは皆が心の中でしておいた。


 ―◇―


 二日後のダンジョン探索のために俺が行っておきたい場所。

 それが『ガーデン』横にある医療ギルド【アスクラピア】の病院だった。


「はい、グーパー。グーパー。うん。親指から小指まで一本ずつ折って広げて。もう一度。今度は速く。……うん。確かに。手とパスの感覚の乖離が完全に無くなってる」


 面と向かって座る、笑みを忘れてしまったかのような険しい表情を浮かべる女性。

 【アスクラピア】の病院。その白い診療室で、眼光鋭いその琥珀の瞳をじっと俺の手に注ぎ、満足したように頷いた。

 俺はそんな様子を見て、ほっと息をつく。

 ディカトス・トリトス。

 シスター服と白衣が一体化したような白混じりの装束を纏い、下は黒のロングパンツを履いた彼女は【アスクラピア】の治癒士ヒーラーだ。

 俺がクリファに訪れてダンジョン探索するようになってから度々お世話になっている人である。


「でもなんで昨日の今日で治ったんですか?」

「昨日、魔法を使ったね。それも手を介した高い出力の魔法だ」

「まぁ……はい」


 怒られると思ってつい萎縮してしまう。レストラとの戦いは避けようがなかったとはいえ、無茶をしたのは事実で弁明の余地がない。

 レストラのことは話せないのでダンジョンでの出来事ということにしておいたけど。

 それがますます肩身の狭さに拍車をかけている。


「それが一種の荒療治になったんだろうね。数週間分のリハビリを一日で熟した形になったみたいだ」

「じゃあ」

「うん。もう心配いらない。次のダンジョン探索も問題なく行えるだろうね」

「良かった」

「けど、嘘は頂けないね」


 ぬぅっと顔を寄せ、下から睨め付けるように見上げてくる。

 嘘。俺は生唾飲み込むのを堪えながら目を逸らす。

 頬を伝って喉を伝う汗が妙に冷たかった。


「話す必要はないよ。患者が嘘吐きなのはいつものことだから。その嘘が命に直結してないなら特にね。その取捨選択は私たちがするから」


 でも、とトリトス先生は続ける。


「あんたの無事を祈ってる娘くらいには誠実でいてやりな。辛いのは死ぬ奴じゃない。残されたほうなんだからね」

「……最近、自覚したつもり、です」


 アシェラさん。俺の担当シスターである彼女の顔が浮かぶ。

 彼女の友人であるアンバーさんは俺の言葉を伝えてくれただろうか。


「ならいい。『無駄と余裕は違う』。それを履き違えないようにね。診察は終わりだ。何か聞きたいことは?」

「……トリトス先生は残され」


 言いかけてやめた。とても失礼なことを尋ねることになる気がしたから。

 俺は席を立ち、診療室の外に向かう。

 その俺の背に、トリトス先生が声をかけてきた。


「最期の声を聞けなかった後悔は、40年以上経っても消えないもんだよ」


 声色には乗らずとも、その言葉の悲痛さは背に嫌と言う程突き刺さった。

 振り向けばトリトス先生はもう診療机に向き直っていて顔色は窺えない。

 俺は一礼だけして診療室を後にした。


―◇―


「…………」


 ブラック・マウアーことじいさんがヘッドルーペで黒い石を覗き込んだり、魔石灯ランタンの光に当てながら角度を変えて、目が皿になると思えるほど異常な集中力で凝視していた。

 黒い石の中心には燃えるような赤がどこから見ても浮かんでいる。

 ラスターの外殻鉄。【極氷フリジッド】から譲り受けたものだ。


『第二階層に行くけどまだまだ実力不足だから、これで俺に装備を作って欲しい』


 そう言って『隻影』に押しかけたのが二十分前。つまりそれからずっとじいさんは外殻鉄を観察していた。

 ここに来たのはじいさんの言った通りだけど、後押ししたのは【極氷フリジッド】だ。

 彼女は直感を信じろと言った。ラスターの外殻鉄を残すと決めた俺の直感だ。

 つまりあのとき俺は、外殻鉄に何か使い道があると思ったのだろう。

 そしてという【極氷フリジッド】の言葉。きっとあれはヒントだ。

 自分以外を強くすればいいと。

 。探索者にとっては基本中の基本であるはずのそれが、すっかり頭から抜け落ちていたのだ。


「ふー」


 じいさんはラスターの外殻鉄を作業台に置き、ヘッドルーペを外して凝った肩をほぐすように腕を回す。

 表情は険しく、巌のような顔つきを俺に向けて来た。


「まさかお前が装備を作ってくれと頼みこんでくるとはな」

「俺に残ってるすぐに強くなる方法がこれしか思いつかなかった」

「事情は知らんし聞きもせんが、これだけは聞いておく」

「うん」

「儂でいいんだな?」

「俺はじいさん以外の鍛冶師を知らない」


 腕を組んだじいさんは、しばらく目を瞑ったあと意を決したように鼻を鳴らす。

 じいさんは外殻鉄を持ち、俺へと向き直る。その表情は真剣そのものだ。

 もし他に鍛冶師を知っていたとしても、多分俺はこのじいさんに頼んでいただろう。


「何が欲しい」

「正直言うとわからない。けど第二階層に行くのは二日後だからそれまでに頼む」

「おいおい、要望無しでたったの二日で作れってか。他の依頼もまだ残ってるってのによ」

「やっぱりきつ」

「しねぇとは言ってねぇ、逸んな。本当は腰据えてじっくりこいつと話してぇが、依頼主が急かすんならとっとと話つけてやるよ。溜まってる依頼も一旦遅らせる」


 こいつってどいつとは思ったけど、明後日までに作ってくれるらしい。

 しかも他の依頼を押しのけてだ。こっちとしてはありがたい。


「何を作るんだ?」

「大したもんは作れねぇな。量が圧倒的に少ない」

「これでか?」


 【極氷フリジッド】に半分ほど買い取ってもらったとは言え、まだ両手で抱えきれないくらいにはある。大きさにばらつきはあれど、結構な重さだ。剣の一本や二本は余裕で作れそうだけど。


「こりゃ見せかけだ。外殻鉄って名付けた奴は本質を突いてやがる。表層から見える芯の赤。ここを使わなきゃあ意味がねぇ」

「なるほど。で何なら作れそうなんだ?」

「……なんだお前、やけに急かすじゃねぇか」


 俺は黙って、じいさんから目を逸らす。口笛はどうせエッセみたいに下手だから吹かない。


「別に。ただ装備変えただけで本当に強くなれんのかって疑問だし、あと二日しかないから急がないといけないし」

「……・まさかお前、ワクワクしてんのか?」

「う」


 俺の言い訳を軽くスルーして、じいさんは歯を剥き出し、にんまりと笑いやがった。

 顔が熱い。


「ハッハッー! そうかお前が! あんだけ装備に無頓着だったお前がな! ほう。ハッ。んだよ、きっちり自分専用の装備に憧れるガキじゃねぇか」

「むぐぅ」

「くっく、まぁ任せな。良いもん作ってやるよ。ちょうどお前用に試してぇもんもあったしな」

「それはつまり俺専用?」

「お前専用」


 うぐっ。心臓が跳ね打って痛い。別に、俺は、そんな趣味、ないのにっ!


「とりあえず防具にすっからな」

「え、剣じゃないの?」

「一本ならギリ打てなくもねぇが、お前すぐ無くすだろ」


 全面的に俺に落ち度があるから言い訳できない。

 もうここの隅にある安い剣を何本ダンジョンに食わしたか覚えていない。


「いや、装備に目を向けるってのは良い傾向だよ。マジでな。儂の安い素材で打った剣も簡単に折れるように作っちゃいねえが、お前は折るわ壊すわ取り込ませるわで全部買いつくす勢いだったもんな」

「オボエテナイナー」

「お前の無茶に耐えきれる剣を売ってやりたいとは前々から思ってはいた」

「じいさん……」


 だったらなんで打ってくれないの?


「防具ならそうそう無くさねぇだろうし、初めて行くところだ。命守る防具はなんぼあっても不足ってこたぁねぇ。剣も打たねえのは物理的に時間が足りねえ」

「それでもじいさんに頼むよ」


 俺が間髪入れず言うと、じいさんは顔を逸らして「おう」とだけ呟いた。


「あ、一つ聞きたいんだけど。じいさんはそれ触って何か視た? 聞いたでもいいんだけど」

「……なんだそりゃ」

「いや、わかんないならいい」


 上手く説明できない。だけどあれはダンジョンに取り込まれるのと似た感覚だった。

 それに何か声が聞こえた。男とも女ともつかない異質な声を。

 物に触ってそういう体験をしたのは始めてだ。しかもあの一度きりである。


「……似た話は聞いたことがある」

「え」

「鍛冶師界隈の話だが。稀に聞こえるらしい。意思なんて何もねぇはずの鉄の声をな。その声に従うと、自ずと望んだ理想の武具ができちまう。まるでその鉄はそれになるために生まれて来たかのようにな」

「……じいさんはあるのか? そんな経験」

「さてな。まぁお前が見たもんと関係あるかはわかんねぇ。儂ができんのは手を抜かねぇことくれぇだ」

「それで十分だって。じゃあ……ん? 待て。これ、もしかして金かかるのか」


 しまった。素材さえあればいいと思っていたけど、当然オーダーメイドなのだからその分のお金がかかるのだ。

 しかも二日で仕上げろという無茶振り。ブレアも速達価格は高いらしいことを言っていた。

 【極氷フリジッド】からもらった金はリク・ミスリルに使いたいし、どうしたもんか。


「じ、じいさん、相談なんだけど」

「あ? 金なら要らねぇぞ」


 平伏してツケにしてもらおうと思っていたら、願ってもない返答が来た。


「何十年鍛冶師やってると思ってやがる。そんな俺が、初見の鉄を弄れんだ。それだけで鍛冶師への代金としちゃあ釣りが来らぁ」

「おおっプロの職人っぽい」

「プロなら金をふんだくってるっての」

「つまり?」

「まだ儂も男の子ガキだってことだ」


 などと言いながら、じいさんは肝心の外殻鉄を置いたまま奥に引っ込んだ。戻ってきたらバッグを背負っている。


「んだその面。ここじゃ設備足りねぇから移動すんだよ」

「移動?」


 はて、と考えてすぐに思い至る。一瞬で血の気が引いた。

 待て。待て待て待て。それってつまりブレアのところに行くってことか!?


「じ、じいさん。ブレアの工房って義肢だらけだから無理なんじゃ」

「そっちじゃねぇ。儂の知り合いの鍛冶師んとこの工房を借りんだよ」


 ああ。なるほど。そっちか。

 ホッと息をつきかけて、じいさんが怪訝そうに眉をひそめていることに気づいた。


「義肢だらけってなんで知ってやがる。つかお前。ブレアに儂のこと伝えたのか?」

「ぅえ、あ、ああ。伝えた伝えた。けど、自分で行くって言ってた」

「…………」

「なんか忙しそうにしてたし、忘れたんじゃないか?」

「…………」

「でもじいさんのこと心配してたよ。ちゃんと飯食ってるのかーって」


 やばい、眼光が鋭すぎて白状してしまいそうになる。喉奥にもうつっかえている。逃げたい。踵返して逃げたい。【極氷フリジッド】並に怖いんだけど、このじいさん。孫のことになると洒落にならない。


「お前、何度か会ってるな?」

「う」

「流行り物好きブレアのことだ。【巨人墜ネフィリム】って名にテンション上がるのもわかる」

「ご明察……」

「仲良くなったか?」


 どういう意味の問いだそれ。肯定したらブチ切れるんじゃないだろうな。


「仲良くなったんなら、あの娘の息抜きをしてやってくれ」

「つまり、えーっと」

「ブレア、自分のこと二の次だろ」


 神妙な顔になったじいさんに言われて、焦燥していた頭が一気に凪ぐ。


「じいさん、ブレアの両親って」

「察しの通りだ。ダンジョンでな。儂が育てとるが、小さい頃から賢くて空気が読めてな」

「空気……」


 読めてると言えば読めてる、のか?

 ブレアの言動で不快な思いは一度もしちゃいないし。


「優しい娘なんだよ。好きな生き方を選んでいいって言ったら、迷いなく義肢装具士を選びやがってよ」

「……」

「全く生意気だ。十年早えっての。……だが、目に入れても痛くないってのはこういうのを言うんだろうな」


 前々から知ってはいたけど、じいさんは本当にブレアのことが大切なんだな。

 そしてブレアもそうで。思い合っている祖父と孫娘。なんか悪くない。

 じいさんはリュックを背負い直し、少し照れたように咳ばらいをした。


「まぁ、そういうわけだ。根を詰める性格だからな、良い感じに息抜きさせてやってくれ。ただ――」


 そして、じいさんは俺の肩に手をぽんっと乗せる。――豹変した。


「もしあの娘に手付きしてみろ。二度と剣を握れなくしてやるからな」


 肩がミシッと悲鳴を上げた。そんな気がした。


―◇―


 最後に寄っておきたかった場所は、旧市街にある古い小さな家。

 サリア・グリムベルトが住んでいる家だ。

 なんで知ってるかというと、マブさんの酒場を紹介してもらった日、翌日第二階層を一緒に探索すると決めたにも関わらず、酒を飲みまくって酔い潰れたせいだ。

 あいつがテイムしている銀狼のモンスター、ウルに任せるわけにも行かないので家まで運んでやったのである。

 ちなみに案内役はウル。飼い主よりも賢いモンスターである。この子に任せてもよかったのでは、と思ったのは家に到着したあとだった。


「おーい、サリアー」


 ノックする度、不安なギシギシ音を鳴らす木のドアを遠慮なく叩いて、サリアを呼ぶ。

 あいつの行動パターンは知らないけど、以前他の探索者とあまり遭遇したくないから夜中に探索することが多いと言っていた。

 だとすると日中は寝ている可能性が高い。だから、遠慮なしノックだ。


「おーい、サリア! いるかー! 寝てるなら起きろー!」


 ガンガンドンドンバキバキ。さすがにバキバキは嘘。そこまで遠慮なしじゃない。

 しかし何度ノックしても呼びかけても返事は帰ってこなかった。気配もないし、居留守でもなさそう。ウルなら反応してくれそうだし。


「探索行ってるのか?」

「ここ数日帰っておられませんよ」

「うわっ」


 耳元での突然の囁きに俺は飛び退いた。

 白い修道服? シスター?

 頭巾で頭部を完全に覆っている妙齢の女性が、手を胸元で組んで立っていた。


「いつ頃帰ってこられるか。いえもう帰ってこないかもしれません、なんて。うふふ」


 黒い眼は見開かれているのに、目の焦点がまるでこちらに合っていない。

 笑顔なのに、それを感情ではないように思えてしまう。


「カナリアはいつ鳴くのをやめるのかしら。ああ、楽しみですわ。うふふふふ」


 こちらの声が届いていないのか、ただ無視をしているのか。

 返事はなくただ独りごとを呟いて、踊るようなリズムで歩き去っていった。

 教会のシスター……はあんな服装だっただろうか。

 サリアの知り合いっぽかったけど、正直関わりたくない。言い方は悪いけど、不吉な存在に思えて仕方なかった。


「……仕方ない。諦めるか」


 第二階層初の探索だ。可能ならサリアの手も借りたかった。この前は結局一緒に探索し損ねたし、その穴埋めもとい強制労働させたかったんだけどな。

 ミスティを助けるため、って言ったらノリノリで協力してくれそうだし。

 とは言え、いない相手の手は借りられない。あと数日、出発までに何度か足を運んでみるとしよう。

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