019:雪解けの光明


「…………」

「飲まないのか?」

「い、いただきます」


 勝手に頼まれた紅茶の味は感じられず、ただ熱いとしか思わなかった。

 けれど熱いおかげでいま自分がまだ凍っていないことを自覚できる。

 そう思うくらい、俺は戦々恐々としていた。

 目の前に【極氷フリジッド】がいるからだ。

 クリファ東部。旧市街の端も端。

 南から北へかけて【巨人の森】から、新市街方面と世界樹東部へ別れる運河。河を越えたその先に広大な農園が望める小さなカフェに俺とエッセは来ていた。

 東から昇る日に照らされながら、まだまだ肌寒いながらも軒先の並木下に席に俺たちはいる。


「ほっ……すぅっと鼻を抜けていくような爽やかな香り。とっても落ち着く」


 しかしエッセは特に気負っても警戒してもいない。隣で呑気に紅茶を楽しんでいる。

 テーブル挟んだ先には【極氷フリジッド】ことクーデリア・スウィフトが座っており、エッセと向かいあう形でリンダ・トゥリセがいた。

 【極氷フリジッド】はいつもの真珠色のローブ姿だったけど、リンダのほうはシャツに短パンとラフな格好だった。当然ハルバードもない。年がら年中鎧姿ってわけじゃないらしい。


「こうして落ち着いた状況で話すのは初めてだな。改めて挨拶を。私は【ヘカトンケイル】第二部隊隊長クーデリア・スウィフト。【極氷フリジッド】で通っている。こっちは」

「ん」

「リン。挨拶はきちんとしなさいと教えただろう」

「……リンダ・トゥリセ。昨日ぶり」


 唇を尖がらせてそっぽ向くリンダに、【極氷フリジッド】は肩をすくめる。

 こんな状況となったのは昨晩、外で待っていた【極氷フリジッド】に翌日会う約束を取り付けさせられたからだ。

 ミスティという存在に目を瞑る代わりとして。


「本題に入る前にまずは謝罪を。済まない、リンが迷惑をかけた。本来なら頭を下げるべきだが、立場上そう振舞えないことを許して欲しい」

「ち、違うよ、クー姉! わたしが勝手にやったことだから!」

「無論、任務を十全に熟さなかったお前の責任はあるが、それを監督できなかったのは私の責任だ」


 リンダが俺を睨もうとするが、しかし眦を下げると力なく俯いた。


「えっと、レースの件は結局勝ちを譲ってもらえたから良いし」

「負けてないもん」

「リン」


 頬を膨らませてそっぽ向くリンに、それをたしなめる【極氷フリジッド】。

 なんというか、【ヘカトンケイル】の隊長副隊長というより、少し歳の離れた姉妹のようだった。

 少し構えていた気持ちが楽になった気がして、次の言葉がすんなりと出せる。


「【アルゴサイト】に連れていかれたときは同行してくれて助かったから。その、こっちがありがとうございました」

「うんうん。すっごく心強かったよ!」

「……わたしは、別に。あいつらがムカついたからってだけだし」


 わかりやすく頬を朱に染めて顔を背けている。


「心遣いに感謝する。本題に入ろう。君たちも暇ではないだろう。リン。あれを」

「うん、クー姉。よいしょっと」


 席を立ったリンダが、来たときから置いてあった大きな布袋を持ち上げ、【極氷フリジッド】の後ろを回って俺と【極氷フリジッド】の間に立つ。

 布袋は大きさ的には子供が丸まって楽に入れるほど。さすがに入ってはないだろうけど。金属音がガチャガチャ、キンキンッとうるさいし。

 その袋の口からリンダが取り出したのは、拳大はある黒い石らしきものだった。


「ん」


 リンダが差し出してくる。なんだか妙な持ち方で。決して俺に触れないように、石の端っこを器用に持って反対側を差し出してきた。


「あ、ありがとう」


 受け取ると即座に手を引っ込めて自分の席に戻っていく。一度たりとも目を合わしてもらえなかった。いや、睨まれたいわけじゃないんだけどさ。

 そして、受け取ったものは単なる石じゃなかった。

 まずその重さ。大きさの割に腕にずしっと来る。これ一つで剣一本分くらいはありそうだ。

 それでいて打ち付けると奏でられる軽妙な甲高い音。

 そして最大の異質な点。


「わぁ。綺麗……」


 全体的に光沢のある黒い表面は、どの角度から見ても中心のその奥に焔のような赤を見

ることができた。

 よく見るため両手で持とうと、素手の左でも触れた。そのときだ。

 落ちた。

 水底のさらに下に沈み、泡沫を眺める。奈落へと沈みゆく泡沫を眺めると滲むように揺らいで赤い焔を灯した。

 そして、真紅の閃光が眼前で在り方を見出そうとした瞬間。


『おっ』

「ぶはっ!?」

「リム!?」


 浮上した。一瞬のことだった。空気を取り込めばもう息苦しさはない。立ちながら夢を見たような感覚。

 いや、違う。いま俺は、ダンジョンと繋がっていた?

 エッセに大量の魔力を渡そうとしたとき。ダンジョンで侵食効果が強く効いたとき。

 それと似ていた。ただ、とても簡略化された光景だったのように見えたけど。

 それにだ。


「大丈夫? どうしたの?」

「わ、わたしなんもしてないからね、クー姉」

「別に疑ってない」

「いま誰か、『おっ』って言った?」

「? 何の話だ?」


 困惑に眉をひそめる【極氷フリジッド】。他の二人も一緒だった。

 いまの感覚、いや、声はいったい……。


「いや、大丈夫。多分、まだ眠いからちょっとふらついただけ」


 誤魔化しつつ俺は素手で触らないようにして、それをテーブルに置く。


「これは何なの? 【極氷フリジッド】さん」

「【極氷フリジッド】でいい。これはラスターだ」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。ラスター。ラスターって。

 嫌な記憶が思い起こされる。腕がずきりと痛んだ気がした。


「厳密にはラスターの体液。黒い腐食液だな」

「どう見ても液体じゃないんだけど」

「ああ。私も最初は信じられなかった。だが、鑑定士がこの物体の成分に、腐食した金属が微量に混ざっているのを確認した」

「それがラスターの」

「確か、魔剣のアーティファクトでラスターは燃やし尽くしたのだったな」


 そのとき【極氷フリジッド】に話したエッセが頷く。

 エッセの力を借り、俺の無制限に魔力を流し込んでしまう体質を利用して限界までアーティファクト〈フラムヴェルジュ〉に魔力を注ぎ込んだ。そうして放たれた、大規模な白色の炎でラスターを焼き尽くしたのである。

 改めて考えるとよく生きていたな、俺もエッセも。


「原理は不明だ。ただ腐食液に含有していた金属の残留物が、その熱で新たな金属へと変化したのだと見ている。それにアーティファクトの炎だ。異質なナニカがあっても不思議ではない。鑑定士は新たなダンジョン素材としてラスターの外殻鉄と命名した」

「……それで、どうしてこれを?」

「そちらの取り分だ」


 取り分? エッセと一緒に小首を傾げる。取り分ってことは。


「これを俺たちにくれるってこと?」

「本来ダンジョン拾得物は持ち帰った者に権利があるが、死ぬ思いをして倒した階層主ダンジョンイーヴルの素材だ。少しももらえないのは不公平だろう。私たちの不手際を詫びての物だと思って受け取って欲しい」


 にしても結構な量がある。音からしてこのサイズのラスターの外殻鉄がゴロゴロ入っているわけだ。


「使い道に困るというのであれば、【ヘカトンケイル】で買い取ってもいい。教会で売るよりも高く買おう」


 そうして提示された金額を聞いて、俺は目玉が飛び出た。エッセなんか、文字通り触手から目玉が飛び出てた。ちょっと怖い。リンダが露骨に引いている。


「こ、ここここ、これ、病院の治療費返せちゃう金額だよっ!? おかしくない!?」

「第七階層でも見ない新物質だ。恐らくは疑似アーティファクトの素材にもなりうる。探せば、こちらより高く買い取るギルドもあるかもしれないな」


 しれっと第七階層に到達していると言ってのけていることにも驚きなんだけど。

 正直悩む。

 借金が返せるのはかなり大きい。金銭面でエッセの足を引っ張らずに済む。

 だけど。

 エッセの意見はどっちだろうか。


「リムがしたいようにするのが一番だと思うな」


 テーブルの下で触手と一緒に足をパタパタとさせながら、エッセは微笑んでくれた。

 それなら。


「一つ、提案があるんだけど」

「言ってみるといい」

「これをリク・ミスリルって素材と交換できないかな」

「リム!」


 驚いたエッセに頷き返す。

 借金自体は返さないといけないのは確かだけど、性急な解決が必要な問題ではない。

 目下、俺たちの目的はミスティの義肢製作。そして最も素材入手が難しいのがリク・ミスリルだ。

 この素材とリク・ミスリルの物々交換が可能なら、義肢の完成に大きく近づける。

 けれど【極氷フリジッド】は首を横に振った。


「リク・ミスリルは【ヘカトンケイル】でもいまは保有していない。あれの使途は多すぎてどこも枯渇気味だろう。装備のみならず疑似アーティファクトにも使われるからな」


 さすがにそんなに甘くはなかったか。


「こちらからも提案しよう。市場に流れるリク・ミスリルの相場分を換金するというのはどうだ?」

「滅多に流通しないって聞くけど」

「ダンジョン素材の採取を主だって生業とするギルドが近々帰還する。彼らは今回、リク・ミスリルが比較的入手しやすい階層に潜っていたはずだ。運が良ければだが、一般にも流通するだろう」


 本当ならまたとないチャンス。だけど。


「……流通する量って、この中だとどれくらいで買えるんだ?」

「あくまで私の見立てによる試算だから、話半分で聞いては欲しいが。その内の半分あれば十分な量が買えるだけの金額は用意する」

「いや、それでもありがたいよ。本当に」


 元よりタダで譲ってもらっている身だ。文句なんて言うはずがない。

 リク・ミスリルの件はアシェラさんにも頼んでいるし、信じてもいるけれど十分な量が手に入るとは限らない。

 だから使える手は何でも使う。それが探索者。


「全てを換金しようとは思わないのか? あれだけの怪我の治療。相当かかったはずだ」

「そうなんだけど……」


 テーブルの上に転がる不思議な黒い石。

 【極氷フリジッド】は価値あるものと言った。俺にはわからないけど、きっとそうなのだろう。

 もう一度、素手で触れて確かめてみるけどさっきみたいなことは起きない。

 声は聞こえない。


「でも、今日このタイミングで手に入るなら、きっとお金じゃない何か意味があるんだと思う。何の保証もない、ただ自分が信じたい直感なのかもしれないけど」


 俺の回答に【極氷フリジッド】は指先を唇に当て、沈黙した。

 エッセのような妖精とはまた別の、ヒトの姿をした雪の精を思わせる美しさ。

 鋭く、恐ろしくも綺麗だった。


「……私は事象に意図ではなく意味を見出すことには否定的だが、得てして直感というのは起きるものだとも思う。それは無意識のうちに何らかの情報を得て、感じ取った結果なのだろう。君の選択を私は尊重しよう」

「えっと……ありがとう?」


 正直初の対面が散々だったから心配だったけど、蓋を開けて見れば普通に【極氷フリジッド】はいい人だった。義理堅いし、とても好ましい。

 そうして、【極氷フリジッド】はリク・ミスリルが購入可能なだけの金と交換してくれた。あらかじめ用意していたとのこと。無駄もないと。完璧超人か。


「……そうだ、一度会ったら聞いておきたいことがあって。ラスターが生きてるってのは本当なのか?」


 【極氷フリジッド】は口をぴったりと閉じる。しかし、すぐに肯定するように目を閉じた。

 にわかには信じた難い。あの天蓋都市と水上都市をぶち抜く炎だ。

 けど、そんな現実よりも【極氷フリジッド】のほうが信じられてしまう。ダリオ首長の言う通りだ。


「……私はアレが意思を持っていたように思う」

「意思って」

「モンスターの単一的な外敵に対する本能ではない。言うなれば、人に近いものだ」


 そう言って【極氷フリジッド】はエッセを見据えた。

 俺はさすがに看過できず、その視線を腕で遮る。


「アレとエッセを同じにしないでくれ」

「無遠慮だった。謝罪する。確かにアレは君のモンスターとは違う。そう、アレは何もかもが違う。階層主ダンジョンイーヴルという枠すら越え、絶対的な破壊からも、我々からも逃げおおせた。そんな奴が執着していたのが【巨人墜ネフィリム】。君たち二人だ」

「っ」

「脅すわけじゃない。だがもし今後もダンジョン探索を続けるなら備えておくべきだ。避けられるならそのほうが賢明だが」


 【極氷フリジッド】は忠告してくれているのだ。いずれ遭遇したときのために強くなっておけと。生き残るための準備をしておけと。

 ダンジョン探索を諦める。そんな選択肢は、エッセの目的のためにも、【巨人墜ネフィリム】に課せられた【秘匿クエスト】的にもあり得ない。


「【極氷フリジッド】にもあるのか、秘匿――」


 言いかけた言葉は、氷点へと下る眼に強制的に呑み込まされた。

 ああ、失敗した。多分俺は絶対に踏み抜いてはならないものを踏んだ。

 御伽噺にしか存在しない竜の逆鱗に触れた、哀れな盗人と同じだ。

 凍る。喉が。呼吸ができない。唾すら飲み込めない。ただの僅かでも身じろぎすれば、俺は二度とこの身を動かすことができなくなる。そう思えた。

 【極氷フリジッド】は人差し指を立て、それを唇に当てる。


「軽率にその言葉を口にしてはいけない。たとえ称号持ち同士であろうとも」

「……」

「勘違いしてはいけない。私たちは仲間ではない。現状敵ではないだけだ。そういう状態であるために、いま貸し借りの清算を行っている」


 ちらりと極氷はリンダを見た。悪寒が和らいだと錯覚したけれど、またこちらへ向いて気を緩めることを咎めてくる。


「リンは同盟と言ったが、あれは方便であるというのが互いの認識だ。構わないな?」


 言葉で返事ができず頷く。

 そうすれば、命を刈り取るような悪寒はなくなった。

 本気で殺されるかと思った。リンダの殺気の比じゃない。


「行動と言動には注意したほうがいい。予測されかねないからな」

「……それって」

「私は意思決定に含めないようにしている。だから聞かなかった」


 どうあがいても俺が軽率だったってだけの話か。

 でもこの分だと【極氷フリジッド】も【秘匿クエスト】があるのだろう。俺よりも遥か高みにいる探索者に課せられるクエストなんて想像もつかない。

 紅茶はもう温くなってしまっていた。でも良かった。物理的に寒かったわけじゃないらしい。いまはこの温さが心地いい。


「要件ってこのダンジョン素材のことだったの?」

「いや、もう一つある。これは二人に対してだ」

「私も?」

「ダンジョンレース中、探索者に襲われたときに同時に現れたモンスター。あれを見てどう思った?」


 全く予想していない位置からの質問だった。

 だったけど、その意図はなんとなくわかった。


「変だったよ。だって近くにいたあの探索者たちじゃなくて、私たちを狙ってきたもん」

「エッセと同じだ。最初はテイムの魔法を使われてるのかと思ったけど、何か違和感があったんだよな」

「その違和感は正しい。あのモンスターたちにテイム魔法は使われていない。だが、探索者の意のままに操られていた」

「それってどういうこと?」


 【極氷フリジッド】はテーブルに腕輪のような金属物を置いた。目立った装飾は特になく、宝石台らしき跡はあるが、肝心の宝石がない。


「モンスターを操ることのできる疑似アーティファクト。それがこれだ」

「モンスターを」

「操る?」


 そんなこと可能なのか?

 モンスターを操る魔法があるのは知っている。だからそれに類する道具があっても不思議ではない。でも疑似アーティファクトってことは誰かが作ったってことだ。

 ダンジョンから得た魔法でも、ダンジョンが生み出した超常的遺物でもない。


「これは核となる魔石がないためすでにガラクタだが、実際に倒したモンスターから回収したものだ。これと対になる命令を飛ばすための疑似アーティファクトもある」

「そんなものが」

「これが現在クリファで少数ながら出回っている。目立った被害が出たわけじゃないが、悪用する者も現れたというわけだ」


 つまりダンジョンレースでの八百長。妨害探索者に加えてモンスターまで投入していたのか。


「じゃあリンダがあのレースにいたのって」

「妨害工作を行った探索者とレース参加者の接点を炙り出し、これを流している者を特定するためだ」


 なのにダンジョンレースに参加していたのか? 目立つのに?

 でも何も言わない辺り、捕らえることはできたのだろう。そういえば、【アルゴサイト】のギルド領でもそれらしきことを言っていた。


「悪用されるっていうのはわかるんだけど、これはあっちゃいけないものなの?」

「一部の禁止された疑似アーティファクトを除けば、製作者が個人またはギルドで扱う分には教会及び街への報告義務はない。だがそれを市井に流通させるとなると話は別だ。そしてこれは教会の認可が下りていないし、まず下りない」

「なるほど」

「作った奴と流してる奴は一緒なのか?」

「調査中だから詳しくは言えない。だが、情報も何もまだまだ足りていないのが現状だ。些細な情報でももし何かあれば知らせて欲しい。当然、その分の謝礼はさせてもらう」

「それは構わないけど」


 探索者ギルドであるはずの【ヘカトンケイル】がこんな調査をするものなのだろうか。

 それに【アルゴサイト】とも協力していたみたいだし。

 それほどひっ迫しているということなのか。俺たちみたいな個人にまで頼むなんて。


「…………んー」

「エッセ? どうかしたか?」

「え、あ、ううん。何でもないよ」


 触手をぶんぶん振るエッセ。


「腕輪見てたけど、まさかつけたいとか言い出さないだろうな」

「い、言うわけないよっ! 怖いし、気持ち悪いもんっ」

「ならいいけど。用件はこれでおしまい?」

「ああ。手間を取らせたな。一応直接会って話してみたかったんだ」


 それは光栄だと言うべきなのか判断に困る。


「わたしはクー姉の副隊長だからついてきただけだからっ。荷物持ちが必要だから来ただけだから、勘違いしないでよねっ! 全っ然それ以外っなんの目的もっないからっ」

「なんの勘違いだよ」


 【極氷フリジッド】が立つのに倣ってリンダも立ち上がると、念を押すように指を差してくる。


「あの……最後に一つだけ聞きたいことがあって」


 ほとんど反射的に、街のほうへ歩き出そうとする【極氷フリジッド】の背を追いかけ、俺は呼び止めていた。

 振り返った【極氷フリジッド】に喉が詰まりそうになる。

 いまから吐き出す言葉が怖い。【極氷フリジッド】が怖いわけじゃない。


「あなたはどうやってそこまで強くなれた?」

「質問の意図が見えない」

「……俺は昨日、レストラ・フォーミュラに負けた。何もできなかった」

「ああ。リンから聞いた。だが恥じる必要はない。あの子のレベルは20を越えている」

「それじゃあダメなんだ……!」


 怒鳴るようになってしまい、自分で驚く。ハッとなって【極氷フリジッド】を見ると、特に気分を害した様子はなくて安堵した。


「ごめん……。だけど、レベルも弱さも負けたときの言い訳にはならない。強くないと守りたいものも守れない」

「リム……」

「だから強くなる方法を教えて欲しいと?」

「いきなり何言ってんだってのはわかる。でも、誰に請うかってなったらいまは【極氷フリジッド】以外に思い浮かばない」

「無理だな」


 だが【極氷フリジッド】は断じた。一切の容赦なく。


「君を鍛える義理がない、というわけではない。ただレベルも強さも一朝一夕で得られるものじゃないということだ。それらは誰もが、日々のたゆまぬ鍛錬と、尋常ならざる死線を潜り抜けた先に勝ち取るものだ」

「……」

「だが」


 俯きかけた俺の顔を、【極氷フリジッド】は掬い上げる。


「必ずしもレベルや強さが勝敗に直結するとは限らない」

「え」

「知恵は時にあらゆるレベルも強さも凌駕する」

「……それはレストラのことを知れってことか? 対策しろって?」

「それも一つの手ではあるな。だが、私はレストラの力を教えたりはしない。公平性に欠ける」


 冷徹とは思わない。高潔と呼ぶべきなのだろう。


「すでに君は答の一つを導いている。直感を信じるといい。私たちはこの身一つだけで戦うわけじゃない」

「――」


 後ろを振り返り、テーブルの上に乗った黒い石。

 その奥が一瞬、赤く猛ったように見えた。

 【極氷フリジッド】のほうへ顔を戻すと、二人はもう歩き出していて遠くまで行っている。

 ――この身一つだけ、か。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る