018:論戦紡ぐ触手


 慎ましやかに、とても些細で小さなことだけど、それは確かな主張に思えた。

 ミスティが吐き出した精一杯の――懇願。

 俺がそう思えたのだ。ならブレアだって。


「……やっぱり認められないっ、認めらんないよ!」

「あら」


 上げられた顔。その目には力強い反抗の炎が猛りを上げている。


「【アルゴサイト】がミスティをなおしても、その先にミスティの自由はあるの?」

「自由?」

「ミスティが自分の足で歩いて決めて、ダンジョンなんかじゃない場所で生きてくことっ! これだけは譲らんないんだから!」


 あの【万目睚眥アルゴサイト】にブレアは真正面から啖呵を切った。

 対して【万目睚眥アルゴサイト】は少し目を見張ってからも、余裕そうに微笑む。


「なら出してちょうだいな、あなたが持ち合わせてる反論材料を」

「その役目、私でもよろしいでしょうか、【万目睚眥アルゴサイト】アルテイシア・ピューピア様」


 言葉に詰まりかけたブレアの前に、威風堂々と立ったのは誰でもないエッセだった。

 いつもは無軌道な触手を腕や脚に沿わせ整列させ、手は腹部に置き、背筋が伸びたその立ち姿は普段のエッセとはまるで違う。

 玉虫色の瞳は強く【万目睚眥アルゴサイト】を見据え、一切の物怖じを感じさせない。

 いまのエッセは、マルクトの皇女シェフィールドになっていた。


「ずっと何かを考えている節があったから気になってはいたけれど、そう。モンスターのあなたが代理となるのね」

「役者不足でしょうか」

「いいわ、面白い。言ってみなさいな」

「感謝致します。では僭越ながら進言を。この議題はそもそも前提条件から食い違っています」

「というと?」

「ブレア含め、私たちはミスティを物として認識していないということです」

「その認識のずれは解消し、お互い納得したはずだけれど? いまさらひっくり返そうっていうの?」

「納得したのではありません。のです。ミスティを物として扱った場合のそちら側の主張を聞くために」

「……」


 【万目睚眥アルゴサイト】はソファに腰かけ脚を組むと、口元に手を当てて目を細める。


「私たちは、ミスティを人と判断し、その自由意思による決定を尊重することを望みます」

「言ったはずよ。ミスティが人として認められることは決してない」

「いえ、教会に認めてもらおうなどというつもりはありません。それに関しては目瞑ったほうがいいという主張をこちらも認めます」


 じゃあ、誰に認めてもらうんだ?

 エッセは柔和に微笑んで、触手たちとともに【万目睚眥アルゴサイト】を見据えた。


「アルテイシア・ピューピア様にミスティが人であると認めて欲しいのです」


 【万目睚眥アルゴサイト】は口元に手を添えたまま固まった。一切の身じろぎもせず床を見下ろし、たっぷり十数秒の時間を使う。


「…………あぁ、なるほどね。ふふ、あはっ、あはははっ、まさかモンスターに試されるなんて。うふふ、愉快だわ、ええ、本当に。あなた何者? 私が覗き見ていたときと随分雰囲気が違うじゃない」

「…………」


 自分に向けられていないのにも関わらず、如実に感じられる圧。

 口元を手で覆い隠しているけれど、その口元の歪みは隠しきれていなかった。


「でもどうやって認めさせるの? 肉の身体を持たない金属の少女を、どうやって人と認めさせるつもり? 言っておくけれど、感情なんて曖昧なものでは認めないわ。感情は人だけのものではないもの。好きだけれどね」

「では。義肢というのは何のためにあるとアルテイシア様はお思いでしょう?」

「欠損部位を補うためのものね」

「それを作るのは」

「ブレアのような義肢装具士よ」

「では誰のために作りますか」

「手足を失った人のため……あぁ」

「はい」


 エッセは笑みを深めて頷く。


「義肢を必要とするのは人であり、義肢装具士が義肢を作る相手も人です」

「暴論が過ぎるわね、それなら腕が欠損しているモンスターに義肢を繋げてやったらそれも人ってことになるのかしら?」

「いいえ、なりません。義肢の完成には義肢装具士と必要とする者双方の協力が必要だからです。今日まで、ブレアとミスティの二人を見て私はそう判断しました。それはミスティがモンスターでは成し得ない」

「随分迂遠な証明、いえ、そうね。私の納得が必要なのね。私たちでもミスティの義肢は作れる。そう。だけどミスティ自身の協力は不可欠で、仮に為したとしてもそれはミスティが人であることを認めざるを得なくなってしまう。そうなると所有権という概念そのものが消え失せて、ミスティの自由意思による決定に全て委ねられる、と」

「……ぅ、こっちが説明しようと思ってたこと全部言われた」


 触手がやられたと言わんばかりにうねり、エッセの素が漏れ出る。

 それを見て【万目睚眥アルゴサイト】は気を良くしたのか、くつくつと笑った。たださっきまでの威圧感のある嫌な笑いじゃない。


「そもそもの所有権を覆し、ミスティを人と成す証明。その案を出してくるとは私も思いもよらなかったわ。……いいわ、面白い。やって見せなさい」

「じゃあ」

「ええ。ミスティの修理ではなく、義肢製作により治療を成し遂げたなら、【アルゴサイト】のギルド長である私アルテイシア・ピューピアはミスティが人であることを認めるわ」


 ソファのひじ置きで頬杖を立てる。


「奴隷を扱うギルドと思われるのも心外だもの。そんな試され方したの初めてだわ」

「それは失礼致しました」


 エッセが苦笑いとともに頭を下げる。

 【万目睚眥アルゴサイト】はそこで「ただし」と人差し指を立て、条件を提示した。

 まずは期間。明日から数えて一週間以内に腕と脚の義肢を完成させること。

 担当する義肢装具士はブレア。最低限、設計と組み立てはブレアが行うこと。

 材料となる素材の調達は自ら行うこと。

 そして。


「もしも完成させられなかったら、ブレアは【アルゴサイト】に入団すること」

「え!?」

「あら、そっちの要求を呑むんだもの。それくらいのリスクは許容してもらわないと」


 これは慎重に考えないといけない、そう思いかけた俺を笑い飛ばすように、ブレアは一歩踏み出して胸を張る。


「いいよ。ミスティを自由にしてあげられるなら安いくらいっ!」


 その目は鍛えられた鉄のように折れることはないように見えた。

 説得しても無駄だろう。要はブレアが義肢を完成させればいいのだ。


「質問。素材の調達は自らって、ダンジョンだけで集めろってことか?」

「資金があるなら購入しても構わないわ。ツテがあるならそれに頼っても構わない。金も人脈も己の一部よ。ブレア、あなたならわかるでしょ?」

「『この世を流通する物に、ただの一人で作られた物は存在しない』」

「ブラックの教えは優秀ね。そう。設計、素材の調達、パーツの製作、組み立て、流通。それらには立場も能力も異なる多くの人たちが関わっているわ。もし、あなたたちも多くの人を巻き込んで作れるならやって見なさいな」


 バレたらおしまいだけどね、と【万目睚眥アルゴサイト】は笑みを深める。


「どっちにしても一週間って短すぎると思うんだけど」

「最大限の譲歩よ。というより教会を騙しおおせる限度ってところかしら。まぁ【ヘカトンケイル】に密告されたら全部無駄なのだけれど」

「わたしは何喋ってるかわかんねぇってさっき言った」


 内緒にしておいてくれる、ということらしい。そこはひとまず安心だ。


「あぁ、もちろん完品を用意しろとは言わないわ。義肢の最低基準、魔力循環が可能な疑似パスの構築ができていれば構わない」


 それが一週間で可能なのかは俺にはわからない。

 けど俺と歳の変わらない義肢装具士の目は、まっすぐミスティを見据えている。


「勝手に決めてごめん。そもそもあたしが教会に報告してたらこうはならなかったのに」

「否定。あなたは私を尊重してくれた。その結果がこれなのです。なら次は、私があなたの決定を尊重すべきでしょう」


 ミスティはただ一つ残った翠玉の瞳にブレアを映す。

 アンテナに刻まれた樹状模様は、煌々と翡翠に輝いている。

 レストラに怯え固まっていた先ほどまでのミスティはそこにはいなかった。


「人間は信用なりません。ですがブレアならば、私の義肢を作り上げると信じます」

「うん。任せて」


 【万目睚眥アルゴサイト】はパンっと手を叩く。


「決定ね。では期限は明日から数えて一週間後よ」


 ブレアと【万目睚眥アルゴサイト】は、用意された誓約書にサインする。

 これで一週間後、どんな結果になってもミスティの所有者が決定する。

 もし間に合わなければ、ブレアは【アルゴサイト】に入団してしまうことになる。

 時間は何があっても止まってはくれない。急ぐ必要がある。

 しかし、それでも確認したいことはあった。


「レストラはこの結果に納得しているのか? 代理って言ったけど、俺はあいつが誰かに任せるような奴には見えなかった」


 レストラのミスティへの執着は並々ならぬものがあった。少なくともこの結果に納得するとは思えない。


「それに対する回答はもうわかるわ」

「え?」

「お、お待ちください、ギルド長はお話し中で」


 背後からそんな声とともにドアが勢いよく開け放たれた。

 そこにいたのはレストラ・フォーミュラ。外にいたときと違い外套もジャケットも脱いでいて、襟付きシャツに青ネクタイだけの姿だった。

 乱雑に跳ねた青白まだらの髪の下で射抜く黒眼は、苛立ちとともに【万目睚眥アルゴサイト】を見据え、彼女の前に立った。


「何故俺抜きで話を進めた、【万目睚眥アルゴサイト】」

「あら。あなたの許可が必要かしら」

「【イェソド】の所有権についてはお前も納得したはずだ。ソロ探索での拾得物にギルドへの報告義務はない」

「また物扱いしてっ!」


 ミスティを守るように抱き締めてブレアは吠える。

 そんなブレアに対し、レストラは鬱陶しそうに片耳を手で塞いだ。会話する気もないらしい。

 心底面倒そうだ。目の下はよく見ればクマができている。連日徹夜をしているブレアのように。


「あなたの個人活動をとやかく言うつもりはないわ。工房もギルド領外だしね。けれどそれはギルドに著しい損害をもたらさない場合のみよ。そして今回がどちら側か、わからないほどあなたは子供じゃないでしょう?」

「【数魔術体系】を供与した時点でギルドへの義理はとうに果たしたはずだ」

「だとしてもよ。あなたの推測が事実なら、あの娘が起こしたことは最悪ギルドを無くしかねない。わかっているはずよ」

「さっきからいったい何の話をしてるんだ。ミスティのことなのか?」


 堪らず話に割り込んでしまった。不穏な言葉が二人の間で流れすぎている。


「ごめんなさい。部外者には話せないことなの。レストラ、この話はまたあとで」

「……結論を話せ」


 レストラのその問いに【万目睚眥アルゴサイト】は先ほど決まったことを簡潔にまとめて話す。

 しばし考えたあとレストラは部屋の外へ歩き出した。


「あらいいの?」

「ここにいても時間の無駄だ。【イェソド】が戻る前にこちらを進める」

「あら、戻ってもコアは渡さないわよ。そういう契約だもの」

「効率を考えれば、結果は見えている。その人形は合理性の塊だ」


 まるで確定事項かのような言葉を残して、レストラは部屋を出ていった。

 当然怒るブレアは置いておいて、俺は【万目睚眥アルゴサイト】に聞く。


「教えて欲しい。どうしてレストラはミスティを欲しがっているんだ?」

「あらどうして? 彼に興味があるの?」

「そりゃあ、俺たちにとってはミスティを狙ってる敵なわけだし。それにあの鬼気迫る感じ、どこか覚えがあって」

「ふふ、甘いわねぇ。私はその敵の長よ? それにギルドの機密に触れかねないから答えられないわ」


 そりゃそうか。

 さっきの言葉通り、【万目睚眥アルゴサイト】が部外者に話す義理はない。

 けれど、レストラのことは知っておかないと、とは思う。

 レストラは単なる【アルゴサイト】の団員のようには見えなかった。だから今後、レストラが強硬手段を取らないとも限らないのだ。

 強くならないといけない。


「まぁ他にもレストラのことを知っている人はいるから、探してみなさいな。さて、話は済んだわよ【極氷フリジッド】。入って来てもいいわ」

「え」


 扉を開け放ち入って来たのは、【極氷フリジッド】ことクーデリア・スウィフトだった。

 部屋の気温が数度下がった、そう錯覚するほどの冷徹で冷血な、鋭い蒼白の瞳が俺たち全員を見据えている。新雪を思わせる長い銀髪を翻らせ、【極氷フリジッド】は俺の横に立った。


「有益な情報は得られたかしら?」

「ああ。それと、拘束した奴らとレストラ・フォーミュラの関連性は認められなかった。いつの間にか紛れ込んできたらしい」

「それを聞いて安心したわ」

「だがの出処を知っている者もいなかった」

「面倒なことね。いいわ、協力体制はまだ続けましょう」


 返答に満足したのか、【極氷フリジッド】は踵を返す。


「帰るぞ、リン」

「ぁう、はい……」


 まるで借りて来た猫のように肩を萎めておとなしくなったリンダが【極氷フリジッド】のあとについていく。


「あなたたちも帰りなさい。一週間、長くはないでしょう」


 【万目睚眥アルゴサイト】に促され、俺たちも屋敷をあとにする。

 ミスティが自由を得られる可能性を俺たちは掴むことができた。

 あとはブレアが義肢を作るだけ。俺たちはそれの手伝いをするだけだ。

 何も難しいことはない。そのはずなのに。

 何故か、レストラのことが脳裏にちらつく。

 完敗だった。

 もしあのまま戦闘が続いていれば、俺はここに立ってはおらず、レストラの下にミスティがいたのだろう。

 その事実が。自分の弱さが。苛むように耳元で囁かれ続ける。

 俺は何もできなかった。

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