017:袖摘む人形
馬車に乗せられ、一時間ほど。外の景色を見ることもなく、馬車を降りればそこはもう立派な屋敷の前だった。
【アルゴサイト】の女性スタッフに屋敷の一階の奥まった場所まで案内される。
鍛冶ギルドと聞いていたからもっとむさくるしいというか、泥臭い感じの家を勝手にイメージしていたけど、それとは対称的な小綺麗な印象だった。用途不明の古びた調度品などは屋敷の主の趣味だろうか。
「リム……」
「エッセ?」
エッセがその道中で腕に触手を巻きつけて来た。ぐるぐるぐるぐる一本二本、三本と。
その表情は芳しくない。どこか怯えるように周囲を見渡している。
「なんだかここ、気味悪い」
「気味悪い?」
「変な感じするよ。ずっとどこからか見られてるみたい。感知も変な反応するし」
反応からして魔物じゃないだろうから、ダンジョン素材かアーティファクト?
「大丈夫か?」
「しんどいってわけじゃないから大丈夫。ただ、腕に巻き付けててもいい?」
「それで楽になるなら好きにしろ」
「ありがと」
「こんな状況でもブレない二人に感謝っ! 緊張ほぐしてくれてマジ感謝っ!」
何か意味の分からないことをブレアが行っている気がするけど、聞こえないふりをしておく。
待合室で少し待たされた後、女性スタッフの案内で到着した部屋のドア前で、ノックするよりも早く「入りなさい」と妙齢の女性の声がした。
「失礼します、ブレア・マウアー一向をお連れしました」
そうして案内されたのは、書庫のような場所だった。
二階まで吹き抜けの四面の壁にびっしりと本棚が敷き詰まった部屋。部屋の中心にぽつんとソファとサイドテーブルだけがある。
「いらっしゃい。待っていたわ」
ソファから身体を起こしたのがこの屋敷の主だと、直感的に思った。
そう思わせる風格が確かにあった。
青が基調の緑のラインハイライトの入った床にまで届く長い髪。枝毛は一本もなく、前髪は並行に切り揃えられている。
頭には中央の開眼した目から左右へ次第に閉じていく目たちが合計五つ象られた、奇妙な形の金のティアラを乗せていた。
「ごめんなさいね、連行するような真似して。教会が挟まると面倒なの。でもあなたたちも教会が関わると困るでしょうからお互い様よね」
閉じた瞼の目尻の先まで青のアイシャドーは伸び、艶やかな赤い唇は微笑を湛えている。
青い花飾りをあしらったチュールドレスは、スリットが入り胸もはだけて煽情的だった。おおよそ人と会う格好ではないだろうと思うくらいには。
まるで異国の女王。ギルドの長という意味ではあながち間違いでもないのかもしれない。
「アルテイシア……様」
「久しぶりね、ブレア。ブラックは元気かしら」
「元気ですよ! めっちゃくちゃ!」
「たまにルーキーの探索者たちの装備に彼の意匠を視るわ。勿体ないわね、彼ならもっといい仕事ができるのに」
「っ……」
アルテイシアと呼ばれた女が俺のほうへと顔を向けてくる。
嫌な感じがした。
目は閉じている。なのに、一挙手一投足を爪先から頭まで湿り気のある眼で視られているようで気味が悪い。
「……知り合いなのか?」
「ちょっとね。でも赤の他人だから!」
その視線から逃げるようにブレアに尋ねると、不機嫌に返された。
「随分嫌われて悲しいわ。それじゃあご挨拶を。私の名はアルテイシア・ピューピア。【
【
「ブレア・マウアー。リム・キュリオス。エッセ。そして【イェソド】。あなたたちのことはしばらく前から視ていたわ。そうそう、【
「あたしが勝ってたけどな」
「あらいたの、リンダ・トゥリセ」
「てめぇ喧嘩売ってんのか」
「うふふ、面白い冗談ね。買えるほどの価値があなたにあって?」
一触即発。腕を振り上げるリンダに肝が冷え、咄嗟にその手を掴んだ。
ここまでリンダが着いてきてくれたのは正直心強い。最上位ギルドの、しかも副隊長という鬼強い探索者だ。こうして、いわば敵陣に連れられている状況ではその存在はとてもありがたい。
けれど話がこじれて、ミスティの件が公になるのはごめんだ。穏便に話を進めないといけないのである。
そう思っていた。
しかし、リンダ・トゥリセは怒り狂うどころか、じっと俺を見上げてぶんぶんっと軽く腕を振るうだけだった。
「離せ。暴れたりしないってば」
「そ、そうか? 本当に?」
「しーなーい。やるんならここ来る前に全員ぶっ飛ばしてる」
できるだろうから怖いんだけど。とにかく言われた通り手を離した。
「……振り払わないんだ」
小さく呟いたエッセの声が後ろで聞こえる。
確かに。リンダなら軽く振り払えそうなものだけど。
いや、本気で振り払われたら腕がもげたかもしれないから気を遣ってくれたのか。
あり得ない、と言い切れないところが怖い。
「何視てんだよ、覗き魔。その目こっち向けんな」
「あらごめんなさい。少し興味が湧いちゃったの」
「やめろ気持ちわりぃ。一生わたしをその目の視界に入れんな」
「……さっきから見たとかなんとか何言ってるんだ?」
話は噛み合っていそうなのに、俺には全く言葉の流れが理解できない。
そもそも【
見ることなんてできないはずだ。
「アルテイシア様の目はあの額にあるアーティファクトなの」
ブレアがこっそり耳打ちしてくれた。
「アーティファクトってじゃあ目は」
「失明してるわ。ある
ゆっくりと【
空洞? いや違う。涙に潤んだのか、部屋の魔石灯を反射したのか、小さな光が瞳で瞬く。まるで帳の降りた闇夜のようだった。
俺もエッセも言葉を失くす。こんな目を見るのは初めてだったから。
「ああ、心配しないで。いまのほうが快適よ」
「誰が心配するかよ。覗き魔の変態女」
「いい加減にしてください、リンダ・トゥリセ。中傷が目的ならここにあなたの居場所はありません」
部屋の隅に控えていた、あの女性スタッフが【
「あ? なら」
「リンダ・トゥリセ」
俺が呼びかけるとリンダ・トゥリセが見上げてくる。小さい体躯だけど、絶大な暴力を宿した少女。けど、その顔は初遭遇のときのような怒気を孕んではいなかった。
「ごめん。もう黙っとく」
「え、あ」
肩透かしを食らったようでまともな返事を返せなかった。
リンダはすたすたと後ろに歩いて行って壁にもたれかかる。もう会話には参加しないことを示すように腕を組んでどこかを眺め始めた。
「あははっ、何それ何それ、面白いわ。どうやったの? うふ、ふふふっ、あの狂犬を手懐けるだなんて」
何が受けたのか、【
「ブレア」
「うん。アルテイシア様」
勝手に楽しそうにしている【
「ええそうね、つい楽しくて話が脱線してしまったわ。用件を済ませましょ。私もさっさと傍観者に戻りたいもの。さて、【イェソド】だったわね」
「私の個体名はミスティです」
「素敵な名前ね」
「ミスティ……!」
「不明。ブレアの表情の意図がわかりません」
「だってぇ自分をミスティってぇ。うぅぅうぅ、やっぱ、そうだよっ、ミスティはミスティ。【イェソド】じゃないもん! ぜっったい、あんなDV男にだけは渡さないからっ!」
DV?
ブレアはミスティをぐわしっと抱き締める。当のミスティはすごく嫌そうに身を捩っているが。
「そうね。議題を明示しましょう。ミスティの所有権はどちらにあるのか」
両手の人差し指を【
「お互いがミスティの所有権を主張したことで、『ガーデン』前でのような争いに発展した、ということでいいかしら」
「あっちから一方的に仕掛けてきたんだけど! てかミスティを物扱いするのやめてほしいんだけどっ!」
「物よ」
バッサリと【
「物として扱わない場合、地上に侵入したモンスターの一匹として教会に処理される。それだけよ。ミスティの所有権を争うという点において、彼女はこの地上に存在することを許されている。それを忘れてはいけないわ」
「でもっ、ミスティはモンスターじゃなくて、テンシでっ!」
「自称なんて誰も信じない。エッセという喋るモンスターの前例がある以上、教会はミスティをモンスターと判断するわ」
嫌らしい攻め方だ。
「だけど、でもっ」
「構いません、ブレア。合理的な判断です」
自分が物扱いされることを認めるミスティに、ブレアは泣きそうに顔を歪める。
人として、生きている一個の存在として扱っていたブレアにとっては納得いかないのだろう。
俺の腕に巻き付く触手の力が強くなった。エッセも納得いっていない。
けれど、いま割り込むことはただの遅延にしかならない。だから黙るほかない。
【
長く一本に束ねられた髪に、瞳が彫り込まれた金のヘアカフスを何十と通して幾本もの束を作っている。まるで河が何本もの支流に分かれ、やがて一本の本流に集まるかのようだった。
無数の目が浮かぶ髪。それが揺れるたび、目が合うようで少し圧倒されてしまう。
そして彼女は、本棚の前を歩きながら厚い本の背表紙を撫でていた。
「クリファにおいて物の所有権等については当人同士での解決を原則としているわ。殺人や破壊活動、侵略行為のようにクリファや教会が仲介することは基本的にはない。これはわかるかしら?」
「だから、ギルドに入って後ろ盾を得ていたほうがいい、だよね」
「そう。一見ギルドとの関わりがなさそうな街酒場とかでも、どこかのギルドに属している場合が多いわ」
マブさんのところで言うなら、夫のハンターギルドだろうか。
「後ろ盾がないあたしらは諦めろってこと?」
「いいえ、前提条件として話しただけよ。これは、ブレア・マウアーとレストラ・フォーミュラの問題である、と」
その当人がいないんだけどな。
「私は彼の代理とでも思ってちょうだい。さて。順を追って詰めていきましょう。まずはレストラがミスティを入手した経緯を話しましょうか」
【
「交渉?」
「彼曰く、地上での実験対象となる代わりに、人間の観察をしたいと言っていたそうよ」
「そうなの、ミスティ?」
俺たちがミスティに向き直ると、姿勢よく立つミスティは無表情のまま頷いた。
「肯定です、ブレア。私の使命は『人間という生命体を理解すること』でした。当時の記録は破損していますが、地上へ向かう理由としては妥当かと思われます」
「あたし、そんな話聞いてなかったけど」
「……開示は困難でした。残存する記録では、人間は危険な存在であり信用できないという解答が出ていましたから」
「ミスティ……」
「続けてもいいかしら?」
俺たちは沈黙で肯定し、【
その後、ミスティを自身の工房へと連れ帰り、新しい疑似アーティファクトの開発のための協力をしてもらっていた。
教会にバレずに済んだのは、ちょうど俺とエッセが【
教会しっかりしろと言いたい。
ところが二週間近く経った【開闢祭】当日。ミスティは工房から逃亡。
あとは知っての通り、セフィラ様の前で疑似アーティファクトに誤作動を起こす力を行使し、ダンジョンへと逃亡した。
そして、ダンジョンで追いついたレストラはミスティの抵抗に遭い、右目と右腕、左脚を奪い回収を試みた。
しかし、モンスターの大群の急襲と、ミスティが落とし穴に落下したのに加え、ダンジョンの地形変化が捜索を遮り、回収を断念した。
それがレストラ側のミスティに関する顛末。
そこからはブレアに以前話してもらった通りだ。そっくりそのまま【
「つまり、レストラの言い分としてはミスティの保有権を放棄したつもりはないものの、ダンジョンで失ったため回収ができなくなった。対して、ブレアはミスティを回収こそしたものの、教会には一切報告をしなかった、と」
【
目は閉じられているのに、まるで速読するように顔が左右へ僅かに動いていた。
「つまり書類上の所有者はレストラであり、事実上の所有者はブレアであるということになるわね。なるほどなるほど」
本をパタンと閉じる。その唇は小さく、しかし不気味な笑みを象っていた。
「そうね、レストラの代理としてやはりミスティの所有権はこちらにあると主張するわ」
やはりというか当然というべきか。
レストラが所属するギルドの長である【
「……どうして?」
「第一に書類の存在が大きいわね。誰が保持者かを明確にしているわ。後に破棄等の更新が行われていない以上、一度ダンジョンを介していてもその効力は発揮し続ける」
「教会を介さないって言ってたのに、そこは都合よく使うんだな」
「ええ。どちらに妥当性があるかの話だもの」
「妥当性だったら、あいつはミスティを殺そうとしたんだけどっ。そんな奴のところに渡したら、ミスティが危ないよ」
「ミスティの回収が目的だったと、言っても話は平行線だから省くわ。そもそもに立ち返りましょう。ミスティは何故レストラの下から逃げ出したのか」
「それは……」
ブレアは黙りこくる。返事ができない。できるわけがない。俺たちはミスティから、レストラの下から逃げ出した理由を聞いていないのだから。
逃げ出した相手がレストラだというのも、知ったのはついさっきだ。
「ミスティ……?」
「不明。現在の段階で復元できている記録で、推測を除外した事実は、私がレストラの下から逃亡したということのみです」
「そう。それが第二。当人を含め、誰もミスティ逃亡の原因を知らない。客観的な事実は、逃亡とセフィラ様の前での凶行、阻止しようとしたレストラに破壊されかけた、だけね」
「凶行って! ふざけないで!」
「それはレストラの責任問題になるんじゃないのか? ……例えば、連れているモンスターが地上で人を傷つけるみたいな」
エッセは絶対にそんなことはしない。だから出したくない例ではあったけど、そうも言っていられない状況だ。
しかし【
「責任問題を追及するなら、それこそレストラの所有権と認めることになるけど、いいのかしら」
「……」
「でも責任を取る場合、クリファでの破壊活動に引っかかって教会が出張るのが確定しちゃうのよね。それはうちとしてもかなり面倒。だから、ここはお互いに目を瞑るほうが話が円滑に進むと思うわ」
完全に言いくるめられた。
長くギルドの長をしているからか、あちらのほうが完全に上手だ。
「この二点を挙げて、レストラの代理である私はミスティの所有権を主張するわ」
「でもミスティをレストラに渡したらまたっ」
「ならあなたの目的は何? ブレア・マウアー」
「え」
「何故、ミスティの所有権を主張するの?」
「それはミスティが腕や脚がなくて困ってたから、それをなおしたくて」
「それは【アルゴサイト】でもできるわ」
ブレアが明確に衝撃を受けたのが横にいてもわかった。まずい流れだと思っても、もう止められない。止める隙を与えてくれない。
「あなたの主張がミスティの安全のためなら、【アルゴサイト】は全面的にその意思を汲み取りましょう。ミスティのボディは完全に修復し、レストラは【アルゴサイト】で厳格な監視下に置くと誓約する。傷つけるような真似は決してさせない。それでどうかしら?」
「ぅぁ……」
畳みかけるような攻めにブレアは反論ができなかった。
俺もそうだ。明確にどう反論していいかさっぱりわからない。【
俺たちの懸念点はレストラの存在。しかしそれも【アルゴサイト】というギルド全体で監視下に置くことで払拭するという。
本当にしてくれるかどうかの真偽は置いておいて、可能ではあるのだろう。
「異論はないみたいね。心配しないで、先の誓約は書類にして必ず守るわ。望むなら今日までの保護管理期間の経費も払いましょう。それに、別にあなたとミスティが会えなくなるわけでもないのよ?」
【
「うちの領内なら交流をしても構わない。ミスティの使命が人を理解することならあなたとの交流も決して悪くないことでしょうし」
「…………」
ブレアは力なくうな垂れて、受け入れるように地面を眺める。
完全に心を折られた、そう見えてしまった。
諦めた、そう思えてしまった。
けど。
「……ミスティ?」
ミスティがブレアの袖を摘まんでいたのだった。
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