016:同盟?
「【瞬雷】……リンダ・トゥリセ。何故、お前がここに」
レストラの言葉は夜闇に浮いて消える。
俺とレストラの間に割って入るように頭上から着地したリンダ・トゥリセ。
羞恥と苛立ちが綯い交ぜになったような、駄々をこねる子供みたいに地団駄を踏む。
「だっから、あのレース! お前に勝ち譲ったせいでわたしがお前より弱いみたいに言われてんのっ! おかしいでしょっ! どうしてくれんの!?」
とんだ言いがかりだった。というかいまの状況をわかって言ってるのか?
さすがにレストラの魔法の連続行使に加えて、リンダ・トゥリセの登場。行き交う探索者たちも立ち止まってこちらの様子を見ている。
助けに来ないのは当然。探索者同士の小規模な揉め事は基本的に当事者で解決するのが原則だからだ。
ギルド同士の大規模な抗争や、戦闘に発展して周囲に被害が及ぶようなら、クリファから認可の降りている治安維持のギルドかセフィラナイトが呼ばれることはあるが。
いまなら呼ばれてもおかしくないけど、周囲の人間がリンダ・トゥリセという存在をどう捉えるかだった。
リンダは満身創痍な俺の胸倉を掴むと前後に振ってくる。
澄んだ金色の目は若干潤んでいて、ほとんど半泣きだ。勘違いされてそんな悔しかったのか。
「おいお前、話を聞いて」
リンダが俺の手首を取った瞬間、何故か硬直する。
暴走していた感情が見る見るうちに凪いでいく。目をぱちくりとして上気していた頬は落ち着きを取り戻していた。
「……え、っと、リンダ・トゥリセ?」
にぎにぎと俺の手首を握る。正直捻り潰されないか不安ではあったけど、全くの杞憂でそれどころか赤子の手を摘まむかのように優しかった。
「おんなじ。クー姉とおんなじだ」
半ば放心状態のリンダの肩越しに、レストラが踵を返しているのが見えた。
しまった。リンダに構っている場合じゃない。
「待っ」
「おいどこ行こうとしてんだゴミクズ野郎」
リンダの手を払い、追いかけようとした瞬間だった。
地鳴りのような、ドスの効いた低い声が耳朶を嬲った。一瞬、誰が言ったのか理解できなかったけど、しかし以前殺されかけたことを思い出した。
リンダが、モンスターも裸足で逃げ出す眼力でレストラを睨み据えていた。
「お前には関係がない」
「大有りなんだよボケ。てめぇダンジョンにいたろ。気づいてねぇとでも思ってんのか」
「Act――」
試験管から撒いた黒色の粉。しかしそれは魔力により凝固するよりも早く、空気中に霧散し掻き消えた。遅れて風切り音が鳴り響く。
「舐めてんのか? 殺すぞ」
自分に言われているわけでもないのに、心臓がぎゅっと握りしめられ地上に引き落とされているかのような重みを感じた。
何が起きたのか。起きているのか。まるでわからない。
目の前にいたはずのリンダはすでにいない。
背負っていたハルバードをいつの間にか手に、その槍先をレストラに突きつけている。
「わたしら使っておいて、てめぇらんとこからダニ出してんじゃねぇか。どう落とし前つけんだ?」
「俺が知るか。お前の話に付き合っている暇はない」
「暇がねぇのはこっちの台詞なんだよ、下位学徒」
「……」
ぴくりとレストラが反応する。下位学徒。言葉の意味こそわからなかったが、さっきまで感情を滲ませていなかったレストラが、僅かではあるけど怒りを滲ませた気がした。
「クー姉に構ってもらえなかった雑魚学徒が。洗いざらい話せっつってんのが理解できねぇのか?」
音にならないため息をレストラは吐く。
今度状況がわからなくなったのは俺のほうだった。
エッセはなんとか鎖から脱し、ブレアがミスティに肩を貸して歩ける用意はしている。
このままリンダがレストラを引き取ってくれるなら願ってもない。
けれど、逃亡に移るより早く、旧市街方面からやってきた十人以上の団体に俺たちは囲まれた。
少し遅れて、教会方面からセフィラナイトがやってきていたけれど、俺たちを取り囲んだ奴らの一部に止められている。
「お疲れ様でした、【瞬雷】」
リンダに声をかけるのは、ダンジョンレースの口火を切った女性スタッフだ。
つまり彼らは【アルゴサイト】所属の団員。全員が全員胸元にそのギルド紋章を刺繍し、首からは奇妙な目の形をしたペンダントをぶら下げている。
「お呼びじゃねぇよ。いまさらノコノコ来やがって」
「【瞬雷】の仕事は関与者の特定までのはずですよ」
「クー姉に引き継ぐに決まってんだろ」
「他の方ならよろしかったのですが、彼はうちのギルドの団員。【
「あっ?」
「彼は怪我をされている。つまり【アルゴサイト】と彼らの揉め事なので。他ギルドの介入はご法度ですよ」
話がややこしくなってきた。このまま連行されるのは非常にまずい気がする。かといって教会に助けを求めれば、ミスティの処遇が確定してしまう。レストラの物に。
「てめぇの判断か?」
「【
「……チッ」
「それでは……その怪我では歩くのがやっとでしょうか。少々お待ちを」
女性スタッフが何言か呟いたかと思うと、白い粒子がその手をより放たれ俺の傷口に吸い込まれていく。仄かな温かさとともに痛みが引いていった。
「応急処置程度の回復魔法ですが、歩ける程度には回復したでしょう」
「ありがとう、ございます」
「お気になさらず。では、私たちについてきてもらいますよ」
「どこに」
「我々、【アルゴサイト】のギルド領です」
つまりはレストラの本拠地。
ミスティがレストラの所有物だった、ということは広く言えばギルドの所有物でもあるということ。このまま連れていかれれば、みすみす差し出すようなものだ。
「…………わたしも行く」
打開策がないか考えを張り巡らせているとき、唐突にリンダが声をあげた。
「他ギルドの介入はご法度ですが」
「こっすい真似してんじゃねぇよ。何の後ろ盾もねぇこいつらを、てめぇらの陣地に引き込もうとしやがって」
女性スタッフは貼り付けたような笑みを浮かべるだけで肯定も否定もしなかった。
「ついてきても構いませんが、彼らに関係のないあなたをギルド領内に入れることはできませんよ」
「いーや、関係あるし」
「え?」
「え?」
俺と女性スタッフが一緒に聞いた。
関係者なのか?
「わたしらとこいつは同盟関係だからな」
「同盟、関係?」
え、何それ聞いてないんだけど。口を開こうとしたらリンダに尻を蹴られた。痛い。
「
「そんな屁理屈が。第一、
「わたしらが第一階層の
「ッ」
激情こそない。けれど、有無を言わせない圧力があった。まるで【
「……【
「二番隊副隊長のわたしの言葉じゃ不足なの?」
苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた女性スタッフは、致し方なくといった様子で頷く。
「わかりました。同行を許可します」
「ん」
「……リム、どうなったの?」
エッセたちが俺たちのほうへやってきた。何が何やら俺もわからない。
「怪我はないか?」
「大丈夫。ビリビリしたけど火傷とかはしてないよ」
「あたしも。ミスティはずっと黙っちゃってるけど、自分で歩けるみたい」
「…………」
それほどレストラの存在が衝撃的。トラウマを想起させるものだったのか。表情はほとんど変わらずとも、アンテナの翡翠の明滅はかなり弱々しく見えた。
正直状況はかなり悪い。特にミスティにとっては。
ミスティの所有者だと宣うレストラに襲われて、リンダが介入してきて、レストラが所属している【アルゴサイト】に連行される。
唯一、リンダの存在のおかげで最悪の状況一歩手前で踏みとどまっている印象だった。
そのリンダがこちらを、いや俺のことをじっと見てきていた。
「味方、って思っていいんだよな?」
初対面が初対面だから、嫌な印象は拭えない。けど、
リンダは俺の手を一瞥するとそっぽ向いた。
「別に。借りがあったの忘れてたから返しただけ。それにクー姉ならこうしただろうって、わたしのバカな頭が思ったの」
「声すごく柔らかいね」
「柔らかい? 声って固い柔らかいとかあんの?」
「え、えっと、そ、そうじゃなくって、優しいなぁって」
「意味わかんない……はぁ、でもクー姉いないのに、どうして……」
エッセの言う通り声音も口調も柔らかい。どっちが素なのか判断しかねる。
接し方には正直困るけれど、味方ならこれ以上心強い存在はいない。そう思えた。
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