015:差
「レストラ・フォーミュラ」
そうミスティに呼ばれた男は、歳は俺よりも少し上だろうか。青年に差し掛かろうとするその顔立ちは端正で、しかしミスティ以上に感情らしい感情を読み取れない不気味さがあった。
先ほどのレース中で俺とエッセの前に立ち塞がった探索者たちの中にいた奴で間違いない。
「【イェソド】、何故そいつらと行動を共にしている。ダンジョンに還らなかったのか」
青年が一歩進む。それに合わせるようにミスティは一歩後ずさった。
後ずさって、バランスを崩したようにその場に尻餅をつく。
「ミスティ大丈夫!?」
「一つ思い、出しました」
「え?」
「彼が――レストラ・フォーミュラが私の以前の所有者。私は、彼から逃亡したのです」
空を握った男の手が外套の内へ戻るとそれがふわりとはためいた気がした。
嫌な予感がした。
「じゃああの人がミスティを――」
「退避を推奨」
「邪魔だ」
外套から伸びた左手が握っていたのは試験管のようなもの。砂鉄のような黒い粉が入ったそれを男は宙に撒き散らす。
そして、まるで路傍の石を指すように右手人差し指をブレアに向ける。
嫌な予感がした。咄嗟に二人の間に割って入る。
直後、黒粉が青白い光を纏い収束した。
まるで足りない部分を補うかのように、青白い光――魔力が球体へと形成していく。
「【Act1:射出せよ】」
まだら模様の球状となった鉄の塊は、まるで意思を宿したように予備動作なくブレアへと迫った。
「ふざっ」
警告すらない突然の攻撃行動。咄嗟に【無明の刀身】で作った盾を構えて受け止める。
盾に重くめり込む感触が胸を抉られる激痛へと変換されていくも、俺は鉄球を押し返して弾く。地面に重々しい音を立てて落ちた鉄球は、魔力で補われていた部分が消えて虫食い状態となった。
エッセも俺の横に立って、触手を広げて威嚇する。地上だと絶対に手を出しちゃいけないんだけど、この際、ミスティたちの壁になれればそれでいい。エッセを責めさせなんてしない。
「ブレア、ミスティは?」
「ミスティ、立ってってば、ほらっ」
「不明、不明、不明、不明」
ブレアが呼びかけるけどミスティは全く反応せず何かを呟くばかりだ。
心ここにあらずか。そんなにもあの男を恐れているのか?
男は苛立ちを隠そうともせずに目を細めてこっちを睨み据えている。
「どけ」
「いきなりやってきてなんなんだお前は。ダンジョンに還るだのなんだのと」
「【イェソド】、お前の望みを叶えられるのは俺だけだ。そのためにお前のコアが要る。いまなら【開闢祭】で起こしたことには目を瞑ってやる」
無視かよ。
問答無用でこちらに来ようとする男に、警告の意味も込めて【無明の刀身】で翡翠剣を握る。本当は持つのがやっとの状態だ。だけど、少しでも警戒させられるならそれでいい。
「すでにそっちは手を出してるんだ。説明してもらわないと納得がいかない」
「……手を出しているのはそっちのほうだろう」
「なに?」
「その人形は俺の所有物だ。お前たちが盗んだ物を返してもらいに来ただけだ」
「じゃあやっぱり、あんたがミスティを傷つけたってこと……?」
ミスティを抱き支えるブレアが、いつも底抜けに明るい彼女からは想像もできないほど怒りと苦渋に満ち満ちた表情で男を睨み据えていた。
「危険なダンジョンで、腕と脚を、目まで奪って放置したってことなの!?」
「……そいつは俺の元から逃げ出した挙句、【開闢祭】で異常行動を起こし、反抗までした。無力化するのは当然だ。ましてや俺の所有物。他人にどうこう言われる筋合いはない」
「ふざけんなっ!」
尋常ならざる怒りを発露するブレアに、男は心底気怠そうにため息をつく。
「盗んだってのはおかしくないか? ブレアは死にかけのミスティを助けて地上まで連れ帰ったんだ。お前から奪ったわけじゃない」
「ならそのあとに申請したか、教会に? モンスターか、アーティファクトか、または全くの別のモノとして」
ハッとなった。
『うん。それからあたしはミスティと一緒にダンジョンを脱出したんです。教会には内緒で。本当に心臓に悪かったですよ』
ブレアはそう言っていた。教会にミスティのことは一切認知されていない。
「なら地上にある時点で、【イェソド】の保有権は俺にある。教会には人形型のアーティファクトとして記録されているからな」
だから主張できるのだ。盗人は俺たちのほうだと。
ミスティは地上にはあるはずのない存在だから。
「さっきからミスティを物みたいに! ミスティは自分で考えて自分で動くんだっ。そんな扱いすんなっ!」
「……逃げ出したのは想定外だった。【イェソド】の使命からありえないと高を括っていた。その落ち度は認めよう」
「使命?」
「聞いてないのか? その人形は『人間を理解する』ためにダンジョンから遣わされた人ならざる生命体だ。その使命を行動原理にしている。だから俺と契約を交わした」
「契約ってなんだ?」
「これ以上話す必要性を感じられないな」
ミスティのほうへ視線を向けるけど、さっきまでと変わらない。
「ミスティが自分であなたから逃げ出したっていうなら、あたしは絶対に渡さない」
「教会を敵に回すと?」
「当たり前でしょッ!」
その容姿に似つかわしくない低い声で脅しをかけてくるが、ブレアはひるまない。
教会すら敵に回してでもミスティを守る。そう啖呵を切ったブレアの威勢のよさに俺は驚きながらも頷いた。エッセもだ。
ブレアがそうなら、俺らも退く道理がない。突然やってきた奴に一方的にまくし立てられて奪われるのは納得がいかない。
それに。
「教会を敵に回すっていうならお前もだろ」
「なに?」
「ミスティはアーティファクトじゃない。いまさっき自分で認めたよな? 自称テンシだけど、詰まるところエッセみたいなモンスターの位置づけだ。それをアーティファクトって名目で地上に連れ出したなら、罰則の対象だろ」
「……なるほど」
男は神妙に頷く。
「私とミスティはとっても似てるからねっ! もちろん私はちゃんと許可もらってるよ!」
首元の触手の花びらの中央に埋め込まれた翡翠の宝石【ルーティア】を、エッセは誇示する。地上にいるテイムされたモンスターは全てこれを装備することが義務付けられているのだ。
男のこの感じからして、教会にミスティの詳細は伝えていないだろう。もしモンスターとして判断が下されれば、等しく罰則の対象となる。
そしてここは教会と目と鼻の先。多少のいざこざで行き交う探索者たちが教会に報告することはないだろうが、もし本格的な戦闘になれば間違いなくセフィラナイトが呼ばれる。
ミスティのことが教会にバレてしまうが、一言も発せずに固まってしまっている彼女を思えばまだマシに思えた。
「そもそもいきなりやってきて自己紹介もなく襲い掛かってくるなんて、とっても失礼だと思うな」
「いやそういう問題じゃないだろ」
話がややこしくなるからやめろ、エッセ。
「お前たちの主張は理解した」
「じゃ、じゃあわかって」
「罰則は甘んじて受けよう」
眼鏡の位置を直し、事もなげに男は宣った。
「罰則は【イェソド】が俺の所有物であることの証左に他ならない」
「……ッ!」
そう来たか。
「ちょ、ちょっと! 罰則怖くないの!? 痛いかもだよ!?」
「少し面倒だけど仕方ないな。コアの確保のほうが大事だ」
背筋を切っ先でなぞられたかのような悍ましい感覚。
抱えた歪を理解し抱いたまま、一切の障害と苦痛を無視して邁進する意思。
危機感を覚えたときには、男の左手は外套から伸び出て、その手には青白く明滅する分厚い本があった。
「だけど、それでもお前たちは抵抗するんだろうな。なら排除する以外に道はない」
本が開くとまるで突風が吹きすさんでいるが如く激しくページがめくれていく。
数秒と経たず止まった瞬間、そのページから魔石灯に勝るとも劣らない青白い光が立ち昇った。
「自己紹介が必要なら応えよう」
男から腕を伸ばし外套を払うように翻らせる。内側の襟付きシャツ、複数のポケットらしきものがついた焦げ茶のジャケット、そして細い青ネクタイの右側の胸元。
そこに紋章があった。
見覚えがあった。教会で見た。もっと言うなら、レースで俺たちを案内してくれた女性スタッフの胸元。
鳥の羽が交差するように重なり、そこへ浮かぶ大きな目の中に三つの目があり、外側へと三方向を見つめている。
羽と三つ目の紋章。それは確か。
「鍛冶ギルド【
レストラは本を持たない手で腰ベルトに装着していた試験管を取り、空気中に撒き散らす。黒い粉に青白い魔力が灯る。
レストラは俺たちではなく、その後ろのブレアへ指を向ける。
「【Act1:射出せよ】」
ひとつ、じゃない! さっきよりより青白いまだらが多い鉄球が三つ放たれた。
剣を魔力に還元、体内へと戻し大盾で鉄球たちを受け止める。
「ぐっ」
「破損で痛み。欠陥魔法だな」
「ッ」
横から蹴り飛ばされる。ダメージのフィードバックも視界が途切れたのも一瞬だったはず。もうこんなに距離を詰めて来たっていうのか!?
「エッセ!」
「行かせないよっ!」
「【Act.4、結束せよ】」
また試験管から銀色の粉を、エッセに向け放つようにぶちまける。
「あっぷっ、な、に」
舞う粉は空中で、エッセを囲うように青白い魔力で補われた銀の鎖を形成すると、直後エッセの身体と触手を絡めとるようにして中心へ収束するように、縛り上げた。
「きゃっ、ああああっ!?」
――バチバチバチバチバチッッッ!!
鎖より弾ける火花。
ガクガクとエッセが身体を振るわせるとそのまま地面に倒れ伏す。
身体から立ち上る煙。ピクピクと身体を跳ねさせてエッセはまるで動かない。
目の奥が焼けるように熱くなる。視界が血に染まったように赤くなった気がした。
「お前ぇえええええええっ」
全力全開の【無明の刀身】。最も使い慣れ、モンスターを切り捨ててきたブロードソードを両手に握り、大地を蹴り砕く。
「……」
レストラは自身の眼前に鈍色の粉を振り撒く。鉄球か鎖か、それとも別のものか。どちらにしても粉の範囲内に入るのは得策ではない。
俺は直前で直角に曲がる。ステータスの全敏捷を足へ。パスを最大限に活性化させ、無茶な機動を無理矢理実現させる。
飛び込むのは、試験管を持ち無防備になった左手側。
「【Act3:回転せよ】」
言葉とともに男は一歩下がる。けど遅い。すでにこちらの間合いだ。振り上げた剣には力が込められ、その道筋を男へと向けている。
「!?」
ガキンッ!!
振り下ろしたはずの俺の剣が逆にかち上げられた。防がれた?
レストラは動いていない。俺の剣を弾き返したのは魔力で補われた剣。そして切っ先を俺に向ける二本の剣。
レストラの指がくいくいとバツを切るように動く。
「【Act1:射出せよ】」
「ッ!」
十字に挟み込むように放たれた剣。
俺は身体を回転させ前方へねじ込むようにして躱す。
完全には躱しきれず、腕と背中を僅かに斬られたが、男には肉薄できた。
もうあの試験管を取り出す暇は与えない。
男は明らかに魔法使い。
詠唱らしい詠唱はしていないようにも見えるが、あの本が魔導書なら詠唱の短縮をしているのだろう。
だとしても対魔法戦はいかに距離を詰めるか。いかに魔法を使わせないかが肝要と師匠に嫌と言うほど教わった。
このまま魔法を使わせずに――。
肉弾戦の開幕を告げるべく放ったストレート。だがそれは空を切った。伏せて躱された。
しかし元より拳はまともに握れない捨て札。
体勢こそ崩したが本命は
「ッ!?」
本を持つ腕を狙い振るった脚が、振り抜かれることはなかった。
反対の腕で足を受け止められたのだ。しかも完全に勢いを殺された上で。
そして動かない。動かせない、脚が。
まるで巨人の腕に握られたかの如くピクリともしない。
格上だとはわかっていた。レベル差は間違いなくあると。けれど――。
足の束縛が失せた瞬間、レストラが消えた。背後で石畳を踏む音が聞こえ振り向く。
拳を握るレストラがいた。
「ガッ」
その拳は俺の頬へめり込み、景色を何回転とさせる。
「っそ、うぐっぁ」
予想だにしない重い一撃。
視界が暗転しかかるのを歯を食いしばって耐え、立ち上がる。
ミスティたちのところへは行かせない。
握れない拳を手刀にして、レストラへと振るうも余裕をもって躱される。
当たらない。完全に速度負けしていた。
「レベル差があろうと魔法使い相手なら肉弾戦で勝てるとでも思ったか?」
「ぐっ!」
躱せない。
まるで突如男の拳が伸びたかのように、回避のタイミングをずらされる。躱しきれない。肩を打ち、腹を刺してくる。
ほとんどは耐えきれる。しかし時折異常なほど重い一撃。鋼鉄で殴られているかと錯覚するほどの殴打が、意識を刈り取ろうとしてくる。
本を持たない右手しか使われていないのに、反撃の暇がなかった。
「浅慮だな。ここまで近づいた時点で俺が近接を得意とするくらい推察できるだろう」
「ガッ、グッ!?」
みぞおちと顔面に鋼すら砕きかねない乱打が打ち込まれる。
明滅する視界に鮮血が撒き散らされるのを眺めながら、霞がかってきた頭で考えた。
いや。
考えなんて何もない。
ただ伸ばしていた。
どうにか抵抗しようと無意識に伸ばした手がレストラの本を持つ腕を掴んだ。
「チッ」
「ぐっ! ……?」
けどそれも一瞬。【無明の刀身】を使う暇すらなく、腕が振り払われる。
おおよそ魔法使いに似つかわしくない膂力で弾かれた俺の腕は天を仰いで、傍から見れば万歳でもしてるかのような無様な光景だっただろう。
直後、鼻柱がへし曲がる激痛とともに、撒き散らされる鮮血ごと俺の身体を地面へと押し潰した。
「
「けほっ、けほけほっり、リム……!」
「ッ! ミスティ立って! 動いてっ! あっ、く。来るなら、来い! あたしが相手だ!」
レストラの背中が遠くなる。その先にブレアが、ミスティがいる。
視界が歪む。舟を漕ぐように揺れる。
沈む。ダメだ。伸ばせ。行かせるな。届け。届かない。届いてくれ。届いてくれない。
奪われていいのか。あんな意味の分からない奴に。くそ、動けよ。どっちがだ。俺か? ミスティか? ああ、どっちだっていい。ミスティも死にたくないなら逃げろよ。死にたくないんだろ? ブレアに助けてもらうことにしたんだろう? だったら助けてもらうまで死ぬなよ。
もうダメだ。考えがまとまらない。
這いずろうと手を伸ばして、何かを握って。
エッセの触手? 伸びた一本の触手。
「ぁ」
魔力のパスが繋がった。エッセを通じてダンジョンと繋がる感覚が身体を満たしていく。満たして、沈んでいく。
沈みゆく暗い泡沫の星々の下で何かを掴みかけていた。
指を伸ばす。伸ばして、触れて。
激痛の束縛を振り払い、顔を上げた瞬間、レストラはこっちを向いていた。
初めて見る驚愕の形相で。
「【Act1:射出せよ】!」
鉄球が放たれる。けど、俺は腕を振るい、払った。
「なっ」
一秒にも満たない一瞬の【無明の刀身】。
ダフクリン戦でできた、納刀と抜刀を超速で繰り返す【無明の刀身】の行使。
間合い全てに武器を用意する、なんて咄嗟すぎてできなかったけれど、鉄球の軌道を逸らすには充分だった。
「かはっ、はっ、はっ、はっ、ひゅー、かひゅ……」
しかしそれも限界。
腕が上がらない。足が動かない。息が続かない。
空気を取り込もうと肺が限界まで膨らみ、悲鳴を上げている。
歪む視界の先で、レストラが立ち止まっている。こっちに気を取られているならそれでいい。いまのうちにブレアたちを逃がせる。
「……いまお前は何をしようとした? 何を成そうとした?」
本のページが変わり、うねる光の奔流を放つ。
ああ。これは本当にダメなやつだ。喰らえば命に関わりかねない。そんな予感がする。
「【間断なき塵芥の奔流。悲涙疾く吐く挽歌の結晶。爆ぜて奉じる狂騒の乙女――】」
詠唱。
強い魔法の言葉には魔力が宿る、なんて魔法使いの間では言われるらしい。
「【堰は切れ、楔は抜かれる。永訣を否定し、落陽と崩落は再演を果たす】」
なら確かにこれは強い魔法だ。師匠が使う魔法にとてもよく似た感じがしたから。
俺の腕を引こうとするエッセの触手。けど力は足りず、そして間に合わない。
「【反覆せよ】――【リナーシタ・サ】――ッ!?」
だが、魔法名が最後まで告げられることはなかった。
エッセが妨害したから、じゃない。
全ての塵を裂き、薙ぎ払う雷が地に降り立ったからだ。
視界にいるのは、レストラじゃなくなっていた。
「やっぱアレなし! 別にお前の勝ちじゃねぇからな!」
レストラよりやばい奴がやばい表情で立っていた。
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