014:青白の来訪者


 絶叫混じりのブーイングが会場を埋め尽くす。「死ね」だの「ふざけるな」だの、聞くに堪えない悪口雑言とともにレース参加者の着順を予想した投票券が宙を舞った。


「ふざっ、っんで、死にたがりがっ、クソッ、あいつら何してやがんだっ!」


 カマキリのような男が血管を浮かび上がらせるほどに叫び、会場を出ていく。

 ダンジョンレースの観覧会場は阿鼻叫喚だった。

 詰まるところ、タッチの差でリンダが先にゴールした。差はたったの一秒にも満たない接戦も接戦。

 レベル一桁台が、レベル40台に王手をかけるまさにジャイアントキリング。【巨人墜ネフィリム】。

 しかし、負けた。

 どれほど接戦であろうとも。

 あと少しで手の届く距離であろうとも。

 負けは負け。リムのレースは二位で終着した。

 だが、それでは何故一番人気だったリンダが一位となり、これほどのブーイングが会場を埋め尽くしているのか。

 明白である。


「うわっうわうわっ、マジっ!? 一位辞退ってことはリムくんの繰り上げ勝利? うっそうそっ意味わかんないけど勝っちゃった……一位取っちゃったっ!」


 リンダの辞退。それはリンダを一位に賭けていた者全員にとって最悪の結末だった。

 故に、誰もがリンダに対し、そして繰り上げで一位となったリムに暴言を吐いているのである。

 だが、それらの声も全てミスティにとっては遠い出来事のように思えた。


「…………」

「あたしたちの応援が届いたのかな!? やったね、ミスティ……ミスティ?」


 隣にいるブレアの声が遠い。

 機能不全が起きているのか? 動作確認。集音器の異常は見られない。脚部接続による思考回路の整合性チェック。エラーなし。

 不明。不明。不明――。


「ミスティ!」

「ッ」


 肩を揺すられたことで思考が覚醒する。遠かったブレアの声が耳音で大きく聞こえた。

 顔をそちらに向ければ、心配そうに覗き込むブレアの顔がある。


「どうされましたか、ブレア」

「こっちの台詞だよぉ。もうっ、いくら呼びかけても反応しないんだもん。どうしたの? 具合が悪い?」

「正常です。問題ありません」

「そう? じゃあぼうっとしてたってことかな? あははっ、ミスティ真面目そうだからぼうっとしなさそうなんだけど、するんだ。良かった」


 勝手に納得されてしまった。


「訂正要求。ぼうっとなどしていません」

「じゃあ、どうしたの?」

「それは……」


 水鏡に視線を移す。リムたちを映し出していた使い魔の鳥の目はもうすでに塞がれている。賞金を受け取るべく地上に帰っている頃だろう。


「あ、リムたちの大勝利に嬉しくて放心してたんだね。あはっ、ミスティ可愛い~。でも無表情だとわかりにくいよ。嬉しいときはもっと笑顔になろう。ほら、にこーって」


 そういうわけではなかったが、説明のしようもなかったのでミスティは訂正するのを諦める。


「ほらここ、ここで維持! あっ、いい感じだよミスティ。やっぱりあたしの目に狂いはなかった。ミスティ笑うと可愛いよっ」

「美醜に興味はありません」

「ああっ、もったいないっ」

「これからどうされるのですか?」

「リムくんたちを迎えに行こう。まずは労ってあげないと」


 ブレアは立ち上がり、手を差し出してくる。数瞬それを見つめ、ミスティはその手を借りずに立ち上がる。

 行き場を失った手を見下ろすブレアから、会場の外へとミスティは視線を向ける。

 眦を下げて笑う理由を理解できない。しかしその疑問を口にすることもできなかった。


―◇―


「良かったのかな、置いてきちゃって」

「どう声をかけろってんだよ。鎧着たまんま三角座りしてるリンダ・トゥリセに」


 俺たちは負けた。

 あと少しというところで尋常ならざる速さで真横を追い抜かれたのだ。

 音すら置き去りにする正しく【瞬雷】と呼ぶべき速さで、俺は弾き飛ばされ、一位を奪い去られたのである。

 しかし、リンダ・トゥリセはあろうことかゴールに控えていた【アルゴサイト】のスタッフに、辞退すると言い出したのだ。

 結果、繰り上げで俺たちが一位。

 リンダは何故か隅っこで三角座りになったというわけだ。

 何かぶつぶつ呟いているけど、聞き耳を立てる気にはなれない。

 情緒が不安定すぎるし、下手に刺激して以前みたいにブチ切れられたら堪ったものじゃない。

 そういうわけで逃げるように地上へと帰っている。けどエッセはリンダのことを心配していた。


「それとも、どうして勝ちを譲ってくれたんですかって聞きたいのか?」

「そ、そうじゃなくて、ダンジョン危ないし」

「……俺はあいつがモンスターにやられる光景が全く想像できない。できるか?」

「あー、うん、だね……」

「第一階層で侵食されるわけでもないし、触らぬモンスターになんとやらだ。さっさと輝星水晶スターライト受け取ってミスティの目なおすぞ」

「うん」


 そうして地上に戻り、賞金10万Fと副賞でありお目当ての輝星水晶スターライトを受け取った。

 すぐに帰ろうとしたけども、【万目睚眥アルゴサイト】の女性スタッフにルート解説をするよう求められた。賞金をもらうための義務とのこと。

 なんでもこのレースは、初心者探索者がダンジョンの様子や特性、ルート、モンスターとの戦い方を視覚的に学ぶためのものでもあるらしい。

 だけど、だ。

 エッセの能力で危険ルートを避けているなんて、何の参考にもならないし、その情報を出すわけにもいかない。

 なので第一階層に慣れ親しんでいるエッセに案内してもらっただけと答えるに留めた。

 嘘は言っていない。

 そして、何故かいまにも襲い掛かってきそうなほどの恨みがましい熱烈な視線を向けてくる同業者たちから逃げるように、俺たちは『ガーデン』をあとにしたわけである。



「やっと一つ目だね! これならきっとミスティの目治るよね?」


 エッセが大事そうに持っている握りこぶし程度の大きさの輝星水晶スターライト

 深い青みがかった水晶で、直接掘り起こされたばかりの原石のように形は歪だ。

 しかしその透明度はこれまで採って来た輝星水晶スターライトの比じゃなかった。輝星水晶スターライト越しでも先の景色が滲まず映し出されている。


「綺麗だね。向こうの景色が見えちゃうよ。でも完全な透明ってわけじゃないんだね」

「……確か魔力透過性が高いんだったよな。エッセ、貸してくれ」

「落としちゃダメだよ?」

「ケバブサンドの二の舞にはしないってさすがに」


 両手で受け取り、輝星水晶スターライトに魔力を流してみる。

 ただ魔力を流すということは俺にはできないから、【無明の刀身】で魔力を手の上で形にするイメージだ。あれも魔力の塊で実体ではないから、輝星水晶スターライトを透過するはずだ。

 イメージは輝星水晶スターライトを包む布。被せて覆える一枚の薄い布だ。

 すぐにイメージは結実した。

 ただし俺の想像していない形で。


「り、リム……生えてる、生えてるよ!?」

「え?」


 生えていた。いや湧き出ていた? 輝星水晶スターライトから俺のイメージした布が、翡翠色に発光した状態でぶわりと膨らみかかっていた。

 イメージ通りだったからその布に問題はない。問題だったのは、生えたのが輝星水晶スターライトの頭頂部。俺の全く触れていない場所から出現したことだった。


「やばいやばいやばいっ」


 俺はすぐに【無明の刀身】を解除する。布は消失し、翡翠の魔力は輝星水晶スターライトに吸収されるように消えて、俺の内に戻っていった。


「壊れてない? 傷ついてない?」


 俺もエッセも大慌ててで輝星水晶スターライトに異変がないか調べる。触手の瞳もフル稼働で亀裂や透明感に濁りなどがないか調べた。教会を出てすぐのところで立ち止まったから邪魔になって睨まれたけれど、気にしていられない。


「だ、大丈夫みたいだね……」

「焦った……」

「もうもう、リム! 変なことしちゃダメだよっ! ミスティのなんだからっ!」

「悪い悪い、悪かったって、ぽかぽかするのやめてくれ」


 そのまま触手で輝星水晶スターライトをひったくると、エッセは触手を擬態させて作ったベルトポーチに厳重に仕舞いこんだ。

 頬を膨らませてぷんぷんと怒るエッセに、両手を挙げて降参しながら謝る。確かに何が起こるかもわからないのに浅慮だった。

 ただ、確かにいま俺の手からではなく輝星水晶スターライトから【無明の刀身】は発現した。魔力透過性が高いからか?


「あれ? あそこにいるのブレアたちじゃない?」

「ブレアたちって、ミスティもか?」


 教会前の広場。陽は沈み、魔石灯の街灯が煌々と広場を照らしては帰る者と潜る者を等しく見守っている。

 それでも昼間よりは暗いここで、エッセは目聡く二人を見つけたらしい。

 エッセが指を差したのは広場の隅、木陰となっているところだった。確かに二人いるけど、暗がりでよく見えない。エッセは夜目が利くらしい。

 あっちは気づいたのか、片方……多分ブレアがこっちに向かって手を振った。次いで手招きされたので二人のいる木陰に向かう。


「二人ともレースお疲れ様! いぇーい、ハイタッチしよ! ハイタッチ!」

「見てたのか」


 いきなりの要求に俺は辞退し、エッセはノリ良くハイタッチする。

 ブレアは興奮冷めやらぬ、といった感じだった。


「ちょーすごかったっ! あたしもう感動しちゃった!」

「譲ってもらっただけだけどな」

「リンダのみならず他の探索者とも実力差は歴然でした。彼我の実力差が必ずしも結果には影響しないという、非常に有益なデータを得られました」

「ミスティ真面目過ぎて笑うんだけど」


 かけられる言葉の落差に呆れるよりも、ミスティがこうして普通にいることに理解が追い付かない。


「わわっ、ミスティ可愛いっ」

「だよねだよね!? 可愛いでしょ!? あたしの服なんだけど買ったあとで恥ずかしくて着れなかった奴! でも超似合ってるよね!? 可愛いよねっ!?」

「うん踊り子さんみたい!」

「踊り子ではありません。これらの兵装は腕部と脚部の魔力供給を補うためのものです」


 エッセとブレア、二人して意気投合して、ミスティを全方位から穴が開くほどに見つめていた。訂正しようとするミスティの言葉などまるっきり届いていない。

 ただ、踊り子に似たレオタード風の服に短いスカートとガーターベルト。ストールで抑えているとは言え、露出が激しいような。

 だけど、問題なかったからここにいるわけで。考えすぎなのだろうか。


「わぁ、本当にミスティ可愛い。ね、可愛いよね」


 ちらりとエッセが目配せしてくる。頷いて俺はミスティに聞いた。


「それで、二人はなんでここにいるんだ? バレるとまずいんだろ?」

「……! むー! むー!」


 なんで叩く。話を進めろって合図じゃなかったのか。


「すれ違いも……良い……」

「俺が叩かれてるのに何で笑ってんだよ。で、どうなんだ?」

「レースの副賞取得者への取引交渉と、仮義肢による脚部駆動試験のためです」

「交渉? 試験?」


 ブレアから詳しく事情を説明されて納得する。

 前者の交渉に関しては俺たちが入手できたからオールクリアだ。


「はい、ブレア。これが輝星水晶スターライトだよ。完全な透明じゃないけど大丈夫?」

「うわっうわうわっ」

「えっ、ダメだった!?」

「全ッ然ダメじゃないよ! むしろ最高品質だよっ! 見ただけで魔力透過性が高いってわかるし。これならミスティの瞳にばっちりだよ」

「良かった!」


 ブレアは輝星水晶スターライトを受け取り、ウエストポーチに仕舞いこむ。

 後者は仮の義肢でミスティが街を歩けるかどうかの試験とのこと。パスは繋がっておらず、魔力で無理矢理動かしている状態らしい。


「見た感じ問題なさそうに見えるけど」

「見た目はね。でも今日歩いただけで義足の重心が少し踵に寄ってきちゃってるの」

「私の方で調整可能ですが」

「だからダメだって。無理したらさすがのあたしも怒るよ」

「……」


 譲れない部分であるらしい。


「でも何でわざわざ仮義肢なんか付けて歩かせてるんだ?」

「ダンジョンに行く必要があるからです」

「ダンジョンに? ミスティがか?」

「うん。例のパス・スレッド。自己修復じゃ間に合わない分を第二階層にいる人形系のモンスターから取って代用するの」

「それなら俺たちが行けばいいんじゃないのか?」


 ブレアは首を横に振る。そう事は単純じゃないらしい。


「死んだ糸じゃ意味ないんだよね。生きているモンスターから直接パスを移植して奪う必要がある感じ? だから危ないんだけど一緒に行かないといけなくてさーもうホントやばい」


 かなり厄介だな。先に話さず輝星水晶スターライトを優先させたのもわかる。

 義肢もだけど、視覚も含めてミスティを万全な状態にしてからでないとダンジョン探索に挑むのは危険だろう。

 そんな中、エッセが触手をピンっと挙げる。


「ハンターさんに頼むのは無理なの?」

「ハンター……ああっ、マブさんの旦那さんに頼むとかか」

「そそ。生け捕りはハンターさんの得意分野なんだよね?」

「考えたんだけどね。あたしはツテがなくて、いまは時期的に依頼できるほど暇じゃないだろうし。でも二人にツテがあるなら頼んでもらっても」

「ならマブさんの旦那さんは」

「賛同しかねます。私とパスが適応する個体はそう多くないと推察」


 どれでもいいわけじゃないのか。

 ブレアががっくりと肩を落とす。ミスティをダンジョンに連れていくのをどうしても避けたかったのだろう。


「仕方ない、よね……リムくん、エッセちゃん。第二階層の探索同行、お願いします」


 改めてといった風に、ブレアが深々と頭を下げてくる。

 第二階層。まだ俺が行ったことのない階層だ。それはブレアも承知している。だからこうして改めてお願いしているんだろうけど。


「今更だろ。ここまで来たら、最後まで付き合うって」

「うん。私も綺麗になおったミスティ見たいもん」

「まぁなおった暁には、報酬ってことで知ってること全部洗いざらい話してもらうけど……な……?」


 なんだ? ミスティはどこを見て。


「やはり繋がっていたな」


 声がした。聞き覚えのある若い男の声だった。それもごく最近。

 ミスティの視線を辿る。

 魔石灯の下でも闇を抱くようにそいつはいた。

 こちらに向かって歩きながら、そいつは黒い外套のフードを脱ぐ。

 現れるのは青藍の色素が所々で抜け落ち、青と白のまだら模様。

 不規則に跳ねたその色の髪の下、細いアンダーリムの黒眼鏡の奥で射殺す黒眼がミスティへと向けられていた。

 視線に縫い付けられたかのように動かないミスティは、ただ唯一動く唇を無機質に動かす。


「レストラ・フォーミュラ」


 いつもと同じ無表情で呟かれるその言葉には、恐怖の色が混じっている。

 ミスティのアンテナが、警告を示すように赤い明滅を繰り返していた。

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