013:雷光瞬く
マブさんが言い淀んでいた理由がわかった。
盤外戦術として、レース参加者ではない探索者パーティの妨害が行われるためだ。
おそらくは参加者、あるいは賭け主の差し金。レースの順位をコントロールし、賞金と掛け金をせしめようという腹積もりなのだろう。
にしても露骨すぎる。覆面をしているにしたって、鳥の目で筒抜けだぞいま。
……いや、ダンジョン内での探索者間のトラブルに教会は基本的に関与しない。自己責任、自己解決が基本。
アシェラさんも、トラブルにならないよう他の探索者とはなるべく距離を取って探索するようにと口酸っぱく言っていた。素材の奪い合いで揉め事に発展することは稀にあるらしい。
そして今回に限って言えば、参加者の情報は公にされている。こうして妨害に来たということは、反撃が怖くない程度の戦力を揃えてきているということだろう。
「大丈夫か、エッセ!」
「だ、大丈夫! 当たってないよ!」
五人パーティは俺たちを通すまいと展開している。積極的な攻撃をしてこない。あくまで時間稼ぎといった立ち回りだ。
覆面でも引っぺがしてやれば撤退するだろうけど、そこまで踏み込むと袋叩きに合うのは間違いなかった。
「リム、引き返した方が」
「迂回路あるか?」
「……すごく遠い」
どうする。
相手にしてる余裕はないし、そもそも俺は武器を握れない。
ダンジョンでならエッセは反撃できるけど、相手の力量もわからない以上無暗に戦えない。命を奪う大義名分を与えかねないからだ。
「どうやって突破する、どうやって……!」
「リム! モンスター!」
相対している探索者の後方からモンスターがやってくる。クレイエレメンタルと
俺たちとモンスターで挟む形だ。千載一遇のチャンス。挟撃して場が混乱すれば、この包囲を突破できる。
エッセと目配せして、タイミングを見計らった。そのときだった。
モンスターが探索者たちを素通りした。
まるで見えてないかのように。
あるいは、探索者たちの増援であるかのように。
クレイエレメンタルの魔石が明滅し、俺たちを刺し貫こうと地面を隆起させる。後方に飛んで躱したところに踏み込んできたのが
「リム!」
「助かる」
エッセが硬化させた触手で弾き返す。そのまま触手で絡めとろうとするが、
「なんだこいつら」
「普通のモンスターの動きじゃないよ!」
連携が取れている? 攻め一辺倒じゃなく、こいつら考えている。しかもだ。
「囲んできやがった」
まるで探索者たちと協力するかのように俺たちの後方に陣取ったのだ。
頭をよぎったのはサリアのテイムの魔法。けどあいつの姿はない。目の前の探索者の中にテイマーがいるのか。
「あのリング……あれって」
挟撃。
こうなると逃げるしか選択肢がないが、どっちかに風穴を開けないといけない。
対処のしやすさで言うなら、クレイエレメンタル。周囲に浮いている魔石さえ奪えれば、容易に撃破できる。
エッセならこの前みたいに簡単に。
あ。
「エッセ。クレイエレメンタルの倒し方、お前ならどうする?」
俺の問いかけにエッセは数度目を瞬かせたあと、頷いた。
完全に間合いに入り切るまであと少し。魔石が瞬く、探索者たちも挟撃のために武器を構えた。
直後、俺たちは駆けた。クレイエレメンタルに、ではなく探索者の方へ。
背後で地面が盛り上がる振動を足の裏が感じ取る。
「ッ!? お前ら!」
面食らいつつもすぐに囲いを作って迎撃態勢に移る。反応の速さはさすがだけど、それはつまり横に広がるということ。縦の密度が狭まることを意味していた。
「エッセ!」
「うん!」
間合いに入る直前に、俺たちはほぼ身体を密着させた状態で同時に跳ぶ。
さすがに男たちの頭上を跳び越すことはできない。切っ先が間違いなく届く。迎撃は容易だろう。
だから、直上へ。ダンジョンの根が蔓延る通路の天井へ、俺たちは全力の跳躍を行った。
「ええいッ!」
俺を抱きかかえたエッセが空中で触手を伸ばし、天井の根を絡みとって引き寄せていく。俺たち二人分の体重にも根はびくともしない。
眼下の探索者たちは一瞬呆けたが、弓を背負った男が剣を捨て矢をつがえた。
ここまで想定通り。イメージはすでにできている。
手に未だ力は戻らずとも、天井までの勢いと腕を振るう膂力により、勢いは十二分にある。
「【無明の刀身】」
包帯が裂いて出た刃幅の広い翡翠剣。柄頭を胴体で押し込むように、根の先、岩天井を穿つ突きを放った。
大剣が天井に食い込みながら、僅かに胸中へとフィードバックされる痛み。切っ先が欠けたのだろう。だけど幾許の猶予もない。矢の照準はすでにこちらに向けられている。
「射ち落とせ!」
「わかってる!」
「エッセ!」
同時に叫ぶ。
「砕けてもいい! 思いっきり蹴れ!」
「!」
ヒュバッと風切り音が耳に着いた瞬間、金属を砕く爆音がそれを掻き消し、俺の視界が一瞬で変転する。遅れて来たのは胸を握りつぶすような激痛。けれど、風を切る肌は心地よく、眼下に探索者たちの姿はなかった。
エッセが触手で落下を減速しながら着地。痛みはあれど走れないほどじゃない。
「逃がすなっ!」
怒号が響くも取り囲むにはすでに距離がある。ここからは追いかけっこだ。
「ほっ、ほっと! 当たんないよーだっ!」
「叩き落とすの上手いな」
「一人だったとき散々射られたからね! 慣れたもんだよ! 矢でも何でも飛んで来いだよ」
エッセが言った瞬間だった。
「は……?」
影が俺たちの真横に現れた。
距離を詰められた? 後方遠くに探索者たちは置き去りにしたはずだ。いつ。どうやって。
外套に身を隠した誰かは、確実に俺たちを仕留められる間合いに詰めて来ていた。
「お前か? 最近、
若い男の言葉に、その内容に悪寒が疾駆する。
「用途はなんだ? 高純度のものをここで探すのは非効率が過ぎる」
「離れて!」
エッセが触手を鞭のようにしならせると、男は僅かに身を反らすだけで躱し、その場に立ち尽くす。そのまま追いかけてくることはなかった。
「なんだいまの奴……」
尋常じゃないほど嫌な感じがした。値踏みされているかのような。ショーウィンドウを越えて直接見られているかのような気味の悪さ。
「リム」
「……大丈夫だ。エッセ、ゴールまでどれくらいだ?」
探索者たちを追い越しはしたが追跡は継続中だった。立ち止まれば十秒とかからず追い付かれる距離だ。もしモンスターと遭遇すれば、必ず追い付かれてしまう。
このまま逃げ切るか、どこかで引き離すか。
「もう少し。あとは下層に下りられたらすぐだよ。でも階段が左にちょっと迂回しないと辿り着けない。壁で塞がってる!」
どうする。間に合うか。そもそもまだリンダ・トゥリセは到着していないのか。
もうゴール間近だ。リンダ・トゥリセと会っていないということはすでにゴールしたということなのか。
さっきの奴のこともあり、追い立てられる焦燥感が冷静な判断を塗りつぶしていく。腹の奥にズンッとのしかかるような重しが脚を鈍くしている気がした。
「リム!」
「ッ!」
張られた声に横を見ると、エッセが玉虫色の瞳を真っすぐこちらに向けていた。
求める表情。信じて欲しいと。
それは嘆願するものではない。任せて欲しいと自信に満ちていた。
「エッセ、任せた!」
「うん!」
頷いたエッセは俺の腰に触手を巻きつけた。一本二本と。当然、速度低下は免れず、後方の追手との距離は縮まる。
ブーツがダンジョンに打ち鳴らす音が迫りくる。
そして、次のT字路でエッセは階段があるはずの左ではなく、右へと曲がった。
「そっちは」
「リム、舌噛まないよう気を付けてね!」
「え」
直後、砕ける音がした。何が。地面が。
全身を襲う浮遊感。後方から「止まれ止まれ!」という声が降りかかる。
「お前!?」
「任せるって言ったよね?」
妖精のように無邪気にギザ歯を見せて笑うエッセを、不覚ながらも可愛いと思ってしまったが、口を突いて出る言葉は決まり切っていた。
「ふっざけんなぁああああああああああああああっ!」
下層へ真っ逆さまである。
―◇―
『―――――――――――――――――――――――』
届くはずのない叫びが映像から聞こえたように、皆が一様に仰け反っていた。
ブレアも例外ではなく、ミスティただ一人のみが無表情でじっと見据えている。
第一階層特有の落とし穴トラップ。第一階層においてもっとも探索者の命を奪っているそれを、あろうことかエッセは自ら踏み抜いたのだ。
意図はわかる。距離にすればもうゴールは目と鼻の先。迂回している暇はない。落とし穴で下層にワープできれば、これ以上ない近道だ。
――だが普通やるか?
それがブレア含む全員の疑問だった。
まずレベル5のリムでは落下時の衝撃に耐えられない。
落下中、壁などに身体を打ち付け、下層の天井から地面まで真っ逆さまに落ちればたとえ受け身を取ろうが絶命は免れない。
運よく生き残っても、重傷を負うのは間違いなく、あとはモンスターの餌だ。
穴は暗く、二人がいまどうなっているかわからない。鳥も穴に入り、すぐ傍の距離まで近づいている。
「どうしよ、どうしよどうしよっ、ここまでするなんて!」
ここまで無茶をするとは思ってもみなかった。一探索者としての範囲で出来うる限りのことをしてもらえばそれでよかった。
称号持ちだからと期待を寄せすぎたせいか。必要以上のプレッシャーを与えてしまったせいか。二人に無茶をさせてしまったことにブレアの背筋が凍る。
もしも死なせてしまったら。取り返しのつかない怪我を負わせてしまったら。
ブレアにはどう償えばいいかわからなかった。
「心配の必要はありません、ブレア」
「え?」
「あれは意図的な落下です。エッセには何か狙いがあるのでしょう」
「で、でも」
「応援すると言ったのはあなたでは? 俯いて心配することがあなたのすべきことなのですか?」
ガツンと頭を殴られたかのような衝撃だった。
まさしくその通りだった。
「そう、だね。ちゃんと見ないと。信じないと……。ありがと、ミスティ」
「ブレアに施しをした覚えはありません。来ます」
ミスティらしい突飛な返答に苦笑いしつつ、ブレアは水鏡の映像に視線を戻す。
そこに映ったのはまさしく【テンシ】だった。
―◇―
暗闇での浮遊感が少しずつ減速していく。壁を削る音から、触手がブレーキをかけているのがわかった。
十秒、二十秒、どれくらい経ったかわからない落下の末、足元から光に飛び込む。
下層の天井穴から抜け落ちた俺は、俺を触手で抱くエッセを見上げ、驚嘆した。
自身を覆い隠せるほどの大きさの翼が、ダンジョンの光を透過し玉虫色に煌めかせ、空気を抱くように羽ばたいていた。
それはまるで昔話に出てくる【テンシ】のようだった。
エッセの背から生える両翼は、玉虫色を幽玄に流動させる。ただただ綺麗だった。見惚れてしまう。
世界樹より下りた【テンシ】たちを目撃した過去の人たちもこんな気持ちだったのだろうか。そんな想像をしてしまうほどに、エッセの姿は美しかった。
「エッセ……」
「んむーー! むむーーーー! むふーーーーーー!」
ただ、エッセは変な鼻息を漏らしていた。頬と鼻を膨らませ、顔を真っ赤にして。
これ飛べない奴だ。飛ぶ想定していない翼だ。見せかけの翼だ。
さっきまで優美だった翼は死に物狂いではためかせられ見る影もない。エッセはなんとか垂直落下を免れようとするも、力尽きる。
「もう無理!」
「おまっ!」
「こっちにする!」
垂直落下に転じた瞬間、両翼の翼端が結ばれ、頭上で薄く広がった。それはまるで水を掬う椀のようで、代わりに空気を受け止めたのだ。
急速なブレーキがかかるも地上までの距離はもう少しもなく、俺たちは転がり込むように硬い地面に着地する。
「つっ~!」
「あいたたっ」
「あ、つ、はぁ、はぁ……おい、エッセぇ~!」
「あうあうあう」
痛みに悶えながらもエッセに恨みの視線をぶつけてやる。
涙目でこっち見てくるけど許さん。落下手段に最適な方法があるなら最初からそっちを使えという話だ。
「だ、だって翼の方が綺麗だし、こっちのほうがかっこいいと思ったんだもん……ごめんね」
「舌ペロして誤魔化すな。マジで死ぬかと思ったわ」
綺麗だったのは確かだけど、言わないでおく。
「まぁ何はともあれ大幅ショートカットできたな。さすがエッセだ」
「えへへ」
「でも二度とごめんだからな」
「ちなみに一回目はダフクリンから逃げたときだよ」
そりゃどうも。
「ゴールはあっちか」
「うん。通路を抜けて次の
階段は後方。ここからは一本道だ。さっさとゴールしてしまおう。
そう思い、立ち上がったときだ。
「「ッ!?」」
背筋が痺れるような尋常じゃない怖気を感じた。
それは、さっきの探索者の追手の比じゃない。
振り向けば死を覚悟しなくてはならなくなる。それほど絶望的な死の予感。すぐに逃げろと全身が叫ぶ。けれど、本能を無視して理性が首を後ろへ向けさせた。
雷がそこにいた。
―◇―
最初は乗り気じゃない任務だった。
考えることの得意じゃない自分にとっては退屈で面倒なものだった。
それでも自分には脚がある。慕っているクーデリアも認めてくる脚が。
ダンジョンを駆けまわるのに自分は適していた。だから任せられた。
けれど、そこに奴がいた。
リム・キュリオス。
何故かクーデリアと同じ称号を賜ったルーキー。圧倒的に自分よりも劣っているはずのそいつが、クーデリアと並び立った。
認められるはずがなかった。クーデリアと並び立つのは自分だ。彼女の刃たるのは自分しかいないのだ。
故に否定しないと気が済まない。
そんなもの二度は続かない。ダンジョンでは実力のないものから死んでいく。実力があっても運がなければ死んでいく。
どっちもあって初めて生き残る。
本物とはそういうものだ。自分たちがそうなのだから。
認めない。奴が本物などと。並び立つなどと。
そんなもの全て踏み潰して否定してやる。
―◇―
リンダ・トゥリセ。
その小さな体躯を抜きにしても、まだ豆粒にしか見えないほどの距離があるのに、喉元にハルバードの刃を突きつけられているかのような威圧感を放っている。
もはやこの程度の距離、あってないようなもの。
「……」
「ッ!」
目が合ったような気がした。瞬間、俺とエッセは全速力で駆け出していた。
――脚が遅い。
いやそう感じてしまっているだけだ。レース最初に見たあの速さが脳裏にこべりついて否が応でも比較させられてしまう。
――バチィ!
稲光が瞬いた。一度、二度、三度、爆音。大地を打ち砕くかのような轟音が折り重なるように背中へ浴びせてくる。その音は数秒と経たずにすぐ傍に迫って来た。
「リムッ、キュリオスゥウウウウウウウウウウウウウウウ!」
地鳴りのような砲声。間に合わない。逃げきれない。
妨害なんて意味がない。
リンダ・トゥリセは邪魔するもの全てを薙ぎ倒し、ゴールへと突き進むだろう。
ここで求められるのは純粋な速さ。ゴールまでの最短最速の道。
「エッセ!」
もはや考えている余地などなかった。
目配せもせず、俺は全速力を維持したまま跳躍、前傾姿勢を取り、地面と平行になる。
「投げろッ!」
「!」
何も無い宙に柔らかな足場が生えた。
「ッ、逃がすかぁああああああああああああああああああああああああ!」
「行っっっけぇえええええええええええええええええええええええええ!」
矢の一射と化した俺が、全力で触手を振るったエッセより疾風の如く放たれる。
考えうる最高最速の、後先考えない愚か者の無茶。
音と景色を置き去りにして、俺は手を伸ばしゴールへ飛翔する。
もう少し。もう少し。届く。間に合う。勝てる。
確信した刹那。
「え」
稲光を結ぶ幾つもの雷光の塊が、俺の眼前をまるで轍のように走っていた。
空すら弾く【瞬雷】の姿を認めた瞬間、景色が反転した。
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