011:ダンジョンレース


 午前と午後、二度の探索で輝星水晶スターライトを探したものの、結局見つけられなかった。

 リュックに積み込まれた水晶たちは全部輝星水晶スターライトもどきである。

 探索終了時に教会に売り払ったけど、借金分の差し引きで二束三文にしかならなかった。


「一万にも満たない……と。血眼になって鉱石掘りしてる探索者見かけたことあるけど、その気持ちわかった気がする」

「だねぇ。私もダンジョンいた頃よく見かけたよ。『これは俺のだ』『いいや俺のだ』って喧嘩してる人もいたなぁ」


 見苦しい……とは言えない。今日の飯をダンジョン探索にかけている者にとってしてみれば死活問題だろう。

 俺たちもある意味今日の飯のために働いているわけであるし。ミスティの身体を直すことが目的だけれど、それはそれ、これはこれである。


「でも石ころ拾いだーなんて言うのはどうかと思う! 別に悪いことなんてしてないのにっ!」

「あー」


 エッセがそのときのことを思い出してか触手をぶんぶん振って怒る。

 鉱石掘り中、何度か探索者とすれ違うこともあった。

 そのときに遠巻きから揶揄するような口調で言われたのだ。


『称号持ち様がいまさら石ころ拾いだなんてしてるのかよ』

『モンスターと戦うのが怖いのかー?』

『襲われないように守ってやろうか?』


 などなど。

 第一階層での鉱石掘りメインの探索は、資金も装備も満足にない駆け出し探索者が行う場合がほとんどだから、称号持ちの俺たちは余計に目立つのだろう。

 街中でもかなり絡まれたから、ダンジョンでも絡まれるのは致し方なしだ。直接邪魔されないだけマシではある。エッセがいちいち反論しに行かなければの話だけど。

 結局、今日も収穫ゼロのまま俺たちは『ガーデン』を出る。

 斜陽に染められたクリファの街の向こう側にある『巨人の森』は、水平線の向こう側まで黒く塗り潰し、夜の到来を告げているようだった。


「悪いな。重労働任せきりで。手に力は戻って来てるんだけどな」

「気にしないでいいよぉ。ダンジョンで人目を気にせず身体動かせるの楽しいもん。誰かを傷つけることでもないし」

「そう言ってくれると助かるけど、壁コンコンくらいしかできてないしさ。やって欲しいことないか?」


 嬉しそうに身体をくゆらせ、触手を波立たせているエッセ。

 しかし俺の言葉に何かを閃いたように目と口を見開くと、肩をすぼめてこちらをチラッチラッと窺うような眼差し向けてくる。

 そして、どこか切なそうな瞳でじっと見上げて来た。


「っ」


 不意打ちだった。夕焼けに焼かれるエッセの白い頬は紅潮しているようにも見えて、俺の胸が跳ねたのだ。

 エッセは手をおずおずと差し出してきた。


「……手、握って?」

「え?」

「が、頑張ったご褒美……欲しい」

「いや、力ほとんど入らないけど」

「いいの、それでも」


 なに。なにこれ? え、俺、何か試されてる?

 どういう意図だ? 別に誰かの視線が強く向けられてるとかじゃないよな?

 いや別に手なんて何度も握ったことあるし、握られたこともあるし、いまさらなんとも思うはずないのだけれど、なんでエッセはそんな顔をしているんだ。

 何をどう考えて握れば。


「だめ?」


 夕日に煌めく潤んだ玉虫色の瞳に、頭はカッとなって燃えて弾けて、訳も分からずエッセの手を握る。

 力が入らずともその柔らかさはわかる。

 細くて小さな手。触手と同じ、肌に吸い付くような瑞々しい心地よさ。指を動かせば優しく握り返してきて、エッセの表情が柔和に綻ぶ。

 いつもの快活な少女らしからぬ表情に、思考が溶けだしそうになるその刹那。


「!?」


 エッセの触手が袖から伸びて俺の腕にこれでもかと絡みついた。

 ぎゅっぎゅっぎゅむっぎゅはむはむぎゅーーーー、である。

 まるで食虫花に囚われた虫。思わず引っ張るも全然絡みついて剥がれてくれない。

 エッセはというと、まるで風呂にでも使っているかのように頬を綻ばせていた。


「リムの魔力……染みわたるぅ~」


 魔力。魔力?


「え、ただ魔力が欲しかっただけ? それだけ?」

「ふゆぅ、ん、ん。うん、それだけだよ? ミスティが大変だから我慢しようって思ってたんだけどね……そんなこと言われたら我慢できないに決まってるよっ」

「そんな迫力出されても。いや、別に魔力が欲しけりゃ勝手に取ってっていいからな」

「そうなの? じゃあ遠慮なく」

「だからと言って触手を肩まで伸ばすことを許可した覚えはないやめろ離せ」

「だって接触してる部分が多いほうがいっぱい魔力もらえる気がするんだもん」


 にょろにょろと迫ってくる触手と一進一退の攻防を繰り広げる羽目になってしまった。


「……?」

「どうした?」


 しばし表情を緩ませていたエッセが、不意に真面目な表情でクリファを出て左手側、東の方角を見ていた。そのままとてとてと小走りで向かっていく。


「こっちからモンスターの気配がするの」

「ここ地上だぞ」


 エッセの手に引っ張られて着いたのは『ガーデン』の東側。普通よりも大きい荷馬車や幌馬車が何台も駐留していて、馬車ごと何台も容易に入れる大きさの入口があった。

 ここは街正面の入口からはちょうど陰になっていて、普通に街から登っては気づけない場所だった。


「あそこ、馬車の中にモンスターがいるよ。うん。すごく反応が小さいけど、感知できちゃう。何のモンスターかはわかんないから、きっと私が見たことないのだと思う」

「あの幌の中にか?」


 ただ人は馬車の周りにいた。一人や二人じゃなくて、結構な数で賑わっている。ほとんどが探索者らしかったけれど、中には身なりの整った行商人らしき風体の人もいた。

 そしてその中には見知った顔の女性がいた。


「マブだっ! おーいっ!」


 エッセは気づくなりマブさんを呼んでしまった。

 明らかに仕事中らしかったけれど、もう遅い。あっちも気づいて、手を振ってくれる。

 仕方なくエッセと一緒にマブさんの近くまで行った。


「こんばんはエッセちゃん、リムくん。探索帰り?」

「うん! マブはここで何をしてるの? モンスターの気配がするんだけど」


 ああ、とマブさんは朗らかに笑って見せると手招きして俺たちを普通よりも大きな幌馬車の後ろ連れていった。

 幌馬車のカーテンをめくると、そこには豚一頭なら丸呑みにできそうな白毛の獣が横たわっていた。全身に裂傷痕や矢の痕があるが生きている。大きないびきをかいて、巨体を鳴動させていた。


「リムくんは生粋の探索者だから知らなくてもしょうがないっか。ここは『ガーデン』から街にダンジョンのものを卸す搬入路なのよ。ここから市場に行ったり、加工のための施設に卸したり、街中に必要なものが行き渡るようにするための最初の出発地点ってわけね」


 なるほど。正面口にないのは納得だった。


「で、うちの旦那はハンターギルドに入ってるから、直接『妖精の寝床』に卸してもらえるわけ」

「ハンター?」

「確か、モンスターの捕獲能力に長けた人たちがなる職でしたっけ」

「そそ。探索者の一種なんだけど、そこは明確に違うわね」


 モンスターの捕獲は討伐よりも遥かに難易度が高い。

 殺さないように無力化する、痺れ罠や眠り薬を用いるなど手段は多岐に及ぶが、モンスターによってどれが適切かは異なる。

 少なくとも実力が拮抗していてはまず不可能だ。

 故にハンターは探索者以上に実力を求められる。そして実力以上に、どんな状況でも冷静にいられることとモンスターに対する知識が必要な職だった。

 全部、アシェラさんの受け売りだけど。


「でもどうしてマブさんがここに? ハンターじゃないですよね?」

「【開闢祭】で忙しいからお手伝いと……これ内緒なんだけど。最近、ハンターが捕獲したモンスターが消えちゃうって事件が起きてるのよ」


 声を潜めたマブさんがそんなことを教えてくれる。


「大方誰かが横流ししてるんだと思うんだけど、クリファじゃ違法だからね。そうならないよう監視体制を強めてて、私もそのお手伝いなのよ。まぁ雑務だけどね」


 それ、無関係な俺たちに話してもいい内容なのか?


「どうして捕獲するの?」

「ダンジョンだと倒しちゃうとすぐ吸収されちゃうでしょ? そうじゃなくても鮮度が命だし、このまま屠殺場に運ぶの」

「とさつ……」

「良かったな、ハンターに捕まらなくて」


 エッセが身震いさせてこっちを睨んできた。俺の右腕に絡めている触手をさらに伸ばして、ぺちぺち叩いたり、甘噛みしてくる。

 いや、甘噛みって言っても牙が鋭利だから結構痛いんだけども。


「ふふ、仲良いわねぇ」


 マブさんは俺たちの手を見ながら意味深な、というかどこか下品な笑みを浮かべる。


「いやこれは」

「うん!」


 弁明しようとする俺を遮るように、エッセが俺の握った手を無理矢理上げると、左右に挨拶するように振った。

 エッセはにこにこと笑顔だ。


「あらら……前途多難そうね」


 何故か苦笑いされてしまった。


「それにしても、もうリムくん探索者復帰? 手は大丈夫?」

「この通り、まだまだですよ」


 グーパーと繰り返すのに数秒かかる。これでもまだマシになったほうだ。


「もうちょっとリムにご飯食べさせてあげたかったのになー。あーんしたときのリムの恥ずかしがる顔もっと見たいー」

「二度とごめんだ」

「むーむー」


 食べさせてもらってる間、ずっとニマニマされるんだぞ。嫌になるに決まってる。


「ふふ。ほんと仲いいわね。でも、ダンジョン探索は大変じゃない? やっぱりこっちで何か仕事見繕おうっか?」

「いやそこまでしてもらうわけには」

「未来のお得意様だもの。下心丸出しだから遠慮しないで、【巨人墜ネフィリム】様?」


 からかうように片目を閉じて、笑みをかたどった唇に人差し指をあてがう。

 強かさを見せつつ、こっちが遠慮しなくて済むように逃げ道を用意してくれる。まさしく大人なマブさんだった。


「おーい、マブー。そろそろ行くぞー」

「はーい」


 馬車の先頭から声がかけられる。男の人だった。マブさんの旦那さんとやらだろうか。


「ごめんなさいね、そろそろ行かないと」

「うん、大丈夫。どっちにしろ俺たちの目下の目的は、輝星水晶スターライト探しだから」

輝星水晶スターライト?」

「うん。マブは何か知ってる? どこにも売ってないし、見つけても純度が低くてダメなの」

「んー、知ってる、といえば知ってる……かな」


 まさかだった。思わぬ光明がマブさんから差し掛かったのである。

 ただ当人は口ごもっていて、表情も芳しくない。腕を組んで言うべきか言うまいか悩んでいる風だった。


「教えて! どんな些細な情報でもいいの」

「正直あんまりおすすめしないんだけど……それはね――」



―◇―


「まさかダンジョンレースの賞品になってるとはな」

「盲点だったね」


 マブさんに教えてもらった輝星水晶スターライトの情報。

 とある商業ギルド主催のダンジョンレースの賞品というものだった。

 レース内容は至極単純で、ダンジョン入口からスタートして、第一階層の指定ポイントにゴールするというもの。

 入賞すると賞金と副賞がもらえ、一位の副賞が輝星水晶スターライトであった。俺たちが拾ってきたような出来損ないではなく、高純度の輝星水晶スターライトである。


「あそこでマブさんに教えてもらってなかったら完全に気づかずスルーしてたな」

「マブ、ありがとう」


 ここにはいないマブさんにエッセが触手と一緒になって頭を下げている。

 教会のエントランスホールの三階。そこでは教会の認可が下りたギルドなどが場所を借り受けて、様々な物の販売や企画の受付などを行っていた。

 レースもその一つで、今日が最終日の最終レースに俺たちは滑り込みで参加したわけである。

 【開闢祭】前後から毎日やっていたらしい。そういえば街中でも受付を行っている場所があった。


「おい、見ろよ。触手生やしてる女」

「じゃああれが【巨人墜ネフィリム】か?」

「二人で一つの称号をもらったらしいぜ、階層主ダンジョンイーヴルを倒したとかなんとかで」

「どういう裁量だよ。意味わかんねぇ」


 遠慮ない視線とヒソヒソ声に、エッセがわかりやすく渋面になる。


「意味わかんなくないもん。私たち二人で【巨人墜ネフィリム】はおかしくないもん」


 どうやらヒソヒソ声の内容にご不満らしい。怖がっているよりはいいけども。

 すでにレースに参加する人は結構な数が揃っていた。

 戦士然とした屈強そうな体格の男たちや、軽装のシーフクラスらしき人、魔法の扱いに長けているであろうローブ姿の女性まで、二十はくだらない人数の探索者たちが集まっている。

 パーティ単位での参加も可能らしく、誰か一人でも到着できればパーティ全体の勝利らしい。そりゃあ組むよな。ダンジョンにはモンスターもいるわけだし。


「うぅ、緊張するよー。皆強そうだもん。変なプレッシャーも感じるし。なんだか見られてるみたい」

「いつものことだろ」


 まぁ直接お金がかかっているからか、普通の探索者にはない気迫を感じる気はする。


「だけど心配はいらないだろ。この場にいる誰よりもお前が一番有利だ」

「ふぅー、うん……!」


 探索者として俺より強い奴はごろごろいるだろう。それに数的不利も明確だ。

 マブさんが言いにくそうだったのはその辺りも関係しているだろう。

 けれど別に勝算なしでレースに参加したわけじゃない。今日の探索で得たなけなしの金で参加費を払ったのだ。勝つつもりである。


「お前なら最短ルートを見つけられる。頼むぞ」

「任せて」


 エッセの感知能力はモンスターのみならず、ダンジョンの地形にまで及ぶ。さらには不定期に行われる地形変化にも最速で反応できる。

 何よりエッセは五年もの間、第一階層で探索者の目から逃れ、隠れ続けていたプロフェッショナルだ。勝ち目は十二分にある。

 どっちかと言うと、問題は俺のほうだ。


「ようよう、称号持ち様。最近、絶好調みたいじゃねぇか。あの死にたがりが随分と出世したもんだなぁ」


 明らかに蔑みの入った調子で声をかけてきたのは、ひょろりとした長身の男だった。

 どこかカマキリを思わせる顔立ち。軽薄が服を着て歩いているようだ。


「ケヒヒッ、ペットの躾は出来たかぁ? ん?」

「……誰?」


 面識はなかった。


「あっ! この前、訂正して欲しいこといっぱい言ってきた人! また失礼なこと言いに来たのっ!?」

「うぉっ、やんのか!? 手ェ出してみやがれ速攻失格だぜ、お前ら!」


 エッセが『シャー』と触手を広げて威嚇するのを、俺は身体を間に入れて抑える。

 この口ぶりからして面識があるらしいけれど、記憶になかった。


「へっ、やっぱりペットの躾が出来てねぇみてぇだな。どうせ、称号も何かの間違いなんだろ? オッズもほぼ最低。ヒヒッ、全く期待されてねぇってこった」

「オッズ?」

「はっ? おいおいおいおい、まさか知らねぇで参加したのかよ。ケハハッ、あーあー、ご愁傷様」


 男は一枚の紙をピッと弾いて飛ばしてくる。エッセが触手でそれを摘まんで見ると、複数の名前とその横に細かく数字が書かれていた。

 下から二番目に俺の名前もある。


「さっき届いたオッズだよ。上から順に優勝が期待されてるってこった。もう参加者もいねぇだろうし、確定だろうな。カヒッ、これは賭けレースなんだよ」


 賭けレース? ざっと見渡した感じ、賭けるための受付らしき場所はない。


「ヒヒッ、死にたがりは随分目立ったからなぁ。楽しみでたまらねぇ」

「むむむ、さっきから自分だけわかってるみたいにっ」

「エッセ、張り合わなくていいから。どうせやることは変わらない」

「……ケッ、死にたがりのくせにすかしやがって」

「リムを死にたがりって呼ぶの止めて欲しいなっ!」

「なら称号で呼べってか? 喋るモンスター様は随分と傲慢であらせられる」


 嘲笑が白熱する中、詰め寄ろうとした男が誰かとぶつかったように仰け反った。

 一瞬透明な壁とぶつかったのかと錯覚したが、男の足元に小柄な少女がいた。


「どけ」


 たったの一言。俺はその顔を見た瞬間、エッセと一緒に一歩ならず二歩三歩と即座に下がる。

 だけど、男は虎の尾を踏んだ。


「なんだぁチビ! てめぇがどけ――」


 言いかけた男の側頭部に少女の爪先がめり込んだかと思うと、この場から消失した。

 遠くで壁に激突する轟音が響く。けれど、予定調和を目の当たりにしただけのここにいる探索者の面々は誰一人として驚かなかった。


「ふん」


 その小柄な身体に似つかわしくない重厚な装備。

 以前会ったときとは違う、雷光を思わせる青と黄のジグザグの稲妻模様が彫り込まれたフルプレートアーマーで、頭部を除く全てを覆いつくした少女は受付まで軽やかな足取りで向かう。


「リンダ・トゥリセ。参加したいんだけど」

「【瞬雷】……!? いや、あなたには仕事がありますよね!?」

「気が変わった」


 金髪金眼、左サイドテールの髪型をした少女リンダがこっちを一瞥する。


「大丈夫だって、仕事はついでにこなすから。クー姉にも言われてるし」

「いやいやいや、出来レースになっちゃうでしょ。皆賞品狙いなんだから降りちゃいますって」

「わたし賞品いらないから、二位、三位で決めれば?」

「そんな無茶な!」


 そうして強引に参加してしまう。

 リンダ・トゥリセ。身の丈の二倍はありそうなハルバードを背負った少女。

 クリファにおける最大ギルドの一つ、【ヘカトンケイル】の第二部隊副隊長。

 かの称号【極氷フリジッド】に付き従う幼き暴星だ。

 そのリンダ・トゥリセが鎧の重々しさを感じさせない軽い足取りでやってくる。


「やっ、モンスター使い。あんたも参加するんだ?」

「……まぁ、お金ないんで」


 人懐っこそうな無邪気な笑み。さっきのこともあって心配だったけど機嫌は悪くないらしく、俺は胸を撫で下ろす。

 以前、リンダの疑似アーティファクトのハルバードを壊してしまったことがあり、そのときは危うく殺されかけた。

 個人的にいままで出会った人物の中で一番怒らせてはいけない相手だと思う。


「聞いたよ? 称号もらったって。一躍有名人じゃない。授与式もなくて随分変だったけど」

「いや、あれは違くて」

「称号持ってんだからこんなレース楽勝で優勝できるって?」


 あっ、これ笑ってない。顔は笑ってるけど、目が笑ってない。――事実。


「させねぇから」


 豹変した。

 いまだ感覚の鈍い指先がピリピリと痛むほどの殺気が、弾ける雷光のように迸る。

 しかしそれも一瞬で、また偽の笑みを浮かべる。


「まっ、安心しなよ。わたしがお前に本気でやることはないから。魔法もスキルも使わないし、仕事ついでに軽く捻り潰してあげる」


 俺の隣を通り過ぎる間際、低い声が地の底から響くように俺の耳朶を舐った。


「てめぇ如きがクー姉と並んだとか認めねぇから」


 もうこっちには振り向かずに、リンダ・トゥリセは長椅子に一人陣取る。


「エッセ……俺なんかした?」

「よしよし、リムは何も悪くないよ」


 泣きたい。別に好きで称号持ちになったわけじゃないのに。

 やべぇ奴に絡まれる星の元に生まれたのか、俺は?


「マジかよ、【瞬雷】までレースに参加すんのか?」

「荒らしじゃねぇか……」

「大人げねぇ。ガキだけど」

「あのバカみてぇに壁のシミにされんぞお前」

「【巨人墜ネフィリム】に加えて【ヘカトンケイル】……どうなんだ、ラストレース」


 手に持つオッズ表を握りつぶして、俺は頭痛をどうにか耐える。

 思考を幾ら張り巡らせようとも、リンダ・トゥリセに勝てる未来が見えなかった。

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