010:「ただいま」が言いたいから
「アシェラさんを呼んだつもりだったんですけど」
「わかってますよ、リム・キュリオスさん」
翌日早々に『ガーデン』の受付にやってきた。
ダンジョンでのリク・ミスリルの入手法をアシェラさんに調べてもらうためだ。望みは薄いだろうけど、可能なら上層階で。
それで受付で担当シスターであるアシェラさんに取り次いでもらったのだけど、やってきたのは全くの別人だった。
なんなら服装からして違う。一応シスター服なんだけど、アシェラさんのものとは違って膝上ミニスカート。黒のガーターストッキングを穿いた脚を開放していた。
シスター服も人によって多少違いがあるらしい。
「こちらへ。とりあえず祝福部屋でお話を」
金髪ベリーショートのシスターは踵を返すと返事も待たずに歩いていく。
状況を呑み込めず俺はエッセと顔を見合わせるけど、当然エッセも同じだ。仕方なく彼女についていき、その背中に話しかける。
「アシェラさんは?」
「来れません。というか来ません。ですから代役であたしが来ました」
来ませんってどういうことだ。その口ぶりだと、まるでアシェラさんが会わないことにしたみたいに聞こえる。
「あなたって、【開闢祭】前に受付でアシェラのおっぱいもみもみしてた人?」
「ひぇっちょっ」
後ろからエッセが金髪シスターの顔を覗きに行くと、彼女は大袈裟なほどに仰け反って距離を取った。
「「あ」」
やらかした、と二人は互いに思ったのだろう。
エッセは申し訳なさそうに笑みを浮かべて、金髪シスターは焦ったように手をじたばたさせる。彼女の吊り目がちの瞳はしどろもどろに揺れて、対応に困っているようだった。
「ごめ、いきなりでびっくりして」
「ううん。私こそごめんなさい」
触手は裾の中に隠れるようにして引っ込み、エッセは俺の後ろに戻って来た。
金髪シスターはバツが悪そうに口元を隠す。
「あなたが悪いモンスターじゃないってことは聞いてる……けど慣れるのは無理だと思う。これはあなたが悪いわけじゃないから、気に病まないで欲しいわ」
「うん」
「キュリオスさんも不快にさせてごめんなさい」
「……いや、表面上だけ取り繕われるよりはいいよ」
むしろこの人のほうが正常な反応なんだろう。俺やサリア、マブさんとかはかなり異端なんだと思う。
そりゃ、エッセは本当は人間なのだから思うところはあるけれど、自ら隠しておいてそれを汲み取れというのは無茶振りが過ぎる。
ようやく安堵したようにシスターさんは息をついた。そうしてまた歩き始めたのでその後をついていく。
「それでアシェラさんは」
「リムリム。その前に名前聞こ?」
「あー、えっと」
アシェラさんのことですっかり忘れていた。
「向こう着いてからって思ってたんだけどね……。まあいいか。あたしはアンバー・コレット。三級シスターで、同期のアシェラと同部屋なんですよ」
人ひとり寝転がれるほどの銀の大皿――シスターに【祝福】を施してもらうために使われる聖杯を挟んで、アンバー・コレットに向き直る。
アシェラさん以外と祝福部屋に入ることはないから、少し違和感だ。
「来ませんってどういうことなんですか?」
アンバーさんの自己紹介もそこそこに俺は切り出す。
アシェラさんとは【開闢祭】前にダンジョンへ潜る直前に会ったきりだ。
【開闢祭】中は忙しいだろうからと会わず、昨日一昨日とで教会に向かうも空振りだった。受付してくれたシスターさんは「諸事情で応対できません」とか言っていたけど。
「ここ二日は熱出して寝込んでたんですよ、あの娘」
「寝込んでたってことは、もう治ったってこと? じゃあどうして」
「あの娘の悪い癖というか、発作っていうか……」
アンバーさんは口を尖がらせて肩をすくめる。
「アシェラが担当の探索者を死なせた、って話聞いてます?」
「それは……一応。噂程度だけど」
探索方針に関するトラブルが起きて担当していた探索者が死んだ、という話は聞いたことがある。というか、最初に俺が担当のシスターにアシェラさんを指名したときに、受付だったシスターさんに言われた。
面倒事になるからやめておけ、とこっちを気遣った感じだったから悪感情こそ抱かなかったけど当時は困惑したからよく覚えている。
「本人いない前で詳細話すのは絶対に嫌だから伏せますけど、アシェラそのときのことがトラウマになってて、たまにこういうこと起こすんですよね」
「こういうこと?」
「探索者の担当を自分から外れる」
「なっ」
じゃあ、つまり来ないっていうのは俺の担当を辞めたからってことなのか。
代役としてアンバーさんが来たのはそのため?
でもなんでいきなり。
「正直、長く続いたほうだとは思いますよ。キュリオスさんの評判が立ってから一月ももつとは思わなかったです」
「評判?」
エッセが小首を傾げる。
「死にたがり」
その一言にハッとさせられた。
「ぶっちゃけますけど、キュリオスさんってシスターの間での評判すこぶる悪いですから。すぐ死にそうって。担当アシェラがしててくれて良かったなんて言う子もいますし」
「…………」
「あれ、怒ったりとか落ち込んだりとかしないんですね?」
腕を組んだアンバーさんが意外そうに目を剥く。
俺は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「いやまぁ、事実だし。もしかしなくても俺が
「はい。キュリオスさんが棺桶に片足突っ込んでる状態で帰って来た日、アシェラは取り乱して泣き喚いて、丸一日仕事になりませんでしたから」
アンバーさんは聖杯の縁を指でなぞって、過去に耽るように呟く。
「担当した探索者がダンジョンから帰ってこないだなんて、ここじゃ全然珍しくもないんだから受け流せって言ってるのに。受け止めても辛いだけよ」
「……耳が痛い」
「あっと、探索者さんの前でいう話じゃありませんでしたね、すみません。これはオフレコで」
ここまで謝罪の気持ちが籠っていないのも珍しい。それほどさっきの言葉が本音だったんだろう。
それと、俺が死にたがりなんて呼ばれるほど無茶な探索を続けていたせいでもあるか。
そのことを後悔することはない。けれどいまになって申し訳なく思う。アシェラさんにずっと心配をかけ続けてしまっていたことに。
「まぁそういうわけでして。次の担当シスターが決まり次第、アシェラが担当から外れます。それまではあたしが代役を務めますから、【祝福】等の業務についてはご心配なく」
「リム、いいの? 私アシェラじゃなくなるのやだよ」
「…………」
「探索者さんの一存じゃどうにもならないですよ。ギルドへの引き抜きとかで、担当が変わることはそう珍しい話でもないですし。キュリオスさんの探索歴だと引継ぎにもそう時間はかからないと思います」
「……だけど」
「テイムに関しての情報漏洩はご心配なく。シスターは数人でグループを組んでいて、複数の探索者情報を一緒に管理するということになっていますから。すでに事情を把握しているシスターに引き継がせるようにしますよ」
エッセが触手を俺の腕に巻き付けて揺らしてくる。泣きそうな表情で頭を触手たちと一緒に何度も左右に振った。
「心配しないで、エッセさん。皆、公私はきちんと分けるから。あなたがいるからって手を抜いたりはしない」
「そうじゃなくって……! アシェラがずっとリムを守ってきてくれてたんだよ。リムを死なせたくないって思ってくれてたんだよ。まだ私、そのお礼言えてないのっ。ありがとうって、だから」
感情の発露がとめどなくなっているエッセの頭に手を乗せて宥める。頭を撫でるたびに触手は力なく萎れて、堪えるように自分の脚や腕に巻き付いていった。
惑いかけた気持ちが固まっていく。エッセの言葉が俺の後押しをしてくれた。
「わかってる。アシェラさんが毎日のように忠告してくれなきゃ、俺は死んでた。無茶はやめなかったけど、頭の片隅にアシェラさんの言葉があったのはわかってる」
それに、と俺は続ける。
「まだ、『ただいま』って言ってないしな」
「ッ! うん!」
俺は息を整えてアンバーさんに向き直る。
まずはこの人だ。
アンバーさんは事務的に淡々と処理しているように見えて、感情が見え隠れしている。
怒っている。アシェラさんとはとても親しい友人なのだろう。この前も気の置けない仲であるようなやり取りをしていた。
アシェラさんのことが大切だから、エッセが怖くともこの役回りを買って出たのだろうと思ってしまう。
だから俺はこの人を説得しなくちゃいけない。
この人抜きにアシェラさんとは会えない。
「アシェラさんが担当を外れるのは困る」
「困るって言われてもね。それはそっちの都合ですよね?」
「そうです。こっちの都合だ。でも勝手に辞めるのはそっちの都合だ」
「あたしに言われてもね。あの娘が決めたことですよ。あなたの担当が辛いって」
「なら直接言ってほしい。他人任せにするのはずるいだろ」
「……それについては同感です。でも、怖いんですよ。あのとき止めておけば、もっとアドバイスできていればって。キュリオスさんの顔を見るときっと自責の念に駆られるんです、あの娘は」
「俺の傷は俺の責任だ。俺の無茶も何もかも」
「あの娘はそう思えてない。思えない」
「だから話す。伝えたい。俺の言葉で。だから会わせて欲しい」
「会えばあの娘は傷つく。心に傷を負った娘に追い打ちをかけるの?」
「傷を放置したままでいいとは俺は思えない」
「忘れることが癒しになることもあるの。あの屑みたいにまた傷を負わせるつもり!?」
「俺は生きてる!」
いつの間にか俺たちは聖杯に乗り出して激しく言葉をぶつけ合っていた。
アンバーさんは歯ぎしりして、その琥珀色の双眸で俺を睨み据えてくる。
「探索者ってほんっと自分勝手」
「そうだよ。自分勝手にダンジョンに潜ってる。それをアシェラさんは助けてくれてる。それがあったから俺は生きていられてる。それを伝えないといけない」
「伝えられたら満足? ならあたしが伝えておいてあげるわ。それでもういいで――」
「そしてこれからもアシェラさんの助けが必要なんだ」
もはや苛立ちを隠そうとしない怒髪天を衝く形相で、大きく舌打ちした。
本当に俺は口下手だ。もっと上手く言う方法があっただろうに。けどアンバーさんを怒らせてでも言わないといけない。嘘はつきたくない。
「なんでアシェラなのよ。シスターなんて他に幾らでもいるでしょ。なんだったらアシェラより優秀なシスターだっていっぱいいる! あんた称号持ってるのよ!? その死にたがりさえ改めたら担当になりたがる奴なんていっぱい――」
「俺は俺に相応しいシスターはアシェラさん以外にいないって思ってる」
「っ」
アンバーさんは何かを言おうと口を開いて、だけど喉は振るわず額を手で何度も打ち付けると、そのまま椅子に座り込んだ。
「それ、本心? なんでそう思うわけ?」
「子供の頃、彼女の言葉に救われた。おかげで探索者になることを諦めずにいられた」
師匠に弟子入りして一年もしないうちのことだ。
いま以上に未熟な身でありながらダンジョンに挑もうとした俺を、無謀を嘲笑われる俺を庇い、諭してくれたあの日を覚えている。
『大きくなったら私を尋ねて。私も立派なシスターになってリムくんの力になるよ』
アシェラさんのことを指名したのはそれが理由だ。
「でも、あの娘より優秀なシスターは」
「そっちこそ本心?」
「…………そうね。嘘。アシェラは三級に収まる器じゃないもんね」
アンバーさんは大きくため息をついて、深く椅子に座った。
「はいはい、あたしの負け負ーけ。本気であの娘に担当になって欲しいってのが伝わって来たわよもうっ」
「じゃあ」
「会わせる約束はできない。決めるのはアシェラだから。でも説得はしてあげる」
俺はエッセと顔を見合わせてホッと胸を撫で下ろす。
しかし、アンバーさんは「でも」と人差し指を突き立てて俺に向けて来た。
「死にたがりは卒業しろ。あの娘を泣かせるような真似したらガンダで飛び膝蹴りかましてやっからな」
「そうは言われてもな」
「何? 無理ってんの?」
「いや、もう卒業してるつもり」
エッセと一緒に苦笑いになって肩をすくめる。
俺の目的はシェフィールドを見つけること。モンスターになってしまったとはいえ、当人はもうすでに隣にいるのだ。別の目的が生まれこそしたけど、これまで以上に命を削ることはない。
「理由は説明できないけど。そこは安心して欲しい」
「うん。私が守るしね」
「……それは今後の探索で証明していきなさい。信用度ゼロなんだから」
「それは自覚してますはい」
心底反省しないと。とにかくアシェラさんに会えたら謝り倒さないといけない。
「あっ。完全に口調崩れてたわ。ま、いいよねもう。さて、ホラ脱いで」
「え」
「【祝福】。アシェラと会ってないから一度もしてないでしょ。ダンジョン素材はなくても、ステータスは見といたほうがいいわよ。自分の力は把握してないと、探索方針を決めるのに支障が出るでしょ。それとも何? それすらされたくないって? 童貞丸出しのガキ?」
「どーてい?」
「お前は知らなくていい。それじゃあお願いします」
もはや完全に俺への対応を決めたアンバーさんに、面倒くさげに右腕上腕部の黒い樹形図模様を触れられる。
【
アンバーさんは億劫そうに聖杯脇のサイドボード上でステータスシートに記入しようとする。ただ記入する直前、怪訝そうな表情を浮かべたかと思うとすぐさま驚嘆に変わり、俺と【
「どうしたの?」
「…………」
最終的に無言のままステータスシートに書き込むと俺の眼前に突きつけて来た。
「ねぇ、キュリオスさん。あなた本当に何者?」
名前:リム・キュリオス
クラス:テイマー 称号:【
最高到達階層:第一階層
レベル:11
筋力:98 敏捷:78 体力:132 魔力:50
魔法:【無明の刀身】(自己申告)
スキル:魔力漏出(アーティファクト限定?)(自己申告)
「アシェラ本当に仕事してた? 書き間違えてたとかじゃないわよね?」
一度間違えかけていたこともあったな、とは口にできなかった。
―◇―
「レベル11……ね」
「【祝福】受けてないのにね」
リュックを背負い直し、ダンジョン入口の大階段を下りながら、アンバーさんに告げられたステータスを反芻する。
俺の以前のレベル5。その他のステータスも50から60を推移する程度だった。
あまりの異常な上がり幅に困惑するしかない。
一月と少しでレベル5になったのに、たったの数日で11レベル。つまり6レベルも上がったことになる。
レベルの上がる条件はダンジョンの素材を用いてその中に宿るダンジョンとのパスを、シスターによる【祝福】で移植してもらうのが一つ。
もう一つはダンジョンに滞在して、侵食を受けることで直接ダンジョンとのパスを繋ぐことだ。ただこっちは効率がかなり悪いはず。しかも侵食がもっとも軽い第一階層だ。
「アンバーは死にかけたからかもって言ってたよね」
「そのほうが侵食されやすいのは確かだけどな」
というかあの瀕死状態で、俺が侵食によってダンジョンに取り込まれずにいたっていうのも不思議だ。
原因は……考えても仕方ない。自分の身体だけど、正直訳の分からないことが多すぎる。
手に触れただけで魔力を流してしまう特異体質だったり、シスターでも読み取れない魔法だったり。
もしかしたら死にかけたらレベルが異常に上昇する体質なのかもしれない。
「試す勇気はないな」
「リム。聞いてもいい?」
「ん?」
規則的に靴の音が鳴る階段を降りながら、エッセが尋ねてくる。
空気は外と違って涼しいが、ねっとり絡みつくような居心地の悪さをもたらしていた。
「アシェラと何があったの?」
それか。
「あったってほどのことじゃない。ただ俺は我慢弱くて、すぐにお前を捜しに行こうとして、止められたってだけの話。詳しくは……」
「詳しくは?」
「……内緒」
エッセがブーイングを上げる。触手も牙をギラギラさせて抗議してきた。
「いまより未熟なときのことなんて思い出したくないんだって」
「むー。私がダンジョンにいる間のリムのこと聞きたかったのに」
「また今度。恥ずかしいと俺が思わなくなったときな」
多分来ないけど。
俺たちは階段を降り岩床の大部屋(ハウス)についた。
「アシェラさんのこととあの件はひとまずアンバーさんに任せるとして」
「うん。ミスティのためにも
今日も今日とて炭鉱夫に勤しむのである。
―◇―
アンバー・コレットは『ガーデン』三階にある、ダンジョンにまつわる情報が本として編纂・集積・保存された場所【
三階と四階が吹き抜けとなっており、全体としては円形ドーム状の部屋である。
しかし壁や天井から生える樹々が部屋全体を侵食し、書棚や足場、階段から梯子に至るまで全てを担い、複雑な多層構造を形成していた。ともすれば、書棚が宙に浮いている、あるいは天井から生えていると錯覚するほどの奇妙な構造である。
まるで本のダンジョンだとアンバーは頭が痛くなった。
昇級するための勉強でしばしば訪れるが、やはり慣れない。勉学に励めと本の虫どもが囁いてくるようで居心地が悪いのだ。
階段を降り、部屋の中心に鎮座する台座の上でぷかぷかと浮かぶ翡翠色の球体を過ぎる。
「おっアンバーじゃん。仕事終わった?」
「違うー、休憩時間。駄々っ子迎えに来ただけ」
「あはは。いつもの場所いるよ」
「あんがとー」
同僚シスターと適当に挨拶を交わし、さっきと再び階段を上って入口の反対側へ。梯子を登り足場にもなっている書棚の上を歩いて樹の階段をさらに上っていく。端まで辿り着くと扉があった。
ドーム状の【
ダンジョンにまつわる重大な情報が封じられている、とアンバーは誰からかそんな噂を耳にした。真実かどうかはわからない。
ただ、閉架書庫の一部には三級シスターであるアンバーでは入れない場所があった。
当然、同じ三級シスターであるアシェラ・カプラリンも同様である。
開架書庫と違い理路整然と書棚が並んでいる閉架書庫の、比較的入口の奥まった場所にある書棚の影にそれはいた。
「アシェラ、一応伝えといたよ」
「ぅぇ、あっ、えっと……う、うん、あり、ありが、とう」
まるでミノムシのように小さく縮こまって本へと視線を落とす少女。
同僚であり、同期であり、友人でもあるシスター、アシェラ・カプラリン。
鬱蒼と生える深緑の長い髪は目元を完全に隠し、見下ろす形だと表情すらわかりにくかった。
「…………」
「…………」
「……あ、あの」
「なに?」
沈黙に耐え切れなくなったか、圧が漏れ出てしまっていたか、アシェラが切り出してくる。
「リムくん、おこ、怒ってた……?」
「どう思う?」
尋ね返すと深く俯いてたっぷりと時間をかけて熟考したあとにアシェラは答える。
「お、怒ってない?」
「怒ってたわよ」
「ひぅ」
肩をびくりと震わすアシェラにアンバーは失笑する。
「でもあんたが担当を辞めたいって言いだしたことにじゃない。直接言ってこなかったことにね」
「ご、ごめん、なさい」
「あたしに言ってどうすんのよ。直接言いなさい。キュリオスさん、あんたが担当辞めるの認めるつもりないみたいよ」
「ふぇ、な、なんで……せ、説明して、くれたんじゃ」
「したわよ。した上でノーだって。誓って言うけどきちんと説得したわよ。口論になるくらいには。でも折れなかった」
アシェラは頭を抱えて「なんで、どうして」と力なく呟いている。
「はぁ……やっぱりこうなるか」
苦しんでいる。昔アシェラが死なせてしまった彼と重ね合わせ、死の影が再び忍び寄るのを恐怖している。
やはり会わせちゃいけない。少なくともいまは。
アシェラの心はとてつもなく疲弊してしまっている。熱し冷やされたガラス玉のように。
親しくなるほどに失ったときの苦痛は計り知れないのだ。
傷つく友達を放ってはおけない。たとえ約束を反故にしても。
「アシェ――」
「どうして……私、なんかより、ずっと……ずっとリムくんに、相応しい、シスターはいるのに……」
紡ぎかけた言葉は喉の奥に消えた。
「キュリオスさんはあんた以外に自分に相応しいシスターはいないって言ってたわ」
「……え?」
代わりについて出たのは彼の言葉。自分と同じことを思っているリム・キュリオスの言葉だった。
何を言っているのだと頭の中のアンバー・コレットは𠮟責する。しかし無視した。少女の自己評価の低さを見過ごせなかったのだ。
持たざる者として、持つ者であるアシェラは自分の力を自覚しなくてはならないと思う。
自覚した上で使わないのならそれでもいい。それは自由だ。それがアシェラの心を守ることに繋がるのならばなおのこと。
けれど無自覚であることは暴力だ。それはどれだけ必死に勉強しても結果が伴わない者にとって非情な刃となる。
アシェラに傷ついて欲しくない。これは本心。
しかし、認めては欲しい。ただの一度のミスで自分は何者にも劣る無能になったのではないのだと。
「アシェラ。これ、渡しとく」
「これは?」
折り畳まれた一枚の紙をアシェラに無理矢理手渡す。
「キュリオスさんからの依頼。まるでついでみたいに頼んで来たわ。アシェラならできるだろってなんてことない風に。あたしには無理無理」
アシェラは恐る恐るといった風に紙を開いて視線を泳がせる。
「リク・ミスリルの情報? ……リムくんが、私に……? 私なんか、に?」
「図々しいにもほどがあるわよね。ホント探索者って身勝手。まっ、おかげであたしらは仕事にありつけてるわけだから、文句は言えないわけなんだけど」
手を震わせるアシェラに、アンバーは最後の一押しをする。
どう転ぶかは目の前の少女次第だ。
「私たちの仕事は【祝福】、【事務】、そして【奉仕】。でも【奉仕】の裁量は私たちに委ねられてる。嫌なら無視して期待を裏切れば、きっと相応しくなくなれるんじゃない?」
同時に、アシェラは紙に視線をずっと下ろしたまま立ち上がった。
「アンバー。お願いがある、の」
「ん」
「二日、代わりに出て、仕事」
「……ふぅ。ふざけんな。すでに二日代わりに出てんのよ。あたしだけで回るか」
「ひぅ」
「他の奴らも巻き込むからあとで覚悟しときなさいよ」
「! ありがとう!」
アンバーはアシェラに背を向けて手をひらひらと振った。
肩越しに振り向けば、アシェラはもう書庫の奥へと走り出していた。
「ホント世話が焼けるわ」
そう思っていたら、壁に思い切り頭をぶつけて転んでいた。
額を擦って悶絶するアシェラに声をかける。
「あんたいい加減、前髪切りなさいよー!」
「ふ、ふ、ふひっ……やだっ!」
相変わらずの頑固さに、アンバーは苦笑いを浮かべるしかなかった。
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