008:ミッシング・オートマタ


「ミスティ。それがブレアのつけた私の個体名です」


 工房の作業台を囲うように椅子に座って、ひとしきりブレアが事の顛末を話したあと、ミスティと名乗る金属の少女が端的に自己紹介した。

 感情の籠らない無機質な表情。人の理想を形にしたような美しい顔立ちだったが、それゆえに恐ろしくも見えた。

 何を考えているのかわからない、理解できないが故の恐怖。

 ただ、工房の椅子に座る少女は限りなく人間に見えた。見た目だけなら触手を生やしたエッセ以上に。


「すごく灰色。擬態してないときの私の姿みたい」


 そしてその肌は灰色だった。顔から、ぶかぶかな白シャツから伸びる左腕の指先、右脚に至るまで全てが灰色。

 目の下や腕など、全身の至るところに溝が走っていて無機的な印象を加速させている。

 健在な腕や足の関節部は球体関節人形に似た構造で、首元や指の関節まで部位ごとに独立しているらしい。

 それでも人間らしく見えたのは、灰金色のロングボブと翠玉の瞳のおかげ。灰色の無機質さを幾分か中和してくれている。

 そして、耳上両側頭部に沿うように金属で作られた黒い触覚には、樹状模様が彫り込まれ、微かに翡翠色に光っている。髪飾りのようにも見えて女性らしさに一役買っていた。

 ただ残念ながら、右目は白布の眼帯をし、失われた右腕と左脚は銀フレームの無骨な義肢を付けていて痛ましさのほうが勝ってしまっていたけど。


「腕とか痛くないの? 大丈夫?」

「痛みという感覚はありません。ボディに掛かる負荷はありますが」

「……ミスティ、お前はこっちのエッセみたいにモンスターなのか? ……そうなる前は何をしてた?」

「質問の意図が不明。私の発生地点はクリファにおいて【魂魄回帰街アィーアツブス】と呼称される場所であり、まだ一月と経っておりません」

「こんぱくかいきがい?」

「第二階層のことだよ、エッセちゃん」

「それ以前の記録はありません。また、私はそもそもモンスターと呼ばれるものではありません」


 金属の少女は告げる。


「私はあなたがた人間がと呼称する存在です」


 俺もエッセも顔を見合わせて驚きを共有した。


「テンシってずっと昔に世界樹に住んでたっていう人たちのことだよね?」

「そう! そうなの! あたしも最初聞いてびっくりしちゃって! 一瞬信じられなかったんだけど、この可愛さ見たら納得しちゃった!」


 単純すぎる。


「地上に上がり、この世界の通説を幾つか学びました。その結論として、稀少性という観点で私に勝る存在はいないかと思われます」


 無表情のはずなのに心なしかドヤ顔のように見えた。黒い触覚がパッパッと自己主張するように翡翠色に明滅する。


「で、その自称テンシ様は何をしてたんだ? 街で、ダンジョンで」

「自称ではありません」

「いや」

「自称ではありません。事実です」

「わ、わかったよ」


 圧がすごい。無表情なのに有無を言わせぬ迫力がある。


「で、何をしてたんだ?」

「……不明」

「不明って」

「ミスティは記憶喪失なんですよー」


 記憶喪失。あれか『ここはどこ、私は誰?』みたいな。


「あなたから流入した過剰な魔力で発動した【基底ベースクラス】の強制シャットダウン、その反動とその後の損傷によるものです。」

「シャットダウン?」

「私の機能の一つ。アーティファクトの稼働を停止させる機能です」

「……マジか。いやでも確かに。だけどなんでそんなことを」

「不明。しかし、あの日あの場所で実行すべき必要性があったのだと推測」

「言ってる意味の大半がわからん」

「実はあたしもよくわかってなかったり。でも身体をなおせば思い出すらしいんですよね」

「肯定。現在、私のリソースは魔力の流出阻止と機能回復に割かれているため、記録の抽出と修復に割く余裕がありません」


 俺は肩をすくめて、ブレアに話の続きを促す。


「うん。それからあたしはミスティと一緒にダンジョンを脱出したんです。教会には内緒で。あのときは本当に心臓ドキドキだったぁー」

「どうして教会を避けたんだ?」

「……おそらく私の損傷の原因が以前の所有者の手によるものだからです」

「誰かは覚えてるのか?」

「いいえ。ですが【クリファ教会】も人間の組織。信用なりません」


 ミスティが切り捨てる。俺を見据える目は、お前もだと言っているように見えた。

 教会のトップはテンシと目されてる方なんだけど、ミスティは知っているのだろうか。

 これ以上は話の腰を折るので自重する。

 ブレアはその後、この工房までミスティを連れ帰ったと語った。

 それが【開闢祭】の日。俺がミスティに突然キスをされた日の夜のこと。

 思い出したら頭が痛い。


「時系列を整理すると、【開闢祭】で俺たちと会って一悶着起こしたあとダンジョンに行って、元所有者? に攻撃されて動けなくなっていたところをブレアに拾われた、ってことか?」

「訂正要求。拾われたわけではありません。利害関係の一致により同行を許可しました。私はもう誰の所有者でもありません」

「所有者とは言ってないけど、拾われたようなもんだろ」

「違います。全然」


 何を意固地になっているんだ。

 無表情で感情がないように見えて、きちんと怒ったりするのだろうか。


「いま手足につけてるのがブレアの言ってる義肢なの?」

「否定。これはあくまで装着しているだけです。ここにある全ての義肢は私のパスおよびボディと適合しません」


 座るとき引きずっていたけど、そういうことか。


「じゃあ、ブレアがここ数日おじいさんのところに行けなかったのって」

「そうなんですよ。ミスティに義肢を作ろうと試行錯誤してて」

「その様子だと見つかってないんだな」


 ブレアは力不足を憂えるように、力なく頷く。しかし、「でも」と言葉を紡いだ次の瞬間には決意の火が灯った力強い視線を俺に向けていた。

 嫌な予感……。

 ブレアが俺の手を取る。その手は火を宿したように熱い。包帯越しでそれが伝わる。指の皮膚が硬く感じた。ざらつきのある職人の手だった。


「二人がミスティと面識があったのはとっっっても僥倖でした! しかも浅からぬ因縁があるみたいですし?」

「いや全然ないから。ないない全く。赤の他人だから」

「それにお二人はあの【巨人墜ネフィリム】! 階層主ダンジョンイーヴルを撃破したいまを時めく探索者! あたし一人では手が足りないところだったんですよー。だからー、【巨人墜ネフィリム】の力を貸してくれませんか?」


 ブレアは手を合わせて上目遣いで身体をくねらせる。


「称号は関係ないだろ。それに無理だって。義肢関係はさっぱりだ」

「私もさすがに作るってなると全然だよ?」

「いえ! そっちじゃなくて、義肢を製作するための素材が欲しいんですよ。あたし一人だと集める余裕がなくて」


 ブレアはさっきまでの浮ついた空気を深呼吸により吐き出し、居住まいを正すと俺たちに向かって頭を下げた。


「どうか、ミスティを助けるためにあたしに力を貸してください。お願いします」

「待て待て待て。なんでそこまで。俺らみたいな部外者……」


 いや、ミスティは人間を警戒している。僅かでも事情を知る俺たちに頼むのは道理だ。

 だけども。


「どうしてそんなに慌ててるんだ? 義肢作るのって時間がかかるもんなんだろ?」


 ブレアの陽気な振る舞いで気づけなかったけど、よく見ればブレアの目の下にはクマができていた。あまり寝ていないのだろう。ずっと工房に籠っていたのかもしれない。

 頭を下げて動かないブレアの代わりに答えたのはミスティだった。


「私には時間がありません。パスを物理的に縛っても損傷箇所の魔力の漏出を完全には止められず、ボディへ多大な負荷をかけています。現在、機能の回復と魔力漏出防止にリソースを割いていますが、このままではいずれ稼働限界が訪れるでしょう。私はコアのみで活動することができません」

「コアって、人でいう心臓のこと?」

「肯定です、マルクトに似た誰か。そこよりパスを伸ばし、全身に魔力供給を行うことでボディを操作しています」


 パス。口ぶりからしてあの翡翠の糸のことか。


「仮に継続的に魔力を補充しても遅延にしかならず、二週間と経たずこのボディは崩壊するでしょう」


 つまり死ぬ。それを何の感情もなく、ミスティは言ってのけた。

 どちらかというとブレアのほうが焦っている。ちぐはぐだ。


「死ぬのが怖くないのか?」

「万物はいずれ朽ちるものです。私は、私の個体維持に関心はありません」

「お前を助けようとしてるやつの前で……いや、なんでもない」


 俺の言えた義理じゃないか。散々、エッセやアシェラさんの忠告を無視して無茶してた俺が。

 エッセが俺の腕を触手で引っ張って来た。伺い見るような、しかし決意を滲ませる表情。

 どうしたいのかはすぐにわかった。エッセに折れる気がないということも。


「わかった。俺も死にかけてるやつを見捨てるなんて真似したくない。いいよ、協力する」


 ため息交じりに決断すると、顔を上げたブレアの表情がたちまち明るくなっていく。


「ありがとうございます! ぁああっうわっうわわっ、いまの二人の目を交わらせただけで気持ちが通じ合った感じ、尊すぎか~っ!」

「……あー。一つこっちからも条件をつけるからな」

「も、もちろん報酬は用意しますよ。お二人も大変みたいですし、そこはご心配なく」

「そっちじゃなくてその敬語。やめてくれ」

「え、でも」


 称号云々で敬われるとか身体がむず痒くなって仕方ない。


「ミスティに話すみたいにしてくれ。その喋り方かなり無理してるだろ」


 ブレアは目を見開いて驚く。それから顔を徐々に緩ませていき、爆発させるように笑みを咲かせた。


「あはは、バレちゃってた! うん超苦手なんだよねあの喋り方! 余所行き口調マジ疲れるし。リムくん、あっ、リムくん呼びでいいよね? ちょっとむすっとした感じだからどういう距離間で喋るか悩んでたし助かったよー。あ、でも一線は引いてね、推し二人とは距離置いて俯瞰して眺めてたい派だから」

「頼むから意味の分かる言葉で話してくれ」

「サリアに通じるナニカを感じるのは気のせいかな」

「困惑してる表情似すぎウケるー! あーもう辛すぎ、尊すぎるわホント」


 何が辛いのかわからないが泣いている。笑ったり泣いたり感情の起伏が激しすぎる。

 ブラックのじいさんと本当に似ても似つかない。良い悪いは置いておいて。


「最終確認。いいのか、ブレア? ミスティが【開闢祭】で見せた光のせいで結構な混乱が起きたからな」

「肯定します。私の行為により混乱が招かれたのは事実です」


 ミスティはまさしく人形のように背筋を正したまま身じろぎ一つせずに答えた。


「認めるのか」

「客観的事実を述べたまでです」


 本来なら教会に突き出すべき案件だ。

 テンシというのもあくまで自称。

 正体不明のモンスターを匿った罪に問われてもおかしくない。

 しかし、ブレアは一瞬たりとも怖気づかなかった。


「うん。もう助けるって決めたから。それにいまミスティの力になれるのはあたししかいないし」


 その決意は何があっても揺るぎないと、鍛えられた鉄のような瞳は訴えてきている。

 なら俺に言えることはない。ブレアに力を貸すだけだ。エッセも乗り気のようだし。

 俺たちの立場がこれ以上悪くなることもないしな。


「わかった。俺たちは何をすればいい?」

「さっきも言った通り素材を集めて欲しいかな。義肢製作に必要な素材の内足りないのは三つ」


 ブレアが指を三本立てる。


「一つは輝星水晶スターライト。これは加工してミスティの瞳にする。二つ目はリク・ミスリル。ミスティのボディと同じ物質で義肢製作の要になるかな。で、三つ目がパス・スレッド。義肢と繋ぐためにもミスティの糸を他から移植して増やさないといけないんだよね。再生するみたいだけど、間に合わない」


 三つか。正直、思っていたよりは少ない。


「あとはミスティの魔力供給のための魔石とかの買い出しをお願いしたくて――」

「魔石に関しては必要ありません」


 言うが早いか、ミスティがぎこちない足取りで近づいてくると、左手を俺の後頭部に回した。

 脳裏に浮かぶ開闢祭での珍事。


「おいやめ」

「ダメッ!」


 逃げそこなった俺の窮地を救ってくれたのはエッセだった。触手がぐるぐると俺の顔に巻き付いて抱き寄せ、ミスティの強制キスを阻んでくれたのだ。

 よろめいたミスティをブレアが支えて、椅子に座らせる。

 そして、助かったと安堵する前に、エッセが言い放つ。


「キスは愛し合っている人同士でしかしちゃダメなんだよ!」

「なっ」

「わっ」

「該当情報なし。その規定は初めて知りました。情報取得。今後は別の手段を用います。差し支えなければ、情報の出典を求めます」

「リムが言ってた」

「情報の追記。感謝します」


 ふんすふんすと得意げに鼻を鳴らすエッセ。

 エッセの腕と胸、そして触手たちに囚われた俺はただひたすらに感情を殺す。

 何も考えない。何も思わない。周りにある義肢たちのようにじっとする。

 落ち着け。気を鎮めろ。何も恥ずかしいことなんてない。


「リムくん、意外と純情……信じちゃってるエッセちゃんも可愛すぎ。ホント推せる」


 耳を塞ぐのは、この動かない手では無理だった。

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