004:金属味の接吻


 【開闢祭】の盛り上がりに俺は終始圧倒されていた。

 人の多さ、だけじゃない。催し物も多すぎて目が回る。

 特売価格(真偽不明)が売り文句のダンジョン素材や装備、疑似アーティファクトの店。

 ちょっとしたミニゲームやくじ、賭け事を行える店。

 小さな屋外舞台上での演劇や、【開闢祭】前後からしばらくの間、開催されるダンジョンレース(文字通りダンジョン内で競争するらしい)に至るまで、屋台のみならず色々な企画や催しが行われていた。

 驚異的な人の賑わいはそれらの商売に一枚噛むためでもあるのだろう。

 人の集まるところに金と稀少なものが集まるというわけだ。

 何よりここは世界最大のダンジョンがある街。ここでしか手に入れられないものは幾らでもある。


 ただ、今日に限って言えば――。

 あれを見るためにクリファに人が集まったと言っても過言ではない。

 ざわめきがメインストリートの上から下ってくる。それに続いて、喧噪を鈴の音色が鎮めていった。


「リム、あれって」

「うん。セフィラ様……だけど、なんだあれ」


 二頭の白と黒の巨馬。

 いや、馬の姿をした鎧を装着したモンスターが雄々しく闊歩していた。

 ただ問題だったのは引いているもの。

 どう見ても木だった。まるで馬車の上が樹木となったような。あるいは車輪のついた木か。

 木漏れ日を抱く深緑の大樹は、歩道に迫るほど雄々しく、根付いているかのように安定した歩みを見せている。

 樹木馬車の根本の陰、台座のような場所に座するベールとローブで全身覆いつくした小柄な人が、周囲の観客の視線を一身に浴びていた。

 セフィラ様。

 彼女こそがこの街クリファを作った人物で、【クリファ教会】のトップだ。

 身じろぎすらしないセフィラ様は沈黙のまま街を下りていく。荘厳で神秘的な佇まいに、不思議と誰も彼もが黙ってセフィラ様を見上げていた。

 その周りにはセフィラ様を守る直属の騎士であるセフィラナイトたちが一糸乱れることなく一定の速度で行進している。先頭の二人の手には鈴のついた旗が握られていた。


「いまさらなんだけど、【開闢祭】って何をするお祭なの?」

「俺も詳しくは知らないけど、昔あの『巨人の森』を通ってここまでやってきた遠征隊の話したろ?」

「セフィラ様が寝返らせたってやつ?」

「そうそう。昔は『巨人の森』に道なんてなくて、遠征隊が自力で踏破したんだけど、それが今日なんだと。それを再現して、忘れないようにするための祭らしい。記念日だとか。だから一日かけて、『巨人の森』の入り口まで行って、また帰ってくるらしい」

「……そっか。英雄たちの送り火なんだ」

「送り火?」


 火なんてないけど。


「あ、違うの。私の国にそういうのがあったってだけ。死んだ昔の英雄に火を捧げて忘れないようにするって催しが」

「へえ」

「あっ! ご、ごめんなさい……」

「なんで急に謝る」


 顔を青ざめさせて、エッセは後ろめたいように下唇を噛んだ。


「だ、だって。私の国で英雄ってことは他の国では……」


 ああ、なるほど。侵略国側の英雄は、された側にとってはまさに悪魔のような存在だ。

 マルクトの在り方に疑問を抱いているエッセにとっては複雑だろう。俺の村がマルクトに滅ぼされたということも含めればなおさらだ。


「俺は気にしない。ただこういうのがあったって話しただけだろ。むしろ俺はエッセが住んでた場所のことは気になる」

「リム……でも」

「別に話したくないならいい。でも全部が全部悪いモノってわけじゃないだろ? いまのエッセを形作ったものなら俺は知りたい」


 エッセは少し驚いたような顔を見せたあと、手と触手で口元を隠す。


「ダフクリンのときみたいに俺が【無明の刀身】で〈センテイケン〉をいつでも実体化できるようになったら、お前がシェフィだって証明できる。そしたら帰れる。そのときにでも話してくれると嬉しい」

「……うん、必ず」

「待ってる」


 いまはこれだけで充分な気がした。

 そうして、人の波に乗り、ほとんどセフィラ様の馬車と並走して歩いているときのことだった。

 突然、右手を引かれた。


「なんだよ、エッセ。また屋台見つけたのか?」

「え?」


 左からエッセの声がした。じゃあ、俺の手を握ったのは誰だ?

 顔を向けると、眼前に顔があった。


「は?」


 精巧な人形のようだった。

 大小の星々が煌びやかに浮かぶ翠玉の瞳が、その輝きに反して焦点の合わない視線を俺に向けている。

 一見すると普通の肌にも見えるその皮膚は、皺ひとつなくツルツルで、金属の質感を想起させた。

 そして、目の下を顎にかけて走る亀裂のような細い溝。呼吸や心臓の鼓動、生理現象で起こりえる僅かな動きすらないことが、造り物の印象を色濃く目に焼き付ける。

 理想の少女を精巧に模倣した顔。

 そうあるようにと、最高の瞬間だけを切り取った不変の像。

 それは人足り得なかった。


「【マルクト】ですね。力をお借りします」

「え――」


 マルクト? そんな疑問も一瞬で吹き飛んだ。

 眼前が翠玉に染まり、唇に硬く柔らかいという矛盾した感触のものが触れる。

 にゅるりとした、太く柔らかい金属的な質感のものが唇をこじ開け、舌を掻き分け口内に侵入し、喉奥に触れた途端――世界がブレた。


 自分がここじゃないどこかに落ちていく感覚。翠玉の景色は一変し、無限に整列する泡沫が枝分かれし、連なり消えていく深淵のソラ。夢現の境界を跨がせ、全ての底を押し付け、その一部に組み込まんとする世界があった。


 だけどそれも一瞬の出来事。急速に意識が浮上すると、全てを見透かすように射抜く翠玉の瞳があった。

 唇の奇妙な感触も健在だった。全身から羞恥と困惑と言い表しようのない感情が嫌な汗となって噴き出る。

 なんで俺は見ず知らずの人間でもない奴にキスをされているんだ?


「ちゅ、ちゅーだ。わぁあ」


 エッセの言葉にようやくまともな思考が浮上した。が、反射的に少女を剥がすよりも早く、何故か少女が驚きに目を見開かせ、俺を押しのける。

 人にぶつかりながら後退する少女は、全身灰色の外套に身を包んでいて、頭にもフードを目深に被っている。灰金色の髪がさらりと舞うのだけは見えた。


「リム、ちゅー、知らない人とちゅー」


 なんかエッセが混乱して戻ってこないし。

 女も特に何かをしてくる様子もない。ただ、身体が小刻みに震えていた。


「【恩寵】に過剰な魔力の流入を検知。【マルクト】、あなたは一体。いえ、あなたは【マルクト】ではない? そちらが【マルクト】? いえ、そちらも違う。違う……?」

「さっきからいったい何を言って」


 言いかけた瞬間、少女はガンッとまるで殴られたように仰け反った。


「【基底ベースクラス】発動準備完了。過剰魔力によるボディへの過負荷の危険性あり。中断不可能。強制シャットダウン発動まで3、2、1、余波に注意」

「余波?」


 女の目の下の亀裂から光が迸った。そこだけじゃない。外套の下からも、その身体の輪郭を透かせるほどの翡翠光が、瞬きの瞬間だけ弾けて世界を塗りつぶす。

 その光とともにパンパンパンと連続してガラスが弾けるような音と、金属音が激しく打ち付け合う音、そして数瞬遅れて人々の悲鳴が上がった。


「きゃっ! な、なに、いきなり魔石灯が弾けて」

「うぐっ腕が動かな」

「いまの何の光!?」

「誰かの魔法っ!?」

「もしかしてテロ――」


 突如起こった未知の現象に人々のざわめきが周囲に伝播していく。

 悲鳴が悲鳴を呼び、混乱を加速させ、もうパニックは避けられないと思われた。

 その瞬間だった。

 先ほどの閃光とは異なる柔らかな光が眼前に舞い散った。

 葉が発光していた。

 セフィラ様の座る樹木馬車の葉が脈動する翡翠の光を灯し、次々と散って俺たちへ降り注いでいたのだ。

 それは人や物に触れるとふっと消えて、まるで大樹の下で木漏れ日を浴びるような開放的な心地よさをもたらしてくれる。


「子供たちよ、落ち着いて。我の声に耳を傾けて欲しい」


 そこに凛とした幼子の声が響く。葉に癒された人たちにその声はよく通り、場に静寂をもたらしてくれる。

 声の主、セフィラ様が、落葉した樹の枝に立っていた。


「先の現象は何者かによる攻撃ではない。密集地におけるパスの混線による疑似アーティファクトの誤作動である。しばし歩みを止め、いまは隣の者を気遣い、互いの安否を確認して欲しい。負傷した者はセフィラナイトの元へ。義肢が不調をきたしたものも同様だ」


 顔は見えない。どんな姿をしているのかさえわからない。

 けれど、妙な安心感がある。その声に、その言葉に、全幅の信頼を寄せられる。


「心配はいらぬ。いまここには、我がいる」


 人心を全て掴んだセフィラ様の言葉に、パニックを起こす者など一人もいなかった。

 そうしてセフィラ様はセフィラナイトたちにテキパキと指示を飛ばす。

 混乱は嘘のように鎮静化し、もう人の流れが戻り始める。


「すごい……」


 エッセの漏らした言葉がそのまま俺の感想だった。


「二人とも」

「!?」


 いつの間にか傍まで来ていたセフィラ様に腕を引かれ、俺とエッセは流れから弾かれる。


「あの娘は?」


 幼げな、それでいて舌足らずではない芯のある声音で端的に尋ねてくる。

 それが誰を差すのかはすぐにわかり、周囲を見渡すももうどこにも翠玉の瞳の少女はいなかった。


「エッセ、感知して」

「……ごめんなさい。わかりません」

「そう。仕方ない」

「セフィラ様、我々から離れられては困ります!」


 俺たちの元に一人のセフィラナイトがやってくる。柄に手を伸ばしており、すぐにセフィラ様を守れる体勢を取っていた。


「心配はいらぬ。これは襲撃ではない」

「ですが、何が起きるともわかりません。“顔のない女”の件もあります。【開闢祭】はいかがされますか」

「【開闢祭】は子供たちを差し置いて行うべきものではない。でも重要。あの人の……彼らの足跡を思い出す日だから。故にこのまま隊を二分して続行する。班分けはそなたに任せる。一分で纏めよ」

「了解しました。増援要請はすでに行っております」


 セフィラ様の迷いのなさ。それにしっかりと応えるセフィラナイト。圧倒される。

 そうして俺たちにセフィラ様は向き直る。自然と背筋を伸ばしてしまっていた。


「先のことは気にするな。今日は【開闢祭】を楽しむのだぞ。二人がいまそう在ることは、そなたたちが勝ち取った報酬なのだから。我は二人のその選択を祝福する。よくぞ、今日までの困難を乗り越えたな。偉いぞ」


 その声の柔らかさから、セフィラ様が微笑みかけてくれている気がした。そして、褒められているということも。

 エッセも口を緩めて、酩酊するように揺れる触手を手で押さえつけていた。


「今後のことは【開闢祭】後に。追って連絡をする」


 それだけ言ってセフィラ様が樹の下へ戻ると、樹木馬車が元気を取り戻したように深々と葉を生い茂らせ、風にその葉の音色を運ぶ。

 セフィラ様の力の一端が垣間見えた瞬間だった。


「あれが民を束ねる者の姿」


 そう隣で呟くエッセの横顔は、もう一人の彼女である皇女シェフィールドのものだった。

 触手の目がこっちを見て、遅れてエッセも見上げてくる。


「ねぇ、リム。教えて」


 喧噪の世界から取り残されたかのように、エッセと俺のいる空気が違った。つい背筋を伸ばしてしまう。一般人からは放たれることのないエッセの圧に、心臓がぎゅうと鷲掴みされるようだった。

 上目づかいで神妙そうに尋ねてくるエッセに、俺は身構える。皇女に教えられることなんて何も思い浮かばない。

 もしセフィラ様のようになるにはどうすればいいかと聞かれても、尋ねる相手を間違っているとしか言えないだろう。

 そしてエッセがおもむろに口を開いた。


「ちゅーってどんなだった?」

「…………はい?」


 はい? え、なんて?


「さっきのちゅー! どんなだったかって聞いてるのっ! 教えて! どんなだった? 柔らかかった? 気持ちよかった?」

「い、言えるわけ、ないだろっ! というか覚えてないから!」


 先ほどまでの空気が一瞬で霧散した。喧噪が俺たちを押しつぶした。

 かぁーと頭が急速に熱を帯びる。祭の熱気でない熱さが宿る。

 せっかく忘れられていたのに!

 シェフィールドだった顔は好奇心旺盛なエッセのものに戻っている。玉虫色の瞳がキラキラ光り、触手がぶんぶんっと興奮した犬の尻尾のように揺れていた。


「ちゅー良くなかった?」

「良いわけないだろ! 見ず知らずのやつにやられて!」

「知ってる人とならいいの?」

「キスっていうのは、え、と、その……あ、愛し合っている人同士でやるもんであって、そうみだりにしたりしないんだ! それが普通……ああ、そっか。そういやお前、色々ずれてたな」


 裸見られても気にしなかったり。あれはモンスターだからじゃなくて皇女だからだったのか。

 ……いや、だとしてもおかしいな。


「愛し合ってる……」


 何かを反芻して考え込んでいるエッセの触手を脇に挟んで無理矢理引っ張って歩く。

 突如現れた少女にされたことをさっさと記憶の底に埋没させるため、この祭の喧騒に俺は沈んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る