003:視線、気にならず
街は活気づいていた。
世界樹の根本にある【クリファ教会】本部『ガーデン』から、緩やかな坂を少し下った先に広がる街クリファ。
隆起した緩やかな傾斜に放射状に広がる旧市街と、世界樹を取り囲むように広がる新市街は遠目からでもわかるほど活気に溢れていた。
『ガーデン』から旧市街を突っ切って新市街まで伸びる中央メインのバランストリートは人のごった煮状態だ。軒先には屋台が連なり、人の波が歩くよりも遅く流れている。
人は様々。探索者らしい服装もいれば、いわゆるおのぼりさんといった風情の人、親に肩車された子供だっている。
探索者の街、という雰囲気が今日ばかりは薄れて見えた。
どこからともなく――いやあらゆるところから楽器の音色が喧噪に乗り、祭の雰囲気を盛り上げていた。
メインストリートの中央の馬車道はロープで仕切られており、おおよそ馬車二台分と少しの幅があった。それを挟んで、人の流れは上りと下りに分かれている。俺たちは街に向けて降る左側だ。
普段は車道も上下の道に別たれているが、今日は下りだけのようだ。理由は明白。
街の喧騒を音楽へと昇華する、歌と楽器の音色が盛んに繰り広げられるパレードの只中であるためだ。
際どい踊り子の女性が、勇猛な鎧に身を包んだ男性が、不可思議な輝きをその身から放つ魔法使いが、祭を彩るべく街中を行進している。
行進は人の歩みよりも速い。パレードを彩る演者たちが率いる、馬車を改造したであろう巨大な構築物は、モンスターを想起させる派手な形をしていた。
周りの演者はそれと戦う探索者たち、とでもいったところか。
幾つかの団体がそれぞれのテーマで、このパレードを担っているようだ。どこかは知らないけれど、ギルドの紋章らしきものもある。
「わぁああ、わぁあああああああっ!」
「随分嬉しそうだな」
「だ、だってこんなにいっぱいの人がいるの見たの初めてなんだもん! あっちにも、そっちにも! これってパレードだよね! すごいね! おっきいね! 屋台もいっぱい! わっ! 辺な格好した人がいるよ! え!? 剣を呑み込んじゃった!?」
メインストリートに段階的にある小さな広場では見世物を行う人たちがいた。管楽器と太鼓の音色が響いている。ここが一つの音源だろう。
エッセの言う剣呑む人は人だかりのせいで俺からは見えない。どうやら瞳のついた触手を伸ばして見たらしい。
そう思っていたら横で微かに音が聞こえた。喧噪でも誤魔化しきれない腹の鳴る音。
「え、えへへ……」
「アシェラさんの真似して誤魔化すな」
「だ、だって、街に下りてからずっといい匂いしてたんだもん……」
「食い意地張ってるお前には辛いよな」
触手と一緒になってぽかぽかと叩いてくる。
「胸ポケットに財布あるから、それ取ってくれ」
「……いいの? 借金じゃ」
「何のための借金だよ……。それにこの前街をまわるって約束したしな。祭なんだし屋台ぐらいは見ないと始まんないだろ」
「うん! やったっ!」
こうして見ると帝国のお姫様だなんて到底思えない。いやまぁ、姿形は一旦置いておいて。
エッセが俺の胸ポケットから硬貨の入った布袋を触手で取る。もはや自分の手よりも器用なのではなかろうか。
「その手癖、悪い方面に使うなよ」
「え?」
「自覚できてないならいい」
屋台選びはエッセに任せることにする。小麦を練り固めた菓子に氷菓子、果実を飴で固めた物など、俺の見たことのない甘味が並ぶ屋台が所狭しとある。当然、昼食になりかねない重い食べ物もあった。
基本的に串物や棒状のものが多い。歩きながら食べる人が多いからだろう。あの密集具合だとだと悲惨なことになりそうだけど。
「あそこにしよっ」
「……えぇー」
エッセの指差す方角にあったのは馬鹿でかい肉の塊。
ダンジョン肉祭と銘打たれた看板の下、垂直の太い串に無数の肉が刺されて積層したものがゆっくりと回転し、後方の熱気を放つグリルによって焼かれている。
子供一人分の伸長と胴体はありそうな巨大な肉塊は、周囲の喧騒にも負けず劣らずの存在感を放っていた。
「……お前、結構ガッツリとした食い物好きだよな?」
「だ、だって美味しいし、いい匂いがするんだもん。食い意地張ってるわけじゃないよっ」
頬を膨らませたって誤魔化せないぞ。別にいいけどさ。
とりあえず二つでいいか。そう思い屋台の前に立とうとして、エッセが前に出た。
「店員さん、お二つくださいな!」
「はーい! 袋に入れる、それともすぐ食べる……かし……ら」
「あれ」
妙齢の女性が驚きに目を瞬かせる。小栗色のウェーブがかった髪を三角巾で覆っていたけれど、誰かは一目でわかった。
「エッセちゃんじゃない! リムくんも!」
「マブさん? どうしてここに」
「出店よ出店。出張店ってね。せっかくのお祭なんだし、稼がないと」
えくぼを作って朗らかに笑うマブさん。彼女は酒場宿『妖精の寝床』の女主人で、サリアに案内されてエッセと一緒に食事に行った際、快く迎えてくれた人だ。
「エッセ、もしかしてマブさんだったから……」
「帰還報告しなきゃ、でしょ? マブ! えっと、このケバブ超盛り盛りサンド二つくーださいなっ」
「ふふっ、はぁい。ケバブ超盛り盛りサンド二つね」
マブさんは鉈のような長いナイフでこんがり焼けたケバブを縦に削ぎ落し、ハンドショベルで受け止めると、そのまま半月に切られて袋状になったパンにこれでもかとはちきれんばかりにぶち込んでいった。
そして薄ピンクのソースをたっぷりとかけるとそのままエッセに手渡す。
肉の香ばしい匂いに混ざった僅かな酸味の香り。食欲こそそそるがその圧倒的な肉の暴力に俺は思わず仰け反る。
「ありがとう!」
当のエッセは、両手で持ったケバブサンドを前にご満悦といった様子だ。
「……マブさん、俺もうちょっと少ないというか、さっぱりしたの、ないですか?」
「あはは、病み上がりにはキツイか。じゃあ野菜と半々のやつにしとくね」
あるのか、助かった。
「あれ、病み上がりって」
「
「耳が早いですね」
「そりゃもう。うちの店でもその話題で盛り上がったし。ルーキーが
「ありがとう……ございます?」
決め顔で言われても困る。しかし、また掛けてたのかマブさん。
「手は失わずに済んだみたいね」
「なんとか」
「良かったわ。義肢はメンテナンス面倒だもの。大事にしなよ?」
マブさんが言うと言葉の重みが違う。両足ともにダンジョンで失い、義足となっているから。
「さてと、はい、サラダケバブサンドね。あ、持てないか。えっと、おっエッセちゃんの触手行ける? 落とさないよう気を付けてね。じゃあ二つで900F、と言いたいところだけど。快気祝いってことでまけといてあげる」
「え、いや、でも……」
「いーのいーの。その代わり、またうちの店に元気な顔を見せに来てね」
「はい」
「ありがとう、マブ!」
俺も礼を言って、店から離れようとした。
ふと振り返ると、広場にいる人たちからの視線が俺たちに向かっていたことに気づく。全員ってわけじゃなかったけれど、一人気づけば隣の人へ、話し声を耳にしてこちらに気づき、と伝播していく。
遠慮ない視線は病院のときとは比べ物にならない。
「あれが噂の喋るモンスターか? クリファって何でもありなんだな」
「ばぁか、他にいねぇよ。人間みてぇに飯食って不気味で仕方ねぇ」
「あいつらが
「ホラじゃない? 男のほうは子供だし、ルーキーだって聞いたわ」
「【ヘカトンケイル】がやったんだろ。あいつらが倒してたほうが面白そうだから変な噂流れてるだけに違いねぇ」
祭の喧騒は異様な噂話へと歪曲していく。突き刺さる視線は好奇と疑心。
この際、
「ちょっと! エッセちゃんの悪口言ったの誰!? こんっなに可愛い子差して不気味だとか! 陰口叩いてないで正々堂々来なさいよっ!」
けど俺が言うより早く、後ろで声をあげてくれたのはマブさんだった。
怒り心頭怒髪天といった風貌で、ギンギンになった視線を広場の奴らに向けている。
「それに
「マブ、私は大丈夫だから。ありがとね、心配してくれて」
意外にもエッセは突き刺さる視線に少しも物怖じしていなかった。
「言わせっぱなしは良くないわよ?」
「ん。でも気にならないんだ。リムがいるから」
強がっている風でもなかった。エッセは柔らかな日差しを見上げるように目を細めて、触手たちとともに俺を見つめてくる。
「……俺?」
「リムが言ったんだよ? 『目を合わせるのが怖かったら俺だけ見てろ』って」
「あー」
「あら」
マブさんが何故か口元を隠して、目を細めて笑う。どこか下品というか、下世話というか、居心地の悪い笑みだ。広場の奴らの視線とは別の意味で。
「だから私は大丈夫。リムがいるから」
「わ、わかった、わかったからもう行こうエッセ」
「え、え、ちゃんとマブさんに言わないと」
「もう充分伝わったわ、ごちそうさま~」
顔が熱い。いや全身が熱い。火に炙られた肉串の気分だ。
広場の奴らなんてもう気にならないし、エッセも気にしていない。ならこの場に留まり続ける理由もないので足早に俺は広場をあとにする。
エッセもとてとてと追いかけてくる。
「リム、怒った?」
「怒ってない」
気恥ずかしさが露呈しないよう、感情を殺して言ったものだからいつも以上にぶっきらぼうな返事になってしまった。
「リムだけ見てるの、ダメ?」
俺の機嫌を損ねてしまったと思ったのか、エッセが窺うように聞いてくる。歩く速度を落として、エッセと並ぶと上目遣いで悲嘆にくれた表情を浮かべていた。
「別にダメじゃないし、怒ったわけでもない全然全く。ただ……驚いただけだ」
「驚いた? どうして?」
「…………」
そこまで拠り所にしてくれていた、信頼してくれたってことが嬉しくて。
なんて言えるわけがない。恥ずかしいが過ぎる。顔面から火吹くわ。魔炎石もアーティファクトも必要なくなるくらいだ。
「どうして?」
「……内緒」
「えー」
「内緒ったら内緒。それより俺もケバブサンド食いたいんだけど」
「むー。話逸らした……って俺も?」
「さっきから触手で食ってるだろ」
「ああ!? なんだかおいしいなぁって思ったらっ! うぅ、もう半分になっちゃったぁ」
「いや自分で食ったんだからいいだろ。てかその量もう半分食ったのか」
「無意識だったんだもん! お肉の食感とか楽しみたかったの!」
無意識で食べるって。
「さすがエッセだな」
「いきなり意味がわかんない。それって絶対褒めてないよね?」
そりゃな。
「もう~。はい、リム」
「いや自分で食べるって」
「まだ持てないでしょ?」
「いーや持てるね」
エッセの触手からケバブサンドをひったくって掴む。
が、プルプル震える俺の指からケバブサンドは逃げ出し落下。一回転、二回転、三回転目で中身がぶちまけられそうになった刹那、エッセの触手がビュンと伸びて中身が零れ落ちるのを防ぎながら拾い上げる。
エッセのジト目から俺は逃げる。
「ほらー」
言い返すことはできなかった。
万全でないことは自覚していたけど、ここまでダメか。
業火を放つ剣のアーティファクト、〈フラムヴェルジュ〉の使用反動で焼かれた手。
トリトス先生ら【アスクラピア】の
炭化寸前までいっていた手を、たったの三日で動かせるようになったのだから早いどころか奇跡なのだけれど。
しかし手が使えない以上、当然色々あるわけで。最たるものは食事。スプーンも使えない俺はエッセに食べさせてもらっていたのだ。
理由は自分でもわからないけれど、とてつもない羞恥プレイをさせられているみたいで恥ずかしいのである。
「遠慮しないの。ほら食べて」
触手で丁寧に口元まで持ち上げられる。心臓が意味もなく早鐘を打った。
殺せ。心を殺せ。無心で食え。感想呟いて誤魔化せ。そう念じながらかぶりつく。
「……ん。んー、野菜のおかげで肉の重さが中和されててちょうどいいな。ピンク色のソースも酸味があって肉と野菜どっちにもあってるっていうか上手く繋いでるっていうか。たまに長い肉が噛み切れなくて垂れるのが難点だな」
「あむ。んー、んー! おいひー!」
聞いてないし。
「お前の歯は噛み切りやすそうだよな。舌とか噛まないの?」
「え? あー、たまに噛んじゃうけど、すぐ再生するからだいじょーぶ」
「便利なこって」
俺たちは広場から離れ、メインストリートを下るために歩く。
エッセは残ったケバブサンドをゆっくり一口一口味わって食べている。
一噛みで飲み込むんじゃなく、何度も咀嚼して、しかし片手で口元を隠して上品に。そのアンバランスさは見ていて飽きない。
初めて屋台にエッセと行ったときを思い出す。ちょうど、エッセと初めてのダンジョン探索に行くときのことだ。
エッセは食べ歩きにとても抵抗感を示していた。何度もこっちを見て、本当にいいのかと。はしたなくないかと。
行儀がよくないのは確かだけれど、クリファでは食べ歩きはそう珍しいものではない。当然咎める者もいない。ポイ捨てはもちろんダメだが。
そのときはずいぶん行儀いいなと思っていたけれど、中身がお姫様なのだから納得だ。
食事をするときやセフィラ様との面会のときも、出自を鑑みればさもありなん。
まぁ、いまはもう見る影もないけれど。
「あ、リム、ソース垂れてるよ、拭ってあげるね」
不意に伸びてきた触手が黒紫色のハンカチに変わったかと思うと、俺の顎先から下唇までをスッと拭い取った。
スッともペロっともつかない擬音が聞こえた気がした。
「あ、ふふ、ソース美味し」
「ッッ!?」
舐めたわけじゃないのにエッセが舌で唇を濡らす。
いや、待て。ハンカチに擬態してたけど触手だから舐めたで合ってるのか?
え、じゃあいま舐められたってこと? 唇も?
「う、うわぁ、モンスターにた、食べさせてもらってる」
「でもなんか、見た目は女の子に食べさせてもらってるのうらやま」
「何言ってんだお前」
周囲の雑音なんてまるで気にならなかった。
顔が熱い……。
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