002:視線、そのわけ


 世界最大のダンジョンがその根本に座す、どんな山嶺よりも雄大な世界樹の切り株。

 その周囲を囲うように築かれた、世界最大の街、『外殻都市クリファ』。

 ここには、ダンジョンを調査し、そこでしか取れない物質を持ち帰る屈強な探索者たちが集い、日々命を懸けて探索をする。

 時に凶悪なモンスターたちと戦い、時にダンジョンの厳しい環境を乗り越え、時に儚くも散っていく。

 それでも未だ踏破されていないダンジョンの深奥を覗き込もうとする、勇敢な人々だ。

 吟遊詩人はその勇猛さを歌い語るだろう。作家は彼らが明らかにしたダンジョンの真実を記すだろう。人々はそれをまた違う誰かに伝えていくのだろう。


 ここはそんな場所。

 世界で最も探索者たちの多い街。

 俺もそんな探索者の一人だ。

 だが、きっと俺のことが人々の記憶に残ることはないだろうな。


「では治療費諸々の費用を合わせまして、3380500となります」

「へぁ」


 【クリファ教会】直下の医療ギルド【アスクラピア】の運営する病院受付で、借金確定の死刑宣告を受けた俺は、自分の物と思えない声を発した。

 探索者が主な利用者のこの病院は他所よりも遥かに騒がしかったが、受付のお姉さんの一言で俺の頭の中から一切の音が消えた。

 治療費3380500Fフィーロ。三百万……。

 俺は三日前、死にかけた。

 ダンジョン第一階層に一体のみだけ出現する、正真正銘の化物、階層主ダンジョンイーヴルラスター。

 それとの戦いで手が炭化しかかるほどの重傷を負い、一時は生死の境を彷徨ったそうだが、【アスクラピア】の治癒士のおかげで事なきを得た。

 が、当然良い治療には良い値段がつくものである。

 高位治癒魔法と稀少な魔法薬、その他多くの治癒士の尽力があって助かった。助けられたのだから文句は言えない。けど……けど!


「それでは、来月末より【世界樹中央銀行】へ返済してくださいませ。お大事に」

「……はい、お世話になりました」


 結局、病院経由で【世界樹中央銀行】から貸付を行ってもらい一応の支払い。今後は月末に分割して支払っていくようにと説明を受けた。

 また、中央銀行は【クリファ教会】とも密接に繋がっているらしく、探索の度に成果物の何割かを支払いに充てることも可能だと。その場合、金利とやらが低くなるらしい。

 病院だけでなく、銀行とも関わりがある辺り、本当にこの街は【クリファ教会】が中心にあるのだとわかる。危険職である探索者が優遇されていることも。

 実際、俺が探索者でなくて、ダンジョンでない場所での負傷だった場合、どれほどの治療費となったことか。本来の金額を言っていた気がするけどもう覚えていない。


「リムが生気の抜けた顔してる……大丈夫?」

「あー、うあー……いや、予想はしてたけど、さ……実際突きつけられるやばい」


 いざ直面すると衝撃的過ぎた。

 一日の食費が俺の場合、1000F行かない程度。探索の度に失っていた装備の買い足しで貯金なんて雀の涙しか残っていない。

 今更ながら自分が後先考えてなかったとわからせられる。シェフィさえ見つかれば、と思っていたから。


「わ、私も返済のお手伝いするよっ」

「……自分が情けない」


 隣を歩く、自分よりも背の低い少女に頭をよしよしされている。

 手ではなく、黒紫の触手で。

 少女は俺の一歩先にステップして振り返ると、前が見えてるかのような軽い足取りのままこっちを見る。


 少女は例えるなら妖精だった。

 黒い森に囚われ、生ける蔦に絡まれ身悶えする哀れな獲物。しかしその蔦こそが彼女の正体だ。

 少女の肢体より伸びる黒紫の蔦――否、触手。

 先端が瞳や牙の生えた口腔となった触手たちは無軌道に蠢き、少女の意思に呼応するようにこちらを向く。

 新雪より白い肌に映える黒いオフショルダーブラウスと、黒紫のフリルが絡みつく波打つ花弁のスカートが、彼女の歩みに逆らいはためく。


「どうせ私もまだまだあっちに帰れないんだから、がんばろ? 一緒に来てくれるんでしょ?」

「……そうだな。なっちまったものは仕方ないし」

「うん! 前向きに行こっ!」


 虹彩が玉虫色に煌めく瞳が嬉しそうに細められ、デミショゴスと呼称された少女――エッセはギザ歯を見せて無邪気に笑う。

 喋るモンスターはいない。モンスターは笑わない。

 けど彼女が笑うのは不思議なことじゃない。エッセは人間だから。


 エッセの本当の名はシェフィールド・オブシディアン・マルクト。通称シェフィ。

 俺がずっと捜していた人であり、ここ、『外殻都市クリファ』と長年戦争状態にある『マルクト帝国』の皇女でもあった。

 人ならざる姿なのは、彼女の故郷である『マルクト帝国』の秘術によってダンジョンの力を宿したため。

 敵国であるここにいるのは、エッセの母の死で潰れたオブシディアン家を再興して当主となり、侵略戦争を繰り返す帝国の皇帝にその真意を問い質すためだった。

 最終的には皇帝に成り代わってやろう、だなんて考えてもいるけど。


「リム、そわそわしてる。借金、不安?」

「いや、我ながら無茶な計画に乗ったなぁって」

「? 私は不安なことないよ。私のこと知ってくれても、一緒にいるって言ってくれたリムがいるもん」


 くぅ。恥ずかしげもなく言ってくるんだもんな、この触手っ娘。

 色々あった。

 出会いは鮮烈だった。死に塗れたものだった。

 再会は地の底だった。彼女だと知らなかった。

 真実は仇によって告げられた。一度は全てを諦めた。

 すれ違いも、絶望も、家族を殺した帝国の姫であることに折り合いがつけ切れていない部分は、正直言ってある。

 けれど俺は、シェフィがエッセとして俺と一緒にいた、短くとも確かな時間を見ることにした。シェフィじゃないからこそ等身大たりえる彼女との日々を。

 それなら煩悶とした気持ちを変えられる。

 ただただ、エッセの力になりたいと思えるのだ。俺の生きる指針を示してくれたエッセと、そしてシェフィの。

 それに肩肘張ってお姫様らしく振舞っているよりも、こっちのほうが好ましい。


「あ、でも……」

「ん?」

「リムが無茶しないかは不安。そんな手なのにダンジョン行こうとか言い出さないでよね」


 手は包帯でぐるぐる巻き状態。手首から先は感覚こそあるが、ほとんど動かせない。

 動かせないのは手の感覚とパスの乖離が原因とのこと。

 とは言え、ギブスをつけているわけでもないので歩くのには何の支障もなかった。


「はいはい、当分大人しくしてますよ」

「うん。身の回りのお世話は私に任せて」

「断固拒否。トリトス先生も、手は動かしたほうが早く治るって言ってたろ」

「リムのいけずーっ!」


 ぶんぶん触手を振るな。


「それより、今日は開闢祭回るんだろ?」

「! うん!」


 皇女だけども、その容姿に違わず子供っぽい。一応実年齢は俺より上なはずだけど、五年もダンジョンにいたからな。

 まぁ借金を抜きにしても持ち金はほとんどないわけだけど、しばらく黙っておこう。

 楽しそうに頭を左右に揺らすエッセの先で、風景から浮いたある人が目に入った。


「あれ?」


 人の波を避けて壁際に立ち尽くす暗緑色の修道服を着た女性。

 遠目で表情は見えないけど、こちらをじっと見ているのはわかる。

 あの鬱屈した感情を抱える暗い森を思わせる感じ。当てはまるのは、俺の中では一人しかいない。担当シスターの――。


「アシェラさ――」


 手を上げて呼びかけた瞬間、アシェラさんは肩を跳ねさせたかと思うと視線を断ち切って人の波に乗って離れていった。


「えぇ……俺なんかした?」

「あれ、アシェラだよね?」

「多分」

「そういえば、アシェラに無事だって伝えるの忘れてたね」

「そ、それで怒ってるのか?」


 アシェラさんが怒るイメージはあまり湧かないけれど。


「追っかける?」

「……いや、きっと【開闢祭】で忙しいだろうしやめとくよ。いつでも会えるし」


 借金の返済方法についても相談しよう。うん。


―◇―


「あっ、あのっ!」


 病院の出口をくぐったところで、後ろから声をかけられた。

 声の主は山吹色のゆったりとしたローブ姿の女性だったけど、見覚えが全然ない。

 けれどその人は俺の顔を見るなり、ほっと相好を崩す。


「まさかここで会えるなんて思ってませんでした。良かったぁ」

「えっと」


 だけどやはり見覚えがない。

 気の抜けた感じの柔和な表情。栗色の前下がりボブカット。ローブ姿で【ガーデン】側の病院にいるってことは探索者なのだろうけど。


「……どっかでパーティ組んだことあったっけ?」


 出口に突っ立ってると邪魔なので脇に寄ってから尋ねる。

 俺は一度か二度組んですぐ解散した相手はだいたいすぐ忘れている。

 サリアは色々とどぎつかったから嫌でも覚えていたけど。解散したあともちょくちょく嫌味、もといちょっかいかけられてたし。

 くいくいとエッセに袖を引っ張られた。少し屈んでエッセに耳を寄せる。


「リムが助けた人だよ」

「俺が?」


 はて? もう一度女性を見る。少し照れたように頷いた。

 歳は多分俺より上。サリアくらいだろうか。助けた。助けた。サリア? あ。


「ダンジョンで足を侵食された」

「そ、そうです!」


 思い出した。俺がダンジョンに侵食された足を斬った女性だ。その直後にサリアがやってきて、ウルに地上まで運ばせた。

 助かったとは聞いていたけど……そうか。元気そうだ。


「リム、人の顔覚えるの苦手? 私は一目見てわかったよ」

「う、うるさいな」


 あれから一週間以上も経つし、忘れてても仕方ないだろう。


「一度もお礼に窺えなかったのでお会いできてよかったです。その節は本当にありがとうございました」

「いや。俺は別に。エッセが見つけてくれなかったら気づかなかったし。だから礼はこっちに」

「わ、私だって見つけただけだよ。結局、あのとき私は何も決断できなかったから」


 お礼の押し付け合いは多分酷く滑稽に映ったことだろう。しかしとても微笑ましいものでも見るように笑いかけられた。


「感謝しているのはお二人にです。生きることを諦めていた私を叱咤してくれて。酷い言葉を口にした私を命懸けで守ってくれた。あなたたちお二人に感謝しています。ありがとうございました」


 ちらりと横目にエッセを見ると、胸元で触手をぎゅうっと握って涙目になっていた。

 本当に涙もろい。


「仲間の人たちとは再会できたの?」

「はい。私を助けるために救援クエストを依頼してくれていたみたいで。ダンジョンの中で入れ違いになったそうです。あはは……。本当に自分が恥ずかしいです。大切な人たちなのに、勝手に見捨てたと思い込んだりして……」


 それほどあのときの状況は絶望的だった。目が覚めるとダンジョンに足を取り込まれていたのだから。パニックになるのが普通だ。


「そういえば、足は?」

「皆がお金を出し合ってくれて、この通り義足を」


 足元のローブをめくると鈍銀色の義足の脛が見えた。多少無骨ではあるけれど、角張った部分を極力なくした女性らしい滑らかな形状をしている。


「え、一週間ちょっとでもう歩けるようになったの?」


 エッセの驚きもごもっともだった。そんな簡単に義足って作れるものなのか。


「はい。私も驚きました。でもクリファって世界で一番義肢が発達した街だそうですよ。本来私たちは頭から神経? という身体の中にある糸のようなものを通して色々な場所に動け~って命令を出しているんだそうです。その神経をパスと魔力で代替することで、義肢を動かすのだとか」

「……ごめん、ちんぷんかんぷんだ」

「ですよね、言ってる私も実はわかってません。しかもなんですけど、この義足を作ったの私よりも年下の女の子なんですよ」

「へぇ」

「とても話しやすい方で、色んな靴が履けるようにってこっちの足と変わらないサイズにしてくれてて、安価なのにとても頑丈で、気遣いに溢れてるなぁって感動しちゃいました」


 さすが世界最大の街。若い職人も腕がいいということだろうか。


「あぁ、なるほど」


 会話に入って来ていなかったエッセが、何か思いついたように言葉を漏らした。

 どうやら何かずっと考え事をしていたらしい。


「義足を着けるのってアシェラ……えっと、シスターが手伝ってたりするの?」

「え、あっ、はい。そうです。シスターの資格を持つ治癒士の方にパスを繋いでもらいました」

「やっぱりダンジョンとの接続なんだ。魔法やスキルが使えるようになるのを、義肢に置き換えてるだけで同じ。ううん、可視化できてる時点でむしろずっと簡単かも。パスの接続はクリファのお家芸だし、うん納得」

「なんでわかるんだよ」

「だって、アーティファクト開発が良く進んでたもん、マルク――」


 言いかけたエッセの口を腕を回すことで無理矢理塞いだ。きょとんとしている彼女から少し離れて、エッセに耳打ちする。


「バカ。その名前出すなって。ここじゃお前がどういう立場かわかってるだろ?」

「ご、ごめんなひゃい」


 全く。クリファとマルクトはほとんど敵国同士。そしてエッセの正体はマルクトの皇女。迂闊に名前を出すのはまずい。

 ただでさえ目立つし、受付周りでは結構な視線を向けられていた。もう外ではあるけど聞き耳を立てられていてもおかしくない。


「悪い」

「いえ。あっ、挨拶が遅れてしまいすみません。私、アスハ・フソゥと申します」


 改めてこっちも名を名乗る。


「リム様にエッセ様。重ね重ね本当にありがとうございました」


 アスハさんは少し迷いを見せながらも、意を決したようにエッセの手を触手と一緒に握った。ほんの少しだけ、表情が引きつるけれど離そうとはしない。


「む、無理しないでいいよ」

「いえ。無理だなんて。この前はごめんなさい。助けてくれていたのに酷いことを言って。でも、もう大丈夫です。エッセ様のこと怖くありませんから。……た、ただいきなり触られるとびっくりはしちゃうかもしれないですけど」

「それは大丈夫。俺もだ」

「ええぇ!? リム!」


 ひとしきり笑って、一歩下がったアスハさんは頭を下げる。


「今度、また仲間たちとご挨拶に伺います。もし何か困ったことがあれば何でもおっしゃってください。全力でリム様とエッセ様のお力になりますから」

「機会があれば」

「うん。ありがとうアスハ!」


 少し嬉しかった。

 エッセはここではモンスターとして扱われ、故に拒絶されている。アスハさんも最初はそうだった。

 だけどいまは何かあれば力になるとまで言ってくれている。

 エッセを受け入れてくれている。それが嬉しい。

 互いの居住先を交換して別れる直前のこと。アスハさんがふと思い出したように尋ねてきた。


「そういえば、お聞きしたいのですけれど」

「ん?」

「お二人が階層主ダンジョンイーヴルを討伐したという噂は本当なのですか?」


 病院で感じていた視線。その理由が一つわかった気がした。

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