第二章 欠落するオートマタ

001:プロローグ


 少女は、生き物と作り物の境目はどこにあるのだろうと考えることが度々あった。

 特別真剣に考えたことはない。

 答えを求めたことも。

 何もしていないとき、ぼうっと空を眺めるとき、つまらない本を惰性で呼んでいるとき、漠然と頭に浮かぶのだ。

 生き物たる人間の腕が作り物に変わったとき、その人間はどちら側なのだろうと。

 義手、義足、義眼、代替臓器果てはカツラに至るまで。

 その人間を構成する一部となった作り物はどちら側なのか。

 血が通うことはない。熱を抱くこともない。けれど、意思は持つ。

 元々あった本物の肉体と同じように、その役割を熟してくれる。

 ならば、作り物も意思を持てば生き物と変わりないのだろうか。

 肉体全てが作られたものだとしても、それは生き物と言えるのだろうか。


「はえぇ~……あたし、夢でも見てる?」


 全身灰色の肉体を壁に預けて座る、人の形をした、しかし人ではないナニカを見て少女はそれを思い出したのだった。


「人……じゃないよね。でも女の子?」


 灰金色のロングボブ。服らしきものは一切身に纏っていない。

 唯一、耳上側頭部に沿うように、金属で作られた黒い触覚のようなものがあった。そこに彫り込まれた樹状模様が微かに赤く明滅している。

 身体の表面はツルツルでボディスーツを纏っているかのよう。胸の乳房らしき膨らみの先端に突起がないことが、殊更その印象を強くした。

 人間ではない。その肌はまるで金属のように灰色だったから。

 被造物。人形。あるいはモンスター。

 もっと近づかないとわからない。何より――。


「警告。ただちに立ち去らない場合、あなたを敵性対象とみなし攻撃します」

「おわわっしゃ、喋ったぁ!?」


 声は彼方まで響くかと思えるほど、よく通る女性の声だった。

 人に似た姿形に言葉。いよいよもって少女の理解の範疇を越え始める。

 冷静でいられたのはここがダンジョンだから。

 何もかもが起こりえる場所だからこそ、パニックにならずに済んだ。


 少女は考える。

 金属少女の言葉に感情の色は一切見て取れなかった。

 目の前にある原稿をただ文字としてしか読めない役者のような、台詞の内容とは裏腹に危機感が込められていない。

 だが、そのナニカの状態は無感情の台詞以上に雄弁である。


 右腕と左脚がなかったのだ。

 肘と膝、それぞれより先が失われていた。

 人間ならば、出血多量ですでに死んでいてもおかしくない。

 しかし金属少女が血の代わりに流すのは、翡翠に淡く発光する糸の塊だった。

 血ではない。人間ではない。それでもこの状態が目の前のナニカにとって健全であるとも思えなかった。


「っ」


 駆け出そうとした瞬間、少女の頬を翡翠の塊が掠め、後ろの壁を穿つ。

 金属少女の左腕部。手の甲側に沿うように細い筒状の物が装着されており、それはまっすぐ少女に突きつけられていた。

 少女にはそれが何かわからない。ただ、例えばクロスボウのような射出機構であると見立てることはできた。


「はぁーマジびっくり」

「これは警告です」

「おっけおっけ」


 少女は所持品を全て捨てた。あらゆる武装を解いた。軽鎧を脱ぎ捨て、手を頭の後ろに、一切の攻撃の意思を棄て、ゆっくりと一歩ずつ金属少女に向かう。


「警告。止まってください」

「止まれないよー。おじいちゃん譲りの頑固者なんで」

「警告」

「っ……」


 一発、二発と翡翠の弾が放たれる。だが、それは少女に直撃しない。

 正直怖い。あの弾にどれほどの威力があるか想像もしたくない。だが、捨て置けるはずがなかった。

 手足の喪失は一生に関わる。たとえ人ではなくとも少女は見過ごせなかった。


「絶対に危害は加えないからさ。あたしに診せてよ、その腕と脚」

「人間は信用に値しません」


 腹部に破裂する痛みが迸ったのは直後だった。意識が一瞬飛びかけた。すぐにわかる。あの翡翠の弾を撃たれたのだと。


「あははっいったぁ……んでも、小指に鎚を振り下ろしたときほどじゃないかな……!」

「人間は苦痛を喜ぶ思考を有するのですか?」

「んなわけないよー。やせ我慢だし」


 痛い。だが出血はしていない。貫通もだ。ただただ痛いだけ。なら、行ける。


「不明。意図が理解できません」


 声は抑揚のないもの。しかし、少女には困惑しているように聞こえた。

 ならば、大丈夫だ。

 ただの一歩も立ち止まることなく、少女は金属少女の前に行き、膝をつく。向けられた穴は沈黙していた。

 これは人間ではない。しかし、理性のないモンスターでもない。

 一己の意思を持つナニカだ。どこからが境目かわからずとも、確かに生きている。


 金属少女の顔がこちらに向く。

 右目が喪失していた。外側へ走る細い線の痕。目の下に走る細い溝とは違う。剣による傷跡だと判断できる。つまり探索者によってつけられた傷。

 人間に対する警戒心からも間違いないと少女は思った。


 きっと元の姿は美しいものだっただろう。凹凸のない流麗な灰色の身体、発色のよい灰金色の髪、そして煌々と輝く翠玉の瞳には大小の星々が浮かんでいる。

 右腕と左脚、そして右目が欠けたいまですら、熱に浮かされそうなほど見惚れてしまうのだからきっと間違いないと少女は断定する。


「あたし、義肢装具士なんだ。よかったら診させて。力になれるかもしれない」


 灰色の金属と翡翠の糸、そして翠玉の瞳が構成するその人形へ、少女は笑いかける。

 しかし直後、左腕腕部の射出機構の穴が翡翠に光って――。


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