034:這い落ちる者


 最初に異変に気付いたのはウル、そしてサリアだった。


 リムが白刃によってダフクリンを撃破した瞬間、趨勢は決した。

 エッセをリムの元へ向かわせ、ダフクリンの手下たちに撤退の選択肢をぶら下げることで一気に戦いを終わらせたのだ。

 ダフクリンを倒したので残るは烏合の衆だが、そっちはどうでもいい。主犯格であるダフクリンさえ捕えてしまえばあとはどうとでもなる。


「いやぁ、ホントに勝っちゃうとはね。さぁて、生きてるかな……お、生きてんじゃん。よしよし。これで死んでたら今日の頑張りがパァになるからねぇ」


 常人なら死んでいるだろうがそこは第三階層に到達済みの探索者。ちょっとやそっとの傷では絶命までには至らない。

 とはいえ、出血多量で死なれても困るので、ポーションを特に傷の深い袈裟にかける。傷が完全に塞がることはないだろうが、また暴れられても困るのでちょうどいい。

 腕を縛ってあとは連れて帰るだけだ。


「いまダンジョンにいるんだっけ? もう階層主狩り終えたのかな」


 正直図体がでかくて重たいので運ぶのは億劫だった。こいつを欲しがっている彼女がダンジョンにいるなら、直接ここで引き渡したいところ。

 しかし、気絶の上に重症。ポーションをかけたとはいえ、侵食がいつ始まるかもわからない。


「やっぱ運ぶかぁ。ウル、悪いんだけど」

『グルルッ』

「? なんで上なんか見て、あ? 何してんのあいつら。逃げないわけ?」


 様子のおかしいウルに顔を向けたとき、【天蓋都市】の端っこでダフクリンの手下たちがまごついていて動かないのに気づいた。

 彼らにボスを心配する余裕などないはずだし、逃げる気はあるようだったが。

 それでも万が一気が変わられては困る。

 リムは満身創痍、エッセも負傷。サリア本人はまだほぼ万全だが、二人を守りながらとなると分が悪い。ダフクリンを奪取されたら意味がない。

 ならば残っているモンスターに襲わせ、尻に火をつけてやろう。

 そう思った、そのときだ。

 腕に走る痛みとともにそれは起きた。


『ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 突如クォーツボアがその探索者たちの群れに突撃し、一人吹き飛ばしながら壁に激突したのである。


「は?」


 突如だった。

 サリアはあのような命令をしていない。戦闘終了後、待機指示をパス経由で出した。

 そして、困惑した刹那、バチンと右腹部の【叡樹の形図】が痛む。

 一度ならず、二度、三度、何度も。

 その意味はすぐに理解できた。


「乗っ取られた……いや、取り返された!?」


 ここで何かが起きている。

 起きようとしていた。


 ―◇―


 俺は異変自体にはすぐ気づけた。

 感極まっているのか、べたべたくっついて服の下にまで触手を潜り込ませようとしてくるエッセを引っぺがしたあとだ。

 音がない。

 戦闘は終わった。ダフクリンの手下たちは我先にと撤退し始めている。逃げるのに手間取りクォーツボアに尻を叩かれていたから、その悲鳴くらいだ。

 だけどそれじゃない。ないのはその音じゃあない。

 なんだ。何がない?


「……水」

「リム?」

「水の音がしない」


 そうだ。滝。ここは【天蓋都市】。中央には天井の建物群の穴から絶え間なく水が滝のように降り注いでいたはず。その音がない。

 建物群から水が全く降り注いでいない。


「ヒッ」


 そして、エッセも俺と同様に頭上の建物群を見上げた瞬間、小さな悲鳴とともに口を両手と触手で塞いだ。

 まるで見てはいけないものを見てしまったかのように。

 禁忌に触れてしまったかのように。


「あああ、嘘、どうして……なんで私は気づけなかったの」


 その瞬間、建物群に亀裂が走った。

 まるで雛が内側から卵の殻を突くように。

 地に埋まる種が芽吹くように。

 ――ダンジョンの根より、モンスターが誕生するように。


「…………」


 最初に巨大な腕が伸びた。建物群を巻き込むように黒曜の腕が地に手を伸ばす。

 次に眼窩すらない岩の頭蓋が抜き出た。

 捩るように肩が這い出て、もう一本の腕が自身の身体を引っこ抜くように天井の建物を掴む。

 そして――。

 貯まりに貯まった大量の水を引き連れ、絶望が零れ落ちた。

 激震がダンジョンを揺るがし、湖に飛沫を上げる。

 膝をついたソレはゆっくりと、その図体を示すように重々しく立ち上がる。

 水飛沫の中にソレは異様な存在感を放った。

 十Mはくだらない。黒曜石に見紛う岩体の巨人。

 顔の岩に走る亀裂に粘性のある黒光りする液体が見えた。


「階層主、ラスター……」


 メキメキと頭蓋の岩が崩れ、口が開く。


『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』


 零れ落ちる黒い液体を撒き散らすように奴は咆哮した。

 眼窩はなく、瞳もない目は確かに、俺とエッセを見据えていた。

 憎悪を以て。

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